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広島ドーム

 ここの川面(かわも)から東の空を見上げていた。佐川田は子供のころに学校の社会史の授業で学んだ、広島ドームの(かたわ)らT字の(かたち)の橋の上に立っていた。この時世(じせい)ではヤヨイ橋と伝わっているだろう。その橋から望む広島ドームの(たたず)まいで、ここが広島の都市であることを、今でも人々に語りかけていた。


 広島ドームに夕暮れ時の傾いた陽が差し込み、オレンジ色の輝きは時代の移り代わりを知らしめている。ヤヨイ橋は全国的にも歴史的にも、知名度も高く、今でも観光客の多くがヤヨイ橋を目標として集まって来ていた。この男、佐川田 壱八(さかわだ いちや)は誰にも知られることなく、新下坂の駅から新幹線に乗り込み、気が向くままに廣嶋の駅に下車してしまった。新幹線の車窓の向こうに、故郷(ふるさと)にも似た田舎街(いなかまち)が見え隠れしていたからに違いない。佐川田は適当に荷物を詰め込んだカバンを手に持ち、先のことなど考えることなく新幹線のホームを下りてしまった。日常を忘れるほどの田舎街を想像したが、まったくの変わり果てた大都会に、その驚きは隠せはしなかった。幼少期に家族で訪れたあの日とは違い、二十年ほどで都市とはまったく変わってしまうものだ。近代とは建物主義とも云える模型の世界。この迷宮とも云える模型の世界で、佐川田もまた道に迷ってしまっている憐れな子羊と云うことなのか。


 このこと、このリアルな世界でも旅人などには多々あることだが、こうなればモバイルフォンを(かざ)し地図アプリを眺めても、混乱はもっと大きくなり、その位置情報を分析するには更に困難を極めることになる。この今を生きる人々と変わりもなく、人生とも云える模型のような迷宮に迷ってしまっている、ただのロープレの旅人だと云うことだろう。

()ずはランドマークを、ランドマークとなる建物を探せ」それは子供のころ父親が、観光地でアナログ地図を広げて、小言のようにいつも云っていた言葉だった。佐川田は下坂藩の大下坂(おおしたさか)町に生まれ育ち、父親の転勤で関東地区の自由ヶ市で青年期を送った。その後は三流としてその名を知られる大学を経て、また下坂藩が本社の商社、天通閣支社に勤めてすでに二十年ほどは経っていた。そして大都会でのテロリズム、それとも事故、それは誰かの思惑なのか。まったく何も上手くいかない日常の中で、同僚は会社を去り、若者は地域から姿を消し、あの大下坂の街には殆ど人がいない気がして、佐川田は仕事を、全てを、いつの間にか投げ出すようにして、気がつけば西に―、より西へ逃げ出していた。今はヤヨイ橋と呼ばれているT字の橋から、またここで広島ドームを見上げている。


 被爆とは―、本当のことは今となっては不可解だが、広島ドームはこの広島のランドマークとして、今だにずっとこの地では親しまれていた。

「やはりここは廣嶋なのか。こんなにも都会になられたら解りはしないよ。普通は…」


廣嶋の街。流れ 流れて 流れ川屋(かわや)

そう揶揄する人も然り。

佐川田も行く宛もなく、気がつけば川屋町に流れついていた。


 

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