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王道ど真ん中です。
ゆるっとお楽しみください♪
「……無理しないで、ゆっくり休むんだよ」
「申し訳ありません。今回こそはと新しいドレスも仕立てていただきましたのに」
「気にしないで。今度僕と出掛ける時にでも、着てくれればいいんだから」
夫の優しい言葉に一層情けなくなり、溢れた涙をぐすっと啜った。
……どうして夜会や舞踏会の日になると、ベッドから起き上がれなくなってしまうのかしら。もうお昼近くだというのに、まだ身体が気だるい。
お医者様からは、少し虚弱体質だけど、大きな病気ではないと言われている。お散歩はもちろん、観劇やお買い物、それに旅行だって。全部全部、普通に出来るのに。
侯爵夫人として何不自由ない生活をさせてもらっている。食事はシェフが作り、お掃除や洗濯はメイドがし、身の回りのことは侍女がしてくれる。私はお花を生けたり、刺繍をしたり、たまに貴族のご夫人方と、交流と称したお茶会を楽しむだけでいい。
一つだけ、私が励まなければいけない務めがあるとしたら、それは夜の営みだ。月のものがある時以外は、ほぼ毎日夫から与えられる務めを、妻としてしっかり果たさなければならない。体格が良く、体力もある夫のこと。最初こそは毎日疲れ果てていたものの、最近は大分慣れてきた。だけど……
「どのみち、これではあのドレスは着られないな」
首から胸元にかけて、無数にある痣に触れながら夫は言う。長くて熱いその指に、私の肌はすぐにピクリと反応してしまう。
「すみません……本当に、どうしてこんなに肌が弱いのかしら」
渡された手鏡を見て、今日は一段と酷いわとため息を吐く。この薄く繊細すぎる肌のせいで、胸元の開いたドレスはほとんど着られず、流行遅れの襟の詰まったデザインのものばかり着ていた。お茶会に来るご夫人方のお肌はとても綺麗で、胸元が開いていても全く問題ないのに。
私の野暮ったい襟元を見ても、ご夫人方はいつも優しくこう言ってくださる。
『アデリーヌ様はお身体を冷やしてはなりませんものね』
『お風邪など引かれぬように、喉も温めて大切になさってくださいね』
そう、どうやら私は、社交界では身体の弱い妻ということになっているらしい。夜会でパートナーを務められない私に悪評が立たぬようにと、夫が気を遣ってそうフォローしてくれているのだろう。
何故夜会や舞踏会にだけ行けないのかしら……何故こんなにも身体が重く足腰が立たないのかしら……と考えても、特に思い当たることはない。強いて言えば、朝方まで……小鳥の声がチュンチュンと聞こえる頃まで、お務めを果たしていることくらいだろうか。でもこんなことは、どのご夫人方もこなされていることであって。やはり自分は、まだまだ体力も経験も足りないのだと思う。
「君の好きな、甘いケーキを用意させたからね。お風呂に入ったら、一緒に食べよう」
私の頭をぽんぽんと撫でながら微笑む夫は……ただただ優しくて。まだ義兄だった、あの頃を思い出す。
私の夫、リチャード様は、元々私の義兄だった。男爵令嬢だった私の母と、伯爵令嬢だったリチャード様の母君クレナ様は、貴族学院時代の親友で。父と母が馬車の事故で亡くなった後、身寄りのない私を、クレナ様がこの侯爵家に引き取ってくださったのだ。
侯爵家の方々はみんな優しく、特に一人息子で三歳上のリチャード様は、私のことを実の妹同然に可愛がってくださった。園遊会や子供達のお茶会でも、居候の私が肩身の狭い思いをしないようにと、ずっと傍に居てくださったし、デビュタントのパートナーまで務めてくださった。
周りのご令嬢方はどんどん見初められて婚約していくのに、私は適齢期を過ぎても、誰からもお声がかからなかったから。それどころか、殿方とまともにお話し出来たことすらない。勇気を出して自分からご挨拶をしても、みんなどこかよそよそしくて……
そんな私を憐れに思い、リチャード様は襲爵と同時に、私と結婚し侯爵夫人として迎え入れてくださったのだ。眉目秀麗、文武両道の彼。良家のご令嬢とのご縁談が、沢山あったはずなのに……と申し訳なく思いつつも、大好きな義兄の傍にずっと居られる嬉しさの方が勝っていた。
それにしても……よほど女性としての魅力がないのね、と鏡に映る自分を見つめていると、すっとそれを取り上げられ横抱きにされた。
「さあ、お風呂へ行こう」
────身体はさっぱりしたのに、ますます具合が悪くなってしまった。リチャード様と一緒だと、普段自分では洗わない所まで丁寧に洗ってくださるから……いつもこうしてのぼせてしまう。それに、今日は特に念入りに清められたような。
いつの間にか取り替えられていた清潔なシーツの上に、ぐったりした身体を寝かされる。
こんなんじゃ夜会なんてとても無理ね……
扇子で優しく扇いでくれる夫の姿に、またもや情けなくなり目を閉じた。
しばらくすると、甘い香りがふわっと鼻腔をくすぐった。チラリと目を開ければ、色鮮やかなケーキと美しいティーセットがベッドサイドに運ばれている。
「わあ……」
よろよろと起き上がる私の背を、夫は素早く支え、座りやすいようにクッションを挟んでくれる。
慣れた手つきでベッドテーブルを用意し、もう昼食に近い朝食の用意をさくさくと整えてくれた。
「さあ、召し上がれ」
わくわくとお皿を覗き込む。
今日のケーキは……向日葵? 着られなかったドレスと同じ、レモンイエローの花が、白いクリームの上に沢山咲いていた。お皿の上には、向日葵によく似た、黄色い雛菊が飾られている。
…………ん?
向日葵……菊……ひまわり……菊……池……
ああっ!!
脳天をビリビリと駆け抜ける記憶。
そう……そうそうそうそう! 思い出したわ……私の名前は、『菊池ひまわり』。名前っていっても、本名じゃなくてペンネームなんだけど。(本名は菊池き久ゑ)
そしてここは……私が描いた18禁ヤンデレ小説『夫になった元お義兄様は、私を夜会へ行かせない』の世界だわ。
一体なんでこんなことに……。手繰り寄せた最後……いや、最期の記憶に、私は顔を覆う。
売れない小説にかまけていたら、とうとうバイトをクビになって。お金がなくて電気を止められて、熱帯夜に冷房も扇風機もなしで寝ていて……あっ、熱中……症? それだわ、きっと。
…………いやだあ! なんか地味! 転生っていったら、普通トラックに跳ねられてとかじゃないの!? ただでさえオンボロなアパートを事故物件にしちゃったなんて……私、最悪。
顔を覆ったまま、ばふっと頭をクッションに預ける私に、心配そうな声が降ってくる。
「……どうした? アデリーヌ」
指の隙間から、そうっと声の主を覗き見れば……
うおおっ! 眩しい! 陰キャの喪女には眩しすぎる美しさよ!
そりゃあ『アデリーヌ』としては何べんも見てきたんだけどね、こうして前世の記憶を取り戻してから見ると、改めて感動しちゃう。
さらさらの美しい黒髪(異世界でも男子は黒髪派!)、翡翠みたいな切れ長の瞳、長い睫毛、高いお鼻、薄くてセクシーな唇、女子顔負けのつやっつやのお肌。
妄想通り。いえ、妄想以上! こんなに素晴らしいものを創った自分を褒めてあげたいわ。
「どうしたんだ? 具合が悪いのか?」
しかめた眉を、ずいっと近付けられる。
ひいい! これ以上は耐えられませんてば!
「あ……だだ……大丈夫です……尊すぎて……興奮……? してしまって」
リチャード殿は、ああと頷くと、もう一度私の背を支え優しく座らせる。向日葵を壊さないようにケーキの端っこをフォークで掬うと、眩しすぎる微笑みを浮かべながら、私の口へと差し出した。
「どうぞ」
ぐわあああっ!!
これっ……これはっ……女子なら誰もが憧れる、スパダリの『あーん』じゃないか!
「……食べないの?」
美しい眉を下げ、切なげに首を傾げるリチャード殿に、「いいえ、有り難く頂戴致しますです」と言うと、パクりとフォークに喰らいついた。
甘あい……美味しいぃ……き久ゑ、幸せ♡
頬っぺたを押さえ、舌の上でうっとりとクリームを転がす私を、リチャード殿はにこにこと見つめてくれる。
本当に素晴らしいご尊顔ね……アデリーヌちゃんったら、こんなスパダリと毎日一緒で幸せ……
そこで私はやっと気付く。
『18禁ヤンデレ小説』
そう、この美しい夫の中には、歪んだ愛情と獰猛な本性が秘められていることを……