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第三話 王都に蠢く影、そして“止まり木”の新たな客

その日、ミストハウンドの朝は霧が濃かった。

湖面から立ちのぼる白い靄が街全体を包み、世界の輪郭を曖昧にしている。


店の前の小道を掃除していると、リリアが店の裏口から顔を出した。

白いエプロン姿のまま、銀髪に朝日を浴びて輝いている。


「レント、今朝のハーブティー、配合を少し変えてみた。試してみろ。」

「ありがとうございます。……おお、香りが柔らかい。ペパーミントを少し減らしましたね?」

「よく分かったな。お前、味覚も繊細だな。」


「呪術師は感覚が命なんです。魔力の流れも、味も、香りも似たようなものですよ。」

そんな会話をしながら、いつものように“止まり木”は開店準備を進めていた。


だが――この日だけは、少し違っていた。



昼過ぎ。

店の扉をくぐったのは、旅装束の青年だった。

くすんだローブに身を包み、長い杖を携えている。

一見すれば旅の魔法使いだが、その目はどこか鋭い。


「いらっしゃいませ。お席はこちらへどうぞ。」

リリアが声をかけると、男は軽く頭を下げて席に着いた。


「……ここが“どんな呪いでも解く”と噂の店、で間違いないかな?」

「はい。解呪と薬草、あとカフェをやっております。」


青年は無言で懐から黒い結晶を取り出した。

その表面には、細かいルーン文字のような紋様が刻まれている。


「これを見てほしい。」


受け取った瞬間、僕は息を呑んだ。

――ただの呪具じゃない。これは、“人の魂”を閉じ込めた封呪石。

それも、術式構造が王都の呪術体系に酷似している。


「どこでこれを?」

「……王都だ。」青年が低く答えた。

「最近、王都の南区で“原因不明の昏睡病”が流行っている。

意識を失った者のそばには、必ずこの石が残されている。」


僕は目を細めた。

昏睡……魂封呪……。

これは偶然じゃない。


「この呪術、知っている。

かつて王都の“魔導研究院”が極秘に行っていた実験のひとつだ。

“魂を媒体に魔力を永続供給する術式”。

人の命を燃料にする――禁忌の術です。」


青年の顔に険しい影が走った。

「やはり、そうか。

俺の妹がその被害者だ。意識が戻らないまま、今も王都の病室に眠っている。

頼む、あんたなら……助けられるか?」


沈黙が落ちた。

リリアが静かに僕を見つめている。


僕はゆっくりと頷いた。

「……可能です。ただし、時間がかかる。

それに――この呪いを解けば、術をかけた者の痕跡が“逆流”してくるでしょう。

つまり、王都側に僕の存在が知られます。」


リリアが一歩前に出る。

「その時は、私が守る。」

短く、強い言葉だった。


僕は微笑んで頷く。

「分かりました。では、やってみましょう。」



僕は封呪石をテーブルに置き、魔法陣を展開する。

淡い紫の光がゆらめき、空気がぴんと張り詰める。


「――《魂還(ソウル・リコール)》」


封じられた魂に向けて、僕の魔力が糸のように伸びる。

そこには、無数の苦悶の声が渦巻いていた。

「痛い」「戻れない」「寒い」……。


普通の解呪士なら、この時点で精神を壊される。

だが、僕はそれを知っている。

これは“魂の痛み”ではなく、“術式の歪み”が生む幻覚だ。


僕は因果の層を一枚ずつ剥がし取り、中心に封じられた“核”に触れる。

その瞬間――封呪石が激しく震え、空気が爆ぜた。


「レントっ!」

リリアが即座に剣を抜き、魔力障壁を展開する。

しかし、僕は手をかざして制した。


「大丈夫……見えました。」


封呪石の中心には、赤い紋章が浮かんでいる。

――“王国紋章術式・第十三号”。

それは、王国直属の呪術研究班しか使えないもの。


「まさか……王家が関わっている……?」

リリアの瞳が揺れる。


僕は静かに呟いた。

「おそらく、“誰か”がこの術を流用している。

だが、これを解けば――被害者の魂は戻せる。」


《解呪・律式転写》。

僕の魔力が結晶を包み、紅い光が弾けた。

パリン――と音を立てて、封呪石が砕け散る。


その瞬間、青年の杖が淡く光り、

彼の手の中から柔らかな光が生まれた。


「……妹の……声だ。」

震える声で彼が呟く。

「“お兄ちゃん……寒くない……”って……」


僕は静かに頷く。

「成功です。魂は肉体へ戻るはず。今夜には目を覚ますでしょう。」


青年は何度も礼を言い、涙を浮かべながら店を後にした。

リリアはその背を見送りながら、小さく息を吐いた。


「……人を救う呪術。皮肉なものだな。」

「呪いも、使い方次第ですから。」


僕は微笑んでカップを取り、少し冷めた紅茶を口に含んだ。

その香りが、ほんの少しだけ苦く感じたのは気のせいではなかった。



――同じ頃、王都。


魔導研究院の地下。

暗い部屋の中で、白衣の男が砕け散った封呪石の欠片を見つめていた。


「……反応が消えた? まさか、誰かが解いたのか……?」


彼は唇を歪め、黒い手帳を開く。

そこには、赤い文字でこう書かれていた。


《対象No.0──レント・アシュフィールド。要再捕捉。》


男は不気味に笑った。

「やはり、生きていたか。……“大呪術師”レント。」


夜。

“止まり木”の窓にランプの灯が揺れている。

リリアがカウンターで食器を拭きながら、ふと僕に尋ねた。


「レント、今日の客……危険じゃないのか?」

「ええ。でも、放ってはおけません。」


「……お前は不思議な奴だ。

追放されてもなお、人のために動けるなんて。」


僕は少し笑って肩をすくめた。

「ただ、放っておけないだけですよ。

それに、僕には“守る人”ができましたから。」


リリアは一瞬きょとんとして、少しだけ頬を赤らめた。

「そ、そうか。なら……私も全力で守ろう。

この店も、お前も。」


夜風が、静かにカーテンを揺らした。

遠く王都の方角で、誰かの陰謀が動き始めていることを、

この時の僕たちはまだ知らなかった。


――そして、“止まり木”に、新たな運命が訪れるのは、もうすぐのことだった。

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