09.大きすぎる犬(1)
――良い調子。このまま数を減らして、大狼・変異種を呼び出す。
ここまでで分かった事と言えば、セシルのエイムがなかなかという事実だ。ウルフがフェイントを交えながら特攻してきても外さない。本体である彼が襲われそうになれば、たまに手ぶれで外すが、それ以外では必ず中ててくる。
そんなセシルを上手く誘導しつつ、ウルフを地道に減らすのが今できる最善手だ。
――と、思考が作業モードに移行しようとしたその瞬間だった。
背後でやはりウルフ達を相手取っているはずのロボの大声が響き渡った。
「グロリア! デカい何かが来てるぞ!!」
「でかい、なにか・・・・・・」
情報量が少なすぎるが、こういう場面での獣人の忠告は聞いておくべきだ。何せ、彼等は五感がヒューマンよりもずっと鋭い。混戦状態の中でも、異様な音や気配を拾える。あの確信を持ったようなロボの言い方であれば、本当に何かが向かってきているのだろう。
現れる新手に備え、《防壁》を展開する。時間があったので厚めに張った。余程で無い限り、《防壁》を粉砕して中身であるグロリアやセシルを叩き潰す事は出来ないだろう。
「え、ヤバくないですか? 何か、ドシンドシン音が・・・・・・」
セシルの不安は尤もだ。四つ足の獣が駆ける一定のリズムの足音。ただしそれは、あまりにも巨大な足音だ。大狼なぞより、ずっと大きな生き物が迫ってきている。
――こ、恐い! 口から内臓全部出そう。
まさかそんな事を隣の後輩らしき男に吐露する訳にもいかず、グロリアは内蔵も弱音も呑み込んだ。足音は迷い無くこちらへ向かってきている。待ってはくれないだろう。
手始めに《風撃Ⅲ》をぶつけてやろう、と準備する。
レシピは《風撃Ⅲ》、《範囲縮小》の2つ。一撃で首を切り落とす事を目的としているので、縮小で範囲を犠牲に威力を高める。暴発する風の魔法では無く、刃を飛ばすよう調整。Ⅲレベル系の魔法にオプションまで付けて攻撃する事などそうそうないが、相手は変異種。念には念を入れるべきだ。
「――きた」
左側から大きなウルフ系の魔物が飛び出してくる。それは、石垣ならぬ犬垣を軽やかなジャンプで飛び越え、真っ直ぐにグロリアへと突っ込んできた。
しかし、その魔物が視界に入った瞬間、今し方作製したばかりの魔法を放つ。
風切り音と共に、不可視の刃が飛び掛かって来たそれを見事真っ二つにした。どんな生物であれ、確実に致命傷。
ほとんど反射的にそれを迎撃したグロリアは当然の如く魔法をぶつけた対象を確認。確認して、そして目を見開いた。
――げっ! これは、普通の大狼・・・・・・!!
反射神経が徒となり、そして反射神経が自分を救う。倒れ伏したそれが、ただの大狼だと悟った刹那には《倉庫》魔法を起動。武器を杖から刀へと切り替える。
目まぐるしく動く状況の中、今度はそれまで黙々と掃討作業に打ち込んでいた柊木の声が耳朶を打つ。
「ぐ、ぐ、グロリア殿! その位置は危険です!」
「そう思うなら手伝ってくださいよ、柊木さん!!」
セシルの言葉は尤もなのだが、柊木の足は動かない。女性恐怖症だと聞いているが、これはなかなかに致命的だ。仲間に女性がいた場合、その人物が被害を受けかねない。
脳のまだ冷静な部分が現実とは関係の無い感想を並べる中、対処した大狼とは真逆の方向。即ち、グロリアが背を向けている方向から新たな魔物が飛び出してくる。
巨大。その一言に尽きる、大狼をとにかく大きくしたような魔物。
それは周囲に立ち並ぶ、巨木と同じくらいの身長を持っている。ただの大狼が仔犬に見えるくらいの大きさだ。間違いない。この巨大な狼こそが、今回のターゲット。大狼・変異種だろう。艶々と輝く体毛はまさに森の主と呼ぶに遜色ない。しなやかな筋肉が付いており、完璧な体付き。見ただけで強い個体だと分かる。
変異種は止まる事無くグロリアへ一直線に突っ込んで来た。
悟る。張ったままの《防壁》は一撃を耐えるので精一杯だ。応戦しなければならない。作った魔法は通常の大狼に無駄撃ちした。変異種と衝突するまでに新しい魔法はまだ作れない。時間とそこに割くリソースが足りないからだ。
また、セシルは奴の攻撃を防ぐ術を持たない事が予想される。下げてやらなければならない。
瞬間的にそんな事を考えている間に、《倉庫》を再起動。腰に2つも付けていた魔法石用のベルトを1つ外して仕舞う。ガチャガチャ煩くて気が散るからだ。同じ要領でジャラジャラと付けていた腕のバングルも収納。刀を振るうのに邪魔。
粗方の片付けを終え、身軽になった直後。
走って来た変異種がグロリアの張っていた《防壁》に衝突。すぐに壁にぶつかったのだと理解したのか、半透明な防御壁に牙を突き立てた。
まるで鳥の卵かと言わんばかりにあっさりと壁へヒビが入り、数秒で破壊される。無論、壁が壊されるのを棒立ちして待つ訳がない。
イヌ科特有の長い鼻にすかさず切っ先を突き立てる。毛に覆われていない鼻に浅く傷を付けた。あまりにも硬すぎる。ヒューマン如きの腕力では引っ掻き傷を作るので精一杯だ。
しかし怯ませる事には成功したようだった。
驚いたような声を上げた変異種はその図体から想像も出来ないくらいの俊敏さで、その場から飛び退った。
迎撃する。《風撃Ⅰ》を射出。毛に覆われている全身にこの程度の魔法をぶつけても効果が無いので、今さっき傷を付けた鼻っ柱に向かってだ。
それは狙った通りの鼻っ柱にぶつかり、爆ぜる。
――が、特にダメージにはなっていないようだ。剣先で傷付けた時よりもずっと、ケロッとした顔をしている。
「でっか・・・・・・!」
間の抜けた感想で、セシルの存在を思い出した。
「ロボの所へ行って」
「あ、邪魔してすんません」
――確かにまあ、この場には要らないなとは思った。でも邪魔とまでは言ってないじゃん! 今の!!
今日も今日とて、心の声は言の葉にならなかった。