3.ゴンベエを更迭せよ
「それはこの日本がアメリカと戦争になって、300万人もの死者を出す歴史です」
俺たちが変えたい歴史とはなんだと問われ、率直に答えた。
すると陛下と殿下は、その言葉に息を呑み、苦しそうな声を上げる。
「さ、300万人だと? それはまことか?」
「しかもアメリカと戦争とは、なぜそんなことに……」
正確にはアジア・太平洋戦争の日本人犠牲者は310万人。
開戦時の人口比で4%強、この時代からすると7%弱にも相当する数字だ。
そしてその9割が、1944年以降の戦争末期に生じたのだから救えない。
もっと早期に停戦はできなかったのかと、思わずにはいられない話だ。
そもそも、対米戦を回避できなかったのかってのもある。
そんな悲惨な状況を、俺たちはパソコンに入っていた写真などを見せながら、説明する。
30分ほど掛けて説明を終えると、陛下と殿下はため息をついて、ソファの背にもたれた。
しばし沈黙が流れてから、陛下が再び口を開く。
「にわかには信じがたい話だが、仮にそれが事実になるとしよう。その戦争を、君たちは防げるか?」
「……はっきり言って、それは分かりません。こう見えても40年以上生きてますから、世の中のしがらみとか、世論の勢いみたいなものも、理解してるつもりです。だけどそれでも、陛下が俺たちを信じてくれるなら、やれることは多いと思います」
「ふむ、それはどんなことだね?」
「史実の知識を活かして、基本的には戦争を回避する努力をすること。そしてもしも戦争になっても、簡単には負けない国力を養成することです」
それを聞いた陛下は、しばし目を閉じて、俺の言葉を吟味する。
やがて目を開いて、フッと笑った。
「まず戦争を回避する努力をするというのは、正しいな。よろしい。協力しようじゃないか。いや、この場合は力を貸してくれと言うべきか」
「陛下! そのようなこと、軽々におっしゃってはなりませんぞ」
ここで家臣の1人が諌めようとしたが、陛下は断固とした意志を示した。
「300万人もの命が掛かっておるのだぞ。それを回避するための努力をするのに、なんのためらいがあろうか。まあ、そう心配するな。私とて全てを信じたわけではない。本当に歴史を知っているのなら、彼らの言い分が正しいかどうか、おいおい分かるはずだ。最終的な判断は、それを確認してからになるであろう」
「は、出過ぎたことを申しました」
こうして家臣が引き下がると、陛下は居住まいを正した。
「それで、さしあたりやるべきことはあるかな?」
「……はい、早急にお願いしたいことがあります。しかしそのために少々、お人払いをお願いできるでしょうか?」
「貴様~っ! 図に乗るなよ!」
またまた家臣の1人が激昂しかけたが、陛下がそれを制す。
「よい。それだけ秘密を要することなのであろう。さすがに全てというわけにはいかんが、人を減らそう」
そう言うと、陛下は家臣に指示を出し、取り巻きのほとんどが退出させられた。
陛下と殿下以外には、実直そうな男が2人だけ残る。
「これらは確実に信用できる者だ。安心して話を聞かせてほしい」
「ありがとうございます。私からお願いしたいことは、山本海相と長岡参謀次長についての調査です」
「むう……権兵衛と外史か。何ゆえにそのようなことを望む?」
陛下は訝しそうに眉をしかめながら、俺に問うた。
権兵衛とは山本権兵衛大将であり、この頃の海軍を牛耳っている海軍大臣である。
そして外史とは長岡外史少将であり、大本営の参謀次長だ。
陛下の問いに対し、俺は慎重に答える。
「はい、お2人には旅順攻略戦において、重大な背信行為を犯した可能性があるからです」
「なんだと! あやつらが一体、何をしたというのだ?」
さすがに声を荒げた陛下に、俺は順を追って説明を始めた。
「今のところはまだ、仮定として聞いてほしいのですが――」
そもそもは山本海相の、強烈なエゴがその根底にある。
まずロシアとの緊張が高まる中、川上操六、田村怡与造という優秀な参謀次長が、それぞれ1899年と1903年に、相次いで亡くなった。
どちらも突然死である。
おそらく参謀次長の激務による負荷に、不幸が重なったのであろう。
そしてこの未曾有の危機の中で参謀次長に就いたのが、児玉源太郎だ。
いくつかの大臣職を歴任してきた、副総理級の大物である。
しかし彼は、対ロシア戦に備えて海軍(山本権兵衛)の協力を取りつけるため、複数の譲歩をしなければならなかった。
ひとつは旅順は軍港であるので、海軍が攻略するから、陸軍はいっさい手を出すなという要求。
くだらないメンツにこだわった、海軍の我がままである。
さらに新たな巡洋艦 日進と春日の予算(1600万円)の承認も求められた。
これはアルゼンチンが発注したはいいものの、外交関係で宙に浮いていた艦を、日本がイギリスの仲介で買い取ったものだ。
たしかに必要だったのかもしれないが、それはもちろん陸軍の予算を圧迫する。
そして極めつけは、それまで陸軍優位だった統帥権を、陸海対等にするという、戦時大本営条例の改訂であった。
陸が主で海が従という統帥権のあり方は、どこの国でも当たり前であり、それまでも日本では上手くやってきたのに、対等にしろとダダをこねたのだ。
これによって大日本帝国の統帥権は、戦時においても分裂し、深刻な問題をはらむことになっていく。
これだけの譲歩をしてようやく、児玉さんは対露戦における海軍の協力を取りつけたのだ。
おかげでなんとか海上輸送路は確保され、ギリギリではあるがロシア軍に勝利する道筋ができる。
しかしこの譲歩によって、陸軍は手痛いしっぺ返しを食らう。
特に問題となったのは、旅順攻略に対する、初期からの陸軍参戦拒否である。
別に海軍が宣言どおり、旅順艦隊を無力化してくれればよかった。
しかし海軍はそれに失敗したうえで、陸軍に尻拭いを要求してきた。
しかもそうなるまでに、なんと半年もの時間が浪費されていたのだ。
実は開戦から2ヶ月ほどの時点でも、”海軍は本当に旅順の攻略に陸軍の参戦を必要としないのか?” と陸軍は問い合わせていた。
しかし海軍はただ断るだけでなく、協定書にはっきりとその旨を明記すらして、陸軍の参戦を拒んだそうだ。
その間に旅順要塞の陸正面はガチガチに守りを固め、その攻略難度が格段に上がったのは想像に難くない。
そんな状態で攻略を任された乃木将軍こそ、いい迷惑である。
この時代、ただでさえ敵陣地の攻略は、白兵攻撃による強襲に頼るしかなかったのだ。
それが半年も敵に時間を与え、防備を固められてしまったのではたまらない。
よく乃木将軍は、無謀な突撃を繰り返した無能な将軍だと言われがちだが、決してそんなことはない。
ちゃんと事前砲撃を交えた真っ当な戦法により、正面から攻略しようとしたのだ。
しかし困ったことに、貧乏な日本に潤沢な砲弾の備蓄などありはしない。
結局、十分な砲撃もできないまま、強襲を敢行せざるを得なかった。
これによって、大きな被害を出したのは、歴史の事実である。
しかも1904年の7月頃になると、ロシアのバルチック艦隊が、極東に回航されるという情報が入ってきた。
これに慌てたのが海軍で、キャンキャンと負け犬のように、旅順攻略を急がせるようになったのだ。
自らの傲慢と失態のせいで、攻略難度が上がっているというのに、なんたる恥知らずな連中であろうか。
しかし海軍の妨害は、さらに続く。
あろうことか、攻略の必要性の薄い203高地の攻略を、陸軍に強要したのである。
”好適な観測値である203高地を占領し、砲撃により旅順艦隊を早期に撃滅すべし”という理屈でだ。
しかし当時、旅順艦隊はすでに陸軍の28センチ榴弾砲によって、大きな被害を受けていた。
”だからその必要はない”、と陸軍が断っていたのに、海軍はさらなるゴリ押しをしてくる。
陛下が臨席する御前会議において、203高地の攻略を決定し、乃木将軍の第3軍に圧力を掛けてきたのだ。
この時、海軍に同調したのが、参謀次長の長岡外史である。
実はその少し前、参謀次長の児玉源太郎や、総参謀長の大山巌は、満州軍総司令部として大陸に渡っていた。
対露戦略を練り上げてきたのは彼らであり、前線近くでその指揮を執るのは当然であろう。
そして彼らの抜けた大本営の空席を埋めたのが、長岡外史や山縣有朋で、言ってみれば、ただの留守番役に過ぎなかった。
しかしなまじトップに立ってしまうと、前線に口を出したくなるのは、人間の性なのであろう。
海軍にホイホイと乗せられた長岡が主導し、御前会議で203高地の攻略を決定し、前線に通達したわけだ。
一説には海軍(山本権兵衛)は、操りやすい長岡の参謀次長就任を待って、相談を持ちかけたと言われている。
それでも満州軍総司令部と第3軍は、従来の正面攻略を続けていた。
するとこれに業をにやした山縣と長岡が、さらなる圧力を掛けたらしい。
最後には陛下の勅語まで送って、乃木将軍に203高地の攻略を迫ったという。
結局、乃木将軍もこれには抗しきれず、203高地の攻略に踏み切った。
その結果、戦闘参加兵士6万4千人に対し、1万7千人の死傷者(死亡5千人)を出すという、惨劇が発生したのだ。
その際に、乃木将軍の次男も、戦死している。
「ということで、山本海相と長岡次長には、重大な背信行為の疑いがあることになります。これについて、ぜひ調査をお願いします。百年以上あとでも言われてることなので、今しらべれば真相の解明はたやすいと思うのですが……」
説明に夢中になっていた俺が、ふと顔を上げてみると、陛下が顔面を蒼白にして、ブルブル震えているのが目に入った。
「そ、それは真のことなのか? それでは私が、乃木の息子を殺したことになる」
「あ、いえ。それは陛下の勅を利用して、乃木将軍に無理攻めをさせた者がいる、ということです。決して陛下のせいではありません」
「しかし勅が出たということは、私がそれを認めたということだ。つまり――」
「冷静になってください。陛下が認めたということは、誰かが虚偽の報告をしたということです。203高地の攻略が決まった際、海相や次長はどう言っていましたか?」
陛下はひとつ深呼吸をすると、しばし記憶を探っていた。
「……たしか、今年の初めにはバルチック艦隊が来航する恐れがあるので、大至急203高地を奪取し、旅順艦隊を無力化すべし、と言っていたと思う」
「そうですか。しかしその頃、バルチック艦隊の本隊は、アフリカ西岸のダカールにいました。そこから日本近海に到着するには、どんなに順調でも今年の2月であったはずです。実際にはロシア側のゴタゴタもあって、さらに3ヶ月も遅れましたね」
御前会議は昨年の11月14日に開催されたのだが、この頃バルチック艦隊の本隊は、まだダカールにいたのだ。
そこから真っ当な計算をすると、どう考えても来航は2月以降になる。
つまり海軍は、1ヶ月もサバを読んでいたのだ。
「むう……それは未来の知識でこそ、知り得る情報なのではないか?」
「いいえ、欧州各国に駐在する公使や武官の協力によって、バルチック艦隊の動向は監視されていました。政府と大本営が、それを知らなかったはずがありません」
「そういうことか……」
そうつぶやく陛下の表情は、悲壮な決意をうかがわせていた。