舞台を移しただけだった
私の手首を先生がそっと握っている。
「まず、身体の中の魔力に意識を巡らせましょう。目を閉じて、私の流す魔力を追ってみて。……そう、上手ですよ」
グルグルと私の指先から身体中の隅々に至るまで流れるものを追う。これが魔力……。
やがて先生が私の手首を離すも、もう魔力の流れは掴めていた。
「……意識できていますね。では指先の魔力を意識して、好きな色のついた小さな塊を想像しましょう。“魔力よ固まれ”と」
「……“魔力よ固まれ”」
ころん。
手のひらに何かが転がる感触に、私はそっと目を開ける。
晴れた青空のような美しい青色の小石がそこにあった。
「で……できたぁ!」
初めてできた魔法の力に私ははしゃいだ。
なにしろ“前世”じゃ魔法なんて存在しなかっ──あれ?
なんの脈絡もなく出てきた単語に違和感を覚えた途端、私は倒れた。
それから私は3日間、高熱にうなされながらとある人生の記憶を走馬灯のように夢の中で駆け巡らされ。
「うわーめんどくせー……」
ようやく熱が下がった私の第一声がそれだった。
剣と魔法の世界のとある王国の男爵令嬢に転生した、とでもいうのだろうか。
使用人が部屋からいなくなり1人になったところで、頭の後ろで手を組みさらに足も組むという令嬢らしからぬポーズをベッドの上でとった。宙ぶらりんの足先をぶらぶら揺らして考える。
前世では一般家庭に育ちまあまあ平凡な生活を送っていたと思う。だけど随所で早送りをした前世の走馬灯は25歳の誕生日まで進んだあたりで急にぶつりと終わったために死因は不明という中途半端さで終わっている。なんで蘇った。
とりあえずファンタジーは大好きだったので剣と魔法の世界に対する受け入れは早かったしなんなら喜びもあったが、男爵令嬢か、と足先をくるくる回した。
ヒロインざまぁものも好んでいたので、まさかそういうパターンかとも思えたのである。
なにせそれを否定できない程度には今世の自分の顔が愛らしいものである自覚があったので。それっぽいピンクブロンドだしねー。記憶が戻った今となっては複雑だけど。
今のところ、今いる王国の名前は前世で覚えのない名前だと思う。近隣の国も自分の名前もだ。だけど私がまだ読んでない作品の可能性は大いにあるし、最悪ここが乙女ゲームの世界の可能性だってある。あいにくゲームの方は手をつけた事がないので。
原作さえ分かれば多少は楽できたのにと思わないでもないけど……いや、わかったからといって上手くやれる保証もないか。
つま先をぐっぱぐっぱと動かしながら考える。
前世の記憶が蘇ったことで、それまで持っていた感覚に前世の私がNOを突きつけている。
その最たるものが結婚観である。
それまではなんとなく「いつかどこかの家に嫁いで愛を育んで子どもを授かって……」なんて考えていたが、おひとり様が大好きだった前世の私が「ちょっと待て」と騒ぎ出すのだ。前世の両親、お世辞にも仲がいいとは言えなかったので。
今世の両親は仲がいいのでまだマシだと思うけど、結婚に関してはもう少し考え直せと前世の私が警告を出した。そういうことにしておこう。
ただ、じゃあ何をする? という話である。
前世の記憶を元に商売でも始める? 無理無理、そんな才は前世も今世も持ち合わせていない。領地経営も同上。というか兄いるし。仲良いし。なにかの間違いで目立ってお家騒動勃発なんてまっぴらごめんだ。
じゃあやっぱり従来通り学園に入って勉強しつつ婚約者探し? やれないことはないんだろうけど前世的にはなんだかなー。おひとり様楽しかったし。
お城の使用人になってお仕事三昧のおひとり様生活する? それだと前世とあまり変わりなくない? せっかくなら違う人生歩んだ方が楽しいよね。
うーん、と伸びをしたところで、枕元に何か硬いものが転がっていることに気づいて手に取った。
それは3日前に家庭教師から教わってできた、あの魔力の塊だった。
きらきら光る、青い魔力の塊。
前世でも今世でも──いや、むしろ前世がああいう世界だったからこそ──私は魔法というものが好きだ。
その証たる現物が手の中にある。
そこで私はふと先生から聞いた話を思い出し、はっと飛び起きた。
それを言った当時はおそらく褒め言葉の一種として、本気で言ってくれてたわけではないだろうけど。今の私は前世の記憶のおかげかある程度思考を補助してくれる。
そんな今の私なら、もっと高みを目指せる。
だったら好きなようにしてしまえ、と前世の私が囁いた。
2年後。
私は王城のある一室に足を踏み入れた。
すでに部屋には何人かの同年の子が座っている。
今日はここで入学説明会が行われるのだ。
といっても入学するのはこの国の学園ではなく、隣国の帝国にある学院の方。
王城で試験を受け、一定の優秀な成績を示した子女らがより高みを目指すために集団留学をする。
留学中の生活は指定の館で共同生活という形になるということで、その説明も兼ねたものだ。
椅子の数から察するに、今年の留学者は私含めて12人。
ただ、座席は男女別に固められているらしく、女子席だろう塊は二脚しかなかった。
既に座っていた一人の隣に私は歩いていく。
「お隣、失礼いたします」
そっと声がけして着席。
なぜか二度見された気配がして改めて顔を向ければ、ややつり目の美少女と目が合った。
「……ええと?」
「ああ、ごめんなさい。知り合いと見間違えたの」
たおやかな声をしたその人は申し訳なさそうに眉を下げて微笑んだ。なるほど、二度見するほど似ている人がいたのかと納得した。世界には同じ顔が3人いるってね。
流れで自己紹介を始めると、なんと彼女は公爵家の長女だった。大変な失礼をと慌てる私に、『お互い初対面だもの、これから共に学ぶ同郷の仲間としてよろしくね』と笑いかけるその姿は女神様かと思った。
説明会開始までまだ時間があるので会話が続く。
「貴女はどうして帝国の学院に?」
彼女からの質問に私は姿勢を正した。なんだか彼女の面接を受けてる気分だ。
「“魔法”そのものに興味があるんです。あちらの魔法技術学科に進めばこの国の学園に通うよりも専門的な知識が学べるとのことで、どうせならと」
学院は6年制で、3年目から学科ごとに分けられ、さらに5年目にはコース選択がある。
「まあ、それは素晴らしい向上心ですわね。では将来はあちらの魔法研究所に?」
「そこまでは決めかねております。理論だけでなく実践も重視しておりますので、己の実力も踏まえて魔法騎士の道も考えられたらと」
「確かに魔法技術学科は騎士育成コースなどもございますものね。どちらを選んでも良き学びが得られそうですわね」
「はい!」
「ふふ……ちなみにわたくしはあちらの領地経営学科の議会運営コースを目指す予定ですわ。公爵領の運営がより円滑になるよう、あちらで採用されている議会制度をこの国に取り入れられないかと」
ここで言葉をきった彼女は私に内緒話をするように口元に手を添え。
「──そのついでに婿を探してこい、ともね」
「まあ」
くすくすと笑いあっていると、担当らしき人が入ってきた。
私と彼女は改めて姿勢を正し、入学までの説明を聞いたのだった。
説明会が終了して別れる際、何かあれば互いに相談しましょうと笑う彼女は美しすぎて女神様だった。
それからしばらく。というか入学して3日目。
おかしい、と首を傾げた。
おかしいのだ。エンカウントの内訳が。
初日の入学式。1学年上だという皇太子から他国からの入学生への挨拶と称して一人ひとりお声がけくださった。それはまあいい。握手されたときに顔を覗き込まれて『ちょっと距離ちけーなぁ』と思わんでもなかったけど。
それから入学式直後に出会ったのは、やはり1学年上だという騎士科首席で近衛騎士輩出家系の嫡男。皇太子経由の紹介なのでこれもまあありかな。肩をぽんぽんされたのはやっぱり距離近い気がしたけど。ちょっと不快な力加減だった。
翌日。同級生同士の自己紹介となったときに公爵家嫡男がいると知る。しかも隣の席。偶然かなと思った。ただ、よろしくと笑いかけられる瞳から妙に圧を感じて怖いと思った。虎っぽくて。
さらに宰相家系の次男も同級生。席は斜め後ろ。そんなことある?と流石に思った。同じく妙な圧の視線がちょっと怖かった。こっちは蛇っぽかった。
次は本国でもよく知られる大商会のご長男。別のクラスなのだけど、なぜか学院の食堂で隣に座ってきた。自由席で最初はまだ不慣れだからと本国のみんな(これは先輩らも含まれる)と固まっていたにも関わらず。取引のある国の方々にご挨拶をと言っていたけど、だったら男の隣で良かろうに。
しかも午後の授業後には例の皇太子と近衛騎士嫡男に絡まれた。あれは絡まれたと言っていいと思う。
そして3日目の今日。合同授業ということで隣のクラスと一緒に魔法の実践授業をする際に魔法研究所の所長子息とペアになった。試験成績優秀者同士らしい。まじで?である。勢いあるマシンガントークにクタクタになって、今後もこのペアはちょっと勘弁して欲しいと思ったなど。
極めつけは2つ隣のクラスの第二皇子だ。これは本当に偶然なのだけど、すれ違いざまに小さなペンダントを落としたのを見つけて声をかけたところその相手が、という物語もかくやという出会いっぷりだった。それが亡き母の形見だと聞いた時の私の感想たるや。
……とまあこんな感じで、やたら有名どころな男性と知り合うことが連続した。女性の場合は男爵位から伯爵位が多く、それだってまだ知り合った程度で会話も少ないというのに、会話の長さでいえば男性相手の方が圧倒的に多い状態だ。偶然だと片付けるには流石にエンカウントがすぎるんじゃなかろうか。
ちなみにクラス数は多く、このクラスの本国出身は私1人だけだ。公爵令嬢の彼女とは教室が3つも離れたクラスで、授業間ではすれ違いも難しかった。本国の男性はなぜか微妙に距離あるし……。
あの入学説明会で言っていただいたこともあり、私は公爵令嬢の彼女に相談することにした。留学中お世話になっている館のメイドさんに、時間を取ってくれるように伝言を頼んだのだ。
幸いにも彼女は同じくらいの時間帯に帰ってきていたらしく、今からでもいらっしゃいとお誘いがあったので遠慮なく訪れた。ほんと女神様。
学院生活は楽しめそう?と柔らかく微笑まれる彼女に対し、私はあけすけに現状を伝えた。この3日で高名な男性と知り合うことが多いこと、令嬢より子息との会話の方が長いこと、自意識過剰であればそれでいいがやたら物理的距離が近く感じること、本国のみんなに壁を感じることなどなどなど……。
彼女はそれはそれは真剣に私の話を聴いてくれた。気にしすぎと笑うこともせず、かといって大変ねと同情するわけでもなく、ただ私の話に何かを見出すように。
私自身、これは相談というよりも自分の中で感じる違和感を誰かに話したかっただけのような気がしてきて、話し終わったころにはちょっとスッキリした。何も解決してないけど。
喉を潤すためにぬるくなった紅茶を一口飲んでから改めて彼女を伺うと、何か考え込むように視線を遠くに投げられていた。
その姿もやっぱり美人すぎて女神様だなぁと思いながらも首を傾げると、ああごめんなさいと謝られた。
「いえ、謝られるほどのことでは。……私の話に何か心当たりが?」
「いえ……けど、そうね……そこまでとなると……」
彼女は悩ましげにため息をついた。美人の憂い顔とか眼福……とか思ってる場合じゃないんだけど。
ちなみに彼女の方は一緒に出会っていた初日の2人と大商会長男を除き、そんなに珍しい出会いは少なかったというのでやっぱり何かおかしいと思う。公爵令嬢の彼女ならともかくなんでしがない男爵令嬢の私なんだ。勘弁してくれ。
そう思ってもう一度ぬるい紅茶を飲んだところ、彼女から意を決したように見つめられて。
「……“乙女ゲーム”ってわかるかしら?」
うせやん、と久々の日本語でこぼした私が憐れな目で見つめられた。誠に遺憾である。
話を要約すると。
本来私は本国の学園でヒロインとして、彼女はその悪役令嬢(同い年の第二王子の婚約者)として入学するはずだった。
しかし彼女は婚約成立前に記憶を取り戻し、辞退。巻き込まれを危惧して舞台から離れるため、優秀な婿を他国から探すという名目で帝国の学院に入学することを決めたとか。
その説明会でヒロインと鉢合わせするなんて大誤算にも程があっただろう。会話するなかで無害だと感じた時はたいそう胸を撫で下ろしたそう。
とはいえ、私がヒロイン、彼女は悪役令嬢。
よもや何かが起きるのではと密かに警戒していたところに私が相談を持ってきたのである。
ひぃぇ、と奇声をこぼす私を尻目に彼女は優雅に紅茶を一口。しょさきれい。
「続編が出ていたのかもしれないわね」
「それつまり対象者も地雷もノーヒントってことじゃないですかーやだー! 回避したい!」
「ヒロインなんだからよりどりみどりでいいじゃない」
「恋愛したくて留学した訳じゃないんですよ??」
「魔法研究所の所長子息なんてちょうどいいでしょう?」
「クチャラーは無理」
「…………」
どうみても厄介事の気配しかない学院生活の幕開けを知り、頭を抱えた。
いいことといえばこれを機に女神様の彼女とより親密になれたことだよチキショーメー!!




