45.軍縮条約の決裂
昭和10年(1935年)4月 皇居
昨年の後半、第2次ロンドン軍縮条約の、予備交渉が進んでいた。
史実では日本が妥協点を見いだせず、年末に条約の破棄を宣言してしまったアレだ。
しかしこの世界で日本は、さほど軍備にこだわっていないので、妥協は可能かと思っていたのだが、そうはならなかった。
「まさかアメリカが、あれほど強硬な態度に出るとはな」
「まったくです。あれでは最初から、交渉を決裂させようとしていたとしか思えません」
なんとアメリカが、グアムとフィリピンの軍港強化と、それに伴う艦艇の増強を要求してきたのだ。
建て前としては、中華民国の情勢が不安定なため、そこにある権益と南満州鉄道を守るため、ということになっている。
たしかに中華民国は、清と分裂してからは、各地で軍閥が台頭し、不安定な状況が続いていた。
特にこの世界では、満州という工業地帯を早期に失ったせいか、日本の邪魔がないにもかかわらず、史実よりもゴタゴタしていた。
そんな状況では、実際にアメリカが権益を守りたいと考えていても、さほどおかしくはない。
しかしあの国はそれを一方的に主張するだけで、他国への配慮をみせなかった。
本来、ワシントン会議で結ばれた4ヶ国条約は、日米英仏が太平洋方面に持つ領土や権益を、相互に尊重しようという趣旨だったのにだ。
これに対し日英仏は、いたずらに太平洋方面の緊張を高める行為だと、猛反発。
強く抗議したのだが、アメリカは退かなかった。
交渉の決裂をまったく恐れない様子で、自論を主張しつづけたのだ。
結局、妥協点を見いだせないままに、予備交渉は終了。
アメリカは昨年12月に、ワシントン軍縮条約の破棄を宣言した。
(ただし破棄通告後も、2年間は有効)
この暴挙に憤りつつも、日英仏は史実に近い内容で条約を批准した。
そして1937年までに米・伊が条約に調印しない場合、諸々の制限を緩和するエスカレータ条項も盛りこまれた。
これによって1938年以降、4.5万トン以下で16インチ砲を搭載した戦艦も、建造できるようになる予定だ。
そのような状況で招集が掛かったので、俺たちは皇居に来ているわけだ。
ちなみに列席している元老の顔ぶれは、若槻礼次郎、松方巌(松方正義の息子)、西園寺八郎(西園寺公望の娘婿)、木戸幸一である。
その他の面々は鬼籍に入るか、高齢で引退している。
そして陛下から、俺たちの見解を求められた。
「君たちは今回の動き、どう見ている?」
「はい。いろいろと話し合った結果、アメリカはやはり、日本が邪魔で仕方がないんだと思われます」
「それほどか? 清や正統ロシアに関しては、協力できていると思うのだがな」
「今までは、それで良かったんですよ。しかしあの国は、大統領が代わりましたから」
「ああ、ルーズベルトか」
1933年には史実のとおり、フランクリン・デラノ・ルーズベルトが大統領に就任していた。
そして彼は大恐慌後の混乱を治めるため、”ニューディール政策”を展開した。
これは政府による経済への介入行為であり、公共事業による失業者対策などを、大々的に実行したものだ。
史実ではその恐慌対策が認められ、1936年には圧倒的な差で再選されている。
しかしこの世界では、さらなる成果を求めているのだろうか。
ロンドン軍縮条約を拒否してきたのだ。
そしてそのターゲットは、明らかに日本だった。
ここでちょっと、第1次大戦後の世界情勢をさらってみよう。
大戦後のヴェルサイユ条約では、やはりドイツに天文学的な賠償が課され、不満と火種を抱えこんだ。
日本は少しでもドイツの負担が軽くなるよう、配慮したのだが、アメリカに膨大な借金をしている英仏が、それを次々と台無しにしてしまう。
それもアメリカが英仏の負債に大胆な配慮でもしていれば、もっと違ったのだろうが、そんなことも起きるはずがなく。
結局、ほぼ史実どおりに、ドイツの賠償を前提にした、経済関係が構築されていく。
ちなみに米ウィルソン大統領の提唱で、国際連盟が設立され、日本も常任理事国になった。
しかしこちらも史実どおり、議会の承認が得られずアメリカは不参加となっている。
おかしな国である。
その後、紆余曲折を経て、ドイツにはヒトラー率いるナチス政権が誕生した。
多少はそんな事態を避けようと介入も試みたのだが、極東からできることには限りがある。
それに仮にヒトラーを排除しても、またいずれ似たような者が台頭してくるだろう。
結局のところ、時代の流れというものは、そう簡単に制御などできないのだと、思い知った。
そんな欧州情勢とは対照的に、東アジアは史実と大きく異なっている。
まず新生清国、正統ロシア大公国が誕生し、中華民国とソ連の領土が削られていた。
清国と正統ロシアは、日本にとってソ連に対する盾となるので、アメリカと一緒に積極的に支援している。
それならば日本とアメリカの仲も、良好になりそうなものだが、なかなかそうは上手くいかない。
まずアメリカが清と正統ロシアを支援するのは、防共の盾と同時に、市場や権益を求めているからだ。
アメリカの製品を売りこむ先は、あればあるほどいいし、投資して収益も上げたいという理屈である。
しかし両国にとっては、アメリカよりも日本の方がはるかに近い。
おまけにこの世界の日本は、工業化度も技術力も、格段に高まっているため、さらにアメリカの出番が減っていた。
しかも日本、韓国、清国、正統ロシアは、防衛同盟も結んでいるので、円を中心とするブロック経済まで形成されつつある。
おかげでいろいろ苦労したわりに、アメリカへの実入りは少なかった。
史実に比べると、南満州鉄道の権益の過半を握っているので、実際はそれほど悪くないのだが、期待を下回っているのは間違いない。
しかも清の発展にともなって、南満州鉄道以外の鉄道が成長してきたため、その収益は伸び悩んでいた。
これに不満を抱いたアメリカが、清に鉄道開発の自粛を要請(ほぼ強要)したもんだから、両国の関係が悪化してしまう。
元々、アメリカの強引な経済進出が、顰蹙を買っていたのもあって、満州の各地で対立が表面化した。
それを見ては、共同支援国である日本も、黙っているわけにはいかず、やんわりと懸念を表明したのだ。
そしたら、それがアメリカの政治・経済界を刺激したらしく、急激に日本への敵意が高まっているという状況である。
そんな話を川島が説明すると、陛下が難しい顔でぼやく。
「まさか、そんなことになっておったのか……」
「はい、愛国商会の支店からの情報ですから、大筋では間違いないかと」
「う~む、よかれと思ってやってきたことが、よもやそのようになるとはな」
「まったくです。まあ、結局どこも経済は無視できませんから、さほど不思議なことでもないんですがね」
「……身も蓋もないな」
苦笑する陛下に代わって、今度は若槻さんが口を開く。
「それで、アメリカは清国での武力衝突に備え、グアムとフィリピンを強化しようというのだね?」
「ええ……しかしそれだけで済みそうには、ありませんね」
「どういうことだ?」
「下手をすると、我が国も戦争に巻きこまれるかもしれません」
「なんだと!」




