第五話 王都への帰還 ― 禁呪研究院の闇 ―
夜明けの霧が晴れ、ミストハウンドの街を一筋の光が貫いた。
馬車の車輪が静かに回り出す。
その荷台には、僕とリリア、そして査察官セオドールの姿があった。
「……本当に行くのか、レント。」
リリアの問いに、僕は小さくうなずいた。
「避けてばかりじゃ、何も変わらない。
“禁呪”という言葉に、僕自身が向き合うときが来たんだ。」
セオドールが隣で腕を組む。
「王都に入れば、研究院の目は確実にお前を捉える。
覚悟しておけ。」
「大丈夫です。リリアがいますから。」
「ふっ、そんな軽口を叩けるのも今のうちだぞ。」
リリアは微笑みながらも、腰の剣を軽く叩いた。
「この剣で、あの傲慢な勇者の鼻を明かしてやるわ。」
――僕たちの目的は三つ。
一つ、王都研究院が進める“禁呪兵器計画”の実態を暴くこと。
二つ、勇者アレスの背後にいる黒幕を突き止めること。
三つ、僕の力が“呪い”なのか、それとも“救い”なのかを確かめること。
馬車が揺れる中、僕は心の奥底で静かに誓った。
◇◇◇
王都。
かつて僕が追放された街が、目の前に広がっていた。
高くそびえる白い城壁、整然とした街路、煌びやかな尖塔。
だが、その美しさの裏に、かすかな“腐臭”が漂っているように感じた。
「……懐かしいな。」
「帰ってきたのね、レント。」
「ええ。でも、もう昔の僕じゃない。」
門をくぐると、城下の人々が噂を囁くのが聞こえた。
「見ろ、あれ……! 王女殿下が生きている……?」
「隣の男は……呪術師のレントだ!?」
僕たちはすぐに視線の的となった。
セオドールが小声で言う。
「目立ちすぎるな。研究院の耳は早い。」
僕たちは王都の中央区――かつて僕が助手として働いていた
王立呪術研究院 へと足を運んだ。
だが、そこはすでに“学問の場”ではなかった。
警備兵が立ち並び、重厚な扉には封印式の紋章が刻まれている。
そして、研究院の中央には、見覚えのある顔が立っていた。
「――よく来たな、レント。」
聖剣の輝きを背に、勇者アレスが笑っていた。
その隣には、白衣をまとった賢者ソフィア、そして聖騎士ライオネル。
彼らの姿はあの日と変わらない。
ただ一つ、目の奥に“狂気”の光が宿っていた。
「ようやく戻ってきたか、呪術師。
お前の力、今度は正しく使ってやる。」
「……正しく?」僕は眉をひそめた。
「人を救うためじゃない。呪いを兵器にするためか。」
アレスは薄く笑い、聖剣を地面に突き立てた。
「そうだ。“呪いを制御できる者”を我々の手に置けば、
魔王討伐は完全だ。
王国は安泰。お前も名誉を取り戻せるぞ。」
「そんなものに興味はない。」
僕の言葉に、ソフィアが鼻で笑う。
「相変わらず理想主義ね。
あなたの“解呪式”の理論は、すでに私たちの手の中よ。
万能聖水は、あなたの研究成果を基に改良した“禁呪媒介液”。
それを飲ませた兵士たちは、呪いを受けても死なない。」
「……つまり、“呪いを耐性化した兵士”を作っているのか。」
「ええ。そしてその次は、“呪いを使う兵士”。
あなたの術式を再現すれば、王国は無敵になる。」
リリアが剣を抜いた。
「そんな歪んだ力で国を支えるなど、恥だわ!」
「王女殿下、あなたはもう王族ではない。」
ライオネルが盾を構える。
「我らは“新しい秩序”を築くのだ。」
アレスが剣を抜く。
「レント。もう一度言う。俺たちと共に来い。
お前の呪術を、俺の聖剣に宿せ。
“呪いを喰らう勇者”――それが俺の新しい名だ。」
「……断る。」
僕は静かに右手を掲げた。
淡い光が掌から広がる。
「《反転結界》。」
床に走る魔法陣が輝き、アレスたちの魔力の流れを逆転させた。
聖剣が鈍く鳴り、ソフィアの杖が火花を散らす。
「なっ……! 私の魔力が……暴走して……!」
「貴様、何を――!」
「君たちは勘違いしてる。
“呪い”は破壊の力じゃない。
世界の歪みを正すための――“祈り”なんだ。」
リリアが剣を振るい、セオドールが短剣で兵士を制する。
研究院の中央ホールは光と影に包まれ、
天井の封印紋が崩れ落ちていく。
アレスが叫ぶ。
「貴様ぁっ、俺の理想を否定するなぁっ!!」
聖剣が闇を纏い、黒く染まる。
それはまるで、彼自身が呪いに喰われていくようだった。
僕は目を閉じ、静かに詠唱を始める。
――《大呪術・解律詠唱》
“汝、因果を縫う糸なり。
滅することなく、ただ還れ。”
光が爆ぜ、闇を包み込む。
アレスの叫びが遠ざかり、ソフィアとライオネルの姿が霞んでいく。
やがて、すべてが静寂に包まれた。
◇◇◇
気がつくと、僕は瓦礫の中に座り込んでいた。
リリアがそっと肩に手を置く。
「……終わったの?」
「ええ。研究院の禁呪は、これで封じた。」
セオドールが息をつきながら立ち上がる。
「勇者アレスは……?」
「まだ生きている。けれど、“呪いを喰らう者”として、
人ではなくなったかもしれません。」
沈黙。
リリアが空を見上げた。
夜明けの光が、崩れた研究院の屋根から差し込んでいた。
「……レント。あなたはやっぱり、呪術師なんかじゃないわ。」
「え?」
「人を救う“祈りの魔術師”。そう呼ぶべきよ。」
僕は苦笑して、肩をすくめた。
「それだと、ちょっと格好良すぎますね。」
リリアが微笑む。
「でも、似合ってる。」
――こうして、僕とリリアの旅は新たな段階へ進む。
王都の闇を越え、次に向かうのは北方の古代遺跡。
そこに、“呪い”の起源が眠っているという。
そして、僕たちの“スローライフ”は、また少しだけ騒がしくなるのだった。




