都市伝説好きな女子大生の危険な好奇心
一年間の浪人生活にも滅気ずに志望校である畿内大学文学部へ合格した僕は、都市伝説研究会というサークルに体験入部させて貰う事になったんだ。
こんな怪しさ全開の団体名を掲げたサークルに首を突っ込んでみようと思った理由は、正直言って一言では言い表せないよ。
卒論テーマとして目星を付けている小泉八雲の「怪談」への理解を深める良い刺激になると判断したのも大きいし、「怪しい団体名にも関わらず、文化学科の認可を受けている」と知って得られた安心感も重要なファクターと言えたね。
だけど一番の決め手になったのは、都市伝説研究会の会長に対する個人的な好感だったんだ…
窓から見える青々とした新緑は目にも鮮やかだし、整備の行き届いた赤いセダンの乗り心地は良好。
オマケにハンドルを握っているのが年上の美人女子大生なのだから、自然と心も弾んでしまうよ。
「このスカイラインって、ホントに走りやすいでしょ?だから夜になると時折、走り屋の人達が峠を攻めに来るらしいよ。」
巧みなハンドル捌きでセダンを手足のように操りながら、運転席に腰を下ろした年若いドライバーが軽く口角を上げて微笑んだ。
艷やかな黒髪はポニーテールに結われているため、後部座席に掛けていると白い項が否応なしに視界に入ってくる。
二十歳になったばかりの健全な若者としては、何とも悩ましかったよ。
バックミラーに写る鏡像だって、スッキリとした目鼻立ちに白くてシミ一つない細面と、非の打ち所がない整いようだったね。
畿内大学文学部文化学科に四回生として在籍する鳳飛鳥先輩は、学科内でも評判の美貌の持ち主だ。
だけど、そんな鳳先輩に特定の恋人は存在しない。
もっとも、並の男じゃ先輩の恋人は務まらないよ。
何しろ鳳先輩が恋い焦がれる相手といえば、都市伝説や現代妖怪といったオカルト染みた物なのだからね。
「今回の学外調査で私達が探しに行く幽霊も、そんな走り屋の成れの果てなんだ。バイクを速度オーバーでぶっ飛ばしていたら、運転ミスで谷底へ真っ逆さま。それ以来、このスカイラインに出没しては車やバイクを道連れにしようと狙っているんだよ。ホントに厄介だよね?」
こんな物騒で縁起の悪い話を、鼻歌交じりのウキウキとした口調で語るんだもの。
常人に比べて鳳先輩の神経が如何に図太いかが、良く分かると思うよ。
とはいえ他の先輩達にしても、鳳先輩と似たりよったりの常人離れした思考回路の持ち主だけどね。
何しろ鳳先輩のお手製という生春巻を肴に日本酒なんか傾けちゃって、すっかり物見遊山気分だもの。
そんなオカルト系の研究会らしからぬ緊張感の無さに最初は戸惑ったけれど、いざ腹を括って向き合ってみれば、この緩くてリラックスした雰囲気は何とも心地良いね。
美人の先輩が運転するセダンの乗り心地も良好だし、都市伝説の研究調査という目的なんか忘れて温泉にでも直行したい気分だよ。
そんな僕のリラックスムードは、何気無く運転席を覗き込んだ事で瞬時に吹き飛んでしまったんだ。
「えっ?ナビがデタラメですよ、鳳先輩!」
カーオーディオの液晶に表示されたカーナビ画面は、もはやナビゲーションの役割を果たしていなかった。
音声ガイドはデタラメも良い所だし、地図だって実際に走っている道路とは全く違っている。
設定されている目的地だって、もうメチャクチャだ。
鳳先輩が入力したのはスカイライン中腹のドライブインのはずなのに、今は「道の駅きさらぎ」なんて有りもしない施設名になってしまったのだから。
きさらぎと駅の組み合わせを見ると、あの有名な都市伝説を思い出しちゃうよ。
例の都市伝説では、「きさらぎ駅に降りた人は行方不明になる」って話だけど、道の駅でも同じ事が起きちゃうのかな?
「おっ!このスカイラインには道の駅なんて無いはずなのに、おかしいな!」
そんな僕とは対照的に、鳳先輩は全く動揺していなかった。
怪しさ全開の変調を来したカーナビ画面なんか、チラ見しただけで笑い飛ばすんだもの。
「言うなれば、道の駅じゃなくて未知の駅…アッハハ!なかなか上手いシャレじゃないの!」
それどころか、下らない親父ギャグを飛ばしてゲラゲラと馬鹿笑いをする始末。
幾ら都市伝説研究会の代表とはいえ、これは常軌を逸しているよ。
まるで恐怖という感情を何処かに置き忘れてしまったみたいだ。
「ねえ!この車に何が起きているんですか?さっきまで晴れていたのに、急に霧が出てきたし…僕達って、本当に大丈夫なんですか?!」
「池上君と言ったね?大丈夫、全ては鳳会長を信じる事だよ。」
他の先輩達も異様に落ち着き払っていて、何だか薄気味悪い。
‐もしかしたら正常な人間は僕だけで、他の先輩達はみんな化け物ではないだろうか。
そんな不安が脳裏を過ぎった、その時だったよ。
「そろそろ目的地か…みんな、セーフティグリップにしっかり掴まっていてよ!」
鳳先輩の注意喚起から間髪入れずに、強烈な重力と負荷が赤いセダンの車体に掛かったのは。
「うっ…うわああ!」
大きく切ったハンドルと急ブレーキでタイヤが横向きになったセダンは、数秒間のドリフト走行を経て何とか無事に停車出来たんだ。
あの急ブレーキの振動と強烈なスキール音は、しばらく忘れられないだろうな…
不思議な事に、鳳先輩がセダンを停車させた次の瞬間には、あの奇妙な霧は掻き消すように収まっていったんだ。
そして外の景色を目にした瞬間、僕の背筋は凍り付いたよ。
赤いセダンが停車したのは、間違っても道の駅じゃなかった。
断崖に設けられた展望台は見晴らし抜群で、SNS映えする写真が何枚も撮れそうな絶景だ。
補修した痕跡の確認出来るガードレールと、その支柱に手向けられた花束に目を瞑ればの話だけど。
−鳳会長が急ブレーキを踏まなければ、今頃は僕達が崖下に落ちていた。
そう思うと、こうして生きていられる事が嘘みたいだよ。
「ふう、死ぬかと思った…」
ホッと安堵の溜め息を漏らした僕だけど、次の瞬間には総毛立つ恐怖に襲われたんだ。
『死ねば良かったのに…』
地獄から響くような、陰に籠もった低い男の声。
忌まわしい呪詛の呟きは、カーオーディオのスピーカーから聞こえて来たんだ…
有名な都市伝説そっくりな状況に見舞われ、僕の精神は恐怖と混乱で限界寸前だった。
しかしながら、畿内大学文学部公認の都市伝説研究会が実施する学外調査は、これからが本番だったんだ。
「ふ〜ん、『死ねば良かったのに』だって?一人で成仏も出来ない腰抜けの癖に、利いた風な口を叩くんじゃないの。」
呪詛の呟きを茶化す声は、運転席の方から聞こえて来たんだ。
「えっ、鳳先輩!?」
『んっ…えっ!?』
どうやら戸惑っていたのは、僕だけじゃないらしい。
カーオーディオから聞こえてくる男の声には、明らかに動揺の響きが感じられたんだ。
生きている人間から反論された事なんて、今まで無かったんだろうな。
「成仏するなり、好みの異世界に転生するなり…そういう前向きな将来設計をせずに、他人の足を引っ張るような見苦しい真似をしているから、誰からも相手をされないんだよ。」
動揺を隠せない幽霊の声とは対照的に、鳳会長は増々勢い付いているみたいだ。
とはいえ、鳳先輩の発言も一応の筋は通っているな。
考えてみれば、現世に未練を残して悪霊になるよりは、未練を振り切って異世界転生で楽しくやる方が幾分かは建設的なのかも知れないし…
「そもそも買ったばかりのバイクで崖下に転落したのは、貴方の自業自得じゃないの。それを都合良く忘れた挙げ句、生きている人間を逆恨みして道連れにしようなんて。全く情け無いったらありゃしないよ。」
『ぐっ、ぐぐぐっ…!』
鳳先輩の口撃は、どうやら相手の痛い所を的確に突いてしまったらしい。
何らかの超自然的な存在が憑依したらしいカーオーディオからは、ギリギリと歯噛みする音まで聞こえてきたんだ。
「こういう情け無い幽霊は、生きていた頃も相当な意気地無しだったんだろうな。夜中に一人でトイレに行くのが怖くて仕方なくて、お母さんに付き添って貰ったんでしょ?私なんて幼稚園の年少さんの頃には、一人でトイレも歯磨きもこなせていたのに…」
『きっ…貴様!黙っていれば、好き放題に言いやがって!』
とうとう堪忍袋の緒が切れたのか、カーオーディオから聞こえる男の声は、怒りと屈辱に震えていた。
何とも皮肉な話だけど、その激高した様子は幽霊とは思えない程に人間臭かったんだ。
『もう許さんぞ!お前ら全員、あの世に送ってやる!』
「勇ましい啖呵を切るのは結構だけど、まずは自分の置かれた状況を冷静に確認した方が良いんじゃないかな?」
剥き出しになった幽霊の怒りも、どこ吹く風。
バックミラーに映る細面の美貌には、何とも不敵な涼しい微笑が浮かんでいたんだ。
「君が私の挑発に乗ってくれている間に、後輩の子達に盛り塩をさせたんだ。この車の鬼門と裏鬼門の直線上に盛り塩したから、もう逃げられないよ。」
そう言えば先程、後部座席で僕の両脇を固める先輩達がゴソゴソしていたけど、あれは盛り塩の準備だったんだね。
それにしても、敢えて悪霊を足留めさせるとは大胆だなぁ…
『なっ、何っ?!ならば小娘、貴様達の身体を…』
「私達に取り憑こうとしても無駄だよ。ハンドルキーパーの私以外は、みんな御神酒で清められているんだ。」
確かに鳳先輩以外の先輩達はこぞってお酒を呑んでいたけど、あれは遊び半分じゃなくて御清め目的だったのか。
そう考えると、体験入部に来た一回生の中で一浪した僕だけが学外調査に誘われた理由も腑に落ちたよ。
何しろ、未成年にお酒は飲ませられないからね。
怖いもの知らずのオカルトサークルでも、法律を破ったら一大事だもの。
『なっ、何っ…?だったら、お前の身体を乗っ取ってくれるわ!あれっ?何故だ、取り憑けない…』
「アハハッ!生春巻のライスペーパーに、般若心経を食用色素で印刷しておいたからね!言わば今の私達は、御腹の中から御経に守られているんだよ!」
動揺を辛うじて抑えた悪霊に、更なる追い打ち。
鳳先輩も容赦が無いなぁ…
そう言えば生春巻の表面に文字みたいな物が浮かんでいたけど、あれは御経の印刷だったんだね。
「それでは君にも、般若心経を味わって貰うからね。まずは視覚で、たっぷり楽しんでよ!」
場違いな程に朗らかな鳳先輩の笑い声と呼応するかのように、ポケットから左手で取り出された折り本がみるみるうちに展開されていく。
そうして広げられた般若心経の経本は、カーオーディオのディスプレイを覆い隠すようにピッタリと貼り付けられたんだ。
『むっ、むぐっ!なっ、何をする!?』
すると次の瞬間、先程まで呪詛の言葉を呟いていたスピーカーから、まるで鼻と口を塞がれたかのような苦しげな呻き声が聞こえて来たんだ。
悪霊だけあって、やっぱり御経は苦手なんだね。
『やっ、止めろ…それを…それを近づけるんじゃない!』
「そう遠慮しないでよ。これからが楽しいんだから…」
苦悶に満ちた呻きを上げる悪霊とは対照的に、鳳先輩は殊更に快活だった。
空いた右手でスマホを取り出し、テキパキと操作を始めたけど、一体何をする気なんだろう…?
「それでは次の一曲です。堺県堺市の鳳飛鳥さんからのリクエストで、真言密教の高僧による般若心経の読経をお楽しみ下さい!」
喜々とした口調の鳳先輩がスマホの操作を終えた次の瞬間、般若心経の荘厳な読経が車内に響き渡ったんだ。
どうやら市販のCDから取り込んだ音源を、アプリで再生しているみたいだね。
流石は霊験灼然な密教の高僧が唱える般若心経。
実家が浄土真宗だから心経を唱える習慣の無い僕の心にも、その神聖な清々しさが染みてくるよ。
そしてそれは、あのカーオーディオの悪霊も同じだったらしいね。
『ぐっ…ぐわああっ…!?』
最後の辺りが掠れて不明瞭になっていた絶叫は、どうやら強制的に浄化させられた悪霊の断末魔だったらしい。
己の存在を抹消させられる恐怖と絶望に必死で抗おうとしたためか、赤いセダンの車体が地震に見舞われたかのように激しく揺れたんだけど、断末魔の絶叫が途切れた次の瞬間には、何事も無かったかのように収まっていたんだ。
「余計な抵抗をするから、かえって苦しむんだよ。事故った時に潔く成仏していれば、こんな目には遭わなかったのにね…」
そうして蔑みと憐れみが綯い交ぜになったような微笑を浮かべると、鳳先輩は至って平然とセダンを発車させたんだ。
鳳先輩の顔馴染みだという県内の神社で御祓いを受けた僕達は、大学の最寄り駅までセダンで送り届けられ、そこで無事に解散と相成った。
あの物凄い経験も、終わってみればまるで夢みたいだったよ。
−この日の衝撃的な出来事を、誰かに打ち明けたい。
そう考えた僕は、東京の大学に進学した従姉に電話で報告したのだけれど、従姉の反応は予想に反して平然たる物だった。
『ああ、鳳さんね…あの子なら遣りかねないよ、その位は。』
従姉の弥生姉さんの話によると、鳳先輩は従姉の小学校時代の同級生で、当時からオカルトや都市伝説に病的なまでの関心を寄せていたらしい。
『メリーさんを論破したら着信拒否されたとか、足の無いテケテケには足売り婆さんをぶつけろとか、薄気味悪い事ばっかり言う子なんだ。都市伝説の研究で大学院への進学を内定させたなんて、あの子らしいよ。』
そうは言いながらも、弥生姉さんの口調は鳳先輩に好意的だった。
話によると小学校時代の弥生姉さんは、鳳先輩に世話になった事があるらしい。
『私がテケテケに足を取られずに済んだのも、鳳さんがいたからだよ。全く、足を向けて寝られないね。』
少し前の僕だったら、従姉の話を冗談と決めつけて笑い飛ばしていたかも知れない。
だけど本物の心霊現象を体験した今となっては、信じない訳にはいかなかったよ。
妖怪や悪霊との対決に胸を踊らせ、それらを征服する時の興奮に陶酔する。
そんな鳳先輩のオカルトに対する危険な好奇心は、「怖いもの知らず」というよりは「恐怖心の欠落」と表現した方が相応しいだろう。
だけど、我が身の危険すら厭わない程に情熱を燃やせる物があるなんて、考えようによっては実に幸福なのかも知れないな。