物流事業部
犬谷は新しいジョッキを手にして、吉桑たちとカンパイを交わし、その場を何とか取り纏めた。犬谷はそれから自然の流れで、カバンの名刺を取り出し、吉桑に差し出した。名刺には 中沖通商 物流事業部 部長 と書かれてあった。大海がその名刺を見て驚いた表情をみせた。
「本当に部長でいらっしゃいましたか。僕はてっきり捜査機関の警部かと―、勘違いでした」
「ごめんなさい。うちの大海が勘違いしたようで、少し失礼なことを―、今夜は本当に私の奢りですから、ほら―、パッとやりましょうよ。中沖通商と云えば、中四国ではトップクラスの年商でしょう。大企業とは―、とても儲かってるイメージで宜しかったでしょうか」
吉桑は最大級の皮肉を込めた。犬谷は和風アラカルトのつくだ煮を齧り、生ビールを軽く飲み込んだ。
「商社と云えばいくらでも儲かる商いでしたが、それは昔の話です。その会社が在庫を持っていない商品の契約は、ルール違反になってからは、大きな利益は上げられない。そんなとこですね」
吉桑にはその話しは寝耳に水だった。ずっと信じてきたバブル思考世界が崩壊する。
「えっ―、どうして… 商品を持っていなくても、その商品を市場で買って売ればいい。誰もがそう思うでしょう。違いますか?」
吉桑は意外にステレオタイプである。誰もが云っていること、思ってること、知っていること、人々はそれを常識として信じて疑わない。その常識が壊れるとき、人々は動揺してしまう。
「えっ―、待って下さい。それでは私のビジネスの大半は…、ルール違反になって…しまう。どうして―、ですか?」
吉桑のその表情はいつもと違い渋い。犬谷も人並みに緊張したのか、喉が何故だか渇き生つばを飲んでいた。ここからは若手の北森が、その講釈を厳しく伝える。北森はYシャツの袖を捲り、かなり力が入った表情をしていた。
「それではですね。商品の在庫を持っていない商品。いいですか?この取引が可能ならば、最初からその商品を全て買い占めることができるからだ。そしてそれは絶対悪だとも。あなた方が云いたいことは、解ります。だけどそれは―、先物取引の理屈だからだッ!」
「だけど―、これまでルール違反だと云われたことは… はっ…だから物流事業部を…」
犬谷は紳士的に振る舞い、諭すように優しく云った。
「まあ、いいじゃないですか。今日は吉桑さんの奢りでしょう。特に私は捜査機関じゃないですし、とりあえずは酒を酌み交わして、お互い楽しくやりましょう!」
犬谷はあっさりとそう云い、その場の空気を変えるように、生ビールのイッキ飲みを披露していた。