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第二話 剣聖姫、ウェイトレスになる

翌朝。

目を覚ますと、部屋の隅に置いていた椅子の上に、銀の鎧が整然と並べられていた。

昨日、解呪したばかりのリリア――いや、リリアーナ王女の装備だ。

彼女の姿は見えない。朝の光が差し込む静かな室内に、香ばしいパンの香りが漂っていた。


「……これは、まさか。」


僕が階下へ降りると、そこにはエプロン姿のリリアがいた。

白銀の髪を後ろでまとめ、真剣な顔でフライパンを振っている。

見事な手際で卵を焼き上げる姿は、まるで戦場で剣を振るう時のように無駄がない。


「おはよう、レント。

借りを返すと言った以上、私はもう“客”ではない。まずは働かせてもらう。」


「は、はあ……ありがとうございます。でも、その、いきなり料理とは……」


「王城では、戦時食を自ら調理していた。

保存食の扱いも心得ている。お前の店の台所、整理が必要だったからな。」


確かに、僕の店の台所は物が散らかっていた。

薬草、瓶、古文書の紙片……。

「呪術師の研究室」としての癖が抜けず、店としては少し雑多だったのだ。


彼女はそれを一晩で整理し、見違えるように整えていた。

整頓された棚、湯気の立つスープ、そして焼き立てのパン。

完璧すぎて、少し怖い。


「……すごいですね。王女様なのに、働くのが全然嫌じゃないんですか?」


「“王女様”などという呼び方はやめろ。

私はもう王家に捨てられた女だ。それに――」

リリアは少し微笑んだ。

「何もせずに守られているより、何かを作って誰かを笑顔にできる方が、ずっと楽しい。」


その言葉に、僕の胸が少しだけ温かくなった。



午前中。

店の看板を出してすぐ、近所の農夫や旅人たちが立ち寄ってくる。

ミストハウンドは街道の宿場町でもあるため、昼時には意外と賑わうのだ。


「レント先生、うちの牛がまた呪いにかかったみたいでなぁ」

「はいはい、呪いじゃなくて泥熱です。薬草を煎じて三日分……」


そんなやりとりをしている間、リリアは店内で給仕を始めていた。

初めてとは思えないほど手際が良く、声もよく通る。

その立ち姿はまさに“剣聖姫”の名にふさわしく、客たちは皆、ぽかんと見とれていた。


「いらっしゃいませ。本日のおすすめはハーブティーと蜂蜜パンケーキです」

「な、なんと麗しい……! こ、これが噂の“止まり木の天使”か!」


その言葉にリリアの頬がわずかに赤く染まる。

だが、次の瞬間――。


「……失礼。天使ではなく、ただの従業員だ。」

と、真顔で返すものだから、客たちの方が照れてしまった。



昼の営業がひと段落し、二人でまかないを食べているとき。

リリアがふと、静かに呟いた。


「……この街は、穏やかだな。」


「ええ。魔物も少ないし、人も優しい。戦いのない場所です。」


「戦いのない世界、か……」

彼女の瞳が遠くを見つめる。

「私は剣と呪いにすべてを奪われた。

けれど、こうして穏やかに過ごす日が来るとは思わなかった。

お前に会えて、本当に良かった。」


「……そんな、もったいないお言葉ですよ。」

僕は照れくさく笑いながら、紅茶を注ぎ足した。


だが、その穏やかな時間を切り裂くように――

店のドアが、乱暴に開かれた。


ガシャンッ!


「ここが“呪いを解く”って噂の店か!」

土埃にまみれた男が数人、ずかずかと入ってくる。

腰には粗末な剣。明らかに旅人というより、荒くれ者の類だ。


「いらっしゃいませ……ご用件は?」

僕が穏やかに声をかけると、男のひとりがテーブルを叩いた。


「俺の仲間が呪われたんだ! 早く解け! 今すぐだ!」

「順番があります。お名前と症状を――」

「うるせぇ! モタモタしてたら死ぬんだよ!」


彼らの背後には、苦しげにうずくまる男が一人。

体中に黒い紋様が浮かび上がり、皮膚の下で蠢いている。

これは……。


「呪印症ですね。しかも、魔獣系の呪毒を混ぜられてる。」

僕が冷静に言うと、リリアがすぐに動いた。

剣を抜く代わりに、医療用の布を取り、男を支える。


「レント、どうすればいい?」


「彼の呪いは二重構造です。外側を先に解いたら、内側が暴走する。順番を誤ると命を落とします。」


「なら、お前が内側を。私は外側を押さえる。」


「了解。」


二人の魔力が交わる。

僕の指先からは静かな呪式の光。

リリアの掌からは聖なる波動。

まるで、剣と魔術が息を合わせるように、呪詛の層が一つずつ剥がれていく。


「《鎮魂符》、展開。――因果、静まれ。」

「《聖断》――闇よ、退け。」


そして、最後の紋様が消えた瞬間。

男の呼吸が戻り、苦痛の表情が和らいだ。


「……助かった、のか……?」

男が震える声でつぶやく。

僕は微笑んで頷いた。


「はい、もう大丈夫です。ただし、数日は安静に。」


「お、お前ら……本物の……!」


その場の空気が一瞬で変わった。

荒くれ者たちは深々と頭を下げ、男を支えて店を出て行った。



静寂が戻った店内。

僕とリリアは向かい合い、同時にふっと息をつく。


「……やるじゃないか、リリア。初日で、もう完璧な連携でしたね。」


「当然だ。私は“剣聖姫”だぞ。」

そう言って笑う彼女の横顔に、かつての誇りと、新しい穏やかさが同居していた。


「でも、“店員”としても優秀ですよ。」


「ふふ、それはどうだろうな。次は紅茶の淹れ方を教えてくれ。」


「ええ、喜んで。」


穏やかな午後の陽光が、二人の間をやわらかく照らす。

こうして“止まり木”には、今日もひとつ、新しい絆が芽吹いていた。


――そしてその頃。

王都の勇者アレスたちは、深層ダンジョンで再び苦戦していた。

混乱、麻痺、恐慌。

状態異常の嵐に沈む中、アレスが絶叫する。


「なぜだ……レントがいれば、こんな呪い……!」


その声は、遠く離れたミストハウンドには届かない。

だが、静かな小さなカフェの窓辺で、確かに新しい物語が始まっていた。

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