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29.関東大震災を乗りこえよう

大正12年(1923年)1月 伝染病研究所(東京)


「結核に効く、新たな薬ができたぞ!」

「おお、おめでとうございます、所長」

「うむ、これも志賀くんたちのがんばりの成果だがな」

「いえ、所長の尽力の賜物ですよ」


 1923年の東京で、画期的な薬が誕生していた。

 それは現代なら、ストレプトマイシンと呼ばれる抗生物質で、北里柴三郎と志賀潔しがきよしらのチームによって開発されたものだ。

 そしてそこへ至るまでには、俺たちも多少は協力している。


 とはいえ、俺たちは医療については、まったくの門外漢である。

 それでも人命に関わることなので、少しでも参考になることは、この時代の医療関係者に伝えておこうという話になった。

 その対象となったのが、北里柴三郎である。


 彼は”日本の細菌学の父”とも呼ばれる人物で、実際に伝染病研究所の所長になっていた要人だ。

 そこで1907年頃、極秘裏に接触し、俺たちの素性を明かしていた。

 そのうえで俺たちの持つあいまいな医療知識を伝え、研究を進めてもらったのだ。


 それは例えば、

 ”青カビから強力な抗菌作用を持つ抗生物質ができるらしい” とか、

 ”イソニアジドとかいう抗うつ薬が、結核に効くらしい” とか、

 ”地中の放線菌から、結核の特効薬ができるらしい” といったものだ。


 イソニアジドについてはすぐに見つかり、すでに治療に役立てられている。

 しかしイソニアジドだけでは、結核菌が急速に耐性を持つことから、新たな薬剤の研究も進められた。


 そしてようやく14年目にして、ストレプトマイシンに相当するものが、日本で開発されたのだ。

 ワクチンについてもフランスから、弱毒生菌ワクチンが導入され、史実よりも早く実用化に動いている。

 これらの施策によって、この世界の日本では、結核による被害が大きく減りつつあった。


 なにしろ結核といえば、戦前までは不治の病として恐れられた病気である。

 史実の大正時代においては、1万人当たり20人以上の死亡者が発生したという。

 それを大きく減らせているのだから、これほど嬉しいことはない。


 ちなみにペニシリンの方も、10年越しの研究で開発され、第1次大戦の末期に兵士の死亡数を減らしている。

 史実の開発者であるワックスマンとフレミングには悪いが、人の命には代えられないので、許してもらいたい。


 ついでに脚気かっけについても、ビタミンB1によって回復することは話してある。

 さらに1910年に鈴木梅太郎がオリザニンを発明することを、佐島が知っていたので、北里さんから手を回してもらって、普及が早まった。

 細かいことは学者に丸投げだったが、これはこれで上手くいった。


 あと、ハンセン病については、日本が世界に逆行して、隔離政策を行うらしいことも伝えた。

 正直、詳しいことは分からないので、世界の動向にならったほうがいいとしか言えなかった。

 しかし結果的に、隔離政策が緩和されているので、史実ほどひどいことにはならなそうだ。


 それから1914年に起きる、伝染病研究所の文部省移管は阻止してやった。

 これは元々、内務省の傘下にあった研究所が、いきなり相談もなしに文部省に移管され、東大の下部組織にされた事件である。

 どうやら北里さんと東大教授陣との確執が原因らしいが、これによって北里さんと多くの研究者が、研究所を離れてしまったのだ。


 そんなイベントは百害あって一利もないので、事前に動きを察知して潰してやった。

 北里さんは、とても喜んでくれたよ。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


大正12年(1923年)9月1日 東京


 この日、11時58分、東京・神奈川を中心とする関東圏に、文字どおりの激震が走った。


「地震だっ!」

「でかいぞ!」

「「「うわ~っ!」」」


 それは相模湾北西部を震源とする、マグニチュード7.9の大地震だった。

 そう、関東大震災である。

 史実では10万人以上もの犠牲者を出した、大災害だ。


 しかしこの世界では、そこに至るまでの状況が大きく異なっている。

 まず1914年に、桜島(1月)と秋田(3月)で地震が起こったのを理由に、防災記念日が設定された。

 それも9月1日に。


 そして毎年、小規模な防災訓練を各地で実施してきたのだが、今年は10周年を理由に、全国で大規模なイベントを催したのだ。

 それは防災訓練を兼ねて、お昼時に人を集め、昼食を振る舞うというものだ。

 これによって本来は、自宅で昼食を取ろうとしていた人たちが、開けた土地に集まっていた。


 おかげで建物の倒壊に巻きこまれる人が激減しただけでなく、調理の火元も大きく減らされた。

 しかしもちろん、それだけで火事がなくなるはずもない。

 あちこちで火災が発生し、おりからの強風で広がる動きも見られた。


 しかし防災の名目で集められていた消防隊が、ただちに動き、それを消し止めていく。

 この日のために、東京と神奈川では消防署をはじめ、消火栓や貯水槽、放水ホースやポンプなどが、徐々に整備されていたのだ。

 しかも陸海軍も支援物資を準備して、待機していた。


 地震が治まるとすぐに、それらが動きだす。

 物資を満載したトラックや艦艇が、被災地に駆けつけたのだ。

 軍も迅速に事態を収拾するべく、部隊を送り出し、被災者の救護や残骸の整理、道路の復旧に取り組んだ。


 しかも各部隊には無線電信機も配備されており、霞が関の陸軍本部がその指揮に当たった。

 おかげで当初は大混乱に陥っていた国民も、しだいに落ち着きを取りもどし、各所で助け合いの姿が見られたという。

 そのあまりにも見事な処置は後々まで語り草となり、”関東の奇跡”と呼ばれることになる。


 もちろん、多少の人的被害は避けられなかった。

 誰もが建物の外に出ていたわけではないし、火災も少なくない箇所で発生している。

 しかしそれでも、犠牲者は5千人弱に収まり、史実の20分の1以下となったのだ。

 建物も多くが損壊したが、それは都内の区画整理につながり、後の発展を支えることになる。


 そんな中、俺たちも走り回った。

 主に被災企業の状況を、官僚と一緒に調査して回り、政府の支援が届くよう、手配したのだ。

 おかげで被災企業の再建が早まり、経済的な落ち込みも、史実よりずいぶんと減った。


 そしてそれらを実行するために、政府も迅速に動いた。

 ほんの数日間で臨時国会を開催し、特別国債と復興予算が可決される。

 さらに復興を迅速に行うための臨時法案も可決され、早々に復興の道を歩みはじめたのだ。


 さらに少しでも復興予算をまかなうためと称して、旅順・大連を含む関東州が、有償で清国に返却された。

 これは元々、1923年に返還すべき土地なのだが、継続して租借できるよう、清国と交渉中だったのだ。

 本来はとっとと返還していてもよかったのだが、日本が建てた施設を譲渡する条件で、少々もめていた。


 というのも、これは国内向けのポーズという側面もあったのだ。

 一応、大陸の利権にも配慮しているよ、というフリである。

 しかし国内で大災害が起こったため、急いで交渉をまとめねば、という気運が高まる。

 そこでそれまでよりも安めの価格で交渉したら、トントン拍子で話が進んだわけだ。


 清国側も、日本が災害で大変だろうと、多少は同情してくれたのだろう。

 結局、日露戦争で手に入れた関東州は、とうとう日本の手を離れることとなる。

 ただし、満鉄の従業員に対する義務はあるので、退役軍人で編成された警護中隊を、満鉄沿線に置かせてもらうことにした。


 それから南満州鉄道においても、金策を進めた。

 具体的にいうと、満鉄の株式の一部を清国に売却し、アメリカに増資をしてもらったのだ。

 これによって日本の保有比率は20%にまで落ちこんだが、アメリカの投資によって満鉄は栄えるので、それほど悪くない取り引きであろう。


 しかし当然ながら、これらの施策に文句をつけるヤツはいた。

 ”我が国の兵士の血であがなわれた利権を、やすやすと売り払うのか?”、なんて言い草だな。

 そこで、”国内が大変な時だからこそ、それを役立てるのだ”、と言って反論すると、多くは黙った。

 それでもキャンキャン吠えるヤツもいるにはいたが、世論に無視されて消えていく。


 そんな感じでいろいろあったが、日本はたくましく復興への道を、歩んでいた。

基本的に主人公たちは医療に興味がないので、役立ちそうな内容をピンポイントでいくつか覚えていただけ、という設定です。

まあ、日本人の寿命が戦後に大きく伸びた主要因は、栄養状態と衛生環境の改善ですから。

国力の増強こそが、最大の貢献になるでしょう。

そして関東大震災は、10周年イベントで被害を激減させ、大陸からも手を引くと。

ご都合主義が過ぎる? ^^;

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