28.空母を養成しよう
大正12年(1922年)7月 横須賀海軍工廠
「見てくれたまえ、世界初の空母専用艦 鳳翔を」
「うわぁ、おめでとうございます、平賀少将」
「うむ、君たちにもいろいろと世話になった」
「お役に立てたなら幸いですよ」
俺たちは平賀造船少将に招かれ、横須賀海軍工廠に来ていた。
そして最初から空母として設計された艦として、初竣工した”鳳翔”を、見せてもらっているのだ。
その仕様は、こんな感じだ。
【鳳翔】
全長x全幅:168x18.9m
基準排水量:1万トン
出力 :4万馬力
最大速力 :26ノット
機関 :ロ号艦本混焼缶x4基+同専焼缶x4基
パーソンズ式高低圧ギヤードタービンx2基、2軸
搭載機数 :21機
主要兵装 :38口径5インチ(12.7センチ)連装高角砲x4基
25ミリ機銃x10
史実より2500トンほど大きいが、出力も1万馬力増しているので、速度は1ノットほど優速だ。
一応、史実と同様にイギリスの技術協力で建造されたのだが、一部に俺たちが口を出した結果である。
その口出しとは、主に生産性を向上させるものだった。
例えば船底は平底にして、艦内構造には直線部分を多用するようにした。
さらに構造材をなるべく規格化することで、簡単な部位は先行して作れるようにしたのだ。
ぶっちゃけ、日本の艦船は曲面を多用しすぎていたため、生産性が悪かった。
少ない資源で性能を上げたい、という気持ちは分からないでもないが、そのおかげでコストや生産性を大きく損なっていては、意味がない。
その点、アメリカの空母なんかはよく考えられたもので、それを参考にさせてもらった形だ。
さらに溶接も一部に採用しているため、史実よりも完成が早まった。
(史実だと年末に完成)
もちろん、まだまだ日本海軍は、性能優先で凝った形状を採用したがるのだが、少しずつでも意識を変えていきたいと思っている。
それから出力を上げられたのは、後島の尽力で、缶の圧力を高めることができたからだ。
今後も鋼材の改良でボイラー性能を高め、せめてアメリカ並みにはしたいところである。
あと、格納庫もアメリカ式の開放型を採用している。
これは強度甲板の上に、屋根のように飛行甲板を設けたもので、外壁の一部は開閉可能なシャッターになっている。
史実の密閉式に比べ、ガスが溜まったりしないし、火災への対処もしやすい。
(じゃんじゃん水を使えるし、可燃物を外に捨てやすい)
少しでも艦の生存性を高めるため、開放式格納庫を早めに実用化し、定着させたいものだ。
このように、鳳翔はあくまで実験的な艦で、日本式空母のテストベッドとして、実験をしていく予定である。
機数も21機と少なめなので、実戦力としては心許ないだろう。
しかしいずれはカタパルトを実用化して、末永く使っていきたいとも思っている。
その一方で、鳳翔で得られたノウハウを活用して、より大型で実戦的な空母艦隊を、養成していくのだ。
そんな話を平賀さんとしていたら、艦長の豊島二郎大佐が話しかけてきた。
「やあ、大島さん。鳳翔を見た感想はどうだい?」
「あ、豊島さん。やっぱかっこいいですよね。改造型じゃない正式な空母って」
「ハハハ、そうだろう。君たちにも世話になったね」
「いえ、少しでもお力になれたのなら、幸いですよ。着艦実験は、いつ頃になりそうですか?」
「そうだな。おそらく9月ぐらいになるだろう。ウィリアムがはりきっているよ」
「アハハ、無事に終わるといいですね」
史実でも1923年に、元イギリス空軍大尉ウィリアム・ジョルダンが、初の着艦に成功している。
その着艦方法はなかなかに危険なもので、事故が絶えなかったといわれるから、早めに改良したいと思っている。
いずれにしろ、こうして日本でも、空母の運用が始まったのだ。
ちなみにワシントン軍縮条約がどうなったかというと、ほぼ史実どおりだ。
それは主力艦の保有比率を英米5に対し、日本を3以下に制限するもので、具体的な内容は以下となった。
・主力艦:総計で30万トン以下、以後10年は戦艦の新造禁止
ただし艦齢20年以上の代替の場合は3.5万トン以下
主砲口径は16インチまで
・空母 :総計で8.1万トン以下、単艦で2.7万トン以下
(ただし2艦までは3.3万トンを許容)
・巡洋艦:単艦で1万トン以下
・要塞化禁止:太平洋における各国本土およびごく近い島嶼以外の領土について、現状以上の要塞化を禁止
これによって日本は金剛型4隻、長門型4隻の戦艦をそのままに、香取と鹿島を残すことになった。
史実では三笠をはじめ、5隻も除籍したのとは大違いである。
ちなみにその他の艦だが、日露戦争でロシアから鹵獲した6隻と富士、敷島は、正統ロシア大公国にすでに売却されている。
そして朝日と三笠は一部の武装を取り外して、練習艦となる。
それと史実では、まだ完成していない陸奥を認める代わりに、米国がコロラド級2隻、イギリスはネルソン級2隻を建造した。
しかしこの世界で長門型は全て完成しているし、14インチ艦でしかないので、特に文句は出ていない。
軍縮という意味では、より有効な条約になったと言えるだろう。
これらの内容を屈辱であると騒ぐやつも、もちろんいたが、史実ほどではない。
強硬派は日露戦争後に排除されているし、さらに軍教育の改革で、日本の国力について周知されているからだ。
そしてはるかに国力の低い日本が、英米並みの軍事力を持ってどうするのだ、という論調を広めている。
強大な国と対立しないために、外交があるのだという認識も含めて。
しかし外交と言えば、史実どおりにアメリカが、日英同盟の解消を迫ってきた。
日英米仏で新たに条約を結び、個別の条約を発展解消するのだ、と言って。
これに対し、イギリスは少し抵抗したが、結局アメリカの言うとおりになった。
なんだかんだ言って、第1次大戦を終わらせたアメリカの影響力は大きいのだ。
そしてその大戦で大きく国力を増した日本に対し、アメリカが警戒感を抱いていることも明らかになった。
なので日本もあえて抵抗せずに、日英同盟の解消に応じたわけだ。
ただし日英は改めて友好条約を締結し、通商と人材交流に力を入れることにしている。
実際問題、両国は大戦を共に戦ったことで、信頼関係はそれなりに強まっているのだ。
いずれ縁があれば、また組むこともあるだろう。
そんなワシントン軍縮条約が成立した時、平賀さんに訊ねられた。
「今後の帝国海軍は、どうなるかのう?」
「そうですね。十数年は戦艦を造れないので、その間に開発を進めながら、国力の増強に邁進するんでしょう」
「う~む、それではちょっとつまらんのう」
「それは他国も一緒だから、我慢してください。その代わりに条約が明けたら、また強力な船を作りましょう。おそらく、4万トンを超える艦になりますよ」
「ほほう、4万トン超か。それでは儂も、長生きせねばな」
「ええ、長生きしてください」
そう言う平賀さんは、とても楽しそうだった。




