弟の恋の話
前作『息子が彼氏を連れてきた!』は受けの母親目線のお話でしたが、こちらは攻めの姉目線のお話です。腐女子のOL綾乃は同性と交際中の弟を絶賛応援中。家族もみんな温かい目で見守っているはず…なのたが、母だけは頑なに認めようとしない。そのうちとんでもない妨害工作を仕掛けてきて…?どうする綾乃、弟の恋路を守れるのか!?(前作からお読み頂くとわかりやすいです)
突然の恋バナ
(ふう~…)
秋の夜長に新刊本を読み終えて満足し、ふと時計を見ると夜の9時を過ぎたところだった。そろそろお風呂に入ろうかと自分の部屋を出て階段を下りたが、途中キッチンの方から言い争うような声が聞こえてきた。聞きなれた母の甲高い声だ。
(篤紀ってば予備校でもサボったのか、また帰りが遅くなったのか…)
篤紀というのは下の弟で今高3の受験生。予備校帰りにゲーセンに寄ったりしてよく母を怒らせるのだ。しかし母と口論している声は篤紀ではなく意外にも上の弟の暁人だった。暁人が母を怒らせるとは珍しい。篤紀はいかにも末っ子といった感じのやんちゃで甘えん坊なDKだが、暁人は優等生タイプで聞き分け良く親を怒らせることなど滅多にない。何事かと様子を窺っていると、
「頭ごなしに否定するのはやめてくれ!向こうのご両親はちゃんと話を聞いてくれたよ。お父さんはちょっと驚いていてあまり話せなかったけれど、お母さんは俺たちを応援すると言ってくれた」
という熱のこもった暁人の声が響いてきた。お?これはひょっとして…
「ふざけるのも大概にしてちょうだい!何を言い出すかと思ったら…そんな交際認められる訳がないでしょう!」
暁人は現在大学3年生。彼女がいてもおかしくはない。姉の私が言うのもなんだが、イケメンでモテるし今までだってガールフレンドが家に来たことは何度かあった。ただ改まって恋人だと紹介されたことは一度もない。いつも告白されて付き合ってみる、というパターンだったようだ。二人の会話から察するに暁人はすでに相手の家へ挨拶に行っていて、今度はうちに連れて来たいということなのだろう。
それにしても母さんは何をそんなに怒っているの? 別にいきなり結婚とかいう話でもないだろうから、交際宣言くらい聞いてやってもいいのに。まだ会ってもいない彼女のことがなぜ気に入らないのか? それに相手のお父さんが「驚いていて」とはどういうことなのだろう。まさか人妻…いやいや、暁人の性格からしてそれはないな。シングルマザーとかすごい年上とか、ひょっとして中高生…でも高校生くらいならアリか…などといろいろ考えを巡らせていると
「実央は優しくていい子だよ、会ってくれればわかる」
暁人が強い口調で言った。ふーん、実央ちゃんというのか。「いい子」というからにはすごく年上ということではなさそうだな。すると今度は母の怒声が響く。
「いくら優しくていい子だって、男性なんかあり得ませんよ!」
……ん?今なんて言った?「男性」って聞こえたんだけれど…「実央ちゃん」ではなく「実央君」ってこと?えーとえーと…混乱した私は急ぎ頭の中を整理した。つまり暁人の恋人は「彼女」ではなく「彼氏」だと?それなら母の怒りも理解できるが、いやーそんなことあるかね。いくら私が……だからって、その弟が同性と…などと考えている間に二人の言い争いはヒートアップしていて、その声の大きさに我に返った。
「ちょっとちょっと、もう10時になるのよ、大声出したらご近所にも聞こえて迷惑よ」
取り敢えず二人をクールダウンさせるのが先だと思い、横から割って入った。
「綾乃、聞いてちょうだい!暁人ったら…」
言いかける母を制して、
「大体の話は聞こえていました。二人とも少し落ち着いてよ」
「これが落ち着いていられますか」
なおも言い募る母に
「あんまり全否定すると暁人は家出するとか言い出しかねないよ、この子ガンコだから」
と、軽く脅しをかけた。母はちょっと口ごもる。
「交際を反対するにしても先方とちゃんとお話しした方がいいんじゃないの。少なくともあちらの親御さんは暁人と会って下さったわけだし。あんまり狭量だと恥ずかしいわよ」
「恥ずかしい」と言われたのが効いたのか母は黙った。よしよし。
「暁人もケンカ腰にならないの、らしくないわよ」
「……」
こちらも黙り込む。
「とにかく一度こちらに来て頂きましょうよ。ね、そこでお母さんの気持ちをはっきり伝えればいいじゃないの」
母は横を向いたが、NOということではないようだ。
「暁人も先方のご都合を確認して早めに知らせてちょうだい。できれば週末がいいわ、私も同席できるから」
「…わかった」
暁人は苦々しげに私を見て答えた。どうやら私は母の味方だと思っているらしい。ま、今はそれでいいや。一応お相手のことを聞くと大学の二つ下の後輩で、同じサークルに所属しているらしい。ちょうどそのタイミングで玄関の方から「ただいまー」という篤紀の声が聞こえてきた。とりあえず長女の役目はこんなところか。
「はい、この話はひとまずここまで。私はお風呂に入ります」
風呂から部屋に戻ってスポドリを飲んで人心地、ベッドの上にはさっき読んでいた本が置いてある。いかんいかん、うっかり置きっぱなしにしてしまったわ。
(まさか暁人がねえ…)
その本を手に取り、ページをめくりながら私は母と暁人のやり取りを思い返していた。まさかこの本みたいなことが私の身近、それも家族の中で起きるとは。「この本」とは…そうBLです、ボーイズラブです♡私広瀬綾乃はまごうことなき腐女子なんです。いやー、私からヘンなオーラが出て弟に影響を与えてしまった…なんてことはないわよねえ。私が腐女子であることは家族の誰も知らない極秘事項ですもの。
私は現在にじゅう…〇歳の会社員で、父母に弟二人の5人家族。父は今アメリカ赴任中で家にはいない。若い頃に知人の勧めで今の商社に転職した父は順調に出世して、帰国後には要職も約束されているらしい。親に経済力があるのは子にとってもありがたいもので、気持ちばかりの生活費を家に入れてはいるが、あとは自由に稼いだお金を遣える恵まれた身分だ。親しい友人にBL同人作家のコがいるのでその手伝いをしたり、コ〇ケに同行して売り子をやったりとなかなか充実した腐女子生活を送れている。
ただ母だけは妙なセレブ意識?みたいなものが身についてしまい、少々厄介なのだ(元々お嬢様育ちみたいだし)。長男の暁人はそんな母には期待の星だったわけで、同性の恋人がいるなんて話は全く受け付けられないのだろう。成績が良くてイケメンでスポーツもできて性格もよし…って出来過ぎた弟はちょっと面白みがないなーなんて思っていたのだが、とんでもない爆弾持ち込んできたわね。一体お相手の実央君はどんな男子やら。それに…二人を「応援している」って言ってた?実央君のお母様…一体どんな人なのだろう。
腐女子邂逅
さて、私は今自分の部屋で弟の彼氏のお母様・明石実和子さんと向かい合っている。のんびりお茶を飲みながら…
遡ること2時間前、実央君とそのお母様は我が家においでになった。私は暁人から実央君のお母様もいらっしゃると事前に聞いていた。二人にとっては貴重な味方だから暁人が同行を頼んだらしい。話し合いは、というと…荒れた。いや正確に言えば荒れていたのは母だけだったのだが、とにかく荒れた。様子見をしていた私が暁人たちの交際を認めたものだから、母の怒りはとんでもないことになったのだ。まあそれはいいや(よくはないけれど)。大事なのは実和子さんと私が二人でいること。実は話し合いをしていく過程で、私は実和子さんも「仲間」ではないかと感じたのだ。
明確な根拠はない。実和子さんは息子を思う母親として冷静に話していた。息子の気持ちが大事であるという母親の愛情が伝わってきた。が…(私と同じ匂いがする…)そう感じてしまったのだ。そこで私は腐女子にしかわからないなぞかけをした。実和子さんは即座にそれに応答してくれた。そういうことなのだ。私は自分の勘の良さをほめてあげたい。
(筆者注:この辺の詳しい経緯は前作『息子が彼氏を連れてきた!』をお読み下さい)
怒りのあまりフェードアウトした母は外出してしまったので、私は暁人と実央君を「デートでもして来い」と追い出し実和子さんと二人になった。もう色々話をしたくて仕方がなかったのだ。うん、色々話しました、主にBLの話を…。本来は今後の対策を考えるべきだったのだが、同じ沼の住人に出会えた喜びがまさってしまった。ごめん、暁人。その日実和子さんとは連絡先を交換しこれからも会う約束をした。そして最後に「腐女子でなくても二人を受け入れた?」と聞いてみた。実和子さんは
「確かに腐女子ということでハードルは低かったかもですね。もちろん驚きましたよ。『まさかうちの息子が』ってね。でも腐女子じゃなかったら反対したのかな…と考えたとき、そういう自分の姿が想像できなかったんですよ。やっぱり息子の気持ちは尊重してあげたい。それが世間の尺度とずれていたとしても悪いことをしているわけではないのだから、自分だけは認めてあげたいって考えたんじゃないかな」
と、はっきり答えてくれた。素晴らしい。母には実和子さんの爪の垢を煎じて飲んでもらいたいくらいだ。そう、私も姉として弟の幸せのために頑張ろうじゃないか。多少の不純な動機は大目に見てもらって…。
その晩母と篤紀が寝静まった後、暁人と話をする時間があった。暁人は改めて私に礼を言う。
「姉さん、今日は本当にありがとう。俺てっきり姉さんも母さんと同じかと…」
「驚いたけど最初から反対する気はなかったわよ。あんたが自分で決めたことでしょう?」
「うん」
「ただ最初から暁人を応援する態度を見せちゃうと、お母さんのことだから絶対明石さんとは会わないって言いだしかねないと思って。それで曖昧な態度にしておいたわけ」
「そうだったのか…心強いよ。実央のお父さんにもよく思われていないみたいだから」
「でもうちの母さんほどじゃないでしょ、実和子さんもそんなこと言っていたし。まあこれからのことは実和子さんとじっくり相談するわ」
「今日は何を話してたの」
「え、まあその色々と…」
色々とBLの話をしていたとはさすがに言えない。
「また近いうちにお会いする予定だから。進捗状況は報告するわよ。暁人もちゃんと教えてね、二人のこと」
「え…俺たちのことって…どういう…」
「ところでお母さんはお父さんにこのことを知らせるのかしら」
「どうだろう、俺は冬休みに父さんが帰国した時話そうかと思っているけれど…様子を見て母さんに注意をしておいた方がいいかな」
結局母も暁人もアメリカにいる父さんには何も告げなかったらしい。暁人は「相談したいことがある」とだけ父に伝えたようだけど。母の方も父の帰国後一気に事実を暴露して、暁人を一喝してもらう算段なのかもしれない。暁人もきつく口止めしたようでしばらくの間母は静かにしていたが、篤紀にだけは愚痴ったようだ。篤紀が私に
「兄貴に彼氏ができたってホントー?」
と面白そうに聞いてきたものだから、
「暁人は真剣なんだから茶化すんじゃない」
と、騒ぎ立てないようにたしなめておいた。長女の役目も大変よ。
私は私で実和子さんとはあれからも交流を深めていた。実和子さんのお宅に伺ったり、暁人たちの大学の学際に二人で行ったりもした。学際では漫画研究会を訪れ、同人誌を夢中になって読み過ぎて暁人たちのサークル…温泉…ナントカに寄るのを忘れてしまう始末。また友人の同人作家アイミが冬のコ〇ケ前の執筆の追い込み中スタッフがみなインフルにやられてしまったことがあったが、その時も実和子さんに応援を頼んで助けてもらった。修羅場の後はアイミも交えて3人で、暁人と実央君を応援するべく策戦を練ったりもした。暁人が「攻め」で実央君が「受け」ということも暁人に確認済みで、もちろん実和子さんにも報告した(さすがにこれには実和子さんも驚いていたが)。
(筆者注:この辺の詳しい経緯も前作『息子が彼氏を連れてきた!』をお読み下さい)
歳の差もなんのその、実和子さんと私はタメ口でBLを語り合い家族の行く末を見守る同士なのだ。実央君の母親が実和子さん・暁人の姉が私だというのはなんたる天の配剤なのか、えらいぞ神様!
とりあえずハッピーエンド?
結論から先に言いますと、一応どうにかなりました。私たちは正月三日を決戦の日(両家対面の上家族会議)・場所は我が家と定めて準備を進めたのです。実和子さんは絶対実央君のお父様を連れて行くからと断言してくれた。問題は母だったが、明石さんご一家が来るなんて事前に知らせたら怒りまくって留守にするに違いない。ここは一計を案じ、「三日に大切な人に会ってほしいの」と私が母に告げた。母は私が恋人を紹介すると思ったらしい。いや、そう思わせたんだけれどね。さらに自腹を切って早めに豪華お節やらオードブルやら各種お取り寄せを注文して、両家の親睦を図ろうと画策した。
明石さんご一家の姿を見た時、当然ながら母は烈火の如く怒った。しかも父が「自分は息子を信じているのでその決断を尊重する」という寛容な態度を見せたものだから、母の怒りはさらに増した。
(もう篤紀の奴、今日は家にいろって言ったのに…あんなお調子者でもこういう時に同席すれば少しは場が和むのにな…)
父がなだめても母の怒りは収まらず、部屋を出て行きそうな勢いになった。どうしたものかと一同が立ち尽くしていたところに闖入者が現れた。友達と初詣に行っていた篤紀だ。
「篤紀、あんたは…遅い!」
私は思わず叫んでしまった。が、篤紀の登場が場の空気をガラリと変えてしまう。あろうことか篤紀は実央君に顎クイして自己紹介したのだ。なんでも同じクラスの腐女子に「年下わんこ攻め」タイプに認定されたとかで、その雰囲気?で挨拶をしたつもりらしい。言いたいことだけ言ってまたさっさと出かけてしまったが、篤紀のこの行動は暁人の嫉妬心に火をつけたらしく、周りの目も気にせず実央君にキス、そしてプロポーズのような言葉まで口にした。ここまでの経緯で暁人は「溺愛執着タイプ」だとは思っていたけれど…。当初は後ろ向きだった実央君のお父様も父の態度に感化されたのか、「息子を見守っていく」というお気持ちを表明されたためなんとなく場は落ち着いた。
息子たちの突飛な行動に毒気を抜かれた母は意気消沈して部屋に籠ってしまったが、その後は残った6人で楽しく宴会となった。いや、自腹を切ったお取り寄せがムダにならなくてホントによかったー。
(筆者注:繰り返しになり恐縮ですが以下同文)
と、まあここまでがちょっと長い前置きというかこれまでの流れである。もちろんあの場では言いたいことも言えないので、正月気分が抜けた頃実和子さんとは存分に語り合う機会を設けました。
「それにしても驚いたわ、あのとき綾乃さんたら『カメラを仕込んでおけばよかった』なんて言うんですもの」
実和子さんはおかしそうに言う。
「えー、だってあの場面もう一度見たくない?」
「それは、まぁ…ところでその後静子さんのご様子は?」
静子とはうちの母のことだ。
「うーん今のところおとなしくしていますけれどね、父もアメリカに戻っちゃったし。自分以外温度差はあってもほぼ全員暁人と実央君のことを認めたわけだから、分が悪いと思ってるんでしょ。特に二人のことには触れてこないですよ。ただ…」
「ただ?」
「あれはまだ諦めていませんね」
思わずため息が出てしまった。
「賛成できないまでも静観してくれればいいんだけれど、なんだかまだ横槍を入れてくるような気がするのよね、なんとなく。少なくとも篤紀の受験が終わるまでは何もしないでしょうけれど」
「そう…」
実和子さんは残念そうな顔をした。
「実和子さんが歩み寄ってくれようとしてもスルーしちゃうでしょ。多分今は様子見してるんだと思う。二人、もしくはどちらか一方が『やっばり女性の方がいい』ってことになって破局するのを期待しているのじゃないかなと」
「なるほど、まあその可能性もあるわよね、二人ともノンケだからありうる話だと私も思うけれど…その場合円満に別れられるかなぁ」
「ちょっと実和子さん、縁起でもない、冷静に分析しないでよ」
「もちろんそうなってほしくはないわよ。でも私たちが腐女子だからって、別れるなって言うのもおかしな話よね」
確かに腐女子目線で別れさせないというのは無理な話だ。
「実央君から別れを切り出されたら…暁人号泣しそう」
「イヤイヤさすがにそこまでは…」
「だって同じ大学の女子にも怪しまれるほどの親密さよ? 暁人の執着は結構強いと思うけれどなー」
今度は私が分析してみた。
「そうそう、あの女の子たちってやっばり腐女子なのかしら。腐女子のカンってやつ?」
実和子さんが言っているのは去年の秋の学際のことだ。漫研のフライヤーを配っていた女子数人が、暁人と実央君を恋人認定しているかのような口ぶりで声を掛けてきたのだ。
「篤紀の同級生じゃないけれど、私もDKとかリーマンの二人連れを見ると勝手にBL妄想をすることはよくあるわ」
私が言うと、
「あー、腐女子あるあるよね、それ。私も学生時代によくやっていたわ」
実和子さんも応じる。
「実際はただの仲良しさんなんでしょうけれど…アイミが言うにはまれに『本物』に遭遇するっていうのよ」
「本物?」
「そう、妄想じゃなくてホントのカップルだっていうの。もちろん聞いて確かめるわけじゃないけれど、まず間違いないんですって」
「アイミさん、プロねえ」
実和子さんは素直に感心した。プロってなんだ、腐女子のプロってこと?
「楽しい話をしていると時間があっという間に過ぎちゃうなぁ、明日からまた会社かあ」
私はまたため息をついた。
「OLさんは大変ね。私はあまり長いこと勤めなかったし、結婚後のパートやバイトも実央が大学に入った時にやめちゃったし」
「週休2日とはいえ、月曜日はやっぱり憂鬱なのよね」
実和子さんと私はとりあえず温かく二人を見守っていこうと決めて、その日は別れた。
ああ勘違い
翌日私はいつもの通り出社して、業務にいそしんでいた。私が勤めるのは都内にあるIT関連の会社だが、技術職ではないので幸い社畜にはなっていない(技術職が社畜かどうかは不明)。日々淡々と仕事をしているのだが、最近ちょっとした楽しみがある。昨日実和子さんと話した「腐女子の妄想」だ。
(そう、あれあれ…)私は窓側の方を盗み見る。そこには男性社員が二人立っていた。一人は営業部のエース社員田中さん。BLだと営業部でトップを争う二人が飲み会で酔っ払って何故かそういうコトになって、恋人になる…という展開がよくある。ついでに言うと繁華街の道端にイケメンが落ちていて、それを拾って連れ帰った男とそういうコトになる…という展開もよくある(いやそれ実際あったら通報案件だから)。どちらも現実ではまずありえない。そもそも田中さんと話しているのは経理部の水無瀬さんだ。二人は同期で仲がいいらしい。
まずビジュがいいのよね、二人とも。背の高い田中さんとちょっと小柄な水無瀬さん、この身長差がまずいいっ。経理の水無瀬さんはよく営業部に出入りしているが、特に田中さんのところへ来る回数が多い…ような気がする。
―以下綾乃の妄想―
「おい田中、また経費申請の入力間違えてるぞ、何度注意したらちゃんとできるんだ、ペーパーレス化したからって正確に入力しないと通らないからな」
「あ、ホントに?すまんすまん。でも不備があっても水無瀬がそうやっていつも来てくれるじゃん」
「俺だって暇じゃないんだぞ、それにメールで知らせているだろう」
「悪い悪い(って毎回こいつが来てくれるからわざと間違えてるんだよな、実は)」
「勘弁しろよ、次はないぞ」
「えー、そう言ってまた来てくれるんだろ」
「お前なあ…」
「今度メシでも奢るからさ、大目に見てよ」
「なに甘えてるんだ(そう言いつつ、つい俺が来ちゃうんだよな)」
―綾乃の妄想終わり(すべて綾乃の妄想なので実際どういう会話があったのかは不明です)ー
「…パイ」
うーん、いい、実にいい。なんかこういうストーリーのBLがあったような気がする。眼福、眼福。こんなご褒美でもないと会社勤めなんてやっていられません。
「広瀬先輩!」
隣のデスクにいる後輩に呼ばれて我に返った。
「なにボーっと突っ立ってるんですかぁ」
「あ、ごめんごめん千里ちゃん、なんだっけ」
後輩の千里ちゃんはそれには答えず、
「広瀬先輩ってー、田中さんのこと狙ってるんですかぁ?」
と、とんでもないことを言い出した。
「はぁ!? 何よそれ」
「だってー、今みたいによく田中さんのこと見てるじゃないですかぁ」
え?そんなに頻繁に見てた?いやいやそれ違うから、田中さんを見ていたわけじゃなくて“田中さんと水無瀬さん”を見てたんたから!
「田中さんてシゴデキでカッコいいしー、社内じゃ女子社員の一番人気じゃないですかぁ」
「あ、そうなの?」
そういう女性目線では見ていなかったので知らなかった。
「そうですよー、この間も庶務課の合コンに誘われてましたよー」
この子のいちいち語尾を伸ばす話し方どうにかならんかな、地味にイラッとする。そんなのが流行ったのはだいぶ昔でしょう…などと思いつつ、
「とにかく違うから、ヘンな話広めないでよ」
「でもー、広瀬先輩ならイケるんじゃないですかぁ?美人だしー面倒見もいいしー」
そんなのは知らん。こんなことを言うようじゃこの子は腐女子ではないな。田中さん単体じゃイミがないのよ、水無瀬さんとセット!ペアでないと用をなさないの!(ヒドイ言い様) 男女の恋愛漫画とかなら「私もこんな恋をしてみたい」とか「こんなステキな彼氏が欲しい」とかになるんでしょうけれど、腐女子は違う。願望があるとすれば受け攻め周辺の壁になりたいとか寝室の天井になりたいとか、人間だとしても今の私のようなあくまでモブのポジション!でもこんなことを千里ちゃん相手に力説する訳にもいかない。
彼女に田中さん狙いではないと念押しして、私はその場を離れた。抱えた資料を営業部持って行くことを思い出したからだ。
(それにしてもそんなにガン見しちゃってたのかー)
ひそかに盗み見ていたつもりがそうでもなかったらしい。これからは気を付けないと。田中さんたちの写メを実和子さんやアイミに届けたいなんて考えていたけれど、やっぱり盗撮?になってまずいよな…
こんな誤解があったものの、社内でヘンな噂は広がらなかった。千里ちゃんは誰にも話さなかったらしい。もしかすると他の女子社員同様彼女も田中さん狙いだったのかな。それならわざわざライバルを増やす必要はないものね。
その後しばらくは平穏無事な時間が流れた。篤紀は奇跡的に志望校に合格し、暁人と実央君の後輩になることが決まった。あまりまじめに勉強していたようには見えなかったけれど、要領のいいやつだ。それで合格&入学祝いをしようということになり、我が家で祝宴が開かれることになった。と言っても父はアメリカだから母と私、暁人と実央君に篤紀本人の計5人だけだ。
「えー、実央君のご両親も来てくれればよかったのに―」
篤紀が不満げな声を上げた。それ、絶対お祝い目当てだろう。
「いやさすがにそれは…僕も来ていいのか迷ったし」
実央君が申し訳なさそうに言うと、暁人が何か言いかけるより先に篤紀が言った。
「正月に会ったとき兄貴たちの婚約パーティーも兼ねちゃおうって言ったじゃん、オレ。実央君はもう家族同然でしょ」
ああ、そんなこと言ってたよね。自分の合格祝いと兄の婚約祝いを兼ねるっていう発想、弟ながらすごいわって思ったわ。
「両親からお祝いは預かってるよ、あとこれは母から差し入れ」
「え、ホントに? あざーす!」
篤紀は実央君からのし袋と手提げを上機嫌で受け取った。母の様子を窺うと能面のような顔をしている。コワっ。ついでに言うと暁人も同じような顔をしていた。どうも正月の「顎クイ」以来篤紀が実央君になれなれしいのが気に入らないらしい。やめとけ暁人、BLだと攻めの嫉妬は萌えるけれど現実ではうざがられるぞ…などと考えながら私は母に耳打ちした。
「お母さん、顔コワイよ、ちゃんとお礼言っときなさいよ」
「……お気遣いどうも……」
聞きとれないないくらいの音量でボソッと言った。仕方がないので
「ありがとう実央君、こんなにお気遣い頂いて…ご両親によろしくお伝え下さいね」
私がフォローした。
「はい、伝えます。あとこれは僕から篤紀君に…あまり高いものは買えなかったんだけれど…」
実央君は篤紀にプレゼントを手渡した。
「え、マジ? 開けてもいい?」
「うん」
「あ、シャーペンとボールペンのセット、かっけー!」
「僕も同じものを持っているけど、すごく使いやすかったから」
「ありがとー実央君、すげーうれしー、コレ実央君だと思って大切にするね」
いや篤紀、その表現はなんかおかしい、てか暁人、あんたも大概顔がコワイ。
「姉貴と兄貴もくれるんだよね、兄貴はまだ学生だけど姉貴は社会人だから5万くらいかな?」
「ごっ…」
5万あったらBL本何冊買えると思ってんのよ、高いんだからね、BLは!と心の中で叫び、
「ま、まあ考えておくわ」
言葉を濁して答えておいた。すると実央君
「お祝いも渡せたし、僕はこれで…」
と早くも帰るそぶりを見せた。母の様子に遠慮したのだろう。君の隣の彼氏もコワイ顔してるけどね。
「何言ってんの、これから飲み食いするんだよ」
篤紀が実央君の手を引いて座らせようとしたところ…暁人がそれを遮り、実央君の両腕をぐっと抑えて篤紀とは反対側の自分の隣に座らせた。
…いや暁人、距離感おかしくないか?我が家の洋間には十分なスペースがあるのに、そんなにピッタリくっつく必要ある?実央君、キミ苦労するよきっと。
「実央、せっかく来てくれたんだからゆっくり食事を楽しんでいってくれ。ほらこれ、実央が好きだと思って用意しておいたんだ」
「は、はい、せんぱ…暁人さん」
正月の顔合わせの時、実央君は暁人に「『先輩』ではなく名前で呼んでほしい」と言われたのだ。でもまだ慣れていないんだね、初々しくて良き。それにしても暁人、弟の合格祝いなのに彼氏の好きなもの用意するのか、キミは。
「兄貴とは1年しか一緒にいられないけれど、実央君とは3年一緒にいられるね。学部も一緒だし、試験のこととか教授のこととか色々教えてよね」
篤紀-、あんたはまた余計なことを…暁人の機嫌が悪くなるようなことを言うんじゃないの。本人何も考えずに喋っているので始末が悪い。
「うん、僕でわかることなら」
「1年と2年じゃそんなに顔が会うこともないだろう」
暁人、すかさず牽制。
「あ、そうなの?じゃあメールとかラインとかしようよ、アドレス教えて、グループも作ろうか」
「うん、そうしようか。お昼とか一緒に食べられたらいいね。うちの学食、結構おいしいよ」
実央君も空気を読まない。いま隣にいる君の彼氏がどんな顔をしているのか見てごらん。BLとしては面白いけれど、身内のことなので胃が痛い。正月に篤紀がふざけて実央君に顎クイなんかするから、暁人が勘違いしてんのよ。しかも無意識に『年下わんこ攻め』の力?発揮しちゃってるし。
暁人だって、篤紀は「お兄ちゃんの彼氏」として実央君にじゃれているんだってわかっているでしょうに。いや、わかっていてもだめなのか。これが執着攻めの執着攻めたる所以なのか。
能面の母に仏頂面の暁人、楽しげに話す実央君と篤紀。この先何事もなく平和な日々が続いてくれればいいのに…と4人を眺めつつ長女の私は一人、気を揉むのでした(でも今日のことはちゃんと実和子さんに報告します)。
そして母が動いた
意外なことにそれから約1年半の間、波風立たずにわりと平穏な日々が過ぎた。暁人は就職して社会人となり、実央君は大学3年生、篤紀は2年生になった。暁人は就職すると同時に実央君と同棲するつもりだったらしいが、さすがに実央君のお父様が寂しがったようで、実央君の卒業・就職を待つことになった。実央君は一人っ子だから無理もない。そんなわけで暁人もまだ自宅から通勤している。新社会人になって環境の変化に戸惑いながらも、なんとか頑張っているようだ。
私は相変わらず実和子さんと充実した腐女子生活を謳歌していた。アイミは実和子さんの手料理を気に入り、時々手伝いを頼むこともあった。実和子さんもアイミの家ではBL読み放題なので、それはそれは喜んだ。父は帰国すると必ず実央君のお父様と会っている。二人ともお酒が好きなのでいい飲み友達のようだ。いやー、続いているじゃないか平和な日々が。
「千里ちゃん、今日はお昼どうする? お弁当? それとも外に食べに行く?」
フロアに正午の時報が響いたので、私は後輩に声を掛けた。
「やだな―広瀬先輩―、今日は半日出勤じゃないですかぁ」
「え、そうだっけ?」
「そうですよー、ビルのメンテナンスだか防犯点検だか忘れたけれどー、そんな予定が入っていて仕事は午前でおしまいですー」
そういえばそんなお知らせがあったような…いかんいかん、平和ボケで忘れていたか。
「よっぽど休暇にしちゃおうかなーと思ったんですけどー、半日で帰れるのも悪くないかなーってー。先輩どうしますー? ランチして買い物とかしますかぁ?」
私はちょっと考えて
「あー、まっすぐ帰るわ。読みたい本もあるし(BLだけどな)」
「えー、先輩読書家なんですねー、それじゃあお先ですー、お疲れ様でしたー」
「お疲れ様、気を付けて帰ってね」
いやー今日はなんていい日なんだ、田中・水無瀬のツーショットも拝めたし午後はBLの新刊本をたっぷり読めるし。日頃の行いの賜物ね、きっと。早く帰ることを母に連絡しようかと思ったが、あれこれ買い物を頼まれそうなのでやめた。自分のお昼は途中でお弁当でも買えばいいか。私はそそくさとデスクを片付けて会社を後にした。
「ただいまー、お母さん、今日会社がね…」
玄関を上がったところで母に声を掛けたが、奥の方から話声が聞こえてきた。
(あ、電話中?)
聞き耳を立てたわけではないのだが、母の声はよく通るのでこちらまで響いてくる。
「とても素敵なお嬢さんね、おうちも学歴も申し分ないし。暁人もきっと気に入るわ」
ん、今なんて?思いがけない母の言葉に私は一瞬体が固まった。「お嬢さん」て何!?
「暁人は今までいい出会いに恵まれなかっただけなのよ、これで目が覚めてくれればいいわ。まだ若いから結婚は先の話でもいいけれど、きっとお付き合いしたいって言うに違いないわ」
結婚?付き合う?誰と誰が!?
「え?暁人を騙すみたいですって?いいのよ、子供たちだって私を騙すようなことをしたんだから」
お母さんを騙すって…おととしの正月のことを言ってるのか?私の恋人と思わせて明石さんご一家を招いたことを、まだ根に持っていたのかー。焦った私がふと居間のテーブルに目をやると、そこにはお見合い写真らしきものと釣り書き、それに「7月20日(土) 11時 恵比寿〇〇〇ホテル レストラン森のそよ風」と書かれたメモがあった。私は急ぎスマホでそれらの写真を撮ると、再び母の様子を窺った。話は違う内容に変わっている。幸い母は私の帰宅に気付いていないようだ。母の話を私が聞いていたと知られるのはまずいので、そのままの格好でそーっと家を出た。
(ふう…参ったなこれは…)
正直私はパニクっていた。さて、どうする?直接暁人に知らせる?それとも実和子さん?実和子さんに知らせる→実和子さんは実央君に伝える→実央君は暁人に教える…ってなるよなー、きっと。
お母さん、やってくれたわね。時々嫌味は言うもののあとはおとなしくしていたので、てっきり観念したのかと思っていたら…私は母の執念深さに頭を抱えてしまった。落ち着け、落ち着け綾乃、お見合いまでまだ日にちはある。実和子さんに知らせるにしても、その前に…
「そう、それは大変だったわね」
そう言ってアイミは私に紅茶を勧めてきた。いつもの帰宅時間までは帰れないので、迷った私はアイミの家にお邪魔したのだ。同人作家とはいってもアイミは去年ついに商業誌デビューを果たしたプロでもある。以前から出版社に声を掛けられていたが、アイミはなかなか踏み出せずにいた。それを決心させたのは暁人と実央君だったという。
「商業誌ともなれば感想も厳しくなってくるでしょ、そういうのが怖かったんだよね。描きたいことも描けなくなるかもしれない。でもね暁人君たちを見ていたら、わたしもちょっと頑張ってみようかなって思えたの」
デビューを決めた時アイミは淡々と語った。
「よくBLはファンタジーって言われるよね、現実にはそう簡単に成就しないし致せない、応援もされない。でも暁人君たちはそこを突き破ろうとした、すごいことだよこれは。お母さんだけじゃなく周囲の目も厳しいかもしれないのに。彼らの勇気を見せられたら、たかがデビューごときでうだうだ迷っている場合じゃないって思ったのよ」
いや、商業誌デビューは「たかが」でも「ごとき」でもないけどね。アイミの商業誌デビュー作は某BLレビューサイトでなかなか好評だった。もちろん辛口の意見もあったがアイミは挫けなかった。
「マイナスの意見を見るのもなかなか面白いものだよ。ああそうかっていう気付きもある。次回作の参考にもなる」
そんなアイミのサポートを私は今も続けている。BLに詳しくて我が家の事情も知っていて第3者目線で客観的かつ冷静に判断してもらえる、そんなアイミを私は頼った。
「お見合いねぇ、暁人君には適当にごまかして約束の場所に連れて行くわけか。お母様の口ぶりからすると、そんなに素晴らしい女性なの?」
私はお見合い相手の写真と釣り書きをアイミに見せた。
「ナルホド、中身はわからないけれどこれだけ見ればたいていの男性は舞い上がりそうね。顔も綾乃といい勝負じゃない」
「やめてよ」
私はそっぽを向いた。
「お母様は暁人君の就職を待っていたのね、きっと」
「どういうこと?」
「学生から社会人になるって自分自身も周りもガラっと環境が変わるわけじゃない?人付き合いだって今までとは全然違う。女性から見て男性は頼もしく映って大人って雰囲気に憧れるだろうし、男性から見て女性は洗練された美しさと落ち着きに魅力を感じるだろうし、もちろん個人差はあるけれどね」
「まあそうね、学生時代とは別世界ではあるわね」
「そうした中で新しい出会いがあれば暁人君の心が動くかもって思ったんじゃない、お母様は」
「それは…ありそうだな」
「そうすればお母様は悪者にならずに暁人君の心変わりっていうことになるでしょ、『やっぱり女性の方がいい』って。大学在学中にはそういうことがなかったから、就職後に期待したんじゃないのかしら。でもまだ入社して3か月くらい?ちょっとせっかちな気もするけれど」
「うーん、もしかすると…暁人が色々と動き始めたから母は焦ったのかもしれないな」
「色々って?」
「実央君との同棲よ。暁人としては自分の就職と同時に一緒に暮らしたかったみたいなんだけれど、さすがにそれは明石さんからストップがかかってね。実央君は一人っ子だからお父様が寂しがったみたい。それで実和子さんも大学在学中は今のままでっていうことにして」
「ナルホド」
「だけと暁人は同棲に向けて着々と準備を始めたようなのよ。もちろん金銭面も大事だから窮屈でも実家から通って諸々節約しているし、住宅情報誌やネットで賃貸物件のことを調べたりしているの。口コミとかもね。あれは慎重派だから実央君のために失敗しないよう、万全を期しているって感じ?住む場所って大事じゃない?実央君がどこに就職するかまだわからないからすぐに物件を決めるわけじゃないけれど、周辺の環境や何階がいいとかダメとか、ここは注意しろとかそういうことを徹底的にリサーチしているの」
実は暁人は実央君を同じ会社に入らせようと目論んでいるフシがあるが、それはやめておいた方がいいと思うぞ。仕事どころじゃなくなるでしょ、キミ。
「愛だねー。大事よね、住環境は。未だに男性同士の同居はお断りなんてけしからん不動産屋もいるし、防音も大事だし」
「大事だね、防音は」
「暁人君たちはどこで愛を育んでいるの?」
「防音」からいきなり話の趣旨が変わった。
「どこで愛を育む…?」
「まさかお互いの家じゃないわよね、やっぱりホテル?ホテルはお金かかるけれどねぇ」
あ、そういう話?うーん、さすがにそこまで聞いたことはないけれど。
「お姉さんが応援してあげなきゃ、軍資金」
「えー、まさか『ホテル代の足しにして』ってお金渡すの?さすがにそれは…」
「誕生日とかにあげればいいじゃない」
誕生日は服とか男性用の小物とか贈っていたんだけれどなあ。
「そこは品物に添えてさりげなく…別に『ホテル代』なんて言う必要ないでしょ」
話が逸れたので私は軌道修正した。
「やっぱり暁人に話してお見合いに行かせないのが正解かなあ」
私が言うと、アイミは少し考えてから
「やっぱりまず実和子さんに相談するのがいいと思う」
と提案した。
「でも実央君に伝わらない?」
「そこは綾乃が口止めすればいいわ。実和子さん、デキる人だと思うよ、私は。私たちより人生経験があるし、頼ってみてもいいと思う」
「そうね、実央君の気持ちを一番に考えている人だし…それにひきかえ、うちのお母さんはなんでわかってくれないのかなあ」
だんだん悲しくなってきた。
「お父さんだって『暁人が間違っていたら殴ってでも止めさせるけれど、これはそういうことじゃない』って言ったんだよ。お母さんの価値基準と違うっていうのはわかるけれど、それを暁人に押し付けて暁人が悲しんで、お母さんは幸せなの?もう情けないよアイミ」
思わず涙が零れてしまった。
「実和子さんは『腐女子じゃなかったとしても実央君を反対する自分の姿は想像できない』って言ってた。私もそう。腐女子じゃなくてもやっぱり暁人を応援したと思う」
すでに腐女子のフィルターを外して喋っている。アイミは私にティッシュを手渡して
「私も協力する。力になれることがあれば何でも言って。私も暁人君と実央君には幸せになってほしいから。暁人君もだけれど実央君もいい子よね」
「うん、ホントにいい子。素直で一途に暁人のことを慕っていて」
私は言いながら鼻をかんだ。
「そうそう、創作意欲がわくのよ」
「……」
実はアイミと実央君は一度会っている。BL作家とはさすがに言えないから、フリーライターってことにしてアイミは色々と実央君に話を聞いていた。
「今回のことに決着ついたら、また二人に話を聞かせてもらおう」
アイミはあくまで腐女子としての矜持を保っていた。
もう一人の母も動いた
「なるほど、静子さんそう来ましたか」
お茶をすすりながら実和子さんは落ち着いて言った。私は今明石さんのお宅にお邪魔している。
「どちらの家族もみんな静観または応援しているから、ご自分だけ蚊帳の外だと思われていたでしょうね。何度かお会いする機会を作ろうと思ったけれど全部スルーされてしまったし」
「うちの母が…本当に申し訳ありません」
「綾乃さんが謝ることじゃないわ、綾乃さんとは楽しくお付き合いをさせてもらっているし」
「それは、もう…」
「まあ静子さんは納得をされていないようだったから、何かお考えがあるのかなとは思っていたけれど」
「父から言ってもらうとか?それとも暁人に直接…そもそも母はどうやってお見合いの場に暁人を連れて行くつもりなのかしら」
「静子さん『騙す』みたいなことをおっしゃっていたんでしょう?いくらでもやりようはあるわよ。例えば『知り合いのお子さんがあなたと同じ会社に就職を希望しているのだけれど、なかなかうまくいかないらしいから相談に乗ってあげて』とかね。暁人さんだって必要以上に静子さんとの仲を拗れさせたくはないでしょうから、きっとOKすると思うわ」
「たしかに」
母はお茶だのお花だのと何かと付き合いの幅が広い。今回のお見合いだって、そちらの関係から誰かに頼んだのだろう。
「でも母は仲人さん?にこちらの事情をどう説明したのかな。電話の感じだと何かしら伝えてはいたようだけれど、プライドの高い人だからまさか息子に男の恋人ができたのでぶち壊したい…とは言わないだろうなあ」
「言わないでしょうね。きっと『息子がしょうもない女に引っかかったからいい人を紹介してほしい』とか話したのでしょう。縁談を手伝いたいおせっか…世話好きな人って案外多いのよ」
さすがに母親のことは母親がよくわかっている。とはいえこのまま放っておいていいものか。
「暁人さんにはお見合いに行ってもらいましょう」
「え…」
「いい試金石になるわ」
実和子さんはさらりと言ってのけた。
「試金石…とは?」
「そのままの意味よ。写真を見た限りとても素敵な女性よね。たいていの男性なら心が動くわ」
「暁人が心変わりするってこと!?」
「そうは言っていないわ、いえ正確には思いたくはない。でもね、暁人さんはノンケよ。別に女性が嫌いなわけじゃない。もしこんなことで気持ちがぐらつくようなら、実央との関係はさっさと解消したほうがいい」
実和子さんは怒っているわけではない。あくまで冷静だ。
「弟さんを信用されていないみたいで綾乃さんは不愉快かもしれないけれど、私は腐女子である前に実央の母親なの。お見合いが成立しなくたって暁人さんがまんざらでもない様子を見せたら、私としてはアウトよ。この先魅力的な女性が現れるたびに気持ちが揺れるようなら、とても安心して一人息子を任せられないわ」
確かにおっしゃる通りです。”母は強し”ってこういうことを言うのか。
「前にも綾乃さんとこんな話をしたわよね。もし二人が心変わりしても私たちがそれを引き留めることはできないって。二人が交際を望むならそれを認めるし、ダメになったときもまた受け入れる」
確かに暁人がこんなことで揺れ動くなら、実央君を傷つける前にさっさと別れた方がいい。
「じゃあ…黙って見てるってこと?」
「いえ、私たちも動くわよ」
そう言うと実和子さんは目の前のテーブルにあったノートパソコンを私の方に向けた。
「これ、見てちょうだい。お見合いの場所のレストランのサイト」
「あ、私も見たわ、それ」
「個室はないでしょう?」
「ええ、ホテルの施設の割にはオープンな感じの…気軽に待ち合わせ場所に使えるようなお店よね。お値段はさすがに高めだけれど」
「そう。料亭の個室なんか用意したらさすがに暁人さんも怪しむと思ったんじゃないかしら。でもこういうお店なら近くに他のお客さんもいるから、暁人さんが騙されたと気付いても大声で怒ったりできないでしょう?静子さんか仲人さんの知恵かわからないけれど、なかなかいいチョイスね」
「実和子さん感心している場合じゃ…それで『動く』って具体的には?」
「そうねぇ…」
「広瀬先輩、最近気合入ってますねー」
千里ちゃんが例の調子で話しかけてきた。
「え、そう?」
「そうですよー、なんか目つきが違いますもーん。エライなー、私なんか朝家を出たとたん帰ること考えてるのにー」
「そ、そうなんだ…」
この子にはついていけないわ。でもお見合いの日がだんだん近づいてきて、「やってやんよ!」という闘志が漏れ出ているのかもしれない。別に仕事に気合を入れていたわけではないのだが。
「そういえばー、営業の田中さん、コクられてまた振ったみたいですよー、相手はなんと秘書課の外崎さん!あんなハイスぺ美女のお誘いまで断るなんてー、あー、私は広瀬先輩が社内で一番のハイスぺ美女だと思ってますよー」
「いや、そんな気遣わなくていいから」
「でも田中さんて端から断っちゃてますよねー、すでに恋人がいるのか想い人がいるのかってもっぱらの噂なんですよー」
(想い人…それはもしかして…経理の水無瀬さん!?)思わず腐女子の妄想が発動してしまったが、いやー残念ながらそれはないな。私の見立てでは田中さんはノンケだ。でも暁人のようなケースもあるから、水無瀬さんへの気持ちに気付いてどうしても女子社員の想いを受け入れられないというのもアリか…。
「広瀬先輩ってー、たまにトリップしちゃってますよねー」
…なかなか鋭いな、千里ちゃん。
さてお見合いが3日後に迫った日の晩、ちょっと困ったことが起きた。
「姉さん」
暁人が声をかけてきた。
「なあに?」
「今度の土曜日、母さんと出かけるんだけど…」
ギクリとした。暁人から当日のことを言われるとは何故か想定していなかったからだ。
「へ、へぇ~、珍しいわね。華道展のエスコートでも頼まれた?」
「いや、そういうのじゃなくて…なんか知り合いのお子さんで就職に悩んでいる人がいるから相談に乗ってほしいって…」
実和子さんスゴイ、読みがズバリ当たってるよ!でもわざわざ私に言ってきたところを見ると、暁人も何か違和感を覚えているのかもしれない。
「いいじゃない、アドバイスしてあげれば」
「でも俺だってまだ働き始めて数か月だし…俺より姉さんの方が…」
いや私じゃダメなのよ。
「仕事じゃなくて就活の相談なんでしょ、暁人が体験したことや努力したことを教えてあげればいいんじゃないの」
「そうか…そうだね」
母と出かけるのは憂鬱なのだろう。でもここは同行してもらわないと困るのだよ、暁人。
「お母さんに恩を売っておきなさいよ、後々いいことがあるかもよ」
根拠はないですが。
「わかった、行ってくるわ」
暁人は観念したように笑って答えた。観念してほしいのはお母さんなんだけれどな。悪く思うな、弟よ。あなたはまさに試されようとしているんだよ。実央君にふさわしい男かどうか、実和子さんと私で見極めるからね!
お見合い in the storm
「あら、綾子も出かけるの?」
お見合い当日、夏の暑さにもめげずビシっと豪華な着物に身を包んだ母に尋ねられた。
「うん、友達と映画」
「そう、今日は私も暁人も出かけるから食事は自分でどうにかしてね」
「わかった、篤紀は?」
「知らないわよ、朝早くからどこかに出かけちゃったわ」
「お母さん今日は決まってるわねー、何か大事なご用事?」
白々しく聞いてみた。
「まあね、お茶会のことでちょっと」
母も白々しく答えてきた。暁人とお茶会は関係ないと思うけど。
「そう、気を付けてね。じゃあお先に出かけます」
実和子さんと相談したあの日、私たちはお見合い現場に行くことを決めたのだ。実和子さんのこの行動力は母の愛ゆえなのか、腐女子としての好奇心なのか…多分両方だろうな。朝から夏の日差しは厳しかったが、それをものともせず私は実和子さんとの待ち合わせ場所に向かった。
「実和子さん、お待たせ」
「綾乃さん、お疲れ様」
実和子さんと合流すると恵比寿のホテルに急ぐ。私たちはお見合いの場所に潜り込むつもりだが、とはいっても母たちに知られるわけにはいかないので予定の時間より早めに到着するようにした。ホテルに入って冷房の涼しさにほっとすると、
「綾乃、こっち」
アイミが声を掛けて来た。彼女にも応援を頼んだのである。
「今日も暑いわねー、早速だけれど…」
ホテルのロビーを見渡す。広々としたロビーにはいくつかソファとテーブルがあり、その一つに腰かけた。
「で、どうする?」
ホテルのサイトで大体のレイアウトは確認していたが、実際の感覚は現場に来てみないとわからない。
「すぐそこがレストラン」
アイミが指さして示す。ロビーときっちり仕切られているわけではなく、低めの台に観葉植物の鉢がはめ込まれていて、それが壁代わりになっていた。開放的な造りである。
「さっきね、待ち合わせの確認をするフリをしてレストランの中をちょっと見てみたんだけれど、一番端の鉢植え近くの席がリザーブになってたわ」
「ちょうどいいわね、私たちはロビー側の予約席に近い場所に座りましょう。鉢植え越しに話が聞けるかもしれないわ」
とはいったものの、一番良い場所を太ったおじさんが陣取って新聞を広げている。(チッ、早くどけよオヤジ)と心の声が思わず乱暴になった。
「大丈夫よ、こういうところで長居をする人はあまりいないわ。私たちだって同じ場所に長く居座ったらホテルの人に不審に思われるかもしれない。いざとなったら『熱中症で涼んでます』とでもいうしかないけど」
実和子さんは落ち着いて言った。私の方はドキドキしてきた。まるで探偵か何かのようなことをしている。そろそろお見合いの30分前になろうかという時、着物の女性と水色のワンピースの女性の二人連れがホテルに入ってきた。
(来た!お見合い写真の人だ!)
「私だけいったん離れるわね」
実和子さんはそう言って別の席に移った。夏休みの土曜日だから、そろそろ人出が増えてきた。ホテル内のレストランなのでお値段もそれなりだから、若者やファミリー層が気軽に入れる感じではないけれど、そろそろお昼も近い。例のオヤジはまだどかない。イラついている私を見てアイミが言った。
「綾乃、ビンゴよ、あの予約席に座ったわ」
観葉植物の隙間から女性のワンピースの水色が確認できた。(さっさとどけよ、クソオヤジ!)心の声はどんどん乱暴になる。
「焦らないの、綾乃。こういう時のために私がいるんでしょ」
そう言いながらアイミは実和子さんの方に目配せした。実和子さんはエントランスに背を向けて座っているが、マスクを付け眼鏡をかけた様子が見て取れた。
(そうだった、忘れてた)
私も同じようにマスクと眼鏡を装着。「あまり大げさな扮装をするとかえって悪目立ちするわ。マスクと普通の眼鏡だけで案外顔は隠せるものよ。パンデミック以降夏でもマスクを付ける人はそんなに珍しくないし」というアイミのアドバイスもあり、事前に決めていたのだ。それでも心配なので、ヘアアレンジだけはしたのだが。
「そろそろ席が埋まってきたわね、私も行くわ」
実和子さんと私がうまく近づけなかった場合を想定して、アイミがレストラン内に入るように計画していたのだ。
「頼むわねアイミ、何でも好きなものオーダーして。全部私が持つから」
「サンキュ」
アイミはサングラスだけかけて席を立った。アイミと母は面識がないが、暁人とは一度だけ会っている。観葉植物の隙間からアイミの様子を目で追っていると、うまい具合に予約席の近くに座ることができた。女性たちからはほぼ正面、多分暁人と母はアイミに背を向けることになる。アイミは暁人と直接顔が合わないように、雑誌を使ってごまかすつもりだ。
(よし、べスポジ!)
小さくガッツポーズをしているといつの間にか近づいていた実和子さんが、
「私たちも移るわよ」
小声で言って、初めに目を付けたロビーの席に顔を向けた。いつの間にかあのオヤジがいない。私はテンパっていて見落としていたのだ。実和子さんに促されてそちらに移動する。私と違って実和子さんは終始冷静である。
「来たわ」
再び小声で実和子さんが言った。母と暁人が現れたのだ。エントランスとこの席はちょっと離れている。私はエントランスには背を向けているし、実和子さんは本を読んでいる…フリをしている。まあ母のことだから、こちらには目もくれずに一直線にレストランに向かうだろう。
(いよいよだ…)
自分のお見合いでもないのに心臓はバクバクいって、私は思わず生唾を飲み込んだ。
「お待たせしてすみません、晴子さん」
母が挨拶をすると、
「いえいえまだお時間前だし、私たちもさっき来たばかりよ、今日もお暑いけれど大丈夫でした?」
“晴子さん”と呼ばれた女性がゆっくりとした口調で応じた。母よりは少し年上だろうか。観葉植物が近すぎて顔はよく見えないが、なんとか声は聞こえる、ヨシ!…と思ったとき、
「あー、あったあった」
デカイ声してさっきのオヤジが戻ってきた。私と実和子さんはびっくりして息が止まってしまった。見ればテーブルの上に小さなピルケースらしきものがある。
「すまんねぇ、大事なものを忘れちゃって」
デカイ声で続ける。いいから早く行ってくれー!!
「いいえ、良かったですわね」
実和子さんが声のトーンを一段上げてオヤジに応じた。
「ジャマしてすまなかったね」
オヤジはピルケースを掴むと、やっとその場を離れた。心臓に悪い…母たちに気付かれなかったか様子を窺った。オヤジのデカい声にいったん遮られたが、気を取り直した母が
「こちらが長男の暁人です。今年社会人になりまして22歳ですわ。K大卒業後大室精密に勤務しております」
「まあご立派な息子さんですこと」
言いながら晴子さんと隣の女性は立ち上がって挨拶をした。
「初めまして、私静子さんと茶道でお付き合いさせていただいている兼山晴子と申します。こちらは知り合いのお嬢さんで、新庄咲さん、暁人さんと同じ22歳ですわ」
「母さん、相談相手って女性だったの?」
さすがにおかしいと思ったのか、暁人が口を開いた。
「暁人さん、ご挨拶の途中に失礼ですよ」
母がたしなめると、晴子さんは続けて
「咲さんはR院大卒業後高階出版に入社なさいました」
と紹介した。
「初めまして、新庄咲です。本日はよろしくお願いいたします」
咲さんという女性がさわやかに挨拶した。
「まあ、大手の出版社ですわね、優秀でいらっしゃるのね。まさしく才色兼備ですわ」
母が大げさに褒めた。暁人の顔は見えないが、おそらく強張っているだろう。大手の出版社に入社した才女が、就活相談なんかするはずがない。どう見てもこれはお見合いのシチュエーションだ。
「母さん…」
暁人は低く唸るような声を絞り出した。すでにオーダーしてあったのか、そこへ料理が運ばれてきた。
「さ、座って頂きましょうか」
晴子さんが促す。母も言った。
「暁人さん、そんな怖い顔をしていてはお相手がお困りになるわ。自重なさい」
暁人はだんまりを決め込んでいる。怒って席を立つのはさすがに相手に失礼だと思ったのだろう。はじめのうちはもっぱら晴子さんと母が、時々咲さんが交じって食事を楽しみながら喋っていた。
「暁人さんのご趣味は何ですか? 」
空気を変えようと思ったのか、咲さんがお見合い定番の質問をしてきた。
「…読書と…スポーツ観戦と…あと温泉ですかね」
気のない返事をする暁人。
「温泉、いいですね!私も大好きです。温泉にはよく行かれるんですか?」
咲さんが話題を広げた。声を聴く限り感じの良い女性だ。
「まあ、共通の趣味があるなんていいわね、暁人さん。今度近くの温泉にでもご一緒したら?」
母が調子よく話を盛り上げようとする。が、暁人はそれを無視して
「ええ、よく行きますよ、温泉に」
咲さんの問いかけに答えた。
「恋人と一緒にね」
その一言に私と実和子さん、そして多分お見合いの場の全員が固まった…と思う。
後でアイミに聞いたところ、一瞬時間が止まったかと思ったらしい。
「あ、暁人さん、あなた何を言い出すの…」
母が必死そうな声でたしなめる。暁人はそれには答えなかった。すると今度は晴子さんが
「伺っていますよ、暁人さん」
落ち着いた口調で話し始めた。
「なんでも少々問題のある方とお付き合いなさっているとか。お母様はね、とてもあなたのことを心配なさっているの。若い時は感情に任せて突き進んでしまうこともあるけれど、年長者の言葉には耳を傾けるものよ。すぐには無理でも咲さんのような素晴らしい方とお付き合いなされば、きっとそれがお分かりになると思うわ」
やっぱり母はこちらの事情を少し話していたようだ。
「晴子さんのおっしゃる通りよ、暁人さん。咲さんのような素敵な女性とお知り合いになれる機会なんて、滅多にありませんよ」
ここぞとばかりに母が言い募る。
「そうですね、咲さんは素晴らしい女性だと僕も思います」
「それなら…」
「でも僕の恋人にはなんの問題もありません。今大学3年生の、優しくてとてもいい子です」
暁人は淡々と続けた。
「ただ男なのが母の気に入らないのでしょう」
アイミいわく、この時も時間が止まったらしい。
「あ、暁人…こんなところで何を…あなた自分が何を言っているのかわかっているの?」
母の声は震えている。まさか暁人がここまで暴露するとは思っていなかったようだ。自分のセレブな交友関係に息子が男性と付き合っていると知られた母は顔面蒼白…だったにちがいない。こちらからは見えないから知らんけど。晴子さんもさすがに暁人の恋人が同性とまでは知らされていなかったようで、言葉を失っている。
「僕の恋人は明石実央と言って、僕と同じ大学の3年生。付き合い始めて2年になります。僕はゲイではありませんが、素直な気持ちで実央のことを好きになりました。僕の父・姉・弟、実央のご両親は僕たちのことを見守ってくれていますが、母だけがこの始末です。今日もお見合いとは知らされずにここへ連れてこられました。咲さんのような素敵な人とお見合いをすれば僕の心が動くとでも思ったのでしょう、浅はかなことだ」
周りには他のお客さんたちもいるので、暁人は低い声で話し続けた。「浅はか」と言われて母は反論しかけたが、暁人はそれを遮るように言葉を続けた。
「母さん、母さんの意に沿わないことはすまないと思うけれど、もうこんなことはやめてくれないか。他の人まで巻き込むなんてやりすぎだろう。俺は実央を愛している、これからもずっと。この先どんなに素晴らしい人と出会えてもそれは変わらない、実央でないとダメなんだ。母さんが認めたくないならそれでいい。口もききたくないならそうしてくれ。でも…もうそっとしておいてくれないか。俺は実央と離れる気はない」
よく言った暁人!それでこそ私の弟!もうホテル代でもなんでも出してやるわ!
「兼山さん、咲さん、本日はこちらのごたごたでご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。食事代はすべて僕が支払います。お詫びには改めて…」
暁人が立ち上がり深々と頭を下げた(アイミ談)ところで、
「ふざけないで、勝手に終わらせないでよ!」
母の強い声が聞こえた。
「男同士で愛してる!? 実央でないとダメ!? なに寝ぼけたこといっているの暁人!! 今は勘違いしてのぼせ上っているだけなのよ、後悔するに決まっているじゃないこんな非常識なこと、世間に顔向けできないようなこと、きれいごとで済ませないで頂戴!! 」
母のきつい口調にさすがに周囲がざわつき始めた(アイミ談)。
「家族が認めても、大っぴらにできないような関係で幸せになれるはずがないじゃない!そう思わない?晴子さん!」
「え、ええ…」
母の勢いに押されて晴子さんは頷いた(アイミ談)。私は手にしていたハンカチを無意識にギューッと握りしめていた。
「そんな関係、家族だって表を歩けなくなるようなそんな恥さらしな関係、そうっとなんかしておけるはずないじゃないの!! いい加減にしてちょうだい!! 」
私の中で「ぶちっ」と何かが切れた。母が「恥さらし」という言葉を使ったのは、これで2度目だ。1度目は我慢した。でも今度ばかりは許せない。
「実和子さん」
「え」
ふいに名前を呼ばれて実和子さんは驚いている。
「絶対にここを動かないでね、絶対よ」
「あや…」
眼鏡とマスクを外すと、私はレストランの入り口へ向かった。
私の勢いに驚いたウェイターが
「お、お客様、いまお席にご案内…」
というのも聞かず、一目散にお見合いの席に乗り込んだ。
「いい加減にするのはお母さんの方よ!」
「ね、姉さん?」
「綾乃?あなたどうしてここに…」
「初めまして、私暁人の姉の綾乃と申します。母がいつもお世話になっております!」
とりあえず晴子さんと咲さんに挨拶してから母に向き直り
「いつまで時代遅れなこと言ってごねてるのよ、みっともない。どうしてお母さんだけが孤立無援になっているのかわからないの?それはね、お母さんが間違っているからよ。自分の気持ちを押し付けて子供の人生を捻じ曲げようとするやり方に、誰も賛成しないからよ!! 」
ここまでくると、もう止まらない。
「あの、お客様…他のお客様へのご迷惑になりますので…」
先程のウェイターが恐る恐る私に声を掛ける。
「迷惑かけてごめんなさい、あとでちゃんとお詫びします、大声出さないから見逃して」
私はウェイターに無理な注文をした。できるだけ声を落として
「暁人がお母さんの言う通りにして、毎日悲しそうな顔をして、お母さんはそれで満足なの?実央君と別れさせたって暁人は誰とも結婚しないよ?一生実央君を想って泣き暮らすよ、それでお母さんは満足なのね」
周囲の視線が痛い…でもやめるわけにはいかない。
「暁人が不幸になった責任をお母さんは取れるっていうの!?お母さんは後悔するに決まってるって言ったけれど、それは暁人と実央君の問題よ、周りがとやかく言うことじゃないわ」
ここまで言ってちょっと冷静になったところへ
「そうだよー、オバサン、ヒドーイ!」
隣から素っ頓狂な声が聞こえてきた。見ると隣の席にはこのレストランにはあまりそぐわない、若いカップルが座っていた。
「ちょっと話が聞こえてきちゃったんだけどぉー、愛し合ってるのに引き裂くなんてひどくないー?」
ギャル風の女の子の方が何故か割って入ってきた。
「うちのパパとママもねぇ、まーくんじゃダメだっていうのー、ひどいでしょーまーくん、こんなにカッコいいのにー」
と、彼氏の方を指さす。なんだかこの話し方、なじみがあるような…。彼氏の方をちらりと見ると金髪ピアス…いや、金髪とビアスがダメなわけではないんだけれど、なんというか、こう…全体的に売れないホスト?みたいなチャラい若者が座っていた。私の視線に気づいたのか、彼氏が頭を搔いて挨拶する。
(いやー、それはパパとママの言い分がもっともだと思うけどな)
「大事なのは愛!愛だよーオバサン、オバサンだってダンナさんと好きで結婚したんでしょー、親に他の人と結婚しろって言われたらそうしたのー?」
一応言っておくと、うちの両親は恋愛結婚である。
「おにーさん、頑張ってー、アタシ応援するから!反対されればされるほど、愛は燃え上がるんだよねー、アタシとまーくんみたいにー」
妙な援軍が入って変な空気になったが、このまま続けさせるわけにも行かない。私はオロオロ見守るウェイターさんに
「この子たちにケーキと紅茶でもあげてくれない?伝票は私に」
小声で頼んだ。
「あ、ありがとうね、こちらは大丈夫だからケーキでも食べて?」
「ラッキー、ゴチになりまーす」
母以外は少しクールダウンしたところで
「暁人さん」
それまで黙っていた咲さんが口を開いた。よくお顔を拝見していなかったが、改めて見ると難関の大手出版社に新卒入社しただけあって、知的な美人だ。写真よりも美しい。
「今日のこと、お気になさらないで下さい」
穏やかな口調で言った。
「兼山のおば様に少しご事情があるお相手だとは伺っていたのですが、そういうことだったのですね。素敵じゃないですか、そんなに想い合う方がいらっしゃるなんて。たとえ同性でもそういう方に巡り合えるのは素晴らしいことだと思います」
え、まさかこの人も腐…
「私ね、実は作家志望なんです」
意外なことを言い出した。
「色々業界のことを勉強したりコネを作ったりしようと思って、出版社を選んだんです」
なるほど、なかなか強かな。
「このお見合いもね、実は小説のネタにならないかなって言う下心もあって」
咲さんはいたずらっぽく笑った。
「今日のこと題材に使ってもよろしいかしら、面白いわ、お見合いの相手に同性の恋人がいたなんて。あ、ごめんなさい、面白いなんて言ってしまって」
「ちょ、ちょっと咲さん…」
母の様子が気になったのか、晴子さんが咲さんの袖を引っ張った。
「題材って…まさかB…」
私がうっかり声に出すと
「あ、BLではありませんよ、私腐女子じゃないので」
咲さんはスッパリ否定した。まあそうか、そんなにあちこちに腐女子は転がっていないよね。
暁人はおかしそうに笑って
「ぜひ使って下さい。あ、実名は困りますよ」
と咲さんに向かって言った。
「心得ていますわ、もしそれが本になったら暁人さんと…実央さん…でしたかしら。お二人に進呈しますね、サイン付きで。ねえ、お姉様もお座りになって下さいな」
咲さんはウイットに富んでいるし、気も利いている。促されて私も座った。座るときにチラっとアイミの方を見たが、小さくグーのサインを出している。ついでに隣のバカッ…カップルをの方も見たが、おいしそうにケーキを食べながら彼氏の方は頭を下げ、彼女の方は手をおでこの辺りに挙げて「あざす」のサイン? をしている。心配げに見ていたウェイターさんもいつの間にかいなくなっていた。
「私ね、最初からふざけた気持ちでお見合いに臨んだわけではないですよ。暁人さんのお写真を拝見した時ステキな方だと思ったのは事実ですし、気が合うようならお付き合いしてもいいかなって。でも『二兎を追う者は一兎をも得ず』ですよね。私当分は仕事と創作活動に打ち込みます」
咲さんはスッキリした様子で語る。仕事と創作活動は「二兎」ではないのか?と思ったが、まあいいや。
「実央さんてどんな方?お写真はあるかしら」
「ありますよ」
と、暁人はスマホを取り出した。え、見せるの?
「まあ、かわいらしい。あ、男性に『かわいい』なんて失礼ですね」
咲さんの言い方に嫌味はない。
「かわいいですよ、ほんとに」
お見合いの相手に彼氏の写真見せてデレるのよしなさい、暁人。
「うちの姉はね、実央のお母さんと仲がいいんです」
「あら、ステキじゃないですか。お歳も違うのに仲がいいなんて」
「なんでも趣味が同じとか」
「ご趣味が?どんな?」
余計なこと言うなよ、暁人。
「ええと…読書傾向が似ているというか…」
「読書?どんな本がお好きなんですか?」
咲さんは食いついてきた。しまった、作家志望で出版社勤務の人にこの答えはまずかった。
「し、小説全般ですかね、あと漫画も…」
「ああ、私もずっと漫画は読んでいます。少年漫画も大好きです」
頼むからこの話題はこれ以上掘り下げないでくれ。背を向けているので見えないが、後ろでアイミが笑っているような気がする。
「静子さん」
久しぶりに晴子さんが声を発した。母はギクリとする。
「ご家族で一度よく話し合われた方がよろしいんじゃないかしら」
ゆっくりと、でもはっきりとそう言った。晴子さん、話し合いはもう済んでいるんですよ、母が納得していないだけで。
「私は暁人さんが『変な女に引っかかった』と伺っていたから、ご協力したのだけれど…」
そう、母は晴子さんにも噓をついていたことになるのだ。この辺りも実和子さんの読み通りだ。母は返答に困っている。
「まあお気持ちはわからないでもないですけどね。今日のことは誰にも話さないのでご安心下さいな」
晴子さんはため息をつく。
「そうよおば様、噂なんか広めたら私怒りますからね」
咲さんが横から口を挟んだ。
「今日はもうお開きにいたしましょう、なんだか疲れたわ」
晴子さんはそう言うと、ちらりと私の方を見た。え、私?私のせいなのか?私が晴子さんを疲れさせました?
一同お会計のところへ行くと、晴子さんたちは自分たちの分は支払うと言ってきたが、
「いえ、今日はこちらで支払わせて下さい。うちの事情でご迷惑をおかけしてしまったので」
暁人がきっぱりと断った。
「そうですか、ではお言葉に甘えることにしましょう、ごちそうさまです。それじゃあ咲さん、失礼いたしましょうか」
「はい、そうねおば様。静子さん、暁人さん、お姉様、今日はごちそうさまでした。失礼いたします」
咲さんは会釈して
「暁人さん、実央さんのことで何かあったら私がご相談に乗りますわ」
と、付け加えた。これは母にはダメ押しになったらしい。
「今日は…ご迷惑をおかけしました…お恥ずかしいところをお見せして申し訳ありません」
母は弱々しい声で晴子さんにそういうのがやっとだった。晴子さんたちが去ると、
「姉さん、あの子たちのケーキ代も俺がもつよ、伝票をくれ」
はーっと息を吐いた暁人が私の方を向いて言った。
「え、いいわよ、それは私が」
「いいから、なんか面白い子だったよな、場の雰囲気も変えてくれたし」
「そう?じゃあ頼むわ」
その場は暁人の顔を立てておいた。ほんとはお母さんが全部支払うべきなんだけれどね、と思いつつ私はアイミとアイコンタクトを取った。
最期に私と暁人でレストランの店長さんに平謝りした。仕組まれたお見合いだったことを簡単に説明したら、苦笑いして許してくれた。あれ以上大騒ぎになっていたら、警察案件だもんね。興奮していても私は意識して声のトーンを落としていたから、響いていたのはほとんど母の声だと思うけど。
After the storm(戦後処理)
「そんなことがあったんですか」
大きな目をさらに大きくして実央君は驚いている。お見合いから2週間ほど経った今日、報告会よろしく明石さんのお宅にみんなで集まった。
「暁人さん、僕のために戦ってくれたんですね」
感動したような面持ちで実央君は暁人を見つめる。暁人もまんざらではなく、
「まあ、そりゃ実央のためだからね。いや俺と実央、二人のためだから」
アー、ハイハイ、ソウデスネ、お熱いことで。でもね実央君、暁人も戦ったかもしれないけれど、どちらかというと私が頑張ったんだよ、私の方が戦ったと思うんだけれどなーなどと考えつつ実和子さんの方を見ると、こちらの心中を見透かしているかのようにこくこくと頷いていた。
「本当に暁人さんの男らしい態度には感激だわ。こんなに想われて実央は幸せ者ね」
そう実和子さんは言ったが、本音だろう。よかったね暁人、「試金石」に合格して。あの日実和子さんとアイミも現場にいたことは、母はもちろん暁人にも教えていない。基本的に広瀬家の問題だから、話を大きくしない方がいいと思ったのだ。
お見合いの席が険悪になった時、アイミはすぐに周囲に気を配ってくれたという。今のご時世面白そうな動画が撮れるとすぐにSNSにアップされる。ちょっとお高いホテルのレストランだから、そういうことをする客層ではなかったようだが、一組だけスマホを取り出して撮影しようとした青年二人がいたらしい。アイミは素早く彼らに近づき、
「盗撮はダメだよ」
と注意したそうだ。続けて
「君たちだって二人の写真がアップされて『オレたち付き合ってまーす』なんてコメントを付けられたらイヤでしょう?」
と、にっこり…いや、氷の微笑?で圧をかけてやめさせたという。腐女子らしいやり方だが助かった。あとはいかにもそういうことをしそうな隣のバカッ…若いカップルはあんな感じだったし。
余談だが後日私と暁人でレストランスタッフご一同様と、晴子さん・咲さんそれぞれに菓子折りを持ってお詫びに伺った。咲さんの話によれば晴子さんとは親戚ではなく、咲さんの親と晴子さんが古くからの友人で、咲さんも幼いころから見知っていたのだそう。ああ、BLでよく見るやつね、親同士が仲良くて、何なら隣同士で…っていうパターン。咲さんが男で晴子さんに同年代の息子さんがいれば、可能性あるのに。待てよ、確かめなかったけれど咲さんに兄弟がいればアリかも…。
などとまた腐女子の妄想を逞しくしていると、実央君の隣が気になった。
「それであんたはなんでここにいるの、篤紀?」
今日は明石さん宅で実和子さん・私・実央君・暁人の4人で戦後処理?をする予定だったのだ。そこにのんきにお菓子を食べながら実央君と談笑する篤紀の姿が加わっている。
「えー、別にいいじゃん、姉貴も兄貴もいるんだから俺がいたって」
いいじゃん、ではない。あんたがいると暁人の機嫌が悪くなんのよ。
「今夏休みだけどさ、午前中課題のレポートの資料探しに図書館行ったら、ばったり実央君と会ったんだよ。そしたら姉貴と兄貴が午後実央君ちに来るって聞いてさ。これは俺も行かないとって」
いや、だからなんで「行かないと」になるのよ。
「兄貴は学年が違うとあまり校内で会わないようなこと言ってたけど、俺と実央君よく会うんだよね。昼飯も一緒になること多いし。赤い糸で結ばれてんのかもな」
だからそういう笑えない冗談はよせと…。
「僕も篤紀君に会えるとうれしくて。一人っ子だから弟ができたみたいで楽しいんだ」
相変わらず空気の読めない実央君が篤紀に応じる。実央君、あなたの彼氏はとんでもなく執着系で嫉妬深いんですよ。実和子さんの方を見るとニコニコと全体を俯瞰している様子。そうですね、腐女子のフィルターをかければ楽しい展開ですよね。暁人は案の定不満げな面持ちだ。私は暁人に近づき
「篤紀の軽口にいちいち反応するのやめなさい、大人げない。あの子今彼女がいるみたいだから、間違っても実央君に気があるとかないから」
と小声で囁いた。
「そんなのわかってる。実央は俺だけのものだから」
弟の発言に思わず(こ、こいつ…)と呆れてしまった。束縛男は嫌われるぞ、暁人。
「ところで姉さん、聞きたいことがあるんだけれど」
暁人は口調を改めて、こちらに向き直った。
「な、何よ…」
暁人のやや強めの口調にたじろぐ私。
「姉さん、お見合いのこと事前に知っていたんだよな」
あ…そこ、気付いちゃったかー。
「俺が姉さんに『母さんに知り合いの就活相談を頼まれた』って話した時、お見合いのこと知っていたんだろ」
う…その通りなんだけど…実和子さんが心配そうにしているが、彼女は知らないことになっているから口を挟めない。実央君と篤紀はきょとんとした顔でこちらを見ている。
「わかっていたなら先に止めてくれても良かったんじゃないか。そうすれば先方にも迷惑をかけなかったし、あんな大ごとにもならなかった」
暁人の言うことはご尤もなのだが、こっちだって大変だったんだから。あんたと実央君のためにどんだけ立ち回ったと思ってんの?悩んで嘆いて実和子さんやアイミにも助けを借りて、奮闘したんだからね!弟を思う姉の苦労を知りなさいよ!と叫びたい気分だった…けれどお見合いは暁人の本気度をはかる「試金石」だったとはさすがに言えない。
「そ…それはね、暁人のことを信用していたからじゃない!」
「は?」
「ええそうよ、私は事前に咲さんの写真も釣り書きも見てました。女の私から見ても咲さんは素敵な女性よ。もしあんたが彼女に会って気持ちがぐらつくかも…なんて思ったら、実央君のために必死に止めたわよ。でも暁人なら絶対そんなことはないって信じてたんだからね!」
こうなりゃ、迫力で言い負かす!!
「それはもちろんそうだけれど…だからと言ってお見合いを実行しなくても…」
「いい?これはお母さんの企みなのよ?このお見合いを潰したところで必ず第2第3の矢を放って来るわ」
もっともらしいことを言ってみた。
「そんなの暁人だってイヤでしょう。お見合いどころか、実央君を直接傷つけるようなことをするかもしれないわ、そんなの許せる?」
必殺技「実央君のため」を投入。暁人は黙った。
「お母さんの妨害工作を完膚なきまでに叩き潰して、二度とこんな愚行をさせないようにするべきだと思ったのよ!」
実の母親相手に我ながらヒドイこと言ってるなと思いつつ、暁人の様子を窺った。ちょっと考え込んでいる。
「さっきも言ったけれど、暁人の実央君への愛が本物だと信じていたからこそできたことなのよ、わかる?これが篤紀だったらホイホイ美女にくっついていきそうで、危なっかしくてできないわ」
「ひでぇ」
急に引き合いに出された篤紀が不満げだ。そこまで一気にまくし立てると、
「暁人さん、お姉さんはすごく頑張ってくれたんだよ、僕たちのために。普通出来ないよ、弟のためにホテルのレストランに殴り込むなんて」
いや、レストランに殴り込んだわけでは…
「僕ならとても恥ずかしくてできない、綾乃さんの勇気はすごいと思う、僕はとても感謝しているよ」
褒められているのか貶されているのかよくわからないフクザツな気分だが、実央君の言葉に暁人は納得したようだ。チョロイな暁人。
「そうだな、実央の言う通りだ。うちでの最初の話し合いからずっと、姉さんには助けられっぱなしだ」
そうそう、そうでしょう?お姉様を崇め奉りなさい、弟よ。
「ごめん、姉さん、姉さんの気持ちも知らないで」
暁人は神妙な面持ちで言った。
「そうよ、綾乃さんの力はすごく大きいわ。綾乃さんがいなかったら、今二人はこんなに幸せになっていないわよ」
実和子さんが助け舟を出してくれた。実和子さんの力だって大きいのに。お見合いでの手柄?が私一人のものになっているのが、心苦しい。
「そうですよね、姉さんには感謝してもしきれない」
暁人は実和子さんの言葉に同意した。
「え、俺は?俺もいい働きしてない?」
篤紀が急に口を挟む。
「お前は何もしていないだろう」
すかさず暁人が反応する。
「篤紀君もいい立ち回りをしてくれているわよ、本当にいいご姉兄弟ね」
実和子さんがフォローしたが、篤紀の「立ち回り」とは母親目線なのか腐女子目線なのか。
「姉さんが恋愛で悩んだ時には俺が力になるから、いつでも言ってくれ」
暁人が真面目な顔して言う傍で、篤紀がまた余計なことを言った。
「でもさー、姉貴って結構美人だと思うんだけど昔から恋バナとか色っぽい話、ぜっんぜん聞かないよな」
うるさい篤紀、私は学生時代から脳内BLを楽しんでいるんだからいいんだよ、自分の恋バナは。
「高嶺の花には手を出しにくいものなのよ」
実和子さんが篤紀に言う。ありがとう実和子さん、そんなにいいもんじゃないんですけれど。自分の話はバツが悪いので、私は話題の方向転換を図った。
「暁人覚えてる?お見合いの時隣の席のギャルがちょっといいこと言っていたじゃない?」
「いいこと?」
「そう、ええと『大事なのは愛!愛だよーオバサン、オバサンだってダンナさんと好きで結婚したんでしょー、親に他の人と結婚しろって言われたらそうしたのー?』だったっけな」
私が彼女の口調まで真似たものだから、暁人は思わず吹き出した。
「そういえば言ってたな、そんなこと」
「あれで思い出したんだけれど、うちの両親も恋愛結婚なんだよね、一応」
「へー、そうなんだ、聞いたコトなかった。なんかオフクロが恋愛とか想像つかないわ」
身も蓋もない言い方をするな、篤紀。
「でね、昔聞いたことがあるのよ、広瀬のおばあちゃんに。お父さんとの結婚話が出た時にお母さんの父親、私たちにとっては宗方のおじいちゃんがいい顔しなかったんだって」
「それは俺も初耳だな」
暁人は知らないのか。
「お母さんてさ、そこそこいい家のお嬢さんじゃない?お父さんは今でこそ大手商社勤めだけれど、それは結婚後に転職したからで、当時は名も通っていない会社のサラリーマンだったのよ。宗方家にはいい縁談も持ち込まれていたみたいだから、お母さんはおじいちゃんに考え直せって言われたらしいわ。でもお母さんは頑として聞かなかったみたい。お父さんを選んだのよ。お父さんもおじいちゃんを見返したくって今の会社に入って頑張ったのかもね」
「ステキなお話ね」
実和子さんは言ったが、
「自分もそんな思いをしてきたんなら、俺の気持ちだって考えてくれてもいいじゃないか。あんなゴリ押しするようなやり方して…」
と、暁人は不満げだ。うん、まあそこは仕方ないかな。うちの親は同性を選んだわけではないから、ちょっとハードルの高さが違う。
「今回のことに懲りて矛先を収めてくれるといいんだけれど」
ため息交じりに暁人が言ったので、
「さすがに私も今回のことはアメリカのお父さんにチクッ…報告しました。お父さんから説教されればお母さんも少しはおとなしくなってくれるかと」
わたしは付け加えておいた。実際あれから母はお見合いのことに触れてこない。
「もう認めてくれとは思っていないよ、俺は。放っておいてくれればそれでいい」
暁人はそう言ったが
「でも…僕は暁人さんのお母さんにも許してもらえると嬉しいです…」
と、控えめに実央君が言った。
「こういうことの価値観のすり合わせはとても難しいのよ、実央。この先もあなたたちのことをよく言わない人たちも現れると思うわ。会社に入れば人間関係も変わるしね」
実和子さんは諭すように言う。その通りだ、と頷いたら
「でも俺、入社試験の面接のとき『同性のパートナーがいます』って話しましたよ、面接官に」
暁人がまたとんでもないことを言い出した。
「はあ!?聞いてないわよ、そんな話!」
私は思わず身を乗り出した。
「あー、そういえば初めて言ったかも。面接のことなんか誰にも聞かれなかったし」
暁人はしれっと言う。
「どういうこと!?」
「どういうことって…なんか面接で結婚観とか家庭観とか聞かれたから、自分の家の話と自分には同性のパートナーがいてこれからもずっと一緒にいるつもりですって答えたんだけれど」
「よ、よく受かったわね…」
「だって俺の能力とパートナーの話は関係ないだろう。複数人で面接受けたから同期の奴の何人かは知ってると思うけど」
「せ、先進的な会社なのね」
さすがに実和子さんも驚いている。
「なんか面白そうな会社だね、兄貴のところ。俺も受けてみようかな、あ、お母さん、コーヒーのお代わりもらっていいっすか」
ずうずうしくも篤紀が実和子さんにねだる。誰が「お母さん」だ、誰が。
「俺のお母さんであってお前のお母さんではないな、篤紀」
暁人が弟にぶっとい釘を刺した。
勘違い再び
(いやー、それにしても暁人の会社はすごいよねー。「同性の恋人がいます宣言」をしても入社させるんだから。ひょっとして面接官に腐女子がいたんじゃなかろうか。ありうるな…)
デスクのPCで資料作成をしていた私は、そんなことを考えていた。うちの会社も見習ってくれたらいいのに。そうすれば田中さんと水無瀬さんも堂々と付き合える…(注 : 綾乃の妄想です)。
「広瀬先輩―、今日は残業ですかー、大変ですねー」
いつもの千里ちゃんの口調に、ふいにあのギャルを思い出して吹いてしまった。
「えー、私何かおかしなコト言いましたかー」
「あ、ゴメンゴメン、思い出し笑いだから。営業部で急いでいるみたいだから、この資料だけ仕上げて帰るわ」
「お疲れ様ですー、すみませんがお先に失礼しますねー」
「お疲れ様、気を付けてね」
すぐ終わると思っていたが存外時間がかかってしまった。んーっと伸びをして時計を見ると夜の8時を回っている。オフィスには2,3人しかいない。手にした資料を持って営業部へ行くと、残っていたのは田中さんだけだった。
「お疲れ様です。これご依頼のあったR社の資料です。データも送っておきましたが、すぐ使えるようにプリントもしておきましたのでお持ちしました」
資料の入った封筒を田中さんに渡した。
「遅くまでお疲れ様。いつもありがとう。広瀬さんの作る資料はいつも見やすくて丁寧で助かるよ」
「ありがとうございます。それでは失礼します」
私が戻りかけると
「広瀬さん」
と、田中さんに呼び止められた。なんだろう、追加の資料作成とかやめてよね。今日はもう帰ってBLドラマの録画を…
「いつも広瀬さんにはお世話になってるし…そのお礼に今度食事でもどうかな?」
……ん?
「えーと…それは他の人も交えて…?」
「いや、2人で…なんだけれど」
照れた様子で田中さんが言った。
………しばしの沈黙が流れる…えー…これはー…ひょっとして…
「お礼っていうのは口実で、一度広瀬さんとゆっくり話してみたいと思って…ダメかな?」
あまりに急展開で私は完全にパニクってしまった。どうしてそういうことになった!? 田中さんと水無瀬さんでさんざん妄想していた私は、当然ながらそこに自分が入り込むことなど想定していなかった。困っている様子の私に
「あ、いやなら断ってくれていいから。急にこんなこと言ってごめん」
田中さんは気を遣ったのか謝ってくれた。いえ、そーゆーことではなくて、ですね…
「ちょっと自惚れちゃったかな、なんだかよく広瀬さんの視線を感じるような気がして、そのうち意識しちゃって…」
あ~~~私のバカっ!まさか私の腐女子目線がそんな誤解を生んだとは…腐女子の欲望がそこまでダダ洩れていたなんて。
「あ、ひょっとして俺じゃなくて水無瀬のことを見ていたのかな。それなら…残念だけど水無瀬との橋渡ししようか」
田中さんはそんな優しさを見せてくれるが、そうじゃない、そうじゃないんです!私は「あなたと水無瀬さん」を見ていたんです!たぶん私史上最大の混乱に陥った頭で必死に考えを巡らせた。腐女子生活と女子としての生活は別物だ。腐女子だって彼氏がいる人・既婚者・子育てしている人…様々だ。田中さんはわが社で女子の一番人気、営業成績もトップの優良株、ここはOKしてみるのもアリなのか?…でも、でも…普通の女性なら喜ぶところを、普通じゃない?私は素直に喜べない。
やっぱり違う、私のベクトルはそっちじゃない!私が田中さんの彼女とか水無瀬さんの彼女とかっていう話では全く萌えないのだ。どうやって穏便にこの場を収めよう…
「す、すみません、突然のお誘いに混乱してしまいまして…お気持ちは嬉しいのですが…えーと、あのですね……私、ぼんやり外を眺めるのが好きでして…たまたまそこに田中さんがいらっしゃったのかと…」
なんという下手な言い訳だろう。遠くから高層ビルの窓の外を見たところで、大したものは視界に入らない。
「そ、それに実は私社外にお付き合いしている人がおりまして…やはり二だけでお食事というのはその人に悪いかと…」
「そうだったんだ…俺の方こそいきなり変なことを言って、ごめん。このことは忘れて」
田中さんはちょっと寂しそうに笑った。私の支離滅裂な説明に納得してくれたのか?今までモテてきた田中さんだから、多少の自信はあったのかもしれない。
「お、お先に失礼します」
私は逃げるようにその場を離れた。デスクに戻り一目散に帰宅したが、正直家に着くまでの間のことが思い出せない。そう、私は篤紀が指摘したように恋愛慣れしていない。告白されたことがない訳ではないが、BLに夢中だった私は「ゴメン」で済ませて自分の世界に浸っていた。だが社会人ともなれば「ゴメン」では済ませにくい。しかも自分の行動が相手に誤解を与えていたのだ。
(あぁ~、明日からどうしよう。田中さんと顔が合わせづらい…)
その日はさすがの私もBLのドラマも漫画も観る気がしなかった。とにかく早く忘れよう。田中さんだってモテるんだからすぐにいい人が現れるに違いない。そうすれば私のことなんか気にならなくなる。そう考えて私は無理やり眠りについた。
…が、事はそう簡単には収まらなかった。
「聞きましたよー、広瀬先輩―、田中さんのことフッたんですってー」
翌日の朝開口一番千里ちゃんが突っ込んできた。え、なんで?まさか田中さんが喋ったの?自分が振られた話を?私が呆然としていると、
「もう社内はその噂でもちきりですよー、広瀬先輩やるー、でも先輩に彼氏さんがいるなんて知りませんでしたよー」
千里ちゃんが追い打ちをかけてくる。そんなことまでバレてるの!?
「ち、千里ちゃん、それは…」
言いかけたところでデスクの電話が鳴った。慌ててそれを取ると田中さんからだった。
「ああ広瀬さん?出てくれてよかった。ひょっとして噂のこと耳に入った?」
「は、はい」
「本当にごめん、誓って俺は誰にも話していないんだけれど、昨夜誰かに見られていたみたいで…営業フロアには自分一人だと思って油断した」
田中さんは謝ってくれた。自分の方が恥ずかしいはずなのに、私の心配までしてくれる優しい人だ。それにしても人のプライバシーをベラベラ喋るとは、とんだ不届き者がいたものだ。
「何か言われるかもしれないけれど、適当にスルーしてくれていいから。本当に迷惑かけてすまない」
電話はそれで終わったが…「適当にスルー」って…どうすりゃいいのよ。そんな高等技術、持ち合わせてないわよ。すでに千里ちゃんに突っ込まれてるし。朝のロッカー室でもなんだか視線が痛いと感じていたが、こういうことだったのか…
それからしばらくの間針の筵の日々が続いた。田中さんに振られた美女たちは私を仇のような眼で見てくる。聞こえよがしに嫌味も言われる。千里ちゃんは毎日のように
「ねえねえ、先輩の彼氏さんてどんな人ですかぁ、写真見せて下さいよー」
と、攻撃してくる。千里ちゃんは噂の出た後も変わらずに接してくれているから、それはありがたいんだけど…でも写真なんてあるかい。彼氏なんていないんだから。もういっそ暁人の写真でも見せておくか。しかしウソにウソを重ねるとロクなことにはならない。実央君にもなんだか悪い。まあ女子の嫉妬なんて次の話題ができれば自然に消えていくだろうと思っていたところ、意外な人から意外な反応をされた。
経理の水無瀬さんだ。もともとそれ程接点はないが、それでも経理には出入りすることがある。以前は感じよく対応してくれていたのだが、最近何故か風当たりが強くなった…ような気がする。いや冷たくなった、かな?千里ちゃんに聞いても
「水無瀬さんですかぁ?別に前と変わらないですけれどー、何かあったんですかー?」
と言われてしまった。私にだけ? 何で?………ひょっとして、あれか?
―綾乃の妄想―
水無瀬の心中=俺の大事な田中を振って傷つけたあの女が許せない。俺がなりたくてもなれない田中の恋人のポジションを拒否しただと。自分がどれだけ恵まれているのかわかっていないのか。いくら俺が田中を慰めたってそれは、友人としての行為としか受け取られないのに。あんな女は忘れろ、田中。俺の方が田中のことをわかっている、想っている。この気持ちをお前に告げることができたなら…
―綾乃の妄想終わりー
「広瀬センパーイ、またトリップしてますよー」
千里ちゃんの声に現実に戻された。いかんいかん、職場での妄想は一切封印すると決めたのに。水無瀬さんは友人として田中さんに悲しい思いをさせた私が許せないだけなのだ、多分。
「ねえねえ先輩知ってますー?大阪支社からー営業部に新しい男性社員が配属されたんですよー」
千里ちゃんが新しい話題を振ってきたが、
「へー、そう」
私は気のない返事をした。営業部は当分鬼門だ。
「新卒入社の2年目でまだ若い人なんですけどー、カワイイらしくて『わんこみたい』って女子社員の間で評判なんですよー」
…若い…かわいい…わんこ…年下わんこ…
「田中さんとは違うタイプらしいですけどー、人気を二分するんじゃないかってー早くも話題になってるみたいなんですよー」
新人…年下わんこ…私の脳裏に甲斐甲斐しく新人教育をする田中さんの姿と、それを複雑な面持ちで見つめる水無瀬さんの画像が浮かんでしまった。
「先輩―、聞いてますー?」
「千里ちゃん」
私は千里ちゃんの問いには答えず、
「私ちょっと庶務に用事があるから」
くるりと方向展開して歩き出した。
「庶務ですかぁ?って広瀬先輩庶務課はそっちじゃー…」
千里ちゃんの声を後ろに私は進んだ。頭の上で
「ダメよ綾乃、腐女子目線は封印したんでしょう?」
と囁く天使と、
「行け行け綾乃、新しい妄想対象を確認しに行け」
と唆す悪魔の姿の幻覚が見えた。よく漫画やアニメで見るあの場面だ。まさかあれが私の頭上に降りてこようとは。
(職場での腐女子目線は封印、禁止。封印、禁止…)
何度も何度も心の中で繰り返したが、田中さんと会う気まずさをものともせず、私の足は一路営業部へ向かっていた。
終わり
最初の方は時系列的に前作と被っていますが、ほぼ新しいストーリーです。楽しんで頂けたら幸いです。




