9.臥薪嘗胆です
明治38年(1905年)6月中旬 皇居
海軍の東郷大将と、秋山中佐との会談中、昭和海軍のひどさをあげつらってやったのだが、秋山さんはその可能性を認めてくれた。
「実は先の大勝利の興奮が治まってから、違和感を感じていたのです」
「違和感、だと?」
「はい、皆が我々の勝利を祝い、褒め称えてくれます。それがあまりにも異常で、どこか居心地わるく感じるようになったのです。本来なら、今回の戦争にもいろいろな失敗があり、それを戦訓として検討すべきなのに、それが言い出せないほどに」
「……」
そう言われて東郷さんは沈黙し、しばし考えこんでいた。
やがて彼は顔を上げると、恐る恐るその懸念を口にした。
「我々は今回の大勝利に浮かれたまま、戦訓の見直しもせず、間違った道をつき進む。その結果、我が国を無謀な戦争に引きずりこみ、300万人以上もの人間が死ぬ。そう言いたいのだな?」
「ええ、そうです。良くも悪くも、閣下は劇的な勝利を上げてしまった。それによって多くの将兵が冷静な思考を捨て、神秘主義にはまり込んでしまうのです」
「神秘主義とは、なんだ?」
「日本は神に守られた神国なのだから、敢闘精神を忘れなければ、負けることはない、なんて感じですかね」
「馬鹿馬鹿しいっ! 我々がどれだけ苦労して、勝利を手にしたと思っている!」
「まったくです。人の苦労も知らないで」
東郷さんと秋山さんが、憤慨している。
なんだかんだいって、この時の海軍には、まだ合理的な思考が残っていたのだ。
おかげでこの日露戦争では、明確な目標設定の下に戦備を整え、シンプルな実施計画に従って、将兵が一丸となって戦うことができた。
それを実現するため、東郷さんたちは知恵を振り絞ったはずだ。
その結果が日本海海戦の劇的勝利を呼びこんだのだが、そのまばゆいほどの戦果は、将兵に驕りと慢心を生んでしまう。
実際には敵の発見も運任せな部分が大きかったし、なによりバルチック艦隊は地球の裏側からの回航で、疲弊しきっていた。
勝って当たり前とまでは言わないが、逆に負ければ大恥をかくような状況であったのに。
しかしその後、40年近くも本格的な海戦を経験しなかったこともあって、海軍は自らを見直すこともせず、安易な方向に流れていく。
その結果、”敵はこうするだろう”という安易な推測に基いて、作戦を立てるようになってしまうのだ。
逆に敵の米国海軍は、”敵には○○が可能だ”という可能行動を列挙したうえで、作戦を立てる。
しかも情報収集に貪欲で、人事方式も合理的だ。
よく米国の国力は日本の10倍だったと言われるが、それ以外の分野でも大きな差があったのだ。
仮に米海軍を現代の大リーグに例えれば、昭和の帝国海軍は、昔の高校野球ぐらいにしかならないんじゃなかろうか。
俺はそれぐらいの差を感じている。
「というわけで、海軍の慢心を防ぎ、悲惨な未来を回避するには、今が最適だと思うんです。分裂してしまった統帥権についても、手を打つ必要があります。そしてお2人には、その先鋒に立っていただきたいのです」
「むう、そういうことか……」
「なるほど……」
東郷、秋山両氏は、ようやく合点がいったという顔で、うなずいた。
するとそこに、陛下がお言葉を重ねる。
「おそらく相当な抵抗はあると思うが、両人にはよろしく頼みたい。主な皇族軍人には、私から声を掛けておこう。しかし実際に戦場に立ち、最新の海戦を経験した君たちが襟を正してこそ、周りの者も耳を傾けると思うのだ」
「ははっ、その任、つつしんで承ります。未来の日本を守るためにも、全身全霊をもって取り組みます」
「私も非才の身ながら、微力を尽くしたいと思います」
「うむ、頼んだぞ」
両人が引き受けてくれたことで、ひと山越えた雰囲気が流れる。
しかし俺は、立て続けに問題を投げかけた。
「あの~、話が終わったみたいな中、悪いんですけど。お2人には軍縮にも、協力してほしいんですよ」
「な、軍縮だと? まだ講和も成立していない、この時期にか?」
「講和の方は8月の末には成立しますよ。そしてロシア海軍は、自軍の建て直しで精一杯で、こちらにちょっかいを掛ける余裕はありません」
「むう……だからといって油断していいわけでは――」
「提督、まずは彼らの話を聞いてみましょう」
「む、そうだな」
ようやく聞く姿勢になってくれたので、俺は後島に説明を任せる。
「え~と、まずはこれを見てほしいんですが」
彼はパソコンの画面を見せながら、説明を始める。
「今回の戦争により、日本の戦艦は扶桑、富士、敷島、朝日、三笠の5隻になります」
「うむ、そうだな」
「そして旅順艦隊とバルチック艦隊の鹵獲艦が6隻に加え、香取と鹿島が竣工するので、合わせて13隻になります」
「ふむふむ、それで?」
「当面はこの13隻だけでやり繰りすることにして、以後の建艦は全てキャンセルしま~す」
「な、なんだと~っ! 貴様、本気でいっておるのかぁっ!」
「ひいっ」
予想どおり、東郷さんがブチ切れて、大声を上げた。
あまりの剣幕に後島がびびっているので、俺がフォローを入れる。
「まあまあ、最後まで聞いてくださいよ。ゆくゆくは凄いのを、造るつもりなんですから」
「むう……よかろう。話せ」
「は、はい。それでなんでキャンセルするかというと、実は来年末に、イギリスが画期的な戦艦を造るため、それまでの戦艦が一気に旧式化しちゃうんですよ」
「なんだと! もっと詳しく」
この画期的な戦艦とは、世にも名高い”ドレッドノート”である。
単一口径の巨砲を搭載して一斉射撃を可能とし、さらに蒸気タービンで高速化した戦艦だ。
その戦闘力は従来の戦艦とは一線を画し、既存艦の戦力価値を、一気に低下させてしまう。
「むう……なるほど。たしかに旧式化するのが分かっていては、わざわざ造る意味は薄いな。しかしそれならば、我らも新たな艦を設計し、造る必要があるだろう」
「ええ、もちろん造りますよ。だけど、5年ほど待ってほしいんです」
「なぜだ?」
「史実では金剛という巡洋戦艦を、1910年にイギリスのヴィッカース社に発注するんです。そして残りの3艦は国内で建造します。この艦は優秀で、2回の改装を経て1945年まで使い続けるんですよ。せっかくなら、優秀な艦に集中して、お金は節約したいですよね?」
「しかし経験には、金で買えないものがあるぞ」
「その辺は、俺たちの知識で補えるから、大丈夫です」
「むう、だからと言ってだな……」
するとそれまで黙って聞いていた、秋山さんがため息をついた。
「はぁ……こんな話をしたら、血の気の多い奴らが騒ぎだしますよ。反乱すら起きるかもしれない」
「まあ、そうかもしれませんね。だけどそこで退いたら、改革はできませんよ。断固として対応してください」
「他人事だと思って……」
秋山さんが恨めしそうな目を向けるが、俺はあえて気軽そうに訴える。
「臥薪嘗胆ですよ、秋山さん。なにしろこの金剛型は、14インチ(35.6センチ)砲を8門も搭載するんです。就役当時で世界最強の戦艦を、4隻も持つ。そのためにはしばらくの我慢が必要だとか言って、説得してください。あまりに聞かない連中は、左遷でも予備役にでもしちゃえばいいんです」
「気軽に言ってくれる……しかし世界最強というのは、魅力的だな」
興味を示した秋山さんに、後島がさらにたたみ掛ける。
「でしょでしょ? 世界最強って、魅力的ですよね。さらにこの金剛型の後には、長門型も控えてます。これは16インチ(40.6センチ)砲搭載艦で、1921年までに4隻そろえます。21年に米国がワシントン軍縮会議ってのを開いて、軍艦建造の制限を呼びかけるため、ここから10年以上は戦艦の建造はできなくなるんですよ。だけど、それまでに造っちゃえば、そうそう他国からは舐められません」
現実には16インチ艦を4隻も持てば、むしろ英米から危険視されるだろうが、それは黙っておこう。
未来は変わるかもしれないしな。
「16インチだと? それは凄いな。その辺を餌にすれば、説得はしやすいかもしれないな」
「でしょでしょ?」
後島がさも凄そうに言っているが、これでも史実より戦艦の建造は、大幅減だ。
なにしろ日本海軍は金剛の後に、扶桑型2隻、伊勢型2隻、長門型2隻、土佐型2隻、天城型4隻の超弩級戦艦を造っている。
(ただし条約の関係で、4隻は建造途中で廃棄し、赤城と加賀を空母に改造した)
この世界では長門型を4隻つくっても、8隻は浮くことになる。
その資金を国内の開発に回せば、ますます国力の増強に役立つだろう。
そもそも1920年時点で英国の半分、米国の6分の1しかGDPのない日本が、対米英7割もの主力艦を持とうとするのがおかしいのだ。
そんな話をしていたら、陛下から声が掛かった。
「いくら凄い戦艦を持ったとしても、それを使いこなす将兵がいなければ意味がない。その辺りも含めて、海軍の改革を頼めるか?」
「はい、お任せください」
「承知いたしました」
最後は陛下がうまいこと締めて、会談は成功に終わった。
実際問題、苦労は多いと思うが、東郷さんたちにはがんばってほしいものだ。
俺たちも手伝うから、よろしくお願いしますね。
昭和の帝国海軍のアマチュア性を示すエピソードに、ミッドウェー海戦前の図上演習があります。
この図上演習では序盤で空母を沈められても、”米軍は最初から出てこないはずだから、今のなし”といって復活させたり、”アメリカの命中弾は3分の1にする”といって被害を減らしたりしたそうです。
そんなんじゃ図上演習の意味、ないですよね?
一応、米軍を担当した松田大佐なんかはまじめにやろうとしたらしいですが、そういう意見が黙殺されるのが海軍クオリティ。
艦隊を指揮するべき上級将校の育成に、決定的に失敗していたとしか、言いようがないですね。