第二十四章 末路 Ⅲ
預けられた手勢は一万。一国を落すには少ないように思うが、カンニバルカもそれは承知の上であった。何分、もともとオンガルリの人間ではなく、出生を明かさぬ得体の知れぬ男である。
手勢を預けられただけでも、よしとするべきであろうし。彼には一万でも国を落せる算段があった。
「打って出れば、きゃつらは必ずや迎え撃ちにくるであろう。そこを、叩く」
カンニバルカは軍議でタールコの部将たちにそう言った。タールコの部将たちは得体の知れぬカンニバルカの下について戦うことに少なからず不服感を抱いている。
怪訝そうな眼差しをずっとカンニバルカに送っていた。
かつてドラヴリフトの治めていたヴァラトノの領主ではあるが、彼の指揮下で勝てるかどうか。
(もし無残に負けることがあれば、こやつただでは済まさぬ)
代官をそそのかし無用な戦争をさせて、負けて、無用の損害を与えた、という咎で処刑にしてやろう、という腹積もりである。
リジェカの都メガリシを目指していたタールコ軍であるが、行軍の最中でも各方面に斥候を放っているのはいうまでもない。その斥候から報告が入り、カンニバルカは軍を一時止めて、その報告を聞き入った。
斥候いわく、
「ドラゴン騎士団率いるリジェカ正規軍、反乱軍制圧のため、大急ぎでメガリシにむかっております」
と言う。
カンニバルカ、ふむとうなずき。
「そうか」
と言うと、なにか、ぴんと閃いたのか含み笑いを見せた。タールコの部将たちは、怪訝そうにカンニバルカを見ている。
「反転するぞ」
と言うカンニバルカに、部将たちはあっけにとられ、つい、
「帰るのでござるか」
と問い返してしまった。
「いや、帰らぬ」
反転するのに、帰らぬと言う。部将たちは合点がいかない。
「いったいどういうことでござろう」
「まあ、聞け」
カンニバルカは、閃いたことを語った。タールコの部将たちは、あいかわらず、怪訝そうに聞いていた。
「なるほど、わかりもうした。では、カンニバルカ殿の言われるとおり、反転いたそう」
メガリシに向かっていたタールコ軍一万は、カンニバルカの号令により反転し来た道を戻り始めた。
ドラゴン騎士団率いるリジェカ正規軍がメガリシを目指している、という報告はヂシラッカ率いるまことのリジェカ軍にももたらされた。
また、別の斥候からは、タールコ軍が引き返しているという報告ももたらされた。
ドラゴン騎士団が急いで引き返し、自分たちに立ち向かうであろうことは予想していたが、タールコ軍が引き返すことは予想外だった。内心、三つ巴の戦いになる、と思っていたのだが。
ちなみに、ドラゴン騎士団やリジェカ軍がガウギアオスで勝利し、帝都トンディスタンブールまで陥落させたことは報告としてあがっているが、まことのリジェカにおいては、それは卑怯な異邦人と売国奴のもたらす嘘で本当はみじめに負けている、と思われていた。
だから、報告をした斥候はことごとくドラゴン騎士団に買収されたとして、神の裁きにかけられ、処刑されてしまったものだった。
そこまで頑なに、カルイェンらはドラゴン騎士団ら異邦人を信じようとしなかった。また、無能扱いをした。
やがて、斥候はドラゴン騎士団の敗北をカルイェンに伝えるようになり。ガウギアオスにおいて、タールコ軍に完膚なきまでに敗れて途方に暮れている、と報告されるようになった。
「なに、タールコのやつらは引き返しておるのか」
「はい、何を思ったか、急に引き返しております」
「ふうむ」
ヂシラッカはしばし考えをめぐらせ、にやりと笑った。
「そうか、やつらは我らに恐れをなしたのか。口ほどにもない」
進軍中、馬上にて斥候の報告を聞いていたヂシラッカは豪快に笑った。勝利を確信した。
「ドラゴン騎士団の異邦人と売国奴どもは、メガリシに向かっているのだな」
「はい」
「ふん、タールコに敗れ途方に暮れておったのが、我らが立ち上がったのを知って慌てて帰っておるのだろうて」
「では、我らはドラゴン騎士団どもを迎え撃つのでございますな」
かたわらの部将がそう言うと、ヂシラッカはうんと力強くうなずく。
「方向転換だ、タールコ軍は捨て置き、異邦人どもを叩き潰しにゆくぞ!」
まことのリジェカ軍はヂシラッカの号令で方向転換し、ドラゴン騎士団を迎え撃ちに行った。
さてドラゴン騎士団およびリジェカ正規軍、国の反乱を知り急いで都メガリシを目指す。
途中村や町を通りすぎるとき、人々の、幽霊でも見るかのような驚きように、コヴァクスたちがかえって驚かざるを得なかった。
それもそうだろう。まことのリジェカにおいては、ドラゴン騎士団は悲惨な敗北を遂げたことになっているのだから。にも関わらず、その軍容は出征時となんら変わることもなく、士気も高い。
「あれが惨敗者の姿か?」
と、人々は通り過ぎるドラゴン騎士団およびリジェカ正規軍を目を見張ってながめていたものだった。が、それ以上に、コヴァクスたちを驚かせたものは。
異邦人、売国奴とされた人々の処刑だった。カルイェンがメガリシを制圧して以来、異邦人、売国奴狩りが国中に広まったわけだが。
まさに、その処刑をおこなおうとしたときに、ドラゴン騎士団・リジェカ正規軍が通りかかったのである。そこはレーザナという町であった。
人々が一箇所に集められて、火を押し当てられ、熱がって。そこに刃が向けられていた。ドラゴン騎士団・リジェカ正規軍がそれを黙って見過ごすわけがなかった。
急がねばならぬのではあるが、規模の大きい一斉処刑である。
「なにをしている!」
コヴァクスやニコレットは軍を止めて急いで処刑場に向かった。唖然としたのは、処刑人や町の「目覚めた」人々だった。
「ど、ドラゴン騎士団……」
「小龍公に小龍公女、赤い兵団まで。これは一体」
無様に負けたはずのドラゴン騎士団のコヴァクスやニコレットは、健在も健在、それどころかまったくといっていいほど惨敗者の体をなしていない。
コヴァクスや、ニコレットの色違いの瞳の、その眼差しは、とても鋭かった。
(そういえば、国中に処刑の嵐が吹き荒れているというが、ほんとうだったか)
処刑人は剣や槍をもったまま、あとずさりをして、コヴァクスやニコレット、そしてドラゴン騎士団・リジェカ正規軍にひるんでいた。処刑をされそうになった人々はすがる思いでコヴァクスのもとに駆け寄った。
「お助けを! どうかお助けを!」
処刑をされようとしたのは、およそ十人の老若男女。コヴァクスはそれを見て、処刑人に向かって咆えた。
「なんの咎あってこの人たちを処刑にしようとしていたのだ!」
処刑人や「目覚めた」人々は、黙り込んだまま、何も言わない。
ただ、頭の中で、
(これは、どういうことだ。聞いていたことと違うではないか)
ということばかり、頭の中で巡りに巡る。
「質問に答えないか。聞こえているだろう!」
ジェスチネであった。彼の声に鬼気迫るものを覚えた処刑人たちは、震え上がって口もきけぬ有様だった。
(負けたんじゃなかったのか!)
彼らの中で、閃くものがあった。
(騙された!)
ドラゴン騎士団・リジェカ正規軍はガウギアオスで敗れて無残な有様である、というのは、嘘だった!
「お許しを! 我らは騙されていたのです!」
処刑人らは急ぎ跪き、許しを乞うた。だがジェスチネやコヴァクス、ニコレットらは処刑人に厳しいまなざしを向ける。
コヴァクスは愛馬グリフォンから下馬し、処刑人に詰め寄った。今にも剣を抜いて斬りかからんばかりの勢いである。
「騙された、だと」
「はい、我らはカルイェン王、いやカルイェンに騙されて、処刑をさせられていたのです」
「カルイェン、王、だと……」
胸の中で怒りが煮えたぎる。あれだけ信頼していたカルイェンにはかられて、反乱を起こされ、しかも王にまでなっていたのである。モルテンセン王は、いまごろどうしているであろうか。
反乱鎮圧に向かう中で斥候を放ち、ある程度のことは報告されてはいた。モルテンセン王はフィウメに逃れて、とりあえずは無事であるというが。
必死の思いで守っていた王が、一度ならずニ度までも謀のために……。
「カルイェンは王位を簒奪し、そのうえ罪もない人々の命をもてあそんでいたのか」
「そ、そのとおりでございます」
コヴァクスは剣を抜いた。処刑人は跪いていたのが後ろへのけぞり、恐れをなし。「目覚めた」人々ははたかれたように、それこそ目の覚める思いでコヴァクスらをながめ、声にならぬ声をあげた。
「お、お許しを!」
「許さん!」
剣が風を切りうなりをあげた。
処刑人のひとりの、右手の薬指と小指が斬りおとされ、痛みのあまり血の溢れる傷口をおさえてうずくまる。だがコヴァクスの怒りは治まらない。
が、無用の殺生をするのも、馬鹿馬鹿しく思われた。
軍勢の隅っこにいる龍菲は、遠くからコヴァクスの怒りっぷりを眺めていた。ひとりの指で済ませようとするコヴァクスが、やや甘いように思えた。
「ここでいつまでも立ち止まるわけにもいかぬゆえ、この程度で勘弁してやろう。だがお前たちの罪が消えたわけではない! 反乱軍を制したあと、追って沙汰する。それまで神妙にしておれ!」
コヴァクスは怒声を放ち、グリフォンにまたがる。その瞳は怒りで燃え盛って輝いていた。ニコレットもソシエタスもジェスチネも、赤い兵団たちも、コヴァクスが処刑人の指を斬り落としたことを、なんとも思わなかった。
できることなら、自分たちの手で処刑にしてやりたかった。が、そんな暇はないのだ。
ドラゴン騎士団・リジェカ正規軍は、メガリシ目指してふたたびの進軍しはじめた。
進軍の最中、新たな報告がもたらせられる。
旧オンガルリ方面よりタールコ軍が進軍、しかし、反転したという。で、それを迎え撃ちに行ったまことのリジェカ軍は、方向転換しドラゴン騎士団・リジェカ正規軍を迎え撃ちに来ているという。
「タールコ軍が来ていたのね……」
ニコレットはつぶやく。反乱を知って、タールコは黙っていなかった。だが途中で引き返したという。
「でもどうして、途中で引き返したのかしら?」
「ううむ……」
コヴァクスは考え、ふと、
「オレたちが帰ってきているのが、勘づかれたのか」
と言った。
「二対一の戦いになる、と思ったのでござろうか。なんにせよ、引き返したのは不幸中の幸いというもの」
「そうだな、ソシエタス。おかげで、反乱軍に専念できるというものだ」
「はやく都メガリシをおさえ、フィウメに逃れられたモルテンセン王をお迎えにゆきたいものでございますな」
「そうだな……」
コヴァクスは焦っていた。いや、コヴァクスだけではない。ニコレットもソシエタスも、みんな焦っていた。
勝利のあとにもたらされた、突然の反乱。それまで築き上げてきたものが壊れゆくという、儚さ。
反乱を制したところで、新たに得るものはなく、振り出しにもどるだけだ。
(神は、なんという試練を私たちに与えるのだろう)
ニコレットは、これは神が自分たちに与えた試練だと考えていた。勝利を得て、自分たちの心のどこかに慢心があり、神はそれを戒められようとしているのだろうか。
「愚者は試練を恐れて神を恨み。勇者は試練を乗り越えるを好機とし、神に感謝する。コヴァクス、ニコレットよ、そのことを忘れてはならぬ」
父の言葉が脳裏をよぎる。ルドカーンもまた、同じことを言っていたものだった。
「神は、あなた方の心の中におわします。自身の心の外に、神をもとめてはなりませぬ。神の加護を得るも得ぬも、ふたつの隔てがあるわけではなく、迷いしとき、人は子羊のごとくなり、悟りし時、神は加護をおあたえになるのです。どちらへゆくも、あなた方の心がけひとつ……」
父の言葉とともに、ルドカーンの言葉も脳裏をよぎる。
(そうね、いかなるときも、心を強くもたなければいけないわ。心の強きによりて神の守りすなわち強し、ともいうものね)
ニコレットは進軍中、ひたすら自分にそう言い聞かせた。