10.急に驚くような話をしないでほしい(1)
「――……これは」
グロリアを追いかけるジークはあまり縮まっていない距離を見て唸った。
何もない平地であれば脚力で遥かに上回るジークでも追いつけたのだが、障害物のある森では小柄で小回りが利き、且つ身体の使い方に定評のあるグロリアの方が速い。離されないのは偏に獣人としての身体能力が高いからに過ぎないだろう。
つまり追いつけるのは、グロリアが追っている操者に到達し足を止めたタイミングという事になる。
どうにかそれまでに彼女に追い付けないだろうか? 遠目からでも操者が数人いるのは見えている。このままでは多対一に縺れ込み、怪我のリスクを負うだろう。もっと安全に複数名で事に当たった方がいいのに、どうしてそんなに急ぐのか――
否、そんなものは分かり切っている。
グロリア・シェフィールドにとってどこの誰だかも分からない逃げるだけの人間なぞ、他者の手を借りるまでもなく自分一人で捕まえられるからだ。
――それに……それに俺が加わった所でどうなる? むしろ足を引っ張るんじゃないのか?
スケルトンロード・変異種との戦闘時、《防壁》を突破出来ずにいるとグロリアが乗り込んで来た訳なのだが、あれだってそう。任された仕事を遂行できなかったから、わざわざ別の担当だった彼女が助けにきた。
正直――今回は本当に何もしていない。今もなお、グロリアの背中を見ていただけ、眺めていただけだ。
獣人で耐久力に自信があるとはいえ、盾だけ持っていても駄目なのかもしれない。走っている距離を見ながらそう思う。あの小さくも大きい背、隣に並ぶどころかその後ろを走る事すらままならない。
今ならば3人を残して全員消えた66期の『その他』の気持ちが分かる。
きっと自分は今、彼等と同じ気持ちを味わっているはずだ。
「――こっちに来ないでよ!!」
見ず知らず、女の怒号で我に返る。
現実に引き戻されてみれば、いつの間にか操者に追い付いたグロリアが女性の一人と対峙していた。女の顔は恐怖で引き攣り、他の2人も緊張で顔を強張らせているのが見えた。
それはそうだろう、スケルトンロードの《防壁》をガラスを割るように粉々にしたヒューマンだ。次は自分達の頭蓋がああならないとも限らないのである。
――尤も、普通のギルドで殺人は基本的に御法度。こちらが生命の危機等に瀕しない限り、わざわざ死人が出るような攻撃を放つ事は無いのだけれど。あの警戒ぶりからして、もう表ギルドの理を忘れた闇ギルドだとしか思えない。
「落ち着け、相手は一人だ! 取り囲んで一斉に攻撃しろ、数はこっちの方が多いんだ」
相当に恐れ戦いている様子ではあるが、男がそう冷静な判断を下した事で、恐慌状態だった操者の一団に落ち着きが戻ってくる。
ただ、それでもスケルトンロード・変異種を倒した後だ。あんまり危機感は湧いて来ない。どころかグロリアならば3対1であろうが何だろうが負けないだろうなと直感的にそう思ってしまう程だ。頼もしいとはこういうのを言うのである。
――当然、グロリアは相手方の準備が整うまで待つお人好しではない。
素早く距離を取ろうとした目前の女。彼女に向かって、全く唐突に《風撃Ⅰ》を放つ。操者達が作戦を立てている間に起動していたのだろう。会話でも始めるような気安さで軽く指さした先に放たれた魔法は、女を完全に突き飛ばした。
如何にⅠ台の魔法とは言え、耐久力の低いヒューマンがまともに食らえば大きなダメージは避けられない。ボールのように弾き飛ばされたその女は起き上がって来なかった。
「何やってんだ、ちゃんと前を見ないから――」
次の標的。
倒れた仲間の女に悪態を吐いた男。冷静な指示を出した男とは別である。どちらでも構わないのだが、グロリアの無表情が声を発したそいつへと向けられた。残り2人とグロリアの距離感は同じくらい。声を上げなければ次の標的に選ばれていなかったかもしれないとも思う。
――本当はこんな事をしていちゃいけないが、ちょっと観察するか……。
いつでもフォローに入れる距離にまで迫っていたジークは木の陰に身を潜めつつ、次に起こる事象を観戦する。
そういえば彼女と同じパーティに入ってからこっち、腰を据えて戦っている所を見た事がないかもしれない。仲間なのでフォローに入らなければと思うと、様子見する機会が無かったのだろう。
けれど、今必要なのは彼女の観察なのかもしれない。ジョブは全く異なるが立ち回りは学べる個所しかない。
「……っ! こっちを見るんじゃねぇ! やんのか!? あ!?」
グロリアと目が合ってしまった男が威嚇じみた荒い声を上げるも、彼女の無表情にして無感情は揺るがない。それが余計に対峙している者の恐怖を煽る。
どんどんと顔色を悪くする男に対し、グロリアは冷静に横で機会を伺うもう一人にも気を配っている。彼女の視線は一定ではなく、常に移動し、数秒同じ場所を見続けない。
――と、操者の片方が動いた。
グロリアに狙われている方ではなく、先程の冷静な男がだ。彼女の狙いを理解しており、その外から状況を動かそうとしたものと思われる。
しかし、誰もが考え付くような事をグロリアが失念しているはずもない。
男は安物の片手剣を持っており、それを振り被って襲い掛かって来たのだがそれを一瞥。《倉庫》から今まさに取り出した極東製の刀で一閃する。
上段から下段へと剣が振り下ろされる前に、胴を一薙ぎした。躊躇いの無さと視線誘導による油断を誘う動き、そこまでは読めなかったのか男の片方が地に伏した。浅かったのは見えていたので絶命する事は無いだろうが、今すぐに戦線復帰は難しいだろう。耳の尖り方と肌の色からしてエルフのようだし。