第二十四章 末路 Ⅵ
メガリシの内乱を止めようとして止められぬコヴァクスのそばに、龍菲が急ぎ駆け寄り、
「あれを」
と指差す先は。
「あっ……」
コヴァクスは声にならぬ声をあげる。あろうことか、ニコレットの手勢がタールコ軍に敗れて散り散りに逃げ惑っているではないあ。
「敗れたのか……」
コヴァクスは苦々しくつぶやき、眉間にしわをよせる。
タールコ軍は怒涛の勢いで都メガリシに迫っている。
カルイェンといえば、都は内乱が起き、そこへ引き返したはずのタールコ軍が迫って来ていて。ドラゴン騎士団・リジェカ正規軍が都に来たときも、怒りで身を震わせていたのが、タールコ軍の存在によって頭が割れるような思いである。
ドラゴン騎士団らがタールコに敗れた、ということは、望むところであるが、その望みが身を危険にさらすなど許されぬことであり、ありえぬことだった。
「ヴォローゾ、おぬし、しかと神に祈っているか!」
カルイェンは悔し紛れにヴォローゾとエトゥチニコとシチェーニェに怒声をあびせる。
「それは、しかと……」
「ならばなぜ、タールコ軍が都に迫っている」
「きっと、ここから神はご加護を、奇跡お与えくださるでしょう」
「まことか、それはまことか」
「それは、はい、も、もちろん……」
神の加護、奇跡、といっても、どのように加護を、奇跡を与えるというのだろう。
「それはどのようなものだ」
「か、神のなさること。人間の考えなど到底及びませぬゆえ」
「ふん。左様か」
カルイェンはヴォローゾらを一瞥し、ふたたび窓越しに外の景色をながめた。
コヴァクスはすぐさま手勢を集めて、敗れたニコレットに代わってタールコ軍に当たろうとする。
内乱を止めねばならぬが、攻め込むタールコも止めねばならぬ。内乱とタールコ、どちらをとるか考えて、やむなくタールコをとった。
内乱はそのあとだ。
なんとしても、都をタールコ軍から死守せねばならぬ。
「ゆくぞ!」
コヴァクスらは駆けた。
ニコレットの率いた手勢は破れ散り散りになり、いいように蹴飛ばされている有様。被害も大きそうである。
ニコレットは無事であろうか。
コヴァクスの手勢はタールコ軍とぶつかった。
今度は挟み撃ちはできない。真正面からの勝負である。
その様を見て、カルイェンは咄嗟に、
「ドラゴン騎士団どもの背後を突け!」
口角泡を飛ばして叫んだ。
城内で待機する守備兵や蜂起を鎮圧する守備兵をあわせれば三千ほどになるだろうか。タールコ軍に組するわけではないが、タールコ軍とまことのリジェカ軍とで挟み撃ちにしてやるのだ。
すぐさまカルイェンの号令が伝えられ、閉ざされていた城門は開かれ、蜂起鎮圧に当たっていた守備兵も向きを変えて異邦人憎しとコヴァクスの手勢の背後をついた。
「なんだと!」
背後から鬨の声。あろうことか、自分たちが守ろうとしている都メガリシの守備兵が自分たちの背後を突いているではないか。
蜂起した側の人々は「目覚めた」人々が鎮圧に当たる。「目覚めた」人々は最初守備兵も加わり戦いを有利に進められたおかげで、だいぶ鎮められるようになっていた。
鼻息の荒い者は、異邦人、売国奴を始末すると、守備兵と同じようにコヴァクスの手勢に向かっていった。
背後を突かれたなら、手勢を割かねばならぬが、そうすればタールコ軍と同数で当たれていたのが転じて数の上で不利になってしまう。
かといって、どっちかのみに専念することもできず。そんなことをすれば背後から斬られたい放題だ。
「狂ってやがる」
ジェスチネは歯噛みした。自分たちに味方すればカルイェンらも助かるというのに。そこまでドラゴン騎士団が、異邦人が憎いか。
挟み撃ちに遭い、コヴァクスの手勢は前後からもみくちゃにされ、騎士、将卒らが倒されてゆく。
下っ端ともなれば、一旦取り戻した自信はどこかへ吹き飛ばされたか、状況不利と見ると我先にと逃げ出してゆき、手勢の数は減る一方だった。
もう、勝ち目などなかった。
「ここはもう、逃げるしかないわ」
龍菲はコヴァクスにそう言った。
「都を捨て逃げるというのか」
「命を捨てることになってしまっては、元も子もないわ」
「……」
コヴァクス言葉もなく、即断を迫られた。
「ゆけ! 進め! このまま都を制圧せよ!」
カンニバルカ率いるタールコ軍は鼻息も荒く、コヴァクスの手勢にとどめをさそうとする。馬蹄と軍靴の響きが、タールコ軍兵の喚声が、全てを覆い尽くす。
「やむをえん……」
コヴァクスは歯軋りする。
「退却する」
意を決し、そう言った。が、ただでは退却する気はなかった。
「ただし、タールコ軍中を突っ切って退却する。いかなることがあろうと、タールコに背中を見せるわけにはいかん」
気がつけば、ジェスチネとアトインビーらドラゴン騎士団の騎士らがコヴァクスの周囲に寄り添っていた。状況不利になり、咄嗟に騎士団長であるコヴァクスのもとにつどったのだ。
(本気で言っているのか)
龍菲はやや驚いた表情でコヴァクスを見つめた。敵軍中を突っ切っての退却など、無謀というものだ。
それも、騎士としての矜持がそうさせているのだろうか。
「あなたは、まさに勇士ね」
龍菲は微笑んだ。
「私は、あなたについてゆくわ」
一瞬、コヴァクスは戸惑った表情を見せ、龍菲が気になる目つきで見つめた。
「小龍公、我らもご一緒します」
「おうさ、どこまでもついてゆきますぜ」
アトインビーとジェスチネも否やはなかった。彼らも騎士としての矜持を持っている。
「よし、勇気のある者はオレに続け。そうでない者は、好きに逃げよ!」
もはや勝ち目なしと観念しつつも、端から見れば伊達や酔狂としか思えぬ方向に、コヴァクスらは駆け出した。
そのときニコレットは、ダラガナとセヴナに手綱を曳かれ、どうにか戦場を脱したところだった。
「ソシエタスは、彼は?」
忠実な副将のことが気になって、何度も後ろを振り向いた。しかし、その姿は一向に見えない。
ダラガナもセヴナも、まさかと思いつつ、最悪の事態を頭の中で描いていた。
ニコレットも、同じだった。
そこへ、騎士が一騎駆け寄り、
「ソシエタス殿、戦死!」
と悔しさを滲ませて叫んだ。
「……」
ニコレット、言葉もない。しばし呆然。
呆然とする目には、兄の手勢が前後挟み撃ちにされ粉砕されようとしているのが見えた。
「あれは」
ソシエタスの戦死を聞き、苦い顔をしていたダラガナであったが。コヴァクスの手勢は数を減らしながらも、戦場に踏みとどまり、前進しようとしていた。
(もはやこれまでと、コヴァクス殿まで死ぬ気か)
彼の頭の中には、このあとフィウメにゆく算段があった。少ないとはいえ、兵力もいくらかあり、フィウメがリジェカの残存勢力として復興の足がかりになりうると思っていたからだ。
「なぜ逃げぬ」
思わず、そうつぶやいてしまった。意地を張らず素直に逃げれば、また立ち直る機会はあるというのに。
ソシエタスの戦死を聞き、呆然としていたニコレットだったが、
「いきましょう」
とダラガナとセヴナを振り切って、愛馬を駆けさせる。
「ニコレット殿!」
慌ててダラガナとセヴナら赤い兵団に騎士らはニコレットを追いかけた。ニコレットまで、死ぬ気でいるのか。ドラゴン騎士団の象徴である兄と妹、小龍公に小龍公女までが死せば、一体誰がリジェカを、オンガルリを復興させるというのか。
都メガリシの守備兵がコヴァクスの手勢の背後を突いてくれたおかげで、戦いをおおいに有利に進められた。そんな中で、コヴァクスらは逃げようとしないどころか、前進しようとしているようだった。
「覚悟を決めたのか」
カンニバルカはその覚悟を汲み取って、さきほどのソシエタス同様、騎士として戦場で死なせてやろうと思った。
が、コヴァクスの意図は違った。
「突っ切れ! とにかく突っ切れ!」
立ちはだかるタールコの兵卒を薙ぎ倒しながら、コヴァクス以下のドラゴン騎士団はタールコ軍中を駆け抜けた。
「お兄さま!」
そこへ、ニコレットがやってくる。
「ニコレット、無事だったか」
「はい、ですがソシエタスが……」
ソシエタス戦死、を聞き、コヴァクスは剣でタールコ騎士を倒して、
「馬鹿者!」
と天に向かって叫んだ。
その兄と妹の間にダラガナは割って入って、
「コヴァクス殿、投げ遣りな真似はおやめなされ!」
と諌めてくる。が、コヴァクスは首を横に振った。
「これは退却だ! タールコ軍中を突っ切って、退却するのだ!」
「なんと、それはまた無謀な」
無謀と言いつつ、ダラガナら赤い兵団も再びタールコ軍と当たっている。が、もちろん、数も少なくなり、勝ち目はないどころか、ここにいれば死の危険もある。
ニコレットの手勢にドラゴン騎士団に赤い兵団などの残存兵力も加わり、どうにかその数は五百にいくだろうか。他は皆戦死か逃げていた。
その五百の兵力で、一万のタールコ軍中を突っ切るのである。
「こうなれば是非もない、我ら赤い兵団もお付き合いいたしましょう」
コヴァクスが、いかなることがあろうとタールコ軍に背中を見せようとしないのは、その目を見てよくわかった。退却するにしても、ただ退却するのではなく、敵軍中を突っ切ったうえで退却するのだ。
「突っ切れ! 無理に盛り返そうと思うな、手柄も立てようと思うな、ただひたすらに突っ切れ!」
先頭に立ち、コヴァクスは手勢に向けて叫んだ。
これがカンニバルカらに聞こえぬはずがなかった。
「なに、きゃつら我が軍中を突っ切るつもりか」
素直に逃げればよいものを、馬鹿な真似をする、と思いつつも。
(そうでなくてはドラゴン騎士団ではない)
と内心嬉しそうだった。
「このカンニバルカから逃げ切れると思うてか」
大剣を掲げ、コヴァクスに迫る。が、コヴァクスはカンニバルカを一瞥しただけで、相手にしようとせず、邪魔なタールコ兵を馬蹄で蹴飛ばしながら突っ切ろうとする。
(カンニバルカ……)
コヴァクスの脳裏に、ぴんと閃くものがあった。聞いたことのある名だ。たしか、オンガルリがタールコに占領されてから、ヴァラトノを治め、旧オンガルリを代官とともに仕切っていたという、あのカンニバルカか。
ニコレットの手勢を打ち破るところ、武勇も相当なものだと思わざるを得ない。
「お前の相手はあとでしてやる!」
コヴァクスはらしくもなく捨て台詞を吐き、ひたすらに軍中を突っ切ろうとする。
コヴァクスは、ニコレットは、ドラゴン騎士団に赤い兵団らは、駆けた。ただひたすらに、タールコ軍中を駆けた。
それもこれも、ただ、騎士としての矜持を保たんがために。