53.日米開戦
昭和15年(1940年)8月 皇居
日本がイギリス支援を打ち出すと、さほど間をおかずにアメリカから、最後通牒が届けられた。
その内容は、主にこんなものである。
1.日英友好条約を破棄し、イギリスへの支援を停止すること
2.アメリカとその同盟国艦船が日本近海を通航する際、その安全を保障すること
3.台湾の港の一部を、アメリカに租借させること
4.1週間後の日本時間正午までに、誠意ある回答が得られなかった場合は、自動的に戦争状態へ移行すること
それはまるで日本を属国扱いする内容であり、とうてい容認できるものではなかった。
しかしあらかじめそれを予想していた日本上層部は、鼻で笑いながら無視を決めこむことに決定。
同時にその日から、本格的な戦争準備が動きだした。
まずアメリカから最後通牒を受けたことを公表し、内閣が総辞職。
即座に廣田弘毅に大命が降下し、組閣準備に入った。
あらかじめ準備を整えていたこともあり、翌日には廣田内閣が発足する。
それと並行して、兵部省が大動員を掛けた。
陸軍13個師団が一気に30個師団に拡大され、ポストもそれに応じて増える。
これによって昇進する者が続出し、士気も一気に高まった。
海軍の方も、低めに抑えられていた充足率が一気に高められ、こちらも昇進者が続出した。
ただし海軍の方は、数年前から進められていた軍拡により、人員も増強されていた。
そのため陸軍ほど急激な変化にはならず、粛々と開戦準備に取り組むこととなる。
ちなみに俺たちが注目していた軍人さんは、以下のような階級となっている。
【陸軍】
大将:永田鉄山、山下奉文、今村均、本間雅晴
中将:石原莞爾、栗林忠道、宮崎繁三郎
【海軍】
大将:堀悌吉、三川軍一、小沢治三郎
中将:角田覚治、山口多聞、大西瀧治郎、岡敬純、田中頼三、西村祥治、木村昌福
みんな順調に出世していたうえに、重職に任命されてさらに1個上がってる者もいる。
そして重要なポストには、以下の人員を当てた。
兵部大臣:堀悌吉大将
統合幕僚長:永田鉄山大将
参謀総長:山下奉文大将
参謀次長:石原莞爾中将
軍令部総長:小沢治三郎大将
軍令部次長:岡敬純中将
連合艦隊司令長官:三川軍一大将
満州方面軍司令官:今村均大将
ロシア方面軍司令官:本間雅晴大将
フィリピン攻略軍司令官:宮崎繁三郎中将
グアム攻略軍司令官:栗林忠道中将
この他の海軍中将も、それぞれ艦隊司令や、基地司令となっている。
これらは事前に根回しされていたこともあり、即時に発効し、それぞれの職務に邁進していった。
そして1940年8月15日の正午、日米は開戦したのだ。
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昭和15年(1940年)9月 東京砲兵工廠
「お、きたきた」
「早く戦況を教えてくれよ、健吾」
「まあ、そう焦るなって」
開戦から約2週間後、俺たちは砲兵工廠に集まっていた。
軍の情報部にも出入りできる川島から、詳しい戦況を聞くためだ。
「お前たちだって、大本営発表ぐらい聞いているだろうに」
「だってあれ、要点しか伝えてないから、さっぱりなんだよ」
「せや、味方の被害だけは正確やけどな」
この世界の大本営発表は、簡単な事実を語るだけで、情報に乏しかった。
おまけに敵の状況より、味方の被害を正確に伝えるため、高揚感に乏しいことおびただしい。
もっともそれは、勝ち戦に浮かれないよう、俺たちが進言した結果なので仕方ない。
川島はカバンから書類を取り出しながら、説明を始める。
「みんなも知ってるように、まず日本は台湾とサイパンで、敵の攻撃をはね返した。そこから逆襲に移り、すでにマニラとグアムは占領済みだ」
「うん、でもマッカーサーはやっぱり、バターン半島に引っ込んだから、戦闘は続いてるんだろ」
「ああ、その辺は史実に近いな」
8月15日の正午を過ぎると、アメリカはまず台湾とサイパン島に、爆撃を仕掛けてきた。
当然ながらそれを予想していた日本軍は、戦闘機と対空砲で迎撃した。
ちなみに迎撃したのは97艦戦と、99式戦闘機”飛燕”である。
飛燕は史実の3式戦闘機を彷彿とさせるもので、その性能はこんな感じだ。
【99式戦闘機 飛燕】
長さx幅 :8.7x12m
自重 :2855kg
エンジン :川崎製マーリン 水冷V12気筒
出力 :1500馬力
最大速度 :610km/h
航続距離 :増槽つき1600km
武装 :20ミリ機銃x2、12.7ミリ機銃x2
乗員 :1名
”飛燕”は陸軍主導で、迎撃戦闘機として開発したもので、特に速力、上昇力、武装に優れている。
そのエンジンは史実でダイムラーベンツの水冷V12気筒だったのが、ロールスロイス設計のマーリンに変わっていた。
これは軍部の斡旋もあって、川崎がロールスロイスとライセンス契約を結んだ結果だ。
そして俺たちの技術支援を受けて、早々に1500馬力を達成している。
対するアメリカは、B17爆撃機を台湾に50機も繰り出してきたが、こちらも100機以上の戦闘機で出迎えた。
もちろん最新型のレーダーで、状況をコントロールしたのは言うまでもない。
97艦戦だけだと苦しかったが、20ミリ機銃を持つ飛燕が活躍したそうだ。
さすがにこちらも無傷とはいかなかったが、大した被害もなく、B17の撃退に成功する。
同様にグアムからも、B17がサイパンに飛んできた。
史実では完成していなかったグアムの飛行場が、アメリカの軍縮条約脱退により、この世界では完成している。
そこから30機ものB17が、飛んできたのだ。
しかしサイパンにも飛行場は整備されており、こっちも97艦戦と飛燕で迎え撃った。
多少は飛行場が破壊されたりはしたものの、こちらもなんとかしのぎきった。
これらの攻撃を受けて、日本は改めてアメリカに宣戦を布告。
そして日本の反撃が始まったのだ。




