33.金融恐慌に対処しよう
昭和4年(1929年)9月 皇居
この年の9月某日、ニューヨーク市場の株価が暴落した。
世界大恐慌の始まりである。
第1次世界大戦で国土の被害もなく、戦争特需に沸いたアメリカは、一時的な反動不況を経て、すぐに経済成長の道をたどった。
彼の国では欧州からの帰還兵が結婚して住宅ブームが発生したり、自家用車の購入者が増えていた。
さらにそれを都市化によるインフラ整備や、欧州の復興需要が支える。
しかしそれらの需要が27年頃に減少に転じても、株価だけは上がり続けた。
いわゆるバブル現象が発生していたわけだが、やがてそれも弾ける。
度重なる暴落により、ダウ指数は2ヶ月で、最高値の半分程度になってしまった。
これが米国の金融システムを直撃し、なんと4割もの銀行が破綻したという。
当然ながら日本にも影響はあるのだが……
「本当に発生したのう」
「ええ、明らかにバブルでしたから」
「あらかじめ備えておいて、本当によかった」
そんな話をしているのは陛下(昭和天皇)と、高橋是清蔵相である。
他にも西園寺公望、若槻礼次郎、松方巌(松方正義の長男)が、元老として参加している。
そして高橋さんも、元老の1人である。
ちなみに俺たちの方も、順調に出世していて、昨年に中佐待遇となった。
元老の関係者として、各方面で活躍しているのだから、それも当然であろう。
そんな中、高橋さんには、今回の世界大恐慌に、蔵相として対応してもらった。
もっとも彼には、2年前の昭和金融恐慌にも対処してもらっている。
この昭和金融恐慌とは、史実の27年3月14日に、当時の蔵相が、”渡辺銀行が破綻した”、と言ったのが発端だ。
本当はまだ破綻していなかったのに、この発言で渡辺銀行には顧客が殺到し、休業に追いこまれてしまう。
そして事はそれだけに収まらず、他の中小銀行にも飛び火して、取りつけ騒ぎと休業が続発する。
それがとうとう台湾銀行の融資先にも波及し、台湾銀行ですら休業に追いこまれたのだ。
これに慌てた政府が、全国でモラトリアム、銀行の一斉休業、紙幣増刷などを行い、なんとか鎮静化を試みた。
その結果、なんとか事態は収まったものの、その間に株価は20%も暴落し、40もの銀行が倒産、休業の憂き目に遭ったのだ。
しかしこの世界では、その被害はだいぶ抑えられている。
そもそも台湾銀行などが潰れかけたのは、23年の関東大震災に原因があった。
この時、被災した企業が振り出した手形を、政府が割り引く優遇制度を実施したのだ。
これは被災企業に対する措置としては必要だったが、余計な混乱を招き入れていた。
震災とは関係のない決済不能な手形が、大量に紛れこんだのだ。
救済措置を悪用した、不良債権の先送りである。
そのため本来は、2年ぐらいで処理するはずだった不良債権が、一向に片づいておらず、失言で表面化したのが、昭和金融恐慌というわけだ。
しかしこの世界ではこの不良債権が、史実よりも大きく減っていた。
それは日本自体が成長し続けていたことに加え、正統ロシア大公国や、新生清国という市場がすぐ近くにあったため、第1次大戦の終了による反動が少なかったからである。
その他にも、大戦時から始めた諮問機関も役立っていた。
俺たちの提言により、1918年から首相直下の諮問委員会が発足していたのだ。
これは一般から選ばれた有識者と、各省庁から出された少壮官僚で構成されるもので、国政運営に対して、助言を行うための機関である。
もちろん議論が発散しないよう、元老のひとりが議長に就いて、コントロールするようにしている。
そして俺たちは、この委員会を通じて、国内に警告を発したのだ。
それは、”欧州大戦はもうじき終わるので、設備投資や材料手配を控えるべきだ”、というものである。
もちろん過熱した国内景気は、その程度で完全に抑制できはしない。
しかしある程度冷静な企業、投資家に冷水を浴びせるには、十分だった。
さらに大蔵省を通して、台湾銀行にも圧力を掛けていた。
実は台湾銀行の大口顧客として、有名な”鈴木商店”があったのだが、そこ向けの融資を絞るよう、誘導したのだ。
当然、鈴木商店からは盛大に抗議があったが、国の指導では仕方ない。
おかげで投資機会を逃した鈴木商店だが、結果的にその負債が大きく減った。
結局、これらの処置により、27年の不良債権も、史実の半分くらいで済んだのだ。
そしてこの世界では蔵相ではなく、とある国会議員の失言で恐慌が起きかけたのだが、そこを高橋蔵相がすばやく対応し、早々に抑えてくれたわけだ。
さすがは日本有数の財政家である。
俺たちの情報があったとはいえ、見事な手際であった。
そして今回の世界大恐慌においても、その手腕はいかんなく発揮されることとなる。
まず日本の主力輸出品である生糸が、最大の需要国であるアメリカで売れなくなった。
史実だとこれに30年の金解禁による混乱が加わって、株価、生糸価格、米価が暴落する。
しかし金解禁なんて当然、やるはずもなく、国内の建て直しに走った。
再びの国債増発で、国内の公共事業を加速させたのだ。
その内容は主に、
・羽田空港の拡張
・主要港の拡張・整備
・関門トンネルの建設
・石油備蓄タンクの建設
・製鉄、発電、造船、化学、石油精製、自動車、航空機分野での設備投資促進(優遇税制、低利融資)
などといったものだ。
これらの施策によって、世界恐慌の影響を打ち消して、再び成長軌道に乗ることができた。
そもそも国内の企業・財閥には、先の諮問委員会の提言で、注意が喚起されていたってのもある。
”アメリカの景気は過熱しているので、あちらの資産は現金化を推奨する”、なんて内容でだ。
もちろんそんなことをおとなしく聞くはずもないが、政府はそれなりに圧力を掛け続けた。
その結果、財閥や投資家も多少は用心し、大恐慌による被害は史実より減らすことができたのだ。
もちろん我らが愛国商会も、率先してドル資産を現金化していた。
そして株価が下がったところで、めぼしい企業の株を買い漁り、有用な技術を手に入れたりしている。
さすがに外聞が悪いので、空売りとかはしていないが。
それでも愛国商会は格段に資産を増やし、それを国内の設備投資や、慈善事業に投じている。
おかげで日本は、いち早く大恐慌の影響を抜け出すことができた。
なにはともあれ高橋さん、ご苦労さまでした。




