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回された腕に突然力がこもる。コルセットできつく締め上げられた腰を圧迫されるのだから、堪ったもんじゃない。呼吸もままならず、半開きの口からはふはふと息を漏らしていると、急に腕を緩められる。どっと流れ込んだ新鮮な酸素を肺へ懸命に送っていると、口内に手袋をしたままの指を乱暴に差し込まれた。
「んん……!」
背後に蠢く黒い気配に、心臓がドッドッと暴れる。あまりの恐ろしさに、後ろを振り向くことも、鏡を見つめることも出来ない。
「……なあ、アデリーヌ。どうして僕に内緒で、アパートを契約したんだ?」
…………バレとる!!!
どうして? どうして? と考えるも、頭が全く働かない。アデリーヌと手を取り合い、迫り来る狂気にただ怯えていると、リチャード自ら疑問に答えてくれた。
「君に関わることは、全て僕に筒抜けなんだよ。執事から下女まで、この屋敷で雇う人間は、最初に必ず契約させているからね。君のことは、どんな些細なことでも逐一報告するようにって。もし僕を裏切ったら……家族から親戚まで全員罰を与え、領地から追い出すって」
うそっ、うそっ、私、そんなこと描いてない!
「なんか変だと思ったんだ。君の方からあんなに熱心に愛を注いでくれるなんて。嬉しくて、つい喜んでしまったけど……まさか僕を油断させて逃げるつもりだったとはね。……夜会に、誰か想い人でも来るのか?」
私はリチャードの指をぺっと吐き出すと、必死に叫ぶ。
「いっ……いない! そんなのいませんよっ!」
「ふうん。まあいいや。たとえいたとしても、君は一生外には出られないんだから」
腕をほどかれても、凄まじい恐怖に絡め取られ、身体を動かすことが出来ない。チャラリと響いた金属音に目をやれば、彼の手には美しい翡翠のネックレスが握られていた。
あれは……!
どこかのエピソードで出てきた、リチャードのとんでもないお楽しみグッズだ。あれを着けた瞬間、経皮吸収タイプの媚薬に身体が支配されてしまうという。リチャードはアデリーヌの裸体に、自分を象徴する色のあれを着けて、ニヤニヤうへうへと行為に及んでいた。(ぽんこつアデリーヌは、ただのネックレスだと思い込んでいたけどね)
って、そんなことはどうでもいいのよ! 今考えなきゃいけないのは、彼が私にあれを着けようとしていることと、それをどうやって回避するかだ。
「首元が寂しいから、これを着けるといい。ドレスにもよく合うよ」
……させるか!
首に掛けられる前に、私はパッと振り返る。
「……どうしたの? コレ、好きだろう?」
目どころか、もう顔も笑っていない。
彫像みたいな顔からじりじり後ずさると、腰がトンとドレッサーにぶつかった。
「さあ、いい子だから後ろを向いて。夜会なんかに行かなくても、僕が君をどれだけ愛しているかを教えてあげる」
「そんな……もう充分…………分かってますってばあぁ!!」
スカートの陰からある物を取り出し、リチャードの目にシュッとかける。
「うっ、うわああ!」
目を押さえ、その場に崩れ落ちるリチャードを見下ろしながら、私は最期の最期の記憶を振り返っていた。
◇◇◇
────昼の熱気がむわんと残る、オンボロアパートの一室。窓を開けても風なんか吹かないし、うちわで扇いでも余計に暑くなるだけ。軟禁シーンを描いていたせいでヒートアップした頭は、プツリとショートして万年床に倒れ込んだ。
とりあえず妄想していたプレイは一通り描き終わったしな……後はどうやって、軟禁部屋からアデリーヌを救おうか。
ああ……暑すぎてなぁんにも思い付かないや。ここはもうシンプルに、催涙スプレーとかスタンガンで、リチャードやっつけちゃおうか。
え? そんなもん異世界にはない? いやいや、異世界なら何でもアリでしょ。こんなに暑いんだから、うるさいこと言わないで。はい、もう決定。
枕の下に忍ばせておけば、お風呂やトイレで手枷を外してもらった時に、シュッ! バチッ! と…………
◇◇◇
後ろ手で、ドレッサーの引き出しから取り出した催涙スプレー。怪しまれないように、香水の小瓶に移し替えておいて正解だったわ。
綺麗な翡翠色から、ボロボロと涙を溢すリチャード。胸が痛むけれど……身を守る為だもん! しょうがない!
さすがにスタンガンは可哀想すぎて使えないなあ……と、引き出しを閉める。
おっと、こうしちゃいられない!
私は床に落ちたネックレスを拾うと、彼の背後に回り首に着けた。何とか金具が止まって良かったわ……と安堵する間もない。宝石箱をひっくり返し、底に隠しておいた手枷を、彼の手首にがっちりと嵌める。あ、念の為足も拘束しておこうと、ドレスのサッシュベルトで縛り上げた。
やっと一息ついた頃……媚薬が回り始めたのか、リチャードはぐったりと床に身体を預け、はあはあと肩で荒い息をする。涙ぐんだ目を薄く開け、縋るようにこちらを見上げる姿は、破壊級の尊さだ。
うおおお……なんて色っぽいの……
夜会も逃亡も放り出して、虐めたくなってしまう。
…………はっ! ダメよ! ダメダメ!
私は邪心を振り払い、彼の脇の下に腕を入れると、ズルズルと本棚まで引っ張る。火かき棒を器用に例の本へ引っかけると、禁断の扉を開いた。
「アデ……リーヌ……どうして……ここが……」
掠れた声で問うリチャードにペロッと舌を出すと、再び脇の下に手を入れ、階下へ引きずる。
うう……重いけど重くない……火事場の馬鹿力って、まさにこういうことね。さあ、ここからが正念場よ。
先にベットに登り、大きな身体をよいしょと引き上げれば、なんとか寝かせることが出来た。
汗を搔いているから念の為……と、棚に置いてあった吸い口付きのカップに水を入れ、枕元に置いてみた。可愛すぎて、思わず口移しで飲ませてあげたくなっちゃうけど……我慢我慢。
クラヴァットを抜き取り、シャツのボタンを幾つか外してあげると、ジャケットの内ポケットをごそごそと探る。それだけの刺激で、ぶるりと身体を震わせる姿にきゅんとしちゃう。
……ダメだ。すぐ脱線しそうになる。ええと……あっ、あった!
掴んだのは、この地下への隠し扉を、内側から開けることの出来る唯一の鍵。
「じゃあね、リチャード様。夜会が終わったら助けてあげるから。ちゃんとお水を飲んで、大人しく、いい子で待っているのよ?」
最後にちょっと悪戯しちゃおうと、一番苦しそうな場所を指でなぞれば、魚みたいにびくんと身体が飛び跳ねた。
「ダメだ……行くな……行かないで……アデリーヌ」
懇願する切ない声色。うるうるの瞳を見ないようにしながら、私は彼に背を向け、フェロモンが漂う禁断の部屋を後にした。
綺麗に整えた髪やドレスが、僅か数十分でぐちゃぐちゃになっていることに、侍女もメイドも驚いている。
「旦那様は……お疲れになって、私のお部屋でそのまま休まれているわ。今夜は、私一人で夜会へ行くようにと」
その言葉に、ああと納得した彼女らは、それ以上の追及はせず、手早く身なりを整えてくれた。
リチャードの絶倫ぶりは、この屋敷では周知の事実だもんね。お陰で怪しまれないで済むわ。
「夜の9時まで、部屋を開けるなとのご命令です。あ、あと、部屋に入る前にこれを読んでね。旦那様を起こす時の注意事項が書いてあるから」
少しだけ小首を傾げた後、「はい……」と返事をするメイド。その手に、予め用意していた一通の封筒を預けた。隠し部屋の開け方が書かれている手紙の間には、さっき奪った鍵も忍び込ませておいた。
付き添いの侍女と外へ出れば、まだ明るい午後の陽が、立派な馬車を照らしている。
うわあ……なんだかシンデレラみたいね! わくわくしちゃう!
この後の予定は……侍女に怪しまれないように、一旦夜会へ参加した後、途中で脱走する。もうあのアパートには住めなくなっちゃったから、早めに領地を出た方がいいわね。出来るだけ高価なアクセサリーを着けてきたし、これを売れば当分の間はなんとかなるでしょ。
ところで、夜会ってどんな所かしら。あんまり詳しく描写しなかったから不安なんだけど、だからこそ楽しみでもあるわ。ねっ、アデリーヌ?
はいっ、き久ゑさんが好きそうな、美味しいお料理も沢山あると思いますよ。お肉にロブスターにスイーツに……
聞いているだけでじゅるりと涎が溢れてくる。金欠でカツカツだった前世では、もやし、乾燥ワカメ、自家栽培のかいわればっかり食べていたから。
ハンカチで優雅に口元を拭うと、脳みそから食事を遠ざける。
……今日招かれている伯爵邸は素敵かな。
はいっ、お金持ちなので素晴らしいおもてなしだと思いますよ。華やかな装飾に、一流の楽団。あと、き久ゑさんが好きそうな、素敵な殿方も沢山いらっしゃると思います。まあ、どんな方もリチャード様には敵いませんけどね。
リチャード……
あ……
互いに無言になる。
そうよね。リチャードに敵うスパダリなんて、そうそういる訳がない。ヤンデレだって何だって、私が描いたヒーローなんだもん。
次第に遠ざかる屋敷を窓から眺め、くすんと鼻水を啜った。
アデリーヌの言う通り、伯爵邸の夜会は素晴らしかった。美味しい食事に豪華な装飾に美しい音楽。金髪や銀髪のイケメンもうじゃうじゃ居る。(ピンク髪も!)
逃げるんだから、もうそんなに気負わなくていいよねと、単純に夜会を楽しむ私達。アデリーヌにあんなに注意したくせに、結局ヘラヘラしてしまった。
さて……お腹も一杯になったし。そろそろトイレに行くフリをして、お暇しようかなと思った時、一人の令息からしつこくダンスに誘われてしまう。一人が誘えば、次は自分を……と、わらわらとイケメン達が集まってきてしまった。
くうっ、夢にまで見たモテ期! でも今じゃないのよ!
めんどくさいなあ、お腹ゴロゴロだからトイレに行かせてって言ってみようかな。そんなことを考えていると、一際背の高い黒髪が、金や銀の間をすり抜けてこちらへ近付いて来た。
うーん、やっぱり黒髪よね。お顔もきっと……ほら素敵!
翡翠みたいな切れ長の瞳、長い睫毛、高いお鼻、薄くてセクシーな唇、女子顔負けのつやっつやのお肌…………って……
「お待たせ、アデリーヌ。迎えに来たよ」
にこっと笑うその翡翠色の奥には……陰どころか、どす黒い熱が蠢いている。
どっ、どうして?
声にならずに口をパクパクさせる私の元へ、彼は長い足であっという間にやって来てしまう。なす術もなく固まっていると、手首を掴まれ、ぐいと引き寄せられる。熱い唇を私の耳に寄せ、自ら疑問に答えてくれた。
「……あそこにはね、もう一つ出入口があるんだよ」
出入口…………あっ、あああ!!!
大好きな汗の香りがする逞しい腕の中、抗えないときめきと共に、最期の最期の最期の記憶が甦った。
◇◇◇
枕の下に忍ばせておけば、お風呂やトイレで手枷を外してもらった時に、シュッ! バチッ! と…………
んで? リチャードをやっつけた後はどうする?
いつも持ち歩いている鍵を、内ポケットから奪って逃げるのが定番か。
んで? 逃げた後はどうする?
やっぱさ、ヤンデレ男には、しつこいくらい追いかけてもらいたいよね。……そうだ! もう一個出入口作っちゃおう。壁と同化している抜け穴的なヤツ? 鍵がないのに出られちゃったんだから、何も知らないアデリーヌはびっくり……
ふわあああ……本格的に暑い。怠い。眠い。
続きはまた明日。おやすみなさぁい。
◇◇◇
詰んだ……どうしてこんな大事なことを、今まで忘れていたんだろう。
ねっとりした汗がダラダラと背筋を伝い、ドレスを肌に張りつかせる。勝手に口が動き、素朴な疑問を投げかけていた。
「手枷……よく外せたわね」
確か、手枷の外し方は描いていないはず。
「ああ、あれは鍵なんていらないんだ。親指一つで簡単に外れる。……君にはやり方を教えてあげないけど。あ、解毒薬も飲んだから心配しないで。まだ少し熱くて苦しいけどね」
ちょっと……ヒーロー権限で、勝手に設定創らないでよ。何でもアリになっちゃうじゃん。
耳朶を軽く食まれただけで、もう反論することも出来ない。力が抜けていく身体を、ひょいと抱き上げられた。
「……そうだ。ロアルドっていう子爵令息が君を訪ねて来たから、丁重にお引き取り願った。もしアレが君の想い人だとしたら、申し訳ないことをしたな」
…………ロアルド!!
それもすっかり忘れてた!
うわあああん! バカ! アホ! ぽんこつ!
アデリーヌのこと言えないじゃない!
頭をぽかぽか殴る私の手をつと取り、その甲に燃える唇を落とすリチャード。燻り続けた為に、酷く掠れてしまった声でこう言った。
「……アデリーヌ。僕とかくれんぼをしようか?」
菊池ひまわりアデリーヌき久ゑ。
ぽんこつな彼女は、愛するヤンデレ夫と共に生き……共に死ぬことを決意した。
ありがとうございました。
軟禁シーンはいつかどこかで♡