24.大戦後の変化
大正9年(1920)4月 日本
「やっと帰ってきた~」
「う~ん、やっぱ日本はいいよな」
「うんうん、なんか落ち着くよね」
「せやな。やっぱ食いもんの違いはでかい」
「ま、しばらくはのんびりしたいもんだな」
ようやく日本に帰ってきた俺たちだが、そうそうゆっくりさせてはもらえなかった。
さっそく皇居から、お呼び出しが掛かったのだ。
「ご苦労だったね、君たち」
「お久しぶりです、伊藤さん」
「ああ、さっそく話を聞かせてくれ」
例のごとく、陛下に殿下、そして伊藤さん、山縣さん、松方さん、児玉さんなどの元老に出迎えられる。
しかし残念ながら、大山さんと井上さんは、大戦中に鬼籍に入っていた。
その代わりに今回は、西園寺公望さんが元老の仲間入りをしている。
「ドイツの状況はどうであった?」
「はい、混乱はしていましたが、それなりに活気がありました。なんだかんだいって、ドイツ人はしぶといですね」
「そうか。危害を加えられたりは、しなかったか?」
「ええ。日本は賠償を減らす方向で動いたせいか、わりと友好的でしたよ」
「それは良かった」
すると今度は児玉さんが口を開く。
「それにしても、今回の戦争では大きな成果を得られたな。連合の各国からの評価も高いし、正統ロシア大公国まで樹立できた。周囲の環境が、ずいぶんと安定したと思う。望外の成果だ」
「ええ、予想以上に上手くいきましたね。これも必死に戦ってくれた兵士たちと、裏で動いてくれた人たちのおかげですよ」
「うむ。その分、犠牲は大きかったが、決して無駄死にではない。いや、無駄死ににならないよう、我々がしてみせるのだ」
「はい、そのとおりです」
それを聞いていた出席者たちが、死者を悼むように瞑目する。
今回の大戦には、日本から20万を超える将兵が従軍しているが、実に3万人近い死者が出ていた。
100万人単位で兵が死んでいる主要参戦国に比べれば、ぜんぜん少ないのも事実だが、日本軍の死亡率は14%と、決して低くない。
ちなみに戦費は半額負担だけでも、40億円ほど掛かった。
インフレがあったにしても、ものすごい大出費である。
もっとも経済が大成長しているので、借金の大部分を国内で賄えているのは大きい。
いずれにしろ、そのおかげで日本は勇敢で義理堅い国だと、認められつつある。
その名声や信頼感は、近場の出兵だけで利権をかすめとっていたら、決して得られなかったものだろう。
だから俺たちはただ後悔するのではなく、それをより良い未来につなげるよう、努力すればいいのだ。
「ドイツでお目当てのものは、手に入ったのかな?」
「ええ、さすがは技術大国ですね。軍艦の設計技術やら、優秀な工作機械や人材が手に入りました。その他にも、いろいろとライセンスを契約できましたから、国内に展開する予定です」
「フハハ、戦争中にずいぶんと伸びたのに、またまた成長しそうだな」
「まだまだ、こんなもんじゃ足りませんからね」
経済通の松方さんが、顔をほころばせている。
実際問題、日本経済はこの大戦中に、急成長しているのだ。
史実でも年率4.6%だったのに、この世界では工業化が加速されているので、6%を超えている。
戦前は1200億ドルだった実質GDPは、1700億ドルにも達しようとしていた。
それは史実よりも3割以上高い成長であり、10年ちょっと未来の経済規模になる。
もっともその陰でインフレも進行しており、経済格差が広がっていた。
これは主に生産者や資本家の所得が上がる一方で、他の労働者や公務員など、所得が上がらない者も多かったからだ。
そんな人たちにとっては、物価上昇は生活費の圧迫につながり、困窮するはめになる。
そんな人たちの不満が高まって、史実では米騒動などが起きていた。
しかしその点においても、俺たちは手を打っていた。
「愛国商会のおかげで、民衆の不満もやわらいでおるしな」
「ええ、これも陛下をはじめ、皇室の方々のご協力のおかげです」
「いや、川島くんの活躍は聞いておるぞ。本当によくやってくれたな」
「恐縮です」
陛下のお褒めの言葉に、川島が神妙に応じている。
これは何を言っているかというと、川島が立ち上げた愛国商会の、慈善事業のことだ。
愛国商会は皇室予算を元手に、国のために作られた商会だ。
当初は伏見宮貞愛親王を看板にしていたが、当人がだいぶお年になったので、今は閑院宮載仁親王が看板になっている。
そして愛国商会は、国内の有望な企業に投資をしていった。
なにしろ川島はこの時代の企業情報をよく調べていたので、どこが伸びるのかを知っている。
最初は地味だったが、5年もするとその投資先が成長し、大きな収益として返ってきた。
するとそれを元手にして、戦前にさらなる仕込みをしたのだ。
そして大戦景気で経済が躍進すると共に、それらの投資先がまた大きく伸びた。
その詳細は川島ら、商会の幹部しか知らないが、すでに資産は数億円を超えるとも聞く。
その莫大な資産をもって、愛国商会は慈善事業を行ったのだ。
例えば米が値上がりした地域で米を配給したり、炊き出しを行ったりした。
さらに東北など、勤め先の少ないところに、製糸や機織り関係の工場を建て、優先的に貧困層を雇うこともしている。
これらの施策によって貧困層の不満もだいぶやわらぎ、さらに皇室の評判はうなぎ上りだ。
おかげで戦争で大勢の日本人が亡くなっているにもかかわらず、政権の安定度も高い。
「これからの十年はどうなるかのう?」
「そうですね。さらに工業化を進めて、イギリス並みの国力にはしたいですね」
「イギリス並みか……以前には想像もできなかった話だな」
「うむ。しかしこの大戦で、日本は本当に国力が高まった。決して無謀なことではないだろう」
松方さんや西園寺さんが言うように、日本は本当に国力が高まった。
それはGDPだけでなく、工業力が格段に進歩したのだ。
なにしろ戦前は欧米に頼っていた工業製品が、戦争で日本に入ってこなくなった。
ならば自分たちで作るしかない。
そこで欧米に押さえられていた合成染料や苛性ソーダ、肥料や薬品類などの生産技術が導入され、国内に多くの工場が建てられた。
さらに火薬や化学繊維などの生産も始まり、かなり国内でまかなえるようになったのだ。
その膨大な生産力は、さすがに終戦直後の1919年に行き場を持て余したものの、じきにアメリカが大戦後の好景気に沸き、さらに正統ロシア大公国という国がお隣に誕生した。
日本はこのアジア圏で最大の工業国なので、正統ロシア、さらには中華民国や清国への輸出が増えている。
おかげで今年に入っても、日本はまだまだ成長を謳歌しているのだ。
当然ながら、製鉄能力や発電能力もガンガン上がってるし、自動車の保有台数も伸びている。
その明確な成果に、俺たちはたしかな手応えを感じていた。
【1920年の国力】カッコ内は史実の値
実質GDP:1700億ドル(1264億ドル)
人口: 5630万人 (5582万人)
製鉄能力: 120万トン (70万トン)
発電能力: 140万kW (100万kW)
自動車保有:15000台 (9999台)
石油生産量:70万kL (40万kL)




