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未来から吹いた風 ~5人でひっくりかえす太平洋戦争~  作者: 青雲あゆむ
第2章 大正編

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26.長門型戦艦ができたよ

大正10年(1921年)6月 海軍艦政本部


「君たちのおかげで、無事に4艦とも完成したよ」

「そうですか。それはよかった」


 今、俺たちは艦政本部に呼び出され、そこである将校たちと会っていた。

 その将校とは、東郷平八郎元帥と、平賀譲大佐だ。

 ちなみにしばしばお世話になっていた秋山真之中将は、残念ながら鬼籍に入っている。


 だからというわけでもないが、俺たちは1913年頃に平賀大佐と面談し、正体を明かしていた。

 そして今後の造船計画に協力してもらえるよう、交渉したのだ。

 もちろん悲惨な太平洋戦争についても説明し、日本の艦艇設計のまずい点なども伝えてある。

 それを知った平賀大佐は、喜んで協力してくれることになった。


 そして冒頭で完成したと言われたのは、長門型戦艦である。

 史実では2隻しかないが、この世界では4隻つくった。

 しかも性能を向上させて。


【長門 主要諸元】

全長・全幅:223.4 x 30m

基準排水量:35000トン

出力   :10万馬力

最大速力 :27ノット

機関   :ロ号艦本混焼缶x8基+同専焼缶x11基

      技本式高低圧オールギヤードタービンx8基、4軸

主要兵装 :45口径14インチ(35.6センチ)3連装砲x3基

      38口径5インチ(12.7センチ)連装高角砲x10基


 史実の長門に比べると、長さで10メートル、幅で1メートル、排水量で1200トン大きい。

 そのうえで馬力を2万馬力ほど増やし、27ノットを実現している。

 将来的には出力を上げて、30ノットも視野に入れた設計だ。


 ただし、史実で16インチ(40.6センチ)連装砲4基だった主砲は、14インチ3連装砲を3基とした。

 これは英米を警戒させないための欺瞞措置で、実際には16インチ3連装砲を搭載可能な設計になっている。

 史実では日本が長門、陸奥の16インチ砲搭載艦を持つと言っただけで、英米に危機感を持たれたのだ。


 おかげで日本が陸奥を保有するため、英米で2隻ずつ、16インチ艦の追加建造を認めねばならなかった。

 (ワシントン会議の時点で、まだ陸奥は完成していなかったので揉めた)

 そんな状況で16インチ艦を4隻も造ったら、日本はやる気かと、警戒されかねない。


 特にアメリカに。

 せっかく戦艦の建造は控えて、無害感をアピールしているのに、それでは意味がない。

 ということで、当面は14インチ砲のままで、いずれ16インチ砲に換装することになった。


 とはいえ、この方針に決するまで、けっこう揉めたのだ。


”世界最強の戦艦、造るって言ったじゃん! うそ~つきぃぃぃ!”(意訳)


 なんてゴネるヤツがいたからである。

 その辺をまた東郷さんの豪腕で抑えつつ、”事実上の世界最強艦であり、これも兵法だ”と説得した。


 ちなみにモデルとしたのは、アメリカのノースカロライナ級である。

 3連装3基の主砲は、バイタルパートを小さくしつつ、門数も増やせる。

 また副砲もアメリカにならって、5インチ連装高角砲にした。


 なぜなら40年代の戦艦は、空母を守る対空戦闘の要となるからだ。

 取り回しのいい38口径5インチ砲に、近接信管とレーダーを組み合わせれば、圧倒的な戦果が上がるだろう。

 ちなみに史実で猛威を発揮したVT信管だが、レーダー射撃と組み合わせなければ、せいぜい遅発信管の3倍程度の命中率しかないそうだ。

 (それだけでも凄いが)


 そしてアメリカの何がすごいかというと、射撃レーダーのデータを基に砲の旋回角、仰角などを計算し、砲を自動照準していた点である。

 これによって敵機の近くに砲弾をばらまくことができ、なんと50%近い命中率を叩き出していたという。

 ちなみにレーダーと連動していない日本海軍の命中率は、わずか0.3%だったとか。


 これではたとえ近接信管を実用化しても、あまり意味がなかったと言われるほど差があったのだ。

 なので今後は、レーダー、近接信管、高速計算機などを開発し、アメリカに負けない艦に強化していく予定である。


 こうして完成したのが、長門、陸奥、加賀、土佐の4艦だ。

 史実では改長門型だった加賀と土佐が、長門型として誕生した形である。

 それぞれ呉海軍工廠、横須賀海軍工廠、川崎造船所(神戸)、三菱造船所(長崎)で建造され、しっかりと民間に技術移転もしている。


 その裏で俺たちは、とある技術開発も進めていた。


「アーク溶接の方はいかがですか?」

「う~ん、まあぼちぼちじゃな。最近はようやく不良率も下がってきておるよ。鋼材や溶接棒については、また知恵を貸してくれ」

「ええ、また暇を見ておじゃましますよ。後島と佐島も頼むな」

「もちろん」

「おう、ええで」


 そう、今、海軍では、アーク溶接とブロック工法を導入すべく、研究を続けているのだ。

 発端は金剛型を国内で建造しはじめた1911年頃で、今後は溶接工法が必要だと進言した。

 そして海軍の横須賀工廠で研究チームが発足し、順調に研究が進められている。


 それまで鋼鉄船の固定といえば、リベット留めが当たりまえで、真っ赤に熱したリベットを、穴に打ちこんで潰していた。

 それなりに実績のある工法ではあるが、なにしろ手間の掛かるやり方である。

 それに対してアーク溶接は、施工が速くて、重量も減らせるので、ぜひ取り入れたい工法なのだ。


 しかし初期の溶接工法には、”溶接不良”という深刻な問題があった。

 これは一見、まともに見える接合部に、不純物のせいで細かな亀裂が発生している状況だ。

 これが低温にさらされると、バキッと破断してしまう。


 この現象で有名なのが、第2次大戦時の米リバティ船で、船体が真っぷたつに分かれてしまうこともあったほどだ。

 そんな事故が何隻も発生したため、徹底的な調査が実施され、溶接部材や接合位置、溶接順序や溶接法などが見直され、さまざまなルールが作られたとか。


 そんな事例を平賀さんたちに説明し、そのルール作りをお願いしていた。

 その過程では後島や佐島も参加し、鋼材や被覆棒の改良をサポートしている。

 そしてそんなノウハウは海軍内だけでなく、国内の造船メーカーにも公開していた。


 さらに農商務省とも連携して、民間の造船メーカーが溶接を導入しやすいよう、補助金を出したり、低利の融資も受けられるようにしている。

 これによって国内の造船業には、溶接工法が広がりつつあるところだ。

 今はまだ小さな船や、上部構造だけに適用している状況だが、いずれは本格的な溶接・ブロック工法によって、船の重量低減と工期短縮が進むであろう。


 ちなみに長門型の建造では、その上部構造に試験的に導入されているだけだ。

 いずれは船体にも溶接を用いて、大幅な軽量化を実現したいものである。

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