3
長くなったので、四話に分けます。
次話で完結します。
その決心に、自分の中のアデリーヌとしての部分がはしゃぎ出す。
夜会に行けるのね! やったあ!
あの綺麗なドレスを着て、大好きなリチャード様にエスコートしてもらうの。ダンスを踊って、美味しいお食事もして……ふふっ。帰りは途中で馬車を降りて、月夜の下を二人で歩くのもいいわね。
うっとりと妄想するアデリーヌに、ひまわり(き久ゑ)としての自分はケッと悪態をつく。
だ~か~ら、その大好きなリチャード様が、あんたを夜会に行かせないように画策してるんだってば! 殺されるかもしれないってのに、なんて能天気なの。そんなんだから軟禁されるのよ!
しゅんとするアデリーヌに、更に畳み掛ける。
いい? あんたは楽しむ為に夜会に行くんじゃないのよ。侯爵夫人として、リチャードの妻として、認めてもらう為に行くんだからね? 絶っっっ対にヘラヘラするんじゃないわよ? あんたの顔は可愛すぎるんだから、ちょっと変顔しとくぐらいでちょうどいいわ!
はいと素直に頷かれるも、不安で仕方ない。なにせアデリーヌはア……ぽんこつだからね。まあ、そんなぽんこつな所が彼女の魅力でもあり、恋する少年をヤンデレ絶倫男に変えた原因でもあるんだけど。
ぽんこつ…………
そう、そうだわ。彼の愛が歪んでしまったのは、アデリーヌのぽんこつが原因だ。アデリーヌが、彼を散々不安にさせたから。だったらその不安を取り除いてやればいい。自分は愛されている、彼女にとって一番の存在なのだと、自信を持たせてやれば……
リチャードの性格は、生みの親である私が一番よく知っている。きっと出来るはずよ。
後はあそこね……と、部屋の隅の大きな本棚を見つめた。
少し眠りたいから、呼ぶまで誰も部屋に来ないようにと侍女に言うと、重い身体をよっこらせと起こした。激務からもう数時間立つのに、生まれたての小鹿みたいに力の入らない足腰が恨めしい。
リチャードめ……今にギャフンと言わせてやる。
ドレッサーの椅子を引っ張りながら、よろよろと本棚まで近付くと、椅子によじ登り、一番上の段の右から三番目の本を指で引っ張った。
『倫理哲学と法哲学』
ロマンス小説や刺繍の本と並んでさりげなく置かれてはいるが、ぽんこつアデリーヌが絶対に興味を示さないタイトルだ。我ながらベタな設定だなあと苦笑していると、本棚がすうっと横に動き、地下へと続く隠し扉が現れた。
そう、これこそが、リチャードが予め用意していた、アデリーヌの軟禁場所だ。
一ヶ月後に来るXデー。
ロアルドを静かに屋敷から追い払ったリチャードは、『おかえりなしゃい』とヘラヘラ笑うほろ酔いアデリーヌの目を、翡翠色のクラヴァットで乱暴に覆う。
『……アデリーヌ、僕とかくれんぼをしよう』
そう一言だけ呟くと、目の見えない彼女をここに引きずり込み、嫉妬と怒りをぶつけながら激しく抱く。そこからいきなり、恐怖の軟禁生活が始まるのだ。
灯台もと暗しってやつね。まさか自分の部屋にこんな恐ろしい場所が用意されていただなんて、アデリーヌは思ってもいなかったでしょう。
だけど菊池ひまわりは作者!
ここは菊池ひまわりが描いた世界!
何でも知ってるんだからね~。
ランプを手に、狭い階段を慎重に降りると、改めて室内を見回す。十何畳? 私が住んでたアパートよりもずっと広い部屋のほとんどは、そうする為の部屋ですよと言わんばかりに、キングサイズのベッドが占めている。奥にはラブホを彷彿とさせる、ガラス張りのバスルームとトイレが……
ゾッとしながらも壁に備え付けられた棚を確認していくと、リチャードのお楽しみグッズがズラリと並んでいた。
手枷……首輪……縄……スケスケ穴だらけのいやらしい下着。そしてこの何本も並んだ綺麗な瓶には、今までとは比べ物にならない強烈な媚薬が入っている。好奇心からつい蓋を開けると、そのにおいだけで危うく失神してしまいそうになった。
恐ろしい……恐ろしすぎる。万一ここに閉じ込められた場合に備えて、脱出する方法を考えておかないと。
キョロキョロと辺りを見回している内に、枕の下から何かがはみ出していることに気付いた。突っ込んだ手に握られていたのは、異世界らしくないある物。
これは…………あっ!
◇
その夜、夜会から帰宅するなり、私の部屋に直行するリチャード。ベッドに腰掛けると長い足を組み、色気たっぷりにクラヴァットを緩めながら言う。
「何も変わりはなかったか? 具合は大丈夫?」
当たり前のように寄せられた唇を、私は細い指でパッと押さえた。初めてキスを拒んだアデリーヌに対し、優しい夫の仮面は忽ち剥がれ、翡翠色の瞳に黒い陰が浮かび上がる。
ひいっ! 怖いよう……Xデーを待たずして軟禁されたらどうしよう。いや、いやいや。ここで怯んだら駄目よ。菊池ひまわりはリチャードの親。親が子を怖がるなんて情けないわ。落ち着いて……シミュレーション通りにやるのよ。
私は頬っぺたをぷくっと膨らませ、形の良い眉をしかめながら上目遣いで夫を見上げる。
初めて見るアデリーヌの表情に、予想通り、リチャードの瞳は戸惑いの色を浮かべた。
よしよし……いい感じとほくそ笑みながら、私は続ける。
「大丈夫な訳がないです。こうしてベッドに入っていても、悔しくて悔しくて、少しも眠れませんでした」
「……悔しい?」
大きな瞳を潤ませ、愛らしい唇を尖らせる。
「リチャード様が他のご婦人の手を取って……ダンスを踊ったり、笑い合っていると思ったら。悔しくて悔しくて、胸がもやもやするの。私、病気なのかしら」
リチャードの瞳はパッと輝き、口角が緩む。……よし、かかった!
「……それは病気なんかじゃないよ、アデリーヌ。君は嫉妬しているんだ」
「嫉妬?」
「ああ。僕のことが好きだから……他の女性に取られたくないって。ほら、僕が一杯で、ここが苦しいんだろう?」
薄い夜着の上から胸を悪戯につつかれ、腰がくだけそうになる。
ダメ……負けちゃダメよ、き久ゑ。
私は長い睫毛を伏せ、男が一番庇護欲をそそられそうな角度(練習した)で瞬いた。恐怖から自然と溜まっていた涙が、上気した頬をほろりと流れていく。
「好きなんてものじゃないわ……愛しているの。すごく、すごくすごく愛しているの。それなのに、リチャード様は全然分かってくれないわ」
「僕が分かっていないだって?」
「ええ。身体の弱い私を放って、楽しそうに夜会へ出かけてしまうんですもの。これも侯爵としてのお務めだって……分かってはいるけど。私はいつも、一人きりで残されて。夜会で素敵な女性と出逢ってしまったらどうしよう、リチャード様に捨てられてしまったら……どうしようって」
「そんなこと……君を捨てるなんて、そんなことある訳がない!」
「……そうね。リチャード様にとって、私はいつまでも頼りない可愛い妹のままだもの。優しいお義兄様が、哀れな私を捨てられる訳がないわ」
「アデリーヌ」
「だけど私は、リチャード様の妹じゃなくて、妻として認められたいの。夜会に行って、侯爵夫人として立派に振る舞うことが出来れば……リチャード様は私を愛してくれるかもしれないでしょう?」
健気なアデリーヌの言葉に感極まったのか、リチャードの翡翠色も潤み出す。
よしっ、押せ! 押すんだ!
「どんなに素敵なドレスを着ても、私は他の女性みたいに、綺麗になんかなれないって分かっています。素敵なリチャード様には釣り合わない。隣に並んだら、恥ずかしい思いをさせてしまうって。でも……私は夜会へ行きたいわ。次こそは……這ってでも夜会へ行きたい」
「アデリーヌ……それは」
言いかけるリチャードの唇を、涙で濡れた唇で塞ぐ。同時に翡翠色のクラヴァットを素早く引き抜くと、それで彼の両手首をまとめて縛った。
「アデっ……うっ!」
動揺しているのか、いつもは鋼のような彼の胸も、押しただけで簡単にシーツに倒れる。その上に跨がると、真っ赤になった彼の頬を撫でた。
ヤンデレ男はどこへやら……自分の下で震えるその姿は、ピュアでウブな少年みたいだ。
「今日は……私がリチャード様を愛します。リチャード様が私を愛してくださるまで、一生懸命愛します。だから……何もしちゃ駄目ですよ?」
出逢った時と同じ、リチャード少年の胸を一撃で仕留めた笑顔でそう言うと、最後まで主導権を握りながらお務めに励んだ。
◇◇◇
それから連日連夜、死にそうな身体に鞭を打ちながら、積極的に愛を伝え続けた私。その甲斐あって、リチャードの表情は、以前とは比べ物にならない程穏やかになってきた。
「ねえリチャード様、あのレモンイエローのドレスに、翡翠色のレース飾りを足してもいい? リチャード様のお色を身に着けて、一緒にダンスを踊りたいの」
……なんて可愛らしくお願いすれば、すぐに仕立て屋を呼びつけてくれた。
そしてなんと! 夜会の一週間前からは、夜の営みを抑え(控えるんじゃなくて抑え)、見える所にはキスマークを残さないでくれている。
これは……次こそは夜会に行けるんじゃないかと、アデリーヌとハイタッチをしていた。
その一方で、私はリチャードとは絶対に接点がなさそうな下女に接触し、密かにある物を入手してもらっていた。
それは侯爵夫人がとても暮らせるとは思えない、オンボロ格安アパートの入居者募集チラシ。下女の親戚の名を借りて、いつでも入居出来るように契約を済ませておいた。
色々努力はしているけれど、軟禁される可能性はまだ充分にある。危険を感じたら……しばらくここに潜伏した後、機を見て他の領地へ逃げよう。
手持ちの宝石を売って、食い繋いで、あとは小説家として今世も頑張ってみよう。本棚を見る限り、こっちでもロマンス小説が流行っているらしいし。
なにせここは異世界。前世のあの小説やこの小説もパクり放題だ。どれが当たるかは分からないけど、色々書いてりゃどれか一つくらいは異世界人の好みに合うでしょ。
そりゃあね……なんだかんだ言っても愛しちゃってる夫と別れたくはないけれど……腹上死だけは怖い。それだけは避けたい。
次々に甦るリチャードとの想い出。切ない胸を、人気作家になるという壮大な妄想で搔き消した。
いよいよ夜会当日の夜。
リチャードは私に指一本触れることなく、「明日は楽しみだな」と微笑みながら、隣で寝息を立て始めた。
よかった……後は美しく思慮深い侯爵夫人として、堂々と夜会に君臨するだけよ。マナーは完璧、政治経済や、社交界の繋がりも頭に叩き込んだ。きっとリチャードも、私を誇らしいと思ってくれるわ。可愛いだけで役立たずのぽんこつ妻とはおさらばね。
賞賛される自分を思い浮かべながら、私も夢の世界へ心地好く溶けていった。
翌朝、ぐっすり眠った健康的な身体で、眩しい朝日を向日葵みたいに受け止める。うーんと背伸びをし、ぐっと拳を握った。
よっしゃ、今日は頑張るわよアデリーヌ!
はいっ、変顔ですね、き久ゑさん!
……大丈夫かな。それにしても、自分同士で会話をするって、いつまで経っても変な感じね。
控えめな朝食を済ませると、出発時間に合わせて早めに支度に取りかかる。どこもばっちくない、陶器みたいな真っ白な肌に、翡翠色で飾られたレモンイエローのドレスを着たアデリーヌは、ため息が出る程綺麗だ。
まるで女神様みたい……と鏡の中の自分にうっとりしていると、麗しすぎる正装姿のリチャードが背後に映った。こうして見ると、本当にお似合いの二人よね。
侍女達がササッと部屋を出て行くと、リチャードは私を後ろから抱き締め、甘い声で囁いた。
「……綺麗だね、アデリーヌ。僕の色と同じ、僕だけのものだ」
「ええ。私は貴方だけのものよ、リチャード」
気が変わらないようにと、逞しい腕を撫でながら、私も甘い声で返す。
「…………本当に僕のものかな」
へ?