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誰かの願いが咲く場所で

作者: バッシー0822

黄昏の予感


河野勇治は、定年を迎えた同僚の送別会で、ふと自分の終わりを意識した。

あと数年で、この日常とも別れが来る。

何かを始めるには、もう遅いのか。あるいは——。


数日後、勇治は近所の公園の掲示板で、花壇の手入れを行うボランティアの募集を見つける。

予定もないし、誰かに必要とされるのも悪くない。

少し湿った空気のなかで、思いつきのように連絡先をメモした。


---


はじまりと違和感


活動初日、勇治は汗染みの浮いたTシャツと色褪せたジーンズ姿で、公園の隅に立っていた。

慣れぬ手つきで草を刈っていると、隣から明るい声が響く。


「それ、根っこから引いた方がいいですよ」


振り向いた先には、細身で長い髪を一つに束ねた女性がいた。

汚れをものともせず、ズボンの裾をまくって花壇にしゃがみ込む姿は、妙に軽やかだった。


「恵美って言います。あなたが新しく来たって聞いたので」


「……河野です。勇治」


必要最低限の挨拶。しかしその日から、ふたりの朝は、静かに重なっていった。


---


雨と沈黙の時間


梅雨のある日、小雨の降るなか、ふたりは傘を差して作業を始めた。

雨が止むと、恵美は静かに立ち上がり、雲の切れ間からのぞく空を見上げた。


「……止んだね」


その横顔に、勇治はふと見とれた。

濡れた髪に光が反射し、彼女の中の“強さ”と“どこか壊れやすさ”が同時に浮かび上がる。

やがて彼女がぽつりとつぶやく。


「私、最近彼に置いてかれたんです。何も言わずに…消えちゃって」


勇治は、ただ「そうか」と小さく答えた。

彼女の痛みは、自分の言葉では届かない場所にあった。


---


記憶と願い


子ども連れの家族が公園に現れる。

勇治はベンチでそれを眺めながら、忘れかけていた記憶を口にした。


「俺が子どもの頃は、団地の通路で野球ばかりやっててさ。

夕飯の時間になると、母親がベランダから手を振るんだ。——あれが安心だったな」


恵美は、彼の話を静かに聞いていた。そして、自分の願いも口にする。


「私、ちゃんとあたたかい家庭を築きたい。

子どもが“ただいま”って帰ってきて、“おかえり”って言ってあげたいんです」


ふたりの時間の流れは違う。でも、「誰かのために生きたい」と願う場所で、確かに重なっていた。


---


それぞれの夜


勇治は部屋でひとり、安いチューハイを飲んでいた。

ちゃぶ台の向こうに誰もいないことに、いつしか慣れてしまっていた。


「今日も草刈ったし、まあまあだ」


小さくつぶやきながら、どこか穏やかな気持ちで夜を迎えていた。


一方、恵美はひとり、スマホで元彼との過去のメッセージを見返していた。

胸の奥がチクチクと痛む。でも——


「……前に、進まなきゃ」


画面を閉じて、窓の外の風の音に耳をすませた。


---


七夕の願い


公園に笹が立ち、短冊が揺れていた。

恵美は、少し迷いながらも願いを書く。


> 「守りたいものが、ちゃんと守れますように」


勇治は、夕暮れが迫る頃、誰もいない笹にそっと短冊を結ぶ。


> 「誰かが今日、ちゃんと笑えていますように」


その夜、恵美は元彼と再会を果たす。

彼がもう逃げないと誓い、彼女が小さく頷いたとき、

遠くから見ていた勇治は、そっと帽子を取って礼をした。



咲いたのは


翌朝、勇治はいつものように水をやっていた。

恵美が「この花好きなんです」と言っていた苗に、小さな白い花が咲いていた。


> 「咲いたか。……間に合ったな」


誰に語りかけるでもないその声は、どこか嬉しそうだった。

花はただ咲くだけ。でも、その傍に誰かがいることが、たしかに意味になる。


そして勇治は、また草を刈り、水をやる。

静かで、やさしい朝のなかで。


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