6.賠償金は取れません
明治38年(1905年)6月中旬 皇居
「あ、賠償金は諦めた方がいいですよ」
戦艦の建造を大胆にキャンセルしようという話から、日露戦争の賠償金に話が飛んだ。
そんな彼らに水を差したら、井上さんが噛みついてきた。
「それはどういうことだ?! 先ほどロシアは、講和に応じると言ったではないか!」
「講和には応じても、賠償金は取れないんですよ。ロシア皇帝が全権大使に、”1銭の償金も、ひと握りの領土も譲渡するな”、と指示したから。おかげで交渉はこじれにこじれ、韓国に対する優越権とロシア軍の満州撤退、遼東半島の租借と鉄道譲渡の他は、サガレン(樺太)の南半分割譲で決着するんです」
「なんだとっ! 誰だ、そんな交渉をしたやつは? この俺が代わって――」
「おそらく誰がやっても、そう変わらないと思いますよ。ただしサガレン全島の割譲には、可能性があったらしいですけど」
そう言って佐島に目を向けると、彼がニヤリと笑う。
「私も、そう思います。いたずらに交渉を長引かせるよりも、最初から全島狙いで交渉を誘導した方が、はるかにリスクが少なく、利益が見込めるんですわ。なにしろサガレンの北部には、石油が眠ってるんやから」
「「「なんだとっ!」」」
これには松方さん、井上さんだけでなく、伊藤さんや山縣さんも食いついた。
そんな彼らの姿に苦笑しながらも、佐島が説明を続ける。
「史実では逃しましたが、サガレン北部には有望な油田があるんですわ。これを開発すれば、日本の資源政策の助けになります。なにしろ今後は軍艦だけでなく、自動車や飛行機の発達によって、石油の需要はうなぎ上りに増えるんですから」
「自動車に飛行機、だと? そんなものが、それほど増えるのか?」
井上さんが怪訝そうな顔をしているが、それも無理はない。
まだ自動車は富裕層のみの持つ贅沢品であったし、飛行機に至っては1903年にライト兄弟が飛んだばかりだ。
ほとんどの人には、その将来性を想像できないだろう。
そしてサガレン(樺太)の北部には、オハ油田やカタングリ油田などが存在する。
史実でもソ連から権利を獲得した日本が、1926年頃から採掘を行っている。(ただし終戦前に撤退)
その生産量は最大で年250万トン(70年代)にもなるもので、戦前の日本の石油輸入を、全てまかなうほどのポテンシャルを持っていたのだ。
そんな話を、石油に詳しい佐島が説明すると、元老たちの目がギラギラと輝きはじめる。
「それはいいな。ぜひ私が出向いて、もぎ取ってこよう」
とうとう伊藤さんが、自ら出向くと言いだしたが、俺はそれを制止する。
「う~ん、それはそれで、小村外相の立場がないんじゃないでしょうか。それにあまり史実と違うことをすると、流れが変わっちゃうかもしれませんし」
「むう……それもそうか。ならば小村くんにはよく言い含めて、送りだすことにするか」
意外にあっさり引き下がった伊藤さんに代えて、今度は山縣さんが口を開いた。
「ところで君は、簡単に軍縮を口にするが、将兵の気持ちは考えているのか? せっかくロシアに勝ったというのにそれでは、まるでお仕置きを受けるみたいではないか」
「勝ったからこそ、なのですよ。なまじ大国のロシアに勝ってしまったため、陸軍も海軍も勘違いをして、無謀な軍拡に走ります。その先には韓国併合、満州国のでっち上げ、そして日中戦争を経て、英米との戦争に至るんです。私には、ここからの行動こそが、それを変える最後のチャンスだったと、思えてなりませんね」
「むう……しかしだな」
いまだ納得がいかないという感じの山縣さんを、また伊藤さんがなだめる。
「まあまあ、大島くんもそれだけでは分からん。もう少し詳しく説明してもらえるか?」
「そうですね。まず――」
俺はそれから、現状の問題点をいろいろと語った。
まず1900年時点のGNPを比較してみると、日本12億ドル、ロシア83億ドルと、7倍もの開きがある。
そんな大国に、とにもかくにも日本が勝てたのは、日英同盟のおかげであり、ロシアの内情不安もあったからだ。
なにしろこの頃のロシアときたら、あちこちでテロが起きるほど、政情が不安定だった。
内務大臣が暗殺されたり、オデッサでの騒乱、さらには戦艦ポチョムキンの反乱まで起きている。
もっともこれには、陸軍の明石元二郎中佐の、対露謀略工作も大きく貢献しているのだが。
そして日本は勝ったはいいが、19億円もの戦費を費やした。
そのうち2億は増税、7億を国債発行でまかなったが、残りは外債である。
英米独がそれを引き受けてくれたとはいえ、その平均利回りは8%もあったらしい。
日本は律儀に借金を返し続けたのだが、それが完済したのは、はるか後の1986年だったとか。
「ということで、日本は大借金国であり、まずはそれを減らす努力をしなきゃいけません。幸いにもロシアという脅威は去りました。その間に国内に投資を行い、国力を増強させ、新たな軍備を整えればいいんです。臥薪嘗胆ですよ、臥薪嘗胆」
「むう……それほどにひどかったのか」
「まあ、そんな状況なのは事実だな」
伊藤さんや山縣さんは驚愕するだけだが、松方さんや井上さんは俺に同意してくれる。
それを見て伊藤さんたちも、深刻さを悟ったのだろう。
真剣な顔で、借金削減の方策を問うてきた。
「状況はだいたい分かった。そのうえで、どのように経済を建て直す?」
「そうですねえ……軍縮で浮いた金を借金返済に回すよりは、国内の投資に回した方がいいでしょう。そうすれば後々になって、税金として返ってきますから」
「ふむ、例えばどんな投資かね?」
「まずは道路と鉄道の整備ですかね。他には……」
そこで仲間に目をやると、それぞれ意見を出す。
「製鉄所の増強」
「う~ん、発電所の増強?」
「秋田の油田開発ですな。それとサガレンの開発に、イギリスを巻きこむべきでしょう」
「冷害に強い稲の開発ですね。それと東北に工場を誘致するとか」
すると伊藤さんが、さらに詳しい説明を求める。
「待て待て、もう少し詳しく頼む」
「もちろんです。まず鉄道は――」
鉄道については、史実でも1906年に国有化が実施されている。
これは日露戦争における鉄道の有効性と、私鉄の乱立による不便さを解消するため、軍部が要望したことである。
これを受けて日本は、日本鉄道、関西鉄道などの5大私鉄と、他の大手私鉄17社を買収する。
その結果、国有鉄道の営業距離は、2459kmから4806kmへとほぼ倍増。
これらの線路網の整備と複線化を進めれば、国内の物流は活性化するだろう。
可能であれば、狭軌(1067ミリ)から標準軌(1435ミリ)への切り替えもやりたいところだ。
それと道路については、大都市圏で整備を進め、自動車の普及を促すのだ。
できれば舗装化もしたい。
これを鉄道の整備と合わせて進めれば、大規模な公共工事となり、軍縮後の失業者を吸収できるだろう。
そして製鉄所は、とにかく生産量を底上げし、同時に民間製鉄の成長を促す必要がある。
この頃、後の住友製鋼所や神戸製鋼所、川崎造船所、日本製鋼所、日本鋼管などが続々と生まれようとしていた。
しかしその生産規模は微々たるもので、官営の八幡製鉄所の隙間を、埋める程度でしかなかった。
なにしろ1908年の八幡製鐵の国内シェアは、銑鉄で71%、鋼材で98%にもなったという。
それでいて国内の自給率は、銑鉄60%、鋼材20%しかないのだから、いかに輸入に頼っていたかが分かるだろう。
これは当時の民間に、銑鋼一貫工場を運営する資金と技術が、不足していたせいである。
ならばそれを国が補助することで、日本の製鉄能力の底上げが可能であろう。
なにしろ10年ほど先の第1次世界大戦では、圧倒的に鉄が足りなくなるのだから。
それを避けるためには、官営製鉄に力を注ぐだけでなく、民間の金と力を利用するのが必須だと思う。
またこの時期、官民一体となった工業化の進展により、電力需要も急増していく。
今はまだ小規模な火力発電が主だが、徐々に大規模な水力発電が増えていくはずだ。
それらに補助金を付けつつ、効率的な統制をすれば、混乱も少ないだろう。
それから秋田の油田は、数少ない国内資源だ。
その埋蔵量は少ないが、それを開発することでノウハウの蓄積と、仕事を生むことができる。
ついでに秋田から新潟へ掛けての日本海沿岸に、化学コンビナートを建設するのもいいんじゃなかろうか。
石油はサガレン(樺太)や海外からも輸入すればいいし、なにより東北に仕事が作れる。
農業以外にまともな産業のない東北にとっては、干天の慈雨になるはずだ。
さらに冷害に強い稲を開発できれば、東北の政情はもっと安定するだろう。
「ふ~む、なるほど。それが上手くいけば、日本の国力は増大するであろうな。しかしサガレンの開発にイギリスを巻きこむのは、なぜだ? 我が国だけでやれば、よいではないか」
「ひとつには、イギリスの資金と技術を利用して、時間を買うんですよ。日本だけでやってたら、軌道に乗せるのに時間が掛かりますからね。それと最大の理由は、イギリスの妬みを買わないためです」
「むう……たしかに今回の戦争は、ずいぶんとイギリスに世話になったからな。そのお礼も含めて、かの国を巻きこめというのだな?」
「そうです。どうせ生産された石油は全部、日本が買うんです。多少の損は、お付き合いの費用だと思って、受け入れるべきですよ」
「なるほど……しかしそういう意味では、アメリカも巻きこむべきではないか? 講和の仲介も含めて、ずいぶんと世話になっているだろう」
そんな伊藤さんの問いに、俺は当然のように答えた。
「ああ、アメリカは満州で巻きこめばいいんですよ」