旦那様に「君を愛する気はない」と言い放たれたので、「逃げるのですね?」と言い返したら甘い溺愛が始まりました。
「君を愛する気はない」
本日、私レシール・リディーアと結婚をした旦那様セルト・クルーシアには婚約前からある噂があった。
「極度の女嫌いだ」、と。
私だって一公爵令嬢として政略結婚を受け入れる覚悟はあるが、女だからと舐められるのは冗談じゃない。
何より私は「女」という括りで相手の本質を見ないような人間は嫌いだった。
しかし所詮噂は噂、相手のことは直接会うまで分からないと考えていた。
にもかかわらず、私の旦那様セルト・クルーシアは結婚式当日まで私に会おうともしなかった。
相手は同じ爵位の公爵家といえど、公爵家の中では相手の方が力が強い。
私の家が言い返せないことも、文句の一つも言えないことも、分かっての対応だろう。
だから結婚式当日に初めて会った旦那様にこう言われても何も驚きもしなかった。
結婚式を無事に終えて、初めて二人きりになった瞬間だった。
「君を愛する気はない」
むしろよくそんな女嫌いの常套句のような言葉を仰ることが出来る、と驚いたくらいだった。
きっと今までそういう風に言えば、目に涙を溜めて身体を震わせて逃げていくご令嬢ばかりだったのだろう。
別にこれからこの人と関わらないで済むのなら、私だって泣いて逃げている。
しかし、そうはいなかい。
だって、私とこの人は今日結婚したのだから。
だからハッキリと私は述べた。たった一文を。
「逃げるのですね?」
「は?」
その時のセルト様の表情は眉間に皺がより、両目の目尻は吊り上がり、まさに怒っていると誰が見ても分かる表情だった。
「だってそうでしょう? 結婚した相手から逃げるなんて、ただのクズ夫ですわ」
誰がどう見ても不敬だが、今は夫と二人きり。
何より結婚当日に妻に「愛する気はない」と仰る旦那様の方が不敬だろう。
「レシール、自分が何を言っているのか分かっているのか」
「あら、ちゃんと名前で呼んで下さるのですね。セルト様」
私のそんな返答に分かりやすくセルト様の表情がさらに険しく変わる。
「セルト様。いくら政略結婚といえど、全く妻と向き合わずに結婚生活が送れるとお思いで?」
「仮面夫婦などこの世に数えきれないほどいるだろう」
「それで上手くいくのは両方が納得している場合だけですわ。私は『全く』受け入れておりませんもの」
セルト様が険しい表情のまま、私に一歩近づいた。
今まで逃げていく令嬢や離れていく令嬢ばかりだったのだろうと思うと、セルト様から一歩近づけさせられただけで私は勝利したような気分だった。
「レシール・リディーア。何を望む?」
それは叶えてくれるという意味ではない。
ただ純粋に私の思惑が気になっているだけだろう。
何か裏がある、そう私は疑われている。
「目を合わせて、逃げずに、私と向き合って下さいませ。私は良好な夫婦生活を望んでいる。それだけですわ」
「レシールと向き合って私に何の得がある?」
「損得勘定の話ではないのですけれど……まぁ良いですわ。セルト様にとっての一つの得をお教えします」
私には公爵令嬢らしく微笑み、口元に人差し指を当てて、自慢げな表情を浮かべる。
「可愛い妻がなびくかもしれませんわよ?」
旦那様の険しい表情の中に少しだけ勝気が笑みが見えた気がした。
「レシール・リディーア、覚悟していろ」
それがどこまでも強気な令嬢レシール・リディーアとこれから強気な令嬢に振り回される公爵子息セルト・クルーシアの結婚初日の出来事だった。
慌ただしい結婚式が終わり、数日が経った頃。
レシールは侍女のリーナに髪を結ってもらいながら、ため息をついていた。
「レシール様、どうかなさいましたか?」
「聞いてよ、リーナ。セルト様ったらあれから私に会いに来ないのよ?」
リーナの表情に少しだけ戸惑いの笑顔が混じる。
「結婚式当日のレシール様との話をお聞きしましたが、逃げられて当然かと……」
「私は間違ったことは言っていないわ。それに『覚悟していろ』と言ったのは旦那様なのに逃げるなんて紳士らしさがなさすぎると思わない?」
「正しい正しくない以前にあまりにレシール様の印象が強烈だっただけかと……」
「それは褒めていなくいわよね!?」
私は後ろに立っているリーナの方を勢いよく振り返ったが、髪を結ってもらっていることを思い出してすぐに前を向き直した。
「褒めてはいませんが……私はレシール様が大好きですよ」
「そんなことを言うのはリーナだけだわ」
実際今までもこの強気な性格を咎められることはあっても、褒められることはなかった。
成長するにつれマナーは身につけていったが、根本的な性格を治すことは出来なかった。
その時、コンコンっと私の自室の扉がノックされた。
「旦那様がお呼びです。お食事を一緒に取りたいと……」
私と無意識にリーナと顔を合わせてしまう。
「ほら、リーナ。旦那様がお呼びみたいよ?」
「レシール様、ほどほどになさって下さいよ?」
「ふふっ、出来るだけ気をつけるわ」
そんな会話を済ませて、私は旦那様に呼ばれてディナーを共にすることになった。
ディナーが始まって数十分、まだ私とセルト様は一言も会話をしていない。
ここは紳士らしくセルト様から話を降って欲しいところだったが、そうもいかないらしい。
「セルト様、なぜ急に私と一緒にディナーをとりたいと仰ったのですか?」
セルト様の視線が私に向く。
普段目の合いにくいセルト様と視線が合うだけで、心臓がドクンと跳ねたのが分かった。
そんな動揺を悟られないように私はいつもより表情に力を入れてしまう。
「レシールが逃げるなと言ったのだろう?」
まるで何か悪巧みをしているのではないかと思ってしまうような笑みをセルト様が浮かべている。
その笑みでつい私の強気な性格も顔を出してしまう。
「その割には数日間お呼びがなかったですけれど?」
「私も忙しいんだ」
セルト様も私の物言いに慣れてきたのか一つ一つに動揺しなくなっていた。
「レシール、ディナーが終わったら私の部屋に来ないか?」
突然の誘い。
しかしセルト様の表情から私の反応を見ていることは確かだった。
ならば……
「もちろん行きますわ。セルト様が私と向き合って下さるなら私には逃げる理由がありませんもの」
感情のままにそう述べただけなのに、何故かセルト様は少しだけ驚いたような表情を浮かべた。
「セルト様。ディナー後の予定も決まりましたし、今は食事を楽しみましょう?」
私の言葉にセルト様は食事を再開したが、何を考えているのかは表情からだけでは読み取れなかった。
しかし食事が終わっても、セルト様はすぐに立ち上がらない。
「セルト様?」
不躾だが、そっとセルト様の顔を覗き込む。
少しだけ緊張しているように強張った表情を見て、先ほどの自室への誘いを私が断ると思っていたのだと悟る。
私が断ると思っていて、強気な物言いをしたのだろう。
そのことに気づいて、私はついセルト様を可愛いと思ってしまう。
「あら、セルト様。また逃げるのですか?」
「っ……! 馬鹿にするな……!」
セルト様がすぐに立ち上がり、自室に向かおうと歩いていく。
「妻を置いて先に歩いていく旦那様はあまり格好良くないですよ?」
「っ! 早く行くぞ」
旦那様が立ち止まって私が隣に来るのを待ってくださっている。
「ふふっ、可愛い旦那様」
私はついそう呟いてしまった。
セルト様の部屋は無駄なものが一切置いていない部屋だった。
何も置いていないからこそ片付いているような部屋。
だからこそどこか寂しさを感じてしまう。
セルト様がメイドに紅茶を二つ入れさせて、メイドを退室させる。
セルト様の自室には正真正銘私とセルト様の二人しか存在していなかった。
私は紅茶を一口飲んでから、背筋を今一度伸ばして微笑んだ。
「セルト様、ある勝負をしませんか?」
セルト様が紅茶に向けていた顔をすぐにこちらに向ける。
「逃げなければ勝ち。という単純な勝負ですわ」
「どういう意味だ?」
「簡単です。この部屋から先に出た方が負けですわ」
私の勝負の内容にセルト様の表情に疑問が浮かんでいる。
「ここは私の部屋だ。私が逃げるとはどういうことだ?」
「それは勝負が始まってからのお楽しみですわ。ここはセルト様の部屋。先に出ていく可能性はどう考えても私の方が高いでしょう。こんな有利な勝負なら逃げはしませんよね?」
私の挑発的な言葉にセルト様が私の瞳をじっと見つめる。
まるで瞳の奥から私の思惑全て見透かされているような気持ちになる。
「むしろ君の部屋で行ってくれても良いくらいだ」
「それでこそ私が勝負を仕掛けるに相応しい旦那様ですわ」
私は残っていた紅茶を飲み干して、カップをテーブルに戻す。
「勝負に勝った方が相手に一つ願いを聞いて貰える。簡単でしょう? もしセルト様が勝利したら、セルト様が望むことを私が出来る限りの力を使って叶えてあげますわ」
「レシール、本気で言っているのか?」
「ふふっ、私はいつだって本気ですわ。その代わり、私が勝った場合はセルト様が叶える側ですわよ?」
「分かっている」
セルト様の紅茶もすでに空になっていた。
「では、ゲームスタートとしましょう?」
その瞬間、私はセルト様をソファでそのまま押し倒した。
「レシール……!?」
「あら、もう逃げますか?」
「っ!」
セルト様もこれが私の作戦だと気づいたらしい。
セルト様が勝った場合の要望を私が分からないのと同様に、セルト様も私が何を望むのかを知らない。
ここで負けるのはお互いリスクだと分かっているのだろう。
さて、ここで口付けの一つでもすれば女性が苦手なセルト様は逃げるかしら?
うーん、しかし女性が苦手な方に口付けをするのはいくら勝負といえど狡いかしら?
狡いことはしたくないわね……。
動きが止まった私を見て、私が考えていることをセルト様は悟ったらしい。
「レシール、勝負に情けは要らない」
その紳士らしい言葉に私は一瞬動きが止まってしまった。
その対応にセルト様は子供がいたずらをする時のような笑顔に変わった。
「案外、レシールも可愛いところがあるな。レシール、もう一度言う。勝負に情けは要らない」
「何故なら……」
「私も手加減をするつもりはないから」
その瞬間セルト様は腕にグッと力を込めて起き上がり、逆に私を押し倒した。
ここで頬を赤らめることも、動揺を悟られることも許されない、と本能が告げている。
動揺を悟られれば一気に負けが近づいてしまう。
だから私はセルト様に握られている腕に力を込めた。
「勝負に情けは不要だと私も思っていますわ」
「レシール、逃げないのか?」
「まさか。逃げる選択肢なんてないですわ」
「では、このまま続けても良いと?」
何をするのか、なんて聞けるはずがなかった。
しかし逃げる選択肢は私にはない。
ならば……
「あら、口付けをして下さるのですか? まるで愛のある夫婦みたいですわね」
さぁ、どう反応しますか。セルト様。
例えここで何を言われようと私が動揺するわけがない。
だってこの人は女性嫌いな人。実際に何かをするはずがないから。
「俺は女が嫌いだ。しかし、レシールは別みたいだな」
「だってこんなにも愛おしく……そして、可愛らしい」
次の瞬間、私の口をセルト様が口付けで塞いだ。
「ん……!」
セルト様の口が離れる。
一体私は今どんな顔をしているだろう。
どうか赤く染まっていたり、動揺を悟られるような顔をしていませんように、そんな願いばかりが頭をよぎる。
「口付け程度で私に勝てると?」
「そんな顔をして強がっても何の意味もないと思うが」
本当に私の顔は赤くなっているのだろうか。
鏡がないから分からない。
この人が私を騙しているだけかもしれない。
まだ負けが決まったわけじゃない。
最後まで諦めないことがどんな勝負でも勝利する秘訣だ、と何とか自分に言い聞かせて心を落ち着かせる。
「レシール、君は負けることが嫌いみたいだな」
「負けるのが好きな物好きはそうそういないでしょう?」
「ははっ、そうだな。俺も負けるのは嫌いだ。だから、悪いが勝たせてもらう」
セルト様がもう一度私に口付けをした。
「レシール。負けを認めてくれ」
そう話したセルト様の表情すらよく見えない。
もうそんな余裕はなかった。
だって私はセルト様の前に誰かと婚約を結んだことはない。
だから、この口付けだって初めてだった。
そしてその時、セルト様の後ろにある鏡台が目に入った。
少し態勢を上げた私の顔をよく映っている。
頬を赤く染めて、目を潤ませて震えている、私の顔が。
私はそんな自分の顔を見られるのが恥ずかしくなり、セルト様を押して起き上がり、部屋を飛び出そうとする。
せめて飛び出す前に最後の意地でセルト様にこう言い放つ。
「わざと負けて差し上げるんですから!!!」
私は部屋を飛び出し、勝負は私の負けで終わった。
私は部屋を飛び出したのだから、その後にセルト様が呟いた言葉など知るはずがなかった。
「ははっ、それは可愛すぎだろう。レシール」
さらに甘い溺愛が始まる。
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SIDE:SELT《サイド:セルト》
昔から女が嫌いだった。
いや、女が嫌いということにしておく方が都合が良かった。
権力目当てに寄ってくる女も、上辺だけで近づいてくる女も、噂を広げれば寄ってくる数が大幅に減った。
確かに女性と接するのが得意というわけではなかったが、話すときに緊張するほど慣れていないわけでもなかった。
そんな時に両家の関係を強化にするために結ばれた結婚。
相手は気の強い女性だと聞いていた。
私たちは一度も会ったことがないのだから、相手もこの結婚を望んでいるはずがないことは分かっていた。
所詮家同士の結婚、上辺だけの情で関係を作るより、突き放して好きに過ごさせた方が両方にとって良いと思った。
だからこそ初めに「私も愛していないから、この家で好きに過ごしてほしい。我慢する必要はない」と伝えたかった。
しかし私は思ったよりも口下手だったようで、飛び出したのは衝撃的な言葉だった。
「君を愛する気はない」
そう述べた後に後悔しても遅く……何よりどうせ会わないのなら誤解されたままの方が都合が良いと思った。
その方が相手の令嬢も気を遣わなくて済むだろう、と。
私は誤解されるように振る舞うことにした。
しかし、相手の令嬢の気の強さは噂以上だった。
「逃げるのですね?」
「だってそうでしょう? 結婚した相手から逃げるなんて、ただのクズ夫ですわ」
「可愛い妻がなびくかもしれませんわよ?」
そんな気の強い令嬢……レシールに不思議と怒りは沸かなかった。
それでも怒っているように表情を強張らせても、レシールは怯えもしなかった。
むしろ私に突っ込んでくような令嬢だった。
「目を合わせて、逃げずに、私と向き合って下さいませ。私は良好な夫婦生活を望んでいる。それだけですわ」
結婚して望むことがそれだけの妻を可愛くないと思う夫などいるのだろうか。
それが可愛いお願いだとも気づかずに、自慢げな顔で強気に話している令嬢を愛おしいと思って何が悪いのだろうか。
だから恥ずかしくてすぐにディナーに誘うことも出来なかったし、自室に招くことも緊張した。
それでもレシールは変わらずに私に向き合い続けてくれた。
そして仕掛けられた勝負の勝ちは私だった。
「わざと負けて差し上げるんですから!!!」
相変わらず彼女は自分の可愛さを理解していないようだった。
ならば、私が教えてあげれば良い。
覚悟していろ、レシール・リディーア。
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セルト様との勝負に負けた翌日。
私はいつも通りリーナに髪を結ってもらいながら、落ち込んだように顔を俯けていた。
「レシール様、顔を上げてくださらないとお髪を整えにくいですわ」
「だって……!」
「落ち込むなら顔を上げて落ち込んで下さいませ」
「うう……リーナの意地悪……!」
私はリーナの言葉通りに顔を上げると、鏡に自分の顔が正面から映った。
昨日とは違い、いつも通りの表情の私が映っている。
しかし頭に浮かぶのは、昨日の頬を染めて涙を溜めている自分だった。
真っ赤に頬を染めて、肩を震わせている、いつもの私とは程遠い姿。
そんな姿をセルト様に見せてしまったことが恥ずかしくて堪らない。
「こんなことならもっと早くに口付けを済ませておくべきだったわ……! 何より自分から仕掛けるのは得意なのに、相手に攻められると弱くなってしまう私の馬鹿……!」
「レシール様、公爵令嬢らしくない言葉遣いになっております」
「だって、もっと前から沢山口付けをしておけば……!」
ガチャ、と私の自室の扉が開いた。
リーナと二人で扉の方に顔を向けるとセルト様が立っている。
「セルト様……!?」
「すまない、ノックしたのだが返事がなかったので」
しかしセルト様の表情は申し訳なさそうではなく、どう見ても怒っていた。
その怒りの顔を見て、私は自分の先程の言葉を思い出す。
『だって、もっと前から沢山口付けをしておけば……!』
確かに妻が言っていたら駄目なセリフだろうが、私たちは政略結婚のはず。
しかしセルト様の怒りは増していくばかりだった。
「レシール、こちらにおいで」
優しい言葉だが、言葉の威圧感が今までと全く違った。
「えっと、まだ髪を整え終わっていなくて……」
その時、リーナが私の髪から手を離した。
「レシール様、丁度終わりました」
「リーナの裏切り者……!」
私はつい小声でそう述べてしまう。
「レシール」
もう一度、セルト様に名前を呼ばれて私はゆっくりとセルト様に近づいていく。
あと三歩ほどでセルト様のところに行ける、という場所でセルト様が私の腕を掴んでグッと引いた。
「ほら、早くこっちに来て」
「っ!?」
以前までのセルト様にはない甘さを感じてしまう。
しかしセルト様は私の腕を離しては下さらなかった。
「勝負に勝ったのだから私の願いを一つ聞いてくれるのだろう? まだ要望を教えていないのだが」
「どんな要望をなさるおつもりですか……」
「それは一緒に朝食をとりながら教えるよ」
一体、私は何をさせられるのだろうか。
セルト様が私の向かい側に座って朝食をとっている。
以前はよく拝見していなかったが、マナーも相まってその美しさは確かに女性を惹き寄せそうだと思ってしまう。
「それで、セルト様。私への願いはなんでしょうか?」
セルト様がナプキンで口をそっと拭って、私に向けて微笑む。
「色々考えていたのだが……例えばリーナから口付けをして貰うとか、抱きしめて貰うとか……」
「何を仰っているのですか!」
私が言い返したのを見て、セルト様が私の顔をじっと見つめている。
「そうやって顔を赤らめているレシールを見るのが好きなんだ」
「からかわないでくださいませ……!」
「からかっていない。君はもう少し自分の可愛さを自覚した方が良い」
「私が可愛いはずはないですわ。冗談も程々にして下さいませ」
私がピシャリを厳しくそう述べたのを聞いて、セルト様の瞳が少しだけ陰った。
「誰かにそう言われたのか? 先ほども前から口付けをしておけば良かったと話していたが、想い人がいるのか?」
「想い人はいませんわ。ただ……」
「ただ?」
「私は気が強くて可愛くないでしょう?」
反応が怖くてすぐにセルト様の顔を見れなかったが、暫く静寂が走って私はゆっくりと顔を上げた。
セルト様は私の言葉の意味が分からないとでもいうように不思議そうな表情を浮かべていた。
「レシール、本気で言っているのか?」
「え……」
私がセルト様の言葉の意味が分からない間に、セルト様は何かを決意してしまったらしい。
「レシール。君への要望が決まった。私から逃げないこと。次に顔を赤らめたり、気の強いレシールじゃなくなった時にでもね。今度は逃げることを許さない」
「何を仰っているのですか……!」
「次は真っ赤な顔を存分に私に見せて。そしてただ『可愛い』と愛でられていれば良い」
セルト様は何故か得意気にそう言い放った。
それからの毎日、セルト様は積極的に私に関わってくるようになった。
しかし逃げるという選択肢を封じられた私は、セルト様に触れられようと自室に戻ることすら許されなかった。
セルト様は今日も何故か私を膝の上に乗せて、そっと私の頬を撫でている。
「私の可愛いレシール」
一体どうしてこんなことになってしまったのだろう。
勝負に負けたら離婚を突きつけられてもおかしくないと思っていた。
しかし望まれたのは真逆のこと。
私自身が初めて会った時に「向き合ってほしい」と願ったのだから、何も嫌ではなかったが、私は攻められるのが苦手なのに。
強気じゃない自分を見られることも。
「ほら、こっちを向いて」
なのにレシール様は私の顔が真っ赤になればなるほど嬉しそうに顔を見つめて、優しく頭を撫でて下さる。
まるで可愛らしく愛おしい女性を扱うように。
「セルト様は女性がお嫌いだったのではないのですか?」
「確かに女性と接するのは得意ではないが、レシールが思っているほどではないよ。何よりレシールは特別だと前に言っただろう?」
今まで私を特別扱いする人などいなかった。
気の強い女性だと遠目に見られることはあっても、こうやって頭を撫でてくれる人などいなかった。
セルト様は私の頭を撫でていた手で、そっともう一度頬に触れる。
「レシール、可愛い。本当に君は可愛いよ」
セルト様は私が一番頬を赤らめる言葉を知っていて、わざと使っているのではないかと思ってしまう。
「可愛い」などと言われ慣れていない私に、沢山の甘さを与えてくる。
それでも「愛している」とは言って下さらないのに。
「セルト様はずるいですわ……」
気の強い私ですら可愛いと仰るこの方は、結婚初日に私に「君を愛する気はない」と言い放った方。
「セルト様、もう一度勝負しませんか?」
「ん……?」
「今だけは私から逃げたら負けですからね」
私はそう述べて、そっと自分からセルト様に口付けを落とした。
セルト様の顔は見られない。
だって、今は自分の顔を隠すことで精一杯だから。
初めて私は自分からセルト様に口付けをした。
きっと私の顔は今までで一番真っ赤に染まっているだろう。
初めての勝負の時は私から口付けをしようとしていたくらいなのに、今はなんでこんなに恥ずかしいのだろう。
両手で覆うように顔を隠している私の手をセルト様が優しく掴んだ。
「離して下さいませ……!」
「どうして? レシールの顔を見せて」
「逃げずにここにいるだけで褒めてほしいくらいですわ……!」
前回勝負に負けた私は今「この場所から逃げることは出来ない」
それくらいの約束は守れる人間でありたかった。
「大体セルト様ってなんなのですか!」
「え?」
「出会った初日に『愛する気はない』と言い放ったくせに、私にちょっかいをかけてきて! 私はセルト様のおもちゃではありませんわ!」
「それは……!」
セルト様が何を仰りかけたことすら無視するように、私の口は止まってくれない。
「それにこんな私に何度も『可愛い』『可愛い』と言って来て! 良いですか! 私はそんな言葉に慣れていませんの! だから……」
「そんなことを言われたら意識してしまうじゃありませんか!」
私は公爵令嬢なのに、何を口走っているのだろう。
きっと私にマナーを教えて下さっていた講師が今の言葉を聞いたら血相を変えて怒鳴ってくるだろう。
まるで公爵令嬢らしくもない、気の強い私らしくもない、まるで初めて恋した乙女のような言葉。
「レシール」
そんな私の口走りを聞いても、セルト様は甘い口調で私の名前を呼ぶ。
私はその言葉でも両手で顔を隠すことしか出来なかった。
「レシール、顔を見せて」
「嫌ですわ……!」
「じゃあ、そのまま私の話を聞いていて」
セルト様が顔を隠したままの私の頭をもう一度優しく撫でて下さる。
そして語られたのは、セルト様も口下手だったということ。
あの日の言葉の意味は少し違っていたこと。
「あの日、君に『愛する気はない』と言ってしまったことを始めは後悔もしていなかった。どうせ私たちの間に愛はないのだから、このまま誤解されたままで構わない、と。実際私は君を愛するつもりはなかったのだから、多少の言い方の違いなどどうでも良いと思っていた」
「しかし出会った君はあまりに真っ直ぐで、気が強いのに可愛くて、私と頑張って向き合おうとしてくれる令嬢だった」
「そんなの好きにならない方が無理だろう? 愛おしいと思わない方が難しいだろう?」
セルト様が私の両手を掴んで、そっと下ろす。
もう私は抵抗する気になれなかった。
暴かれた私の真っ赤な顔を見てもセルト様は愛おしそうな視線を向けてくる。
私ももう恥ずかしいとは思わなくなっていた。
だってセルト様の頬も少しだけ赤く染まっていたから。
「レシール、愛している」
セルト様が私にそっと口付けた。
私はもう気持ちを隠すことなんて出来なかった。
「私も愛していますわ、セルト様」
それは本心から来た言葉だった。
あの日、最悪の出会い方をした私たちとは思えないほどの言葉。
だからあの日の言葉を言い換えるように、私は微笑んだ。
「セルト様、もう逃げないで下さいませ」
「逃げるはずないだろう? こんなにもレシールを愛しているのだから」
私たちはもう逃げない。
だってこれから幸せな生活を共に送るのだから。
fin.