50.欧州大戦の足音
昭和13年(1938年)3月 皇居
史実とは大きく異なる歴史をたどっている極東とは違い、欧州は見事なほどに史実をなぞっていた。
1938年3月、ナチス・ドイツがオーストリアを併合。
ドイツ系住民が多く住むオーストリアが、合併を望んでいるのなら、その意志を尊重するべきだと、ヒトラーは主張したのだ。
しかしドイツの弱体化を図ったヴェルサイユ条約では、それは禁止されていた。
にもかかわらず、ヒトラーはそれを強行してみせたのだ。
それは1936年のラインラント進駐で賭けに勝ったヒトラーの、さらなる賭けだったのであろう。
結局のところ、オーストリア併合は英仏にも黙認される形になり、ドイツはまた領土を増やした。
「ラインラント、オーストリアとくれば、次はズデーテン地方か」
「ええ、その後はチェコスロバキアを飲みこんで、ポーランドですね」
「それでは本当に、第2次大戦が起こってしまうではないか……」
「ええ。どうやらそれは、避けられない可能性が高くなってきました」
久しぶりに皇居に呼び出され、陛下とそんな話をしているのは、川島である。
最近は軍部や外務省とも情報を共有するようになった彼は、誰よりも世界情勢に詳しい。
そんな川島に、陛下が悩ましげに問う。
「なんとか戦争を避ける手段はないものか?」
「ヒトラーとルーズベルトがやる気なんです。それは難しいでしょう。せめてイギリスを敵にしないよう、働きかけるしかないかと」
「それしかないのか……」
悲しそうに陛下がため息をつくと、今度は若槻さんが訊ねる。
「以前から言っているように、ポーランドへの支援を止めさせるのだね。しかし本当にルーズベルトが、それを仕掛けたと言うのかい?」
「状況証拠からすれば、間違いないですね。ルーズベルトが英仏にポーランドのケツ持ちをさせたため、交渉が決裂したとしか思えません」
これはドイツが1939年に、ポーランド回廊の割譲を求めた際の、周囲の対応についての話だ。
この時、英仏がポーランドを支援すると表明したため、ポーランド側の外交方針が硬化してしまった。
これで進まなくなった交渉に、業を煮やしたヒトラーがポーランド侵攻を命じ、さらに英仏が参戦した結果、第2次世界大戦が始まったのだ。
しかしどうやらこの時の英仏の動きの裏には、ルーズベルト大統領の圧力があったらしい。
もし戦争になってもアメリカがすぐに参戦するとでも、言ったのだろう。
すでにニューディール政策の失敗が見えていた中、戦争特需を生み出そうとした、ルーズベルトの謀略だった可能性は高い。
実際にこの世界でも、日本に敵対的な姿勢を見せているあたり、決して的外れではなさそうだ。
そんな話をする川島に、若槻さんが食い下がる。
「しかしルーズベルトは選挙戦で、戦争には参加しないと公言するのだろう? そうもあからさまに圧力を、掛けたりするかね?」
「だからこそ、陰でコソコソやるんですよ。それに彼は、目的のためには手段を選ばない傾向がありますからね」
「むう……まあ、政治家が2枚舌を使うなんて、当たり前の話か。しかし欧州で大戦が起きても、我々への影響は少ないのではないかな?」
「それもどうですかね。どうやらルーズベルトは、日本人をサル並みにしか思ってないらしいですよ。そんな奴らが太平洋の反対側で、順調に発展しているとして、その状況をおとなしく座視すると思いますか?」
「……それが本当なら、何か仕掛けてくるだろうね。何かしら権益を譲るよう、圧力を掛けるとかかな」
「それぐらいですむはずがないですよ。それこそ日本が属国並みに平身低頭して、戦争を避けない限り、かならず難癖をつけて、暴発を誘うでしょうね」
「そこまでかね?!」
川島の悲観的な見方に、若槻さんを始めとする元老たちが驚きを露わにする。
ちなみに今いる元老は、若槻礼次郎、松方巌、西園寺八郎、木戸幸一である。
彼らの驚きに対し、アメリカが現代までにさんざんやってきた横暴を知る俺たちは、口々に川島を支持する。
「まあ、アメリカってのは、そういう国ですからね」
「21世紀になっても、ひどいことしてますよ」
「まあ、その挑発に乗っちゃう方も、悪いんですけどね」
「ちなみに日本が史実でやった真珠湾奇襲は、およそ考えられるうちで、最悪の選択と言われとりますわ」
「それはなぜかね?」
「大部分が戦争を忌避していたアメリカ人を、全力で戦争に駆り立てて、さらに全面的勝利を得るまで満足することがないよう結集させた、ちゅう感じですかね。ルーズベルトからしたら、願ってもない展開でしたわ」
「なるほど……」
佐島の話を聞いて、元老たちがうなずく。
結果論ではあるが、真珠湾奇襲は最悪の事態を日本にもたらした。
せめてそんな選択だけはしないよう、心に留めて欲しい。
やがて若槻さんが、今後の方針を問う。
「日本としては、ドイツの動向を見守りつつ、イギリスに自重を呼びかけるべきだろうな」
「ええ、その際、秘密裏に英国と同盟を結んでは、いかがでしょうか?」
「それは……参戦義務をともなうものかな?」
「ええ、どちらかが他国から宣戦布告された場合、味方として参戦します」
「それは我が国にとって、不都合が過ぎるのではないか?」
川島の提案に、若槻さんが疑問の声を上げる。
しかし川島は平然と答えた。
「仮に日本が参戦せずに乗りきったとしても、その後に絶対にアメリカからケンカを売られますよ。その時にイギリスが、味方になってくれる保証なんてありません。むしろ、敵に回られる可能性の方が、高いでしょうね」
「むう……それはたしかにそうだろうが」
「アメリカと戦争をするなら、絶対にイギリスを味方にするべきです。かの国の海軍力もさることながら、アメリカの戦力を太平洋と大西洋に分散できるんですよ。そんなチャンス、今回しかないでしょう」
「しかし……イギリスがアメリカよりも、日本を取るなどということが、あり得るかね?」
「そこは話の持っていき方でしょう。すでに第1次大戦で、イギリスはアメリカに頭を押さえられています。これ以上、アメリカの言うなりになれば、待っているのはさらなる没落だ、とでも言えばどうでしょう」
「ふうむ……それなら、可能性はあるかもしれないな」
その後も元老たちと議論したが、川島の提案以上のものは出なかった。
するとそれをまとめるように、陛下が指示を出す。
「どうやら、選べる選択肢は少ないようだな。それでは川島くんの提案に沿って、”国策検”で対応を決定してくれ」
「はい、了解いたしました」
こうしてその日の御前会議は終了した。
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昭和14年(1939年)3月
その後、史実どおりに、ドイツがチェコスロバキアにズデーテン地方の割譲を求め、ミュンヘン会談を経てそれが実現。
さらにチェコスロバキアの大部分が、ドイツの属国になるまでが現実化してしまった。
そしてやはりヒトラーはそれだけで満足せず、ポーランド回廊の割譲を、ポーランドに求める。
第2次大戦の足音が、すぐそこまで迫っていた。
本作ではフーバー元大統領などが主張している、ルーズベルト黒幕説を採用しています。
ただし実態がどうだったかはまた別の話ですので、それは各人でご判断ください。




