プロローグ
私が産まれたのは天王暦658年の3月。
私はナクガミ村の村長である父・デュークとナクガミ村の隣村であるナミガサ村の八百屋の母・サーシャの長女だ。
母は父の手伝いで忙しく幼少の私の世話を放棄していたのをよく覚えている。
逆に父は母が私の世話を放棄したことを知っており、母が寝静まった頃に遊んでくれた記憶がある。
今、思い返してみると私が生きていけたのは父のお陰だなぁと感じた。
まあ、そんなことを今思い出しても私は死にそうなのだから意味がない…これが謂わゆる走馬灯ってや…つな…の……。
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天王暦678年5月。
聖女マリア死亡。
勇者ハルト生存。
賢者カナリア瀕死。
その他含め250人の死者と3658人の重体。
と全国の民に震撼させた記事が張り出された。
多くの人は聖女マリアの死を悲しみ。一部の人たちは知り合いや友人の死を悲しんだ。
各国の代表たちは聖女の遺体をどうするか議論していたが、ある一人の女性が「聖女様がお亡くなりになった場所で埋葬されるのはどうでしょうか?」と発した事により聖女マリアが埋葬されるのは彼女が亡くなった【カランディア平原】となった。
それから半年が経ったある日のこと…
再びお偉いさん方が聖女マリアの埋葬をどこにするのか話し合っていた…。半年前の議論はなんだったのかと思うかもしれないが埋葬するにあたって問題が起きた。
聖女マリアの母・サーシャとマリアの妹であるカミラがお偉いさんたちに抗議を起こした。「私の娘をあんなところに寝かせないで下さい!」「お姉ちゃんをあの汚い土地に…」と発言している為、家族の意見を尊重する様な形で再び行われた。
3日に渡って会議が行われたが中々決まらなかった。
しかし、聖女の出身地であるナクガミ村から一通の手紙が届いた。
その手紙に書かれていたのは…
各国の代表がこの手紙に書いてあったとおりに聖女の遺体をアルテミス神王国の大聖堂に安置する事にした。
***
聖女の遺体が安置されてから数年の時が経った。
聖女の遺体が安置されている大聖堂では沢山の信者が日々訪れている。ある一人の信者は「聖女様によってこの世界は救われた」とか。また、ある信者は「聖女様や勇者ハルトによって私たちの生活は安定している」と言っていた。
しかし、ある国では再び人間たちを滅ぼさんと計画している黒いボロボロの衣服を纏っている人たちがいた。