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過去を踏む

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 うーむ……この年末になると、仕事のデータも煮詰まってくるなあ。

 単に行き詰まりってニュアンスじゃあない。いよいよ量が増えてきて、みんなのこの一年の取り組みが見えてくるというか。

 この一年もいろいろあったが、この結果はそれの積み重ねといえる。ご褒美もツケもこの中にみっちり溜まっているわけだ。

 人間、良いところよりも悪いところのほうが目につきがちなものだ。損失回避バイアスに近いかもね。

 確実な利益はたとえほんのちょっぴりでも欲しいけど、損失に関してはたとえリスクを含むバクチになったとしても、チャラになる可能性があるならそこに賭けがち……買ったときに損をせずに済むからだ。このバイアスがために勝負どころを誤りがちにもなる。

 ……あ、そうだ。その損失を恐れることに関して、少し前に奇妙な話を耳にしたんだよ。つぶらやくんの好きそうなタイプかもしれない。

 ひと区切りついたタイミングだし、ちょっと聞いてみないかい?


「塩漬け」という概念は、君も知っているだろう。

 株、土地、芸術品などなど、本来は活用されるべきものが死蔵されている状態のことだ。あるいは様々な利権がからんだり、当初の計画がとん挫してしまって下手に運用できなくなったりしてしまったパターンか……。

 大きな組織だとなかなか大変だが、個人レベルでも同じように塩漬けしているパターンというのは往々にしてあるだろう。

 含み損をしている現状でも、時間が経ったならば事態が好転し、損失をチャラに。あるいは利益へ転じさせることができるかもしれない。この期待を捨てることができるなら、間違いなくレベルが高い御仁……というのが私の印象だな。

 そして私の友人にもひとり、塩漬けと呼んでいいか分からないが、とあるものを大事に持ち続けている人がいたんだ。


 彼の持っているものはカード。

 クレジットカードとか、そこまでじかにお金へ直結させるシリアスなものではなく、トレーディングカードの類だったようだ。

 ずっと昔に、友達から誘われてはじめたらしいのだが、ここのところめっきりやる相手もいなくなってしまったようでね。いずれも絶版ものらしく、今に至るまで新しく刷られているものはないらしい。

 ゆえに売ればそれなりの値がつく、と彼は話していたんだが、手元に置いておきたいのだそうだ。もっと高い値で売れるだろう、そのときを待つのだと話していた。

 私であれば、あまりカードに思い入れがあるわけでもないし、おそらくすぐに売ってしまうところだろうが、そこは彼自身になってみないと心のうちまでは分からない。

 高くなるまで待つ、というのは方便で思い出を手放したくない、という線もあるかもだが……彼としては想定外のことが起こった。


 その日、彼は久しぶりにカードをいつもしまっている押し入れの奥から引っ張り出してきたのだそうだ。

 集めたものをときおり眺める、というのはコレクターにとっては至福のときといえよう。

 いずれも頑丈なカードスリーブに入れており、皮脂をはじめとした汚れはカバーしている。それでもってため込んでいたカードの一枚一枚を眺めては、悦にひたっていたらしいのだが。

 ちょうど、地震があった。

 極端に大きなものではなかったが、タンスの上からものを落とすには十分な揺れだったらしい。

 このとき、並べていたカードたちの上へ落ちてきたのは、学生時代に友達が部活動でとったトロフィーだったらしい。小さく、片手でも持ち運べるほどのサイズだったが、散らばっていたカードの一角を強襲し、カードを破るには十分な圧力だったようだ。

 このとき被害に遭ったカードは、幸いにも値が安いものたちだったらしく、友達のもくろみからしてみれば打撃というほどではなかったようだ……が。


 ――思い出せない。


 友達はそのカードをいつ手に入れたのか、とたんに思い出せなくなってしまったらしい。

 友達は物覚えのいいほうで、その集めたカードたちが少なくとも何年の何月ごろに入手したものだかを把握していたそうなんだ。

 それがトロフィーによって破損したものたちについては、その瞬間からど忘れしてしまい、どうしても思い出せなくなってしまったとか。

 やむなく破損したカードたちは処分したんだが……それ以降、彼のコレクションはどんどんと傷ついていくことになる。


 どこへしまい込んでも、自分以外の誰が触っているはずもないのに、だ。

 それを察するのは、例のど忘れ。カードがらみでないものに関してもだ。

 記憶が消えていく。あのとき、なにがあったのかが的確に思い出せなくなっていく。はじめのうちはカードがかかわると思わず、正体が読めなかった。

 けれど、とっておいたカードたちを今一度見やって悟る。厳重なスリーブで守られていたはずの彼らの一部に虫食いらしい穴が空いていることを。それが時間とともに、他のカードにまで及んでいくのを。

 彼はまだ無事なカードたちを引っ張り出すと、家の中ではないどこかへ、こっそり埋めにいったのだと話していた。場所は私も教えてもらっていない。

 事あるごとに、友達はカードのことを思い出せるか確かめているようだ。けれども、あの失ったカードのことはそれだけにとどまらず、おそらくはその手にした近辺の時期の記憶もどんどんとなくなっているとのこと。

 友達は日記をつけているようだが、いつしかすべてを思い出せなくなって、その日記も自分のものだと思えなくなってしまうのではないか。塩漬けしていた過去が足元を崩していってしまわないか、不安だとね。

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