29.忘れ物(2)
「――眼帯でしたね、そういえば。もしかしてワンチャンある?」
無邪気なジャスパーの一言。意外にも核心を突いていそうだが、そうであるが故にかベリルからにべもなく一掃されてしまう。
「止めとけ。最悪、消されるかもな。何せこの依頼は人事長から直々の申請だ。触らない方が良い」
「そりゃそうだ」
「何にせよ、変異種なんざ引き連れた胡散臭い連中から狙われている訳だ。こっちから関わってやるには荷が重すぎる」
***
自宅に到着したアリシアは慣れた手付きで玄関のカギを開け、するりと家の中へ入った。
最後に来た時と変わらない家具の配置。
どことなく高級感漂うさり気ない家具は別に自分で選んだものでもない。
慣れた足取りで進み、やがて一つの部屋へと辿り着く。ノブを回して中へ。
そこは寝室だ。ベッドが一つに、少し読み書きをする為の簡素な机と椅子。ただしこれらはどうでも構わない。
目的の忘れ物はベッドサイドに飾ってある。
頑丈なフレームに入れられた写真。
ずっと帰って来られなかったせいでうっすらと積もっている埃を優しく指先で払った。フレームはどうだっていいが、中の写真に何かあっては困る。
フレームにヒビ等が無いかを入念に確認。持っていた布で割れてしまわないように丁寧に包み《倉庫》内部へ格納した。
「……さあ、次は馬車」
グロリアも1時間歩いて疲れただろう。馬車を手配して、帰りくらいはのんびり移動したいものだ。
嬉しい誤算だが、護衛の一人が負傷したおかげで寄り道する口実もできた。回収に行かねばならない。
もう少しこの旅を楽しめそうだ。
***
ようやくギルドへ帰って来た。
グロリアはこの旅の心労を思うと内心で奇声を上げたい心持に駆られたが、今しばらくの辛抱である。
あの後、2時間を適当に潰し、普通にアリシアと合流。
そのまま馬車に乗って村で療養していたジモンを拾い、何事もなくギルドへ戻って来た。この間、やはりアリシアは無限に喋っており信じられない疲労を覚えている。
「皆さん、今日は色々とありがとう。それじゃあね、グロリア。また何かあったらよろしく」
最後に不穏な言葉を残したアリシアだったが、忘れ物を回収出来たおかげか足取りも軽くあっさりと去って行った。
報酬は人事長、ノーマン・ネルヴァが振り込むらしいので後日だ。
「おー、やべーヤツだったな。疲れただろ、グロリア。今日はもう解散するか」
「うん、そうしよう。みんな遅くまでお疲れ」
――ああそうだ。ちょっと考えていた事がある。
リーダー権限をフルに発揮、人前で意見を述べるという緊張感を乗り越えてグロリアはようやっと口を開いた。
「お願いなんだけど、3日くらい休みにして欲しい」
ジモンが首を傾げる。
「それはまたどうして? 俺の怪我なら心配ありませんが……」
「魔弓が壊れたから、武器屋で探したい」
「えっ!? それは大丈夫だったんですか、お嬢」
「大丈夫。予備もある。けれど、使い辛いから早く適当な弓を購入したい」
「承知しました。俺は問題ありません」
意外にも反対意見は上がらず、3日の急な休みと相成った。
3日で代わりの魔弓が見つかればいいのだが、あまり取り扱われていないので厳しいかもしれない。
***
グロリアと別れたアリシアは、そのままの足で軽い買い物を済ませ――王都にある自宅へと帰った。
明かりが付いているのを視認し、どうやら遊びに来た何者かがいると分かってしまい機嫌が急降下する。良い気分に水を差されたようなものだ。
案の定、家へ入れば我が物顔で紅茶を嗜む吸血鬼の姿があった。
「――これはこれは、ノーマン様。断りもなく淑女の家に入り込んで」
皮肉たっぷりにそう言うと、人事長は分かりやすく苦笑する。このワザとらしい表情の作り方はずっと前から嫌いだ。
「お前が無事に帰って来るのか確認したくてね。ああでも、やはり問題はなかったようだ」
「ま、私の護衛にグロリアを選んだところだけは感謝しているかな」
「それならよかった。きっと喜ぶと思って、彼女に依頼を振ったからね」
「私が喜んだからといって、貴方に得があるとは思えないけれど」
あるさ、とそう言ってノーマンは目を細める。
「妹が喜ぶのだから、それだけで得だとは思わないかい?」
その言葉を鼻で笑う。何が兄妹だ、白々しい。
窓に映った自分達の姿を見、そしてやはり馬鹿馬鹿しいと笑いを零す。
吸血鬼とヒューマンが兄妹など。世迷言に過ぎない。
「母上が、たまには顔を見せろと言っていたよ」
「あの人がそんな事を言う訳がない。世間話がしたいのなら、もっと弾む話題を用意してくれるかな」
「あの人だなんて」
何とも微妙な顔をしたノーマンはソファから立ち上がった。
「――ともかく、そろそろお暇しようか。また何かあったら言うんだよ、アリシア。グロリアは高いよ。お前の所持金では、1日たりとも依頼を頼めないからね」
「……儲かっているようで。何よりだよ。おにいちゃん」
「おや、嬉しい事を言ってくれるね。ああでも、私のこれは冗談ではないから、本当に何かあったら早めに相談を」
釘をさすようにそう言ったノーマンはいそいそと家から出て行った。