38.航空機の発展
昭和6年(1931年)5月 所沢陸軍飛行場
「お~、あれが中島の」
「けっこうカッコええやん」
俺たちはまた所沢飛行場で、陸軍の新型戦闘機を見せてもらっていた。
それは中島飛行機の91式戦闘機である。
【91式戦闘機】 カッコ内は史実の数値
長さx幅 :7.3x11m
自重 :1075kg
エンジン :中島 寿1型 空冷星型9気筒
出力 :600馬力(520馬力)
最大速度 :350km/h(320km/h)
巡航速度 :300km/h
実用上昇限度:9000m
航続距離 :700km
武装 :7.7ミリ機銃x2
乗員 :1名
それは日本では初の、流線型全金属機体であり、パラソル翼を採用した単葉機である。
フランスから招聘した技術者を中心に開発を進め、他社との比較審査に打ち勝って、制式採用となった。
ちなみにエンジンは、ブリストル社のジュピターを参考にしているものの、そこから独自に設計した寿型である。
(史実ではジュピターのライセンス生産品を使用)
そんな航空機が国内で作れるのだから、日本もずいぶんと立派になったものだ。
そんな話をしていると、数人の軍人が近寄ってきた。
「やあ、大島さん、後島さん。元気かい?」
「あ、大西さん、どうも」
「こんちは~っす」
それは海軍の、大西瀧治郎中佐だった。
さらに彼の後ろには、ごっつい軍人が2人ひかえている。
「え~と、そちらは?」
「ああ、角田中佐と、山口中佐だ。2人とも航空機に興味があるらしくてね。案内してるとこなんだ」
「あ、はじめまして。大島祐一です」
「後島慎二です」
するとごっつい2人も、あいさつを返してくる。
「角田覚治です」
「山口多聞です。大島さんに後島さんというと、例のエンジン屋さんの?」
「ああ、ご存知でしたか。ええ、いろいろなところで、技術指導をしています」
「やはりそうでしたか。一度、お会いしたいと思っていたんですよ」
「あ、光栄です」
山口さんが手を差し出してきたので、俺と後島も握手に応じる。
すると角田さんまで加わって、握手を交わした。
「大島さんたちがここにいるということは、あの機体のエンジンにも、関わっているんですね」
「ええ、幸いにもいろんなとこから、声を掛けられてまして」
「いやいや、我が国のエンジン技術を、おおいに高めていると、評判ですよ。あんな立派な飛行機が、国内で作れるのも、あなたたちのおかげが大きいとか」
「いえ、そんなことはありませんよ。中島さんをはじめ、熱心な関係者のおかげです」
「フハハ、それはご謙遜を。エンジンだけでなく、いろいろな分野で活躍されていると、聞いておりますぞ」
なぜか妙に親しげな山口さんである。
しかしそうなるのも、無理からぬ事情があった。
なにしろ俺たちは、すでに25年も軍属の技術者として、国力の増進に当たってきた。
その過程でさまざまな成果を出しているのもあって、だいぶ顔が売れてきたのだ。
ちょっと情報に強い士官なら、まず知らないことはないだろう。
おかげで俺たちはまた昇進し、すでに中佐待遇となっている。
給料は上がるし、発言力も高まるので喜んではいるが、はたしてどこまで上がるのやら。
俺たちは強力なバックがあることでも有名なので、変な嫌がらせとかが少ないのは幸いだ。
すると角田さんも、話に交じってきた。
「ほう、あなたたちが例の技官さんでしたか。私も噂は耳にしていますよ」
「それは恐縮です。ところでお2人は航空機に興味をお持ちとのことですが、航空隊に関わるんですか?」
「いや、今はただの興味ですよ。しかし戦術や戦略を語るうえで、航空機は無視できない存在になりつつある。そこで折を見ては、様子を見にくるようにしてるんです」
「それは卓見ですね。実際に航空機は、これからもっともっと発展しますよ」
「ほう、それは例えば、どんなふうにですかな?」
「私も興味がありますね」
俺の言葉に、角田さんだけでなく、山口さんも強い興味を示した。
そこで俺は、慎重に未来像を説明する。
「そうですね……例えばあの戦闘機ですが、より高速で重武装になっていくでしょうね。今は時速350キロ程度ですが、いずれはその倍も夢ではないかと」
「なんと、時速700キロとは、想像もつきませんな。しかしそんな簡単に、性能が上がりますか?」
「まあ、平時だったら、そこまで行くのに時間は掛かるでしょう。しかし一旦、戦争にでもなれば……」
「なるほど。性能向上には、拍車が掛かるでしょうな。その辺のことも、考慮しておかねばいかんか」
「そうですね。国家の大事に関わるからには、先々を見据えないと」
その後もいろいろと聞かれ、しばし話しこんだ。
それにていねいに答えたことで、彼らにはずいぶんと感謝される。
おかげで最後には、数年来の友人のような雰囲気で別れた。
「ふう、なかなか紳士的な人たちだったな」
「ああ、軍の雰囲気も、だいぶ変わったからな」
「フフフ、そういえば、金剛型を作る前は、けっこう衝突してたよね」
「当たりまえだ。あの頃は馬鹿な脳筋が、ゴロゴロしてたからな」
「そうやったな~。そういう意味では、改革に成功したっちゅうことか」
「まあ、油断はできないけどな」
「せやな。本番はこれからや」
そこで俺は、思いついたことを口にしてみる。
「なあ、そういう意味では、今後は軍人との交流も、積極的にした方がいいんじゃないかな?」
今までは技術開発や国力増進で忙しかったため、ごく一部の軍人以外とは、親しくしてこなかった。
しかしこうして太平洋戦争の有名人に会うと、もう少し広い交流も必要に思えてくる。
なにしろ前線に立って戦うのは、彼らなのだから。
「う~ん、そうだな。あと数年もすれば、第2次世界大戦が始まるかもしれないし」
「せやな。ぼちぼちやってけば、ええんとちゃう」
「そだね」
「ああ、賛成だ」
こうして俺たちは、より広い軍人との交流も視野に入れ、今後の準備に思いを馳せていた。




