第二十四章 末路 Ⅴ
ニコレットは咄嗟に知恵をめぐらせ、
「お兄さま! わたくしが軍勢の半分を率いてタールコ軍を迎え撃ちにゆきます。お兄さまは、都へ!」
「ならば我らもニコレット殿に続きタールコ軍を迎え撃ちましょう」
と言うのは赤い兵団を率いるダラガナだった。コヴァクスは瞬時の判断に迫られ、ほかに案もうかばず、
「わかった!」
と言うと軍勢の半分を率いて、都メガリシの内乱を止めにいった。ニコレットは赤い兵団らを率い、タールコ軍に当たった。
タールコ軍を率いるのは、カンニバルカ。この男、反転し帰るとみせかけて、都の近くで潜伏していたのだ。潜伏しながら、都の様子を探ってもいた。
そうすれば、都で内乱が勃発。そこへ、反乱軍を制したドラゴン騎士団・リジェカ正規軍が来たではないか。
(好機到来! 神は我に味方した!)
と勢い勇んで「かかれ!」の号令を下したのであった。
国や都の情勢が不安定でいつでも爆発する危険性があることは、調べてゆくうちにわかった。カンニバルカは、そこに自分たちの付け入る隙があると見たのだが。
それが、当たった、と思っていた。
タールコ軍はニコレットの手勢に向かい、ぶつかりあった。
カンニバルカは通常の二倍近い長さのある大剣を振るって、リジェカの兵卒を薙ぎ倒してゆく。
なにせカンニバルカは信頼されているとは言いがたい、その信頼を得るためにも、自ら先頭に立ち勇姿を見せねばならない。
また、この戦いに勝って、都を落さねばならないのだ。でなければ、負けておめおめと生き延びたところで、なにが待ち受けていることであろう。
いわば、カンニバルカは背水の陣であった。
「さあ、かかって来い。我はカンニバルカ。我が首獲って手柄にしようとする者はないか!」
カンニバルカは大喝する。
大喝しながら、リジェカの兵卒らを次々と薙ぎ倒してゆく。
(さて、ドラゴン騎士団の兄妹の力を見せてもらおうか)
まさかこんな形でぶつかり合うとは思っていなかったが、楽しみにしていたドラゴン騎士団との戦いである。我知らずに心が弾む。
タールコ軍とぶつかるニコレットはカンニバルカの猛勇を目の当たりにして、首筋の冷えるものを覚えざるを得なかった。これは思った以上に強敵かもしれない。
だからといって、逃げるわけにもいかない。
「ニコレット様、ここは私に任せて!」
と言うのはセヴナであった。カンニバルカの猛勇を見て、まともにぶつかり合っては危ないと思い、得意の弓矢で遠くからしとめようというつもりだった。
紅馬を駆りながら、弓矢を構え、狙いを定め、カンニバルカ向けて矢を放つ。
矢はまっすぐにカンニバルカに向かって飛んだ、しかし、その矢は大剣に弾かれ、真っ二つに折れて地に落ちる。
「な、なんて男なの!」
めげず、二度目の矢を放つ。
だがそれも、大剣に弾かれる。
「小娘が、しゃらくさい真似をしおるわ」
カンニバルカは大剣を掲げてセヴナに迫った。
「……。くっ」
三度目の矢を放とうとするが、猛牛を思わせる突進に思わず身体が奮え、今度は右へとそれていってしまった。
「無理よ、一対一では勝ち目はないわ!」
ニコレットは得物を剣に持ち替えたセヴナに加勢する。
「小龍公女、及ばずながら助太刀いたす!」
ソシエタスも加勢しようとする。
三対一でカンニバルカと戦おうというのだ。不本意ではあるが、相手の猛勇さを思えばやむを得ぬ。
という時、カンニバルカはくるりと向きを変え。
「退け!」
と号令を下した。
部将たちもカンニバルカの号令を聞き、彼らもまた「退け」の号令を下した。
カンニバルカが勇猛さを見せたとはいえ、全体的に見ればタールコ軍とニコレットの手勢は一進一退の互角の戦いをしていた。それで、タールコ軍が退き始めるではないか。
「押せている。このまま押せば勝てるわ」
ニコレットはそう思い、
「追え!」
の号令を下す。
一方、コヴァクス。
都メガリシに手勢を率いてなだれ込み、内乱を鎮めようと都民たちに向かい、
「やめよ、やめないか!」
とひたすら叫んで駆け回っていた。
ジェスチネも暴れる都民を押さえつけ得物を奪い放り投げる。
「馬鹿な真似はよせ! タールコ軍が来てるんだぞ!」
ときには拳も相手にぶつけたが、剣は抜かない。やはり一般市民に剣を向けるのは気が引けるというものだ。
だが、都民たちは争いをやめなかった。
「異邦人の言うことなんか、聞くもんか!」
とコヴァクスたちに石を放り投げ、得物、剣や槍は無論のこと、包丁までも向けて、つっかかってゆく始末。まったく聞く耳をもたなかった。
(オレたちが来れば鎮まると思ったが、甘かった)
剣を抜かず、ひたすら説得に駆けたコヴァクスであったが、見込みの甘さを痛感させられていた。このままでは、剣を抜き都民を斬らねばならぬか。
「う、わあ!」
叫び声が上がった。それは、都民のものではなく、リジェカの兵士の叫び声であった。無残にも、都民に剣で斬られたようだった。
「殺せ! 異邦人や売国奴どもを殺せ!」
そんな声があがる一方で、
「ドラゴン騎士団が来たぞ、みんな、揮い立て! カルイェンを王座から引き摺り下ろせ!」
という声もあがる。
都メガリシは、もはや混沌として、鎮まりそうになかった。鎮まるとすれば、どちらかが倒されるかしかないように思われた。
しかも、コヴァクスの手勢よりも都民の数が多い。それらは戦争に関しては素人であるが、我を失くし狂乱の状態にある。どちら側にせよ、後がないのは同じことだった。
一方はこれからも手厚い保護を受け、民族としての誇りを持って生きたくて。
一方はこのままでは死ぬしかなくて。
金や食料、うわべだけの優位性に釣られた「ごろつき」の兵士もどきたちよりも、それは質が悪かった。
「やむを、えん……」
コヴァクスは剣を抜いた。抜いたが、迫りくる刃と狂気を振り払うのが精一杯で、都民を斬るまではいたらなかった。
コヴァクスだけではない、ジェスチネやアトインビーをはじめとするドラゴン騎士団やリジェカの兵卒も、やはり都民を刃にかけるのは気が引け、己のみを守るのが精一杯の有様だった。
さてニコレット。
ぶつかり合っていたタールコ軍が退くのを見て、手勢を励まし追撃の手を緩めなかった。
都からはどんどん遠ざかってゆく。
「このままタールコ軍を蹴散らしたら、お兄さまの援護にゆかねば」
勝利を確信したニコレットは、少しでも早く都にゆくことを考えていた。というときであった。
突如として後方から鬨の声があがった。
「何事」
驚いて後ろを振り返れば、なんと後方からタールコ軍が迫ってくるではないか。
鬨の声があがるとともに、カンニバルカは手勢を反転させて、ニコレットの手勢に突っ込ませる。
「まんまとかかりおったわ」
カンニバルカははじめから全軍をもちいなかった。軍勢の半分で、まず突っ込み。のこり半分は、伏兵として潜伏させていたのだ。
「しまった、挟み撃ちだわ」
苦々しくニコレットは歯軋りをした。
その間に、ニコレットの手勢は前後からタールコ軍にぶつかられてしまった。
まさか後方に伏兵があると察することができなかったため、ニコレットの率いる兵卒のほとんどが不意を突かれて、次々と、突風にさらされる枯れ落ち葉が吹き飛ばされてゆくように、薙ぎ倒されてゆく。
「小龍公女、ここはやむを得ませぬ、それがしが手勢を率い食い止めますゆえ、逃げられよ」
ソシエタスは言う。ニコレットはうなずくにも、うなずけない。逃げろと言っても、どこへ逃げろというのか。
「口ほどにもないもんじゃな、ドラゴン騎士団とて」
内心、かなりの歯ごたえを期待していたカンニバルカであったが、まんまと相手が策にはまり、すこし期待はずれを覚える。
「ダラガナ殿、小龍公女をお頼み申す!」
「承知!」
ダラガナ率いる赤い兵団は咄嗟にニコレットを囲み、この挟み撃ちの状況から逃そうとする。
ソシエタスは、
「勇気あるものは我に続け!」
と叫びながら、カンニバルカに一直線に突っ込んでゆく。
「ソシエタス!」
ニコレットはソシエタスの背中に向かって叫んだ。だが、聞こえぬとばかりに、遠ざかるのみ。
「ソシエタス! 逃げよと言うなのなら、お前も逃げよ!」
ニコレットは叫んだ。副将として全幅の信頼を置く騎士である。ソシエタスはその副将として、大将であるニコレットを逃がそうとしているのであろう。我が身を賭して。
だが、それに甘んじるようなニコレットではなかった。
「さあ、ニコレット殿! ゆきますぞ!」
ダラガナは半ば強引にニコレットの愛馬、白龍号の手綱を曳いた。
あろうことか、挟み撃ちに遭った途端に状況は一気に不利になった。もはやタールコ軍にされるがまま。
しかもカンニバルカの猛勇、まるで竜巻のごとしである。立ちはだかる者これことごとく、木っ端微塵に大剣によって吹き飛ばされてゆくように、薙ぎ倒されてゆく。
それにソシエタスは立ち向かおうというのだ。
「うむ、うぬはドラゴン騎士団の騎士か」
「いかにも、小龍公女の副将、ソシエタス!」
「ソシエタス、その名は聞いたことがある。オレに手柄を立てさせようというか」
「ほざけ!」
カンニバルカとソシエタスは一気に距離を縮め、激しく刃をぶつけあった。
(なんという、威力……!)
大剣を受け、一旦ソシエタスはさがって距離を広めた。とともに、一瞬うしろを振り返った。ニコレットはこちらを向いて、必死にソシエタスの名を叫びながら。
ダラガナとセヴナに手綱を曳かれて、戦場から脱していた。赤い兵団に任せていれば、ニコレットは無事戦場を脱することができるであろう。
安堵した。
それはいいのだが、ニコレットが気になって、つい後ろを振り向いてしまったソシエタスであった。これが、命取りとなった。
カンニバルカの大剣の届かぬところにいたとはいえ、敵は四方を取り囲んでいるのだ。剣や槍が、ソシエタスに迫る。
それを弾き返していたとて、やはりよそ見をしたことで隙が生まれて。
槍がソシエタスのわき腹を突いた。
(しまった!)
咄嗟に剣で槍の柄を切り、その勢いのまま、槍をついた兵士を斬った。が、口からは大量の血が溢れてくる。
そこへ、とどめと刃がせまるが。
「やめい! さがれお前たち!」
カンニバルカの大喝。ソシエタスに迫った刃は、ぴたりととまり、退いてゆく。
「うぬは、大将を逃すために、我が身を犠牲にしたのか」
「左様。小龍公女のためなら、この身命、惜しくはない……」
ソシエタスは口から血を溢れさせながら、こたえる。
カンニバルカはじっとソシエタスを見据えた。槍はかなり奥深くまで脇を突いたようだ。傷口からは、とめどもなく血が流れ出す。
この負傷では、戦うことはおろか、この戦場から逃れることはできぬであろうし。仮に逃れたとて、この出血の多さ、助かるかどうか。
いや、現実的に逃れられそうもなく。ソシエタスも覚悟を決めたようだ。
「機を見てオレも戦場を脱するはずであったが、こうなれば是非もない。カンニバルカとやら、オレを討て。オレのことを騎士と思ってくれるなら、騎士として戦いの中で死なせてくれ」
負傷し、馬上にあるのがやっととはいえ、ソシエタスの眼光は鋭い。だがこのまま放っておけば、その眼も光を失うであろう。
騎士として。
その言葉に、カンニバルカは頷き、大剣を掲げ。
振り下ろせば。
ソシエタスはコヴァクスから与えられた愛馬・龍星号から落馬して、ぴくりとも動かなかった。その死に顔は、安らかでもないが、不安も不満もなく、ほどよく緊張感をたもつ凛々しさをたたえていて。いまにも剣を握り戦場を駆け巡りそうであった。
ここに、ソシエタス死す。
ニコレットの副将として、騎士として、ソシエタスは戦いの中で死んだのであった。