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未来から吹いた風 ~5人でひっくりかえす太平洋戦争~  作者: 青雲あゆむ
第2章 大正編

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23.ヴェルサイユ条約の締結

大正8年(1919)1月 東京砲兵工廠


 ドイツの降伏後、パリにおいて講和条約の策定が進められる中、東アジアで大きな変化が発生していた。


「正統ロシア大公国が成立したか?」

「ああ、ようやくだ」

「よっしゃ。これでアカどもと国境を接しなくてすむで」


 ウラジオストックを首都とする正統ロシア大公国が、極東・東シベリアの地に誕生したのだ。

 それはロシアの10月革命を受けて、各国が干渉しようとした、シベリア出兵に端を発する。

 史実だと日本は大陸の利権にこだわり、だらだらと出兵を引き伸ばした挙句、なんら成果なく引き上げた例のアレである。


 しかしこの世界には、多くの情報を持つ俺たちがいる。

 そして俺たちはこのシベリア出兵で、親日的なロシア政権を東アジアに打ち立てることを目標とした。

 そのため日本軍はまず、アメリカ軍と協調してウラジオストックを制圧し、バイカル湖方面へ兵を進めたのだ。

 一応、名目としては、ロシア内で孤立したチェコ軍団を救うためだ。


 そしてそれと並行して、イギリスとの協力のもとに、ロマノフ王家の保護に動いた。

 具体的には元皇帝のニコライ2世と、弟のミハイル大公を一家ごと確保したのだ。

 これは俺たちの情報に基づき、少数精鋭の特殊部隊をエカテリンブルクとペルミに送りこみ、多少の犠牲を払いつつも実現した。


 彼らの身柄を確保した時点で、今度はロシアの白軍(反革命派)に接触し、東アジアへの集結をうながす。

 そしてニコライとミハイルをウラジオストックへ送り、建国の準備を進めたのだ。

 ここで誰を君主とするかで揉めたのだが、ニコライ2世の方が退いてくれた。


 失政でロシアを滅ぼした自分より、人望のあるミハイルの方がいいだろうと。

 その結果、ミハイル大公を君主とした、立憲君主制の正統ロシア大公国を樹立することができた。

 (父祖の地を失っていることから、あえて帝国は名乗っていない)

 これによって、”帝政は嫌いだけど、共産主義はもっと嫌い”、というロシア人も協力しやすくなった。


 おかげでデニーキン、コルチャーク、セミョーノフなどの白軍指導者も集まってきている。

 史実では各個撃破されてしまった白軍だが、まとまればそれなりの戦力となる。

 さらに日米の後押しもあり、バイカル湖より東の地域を、確保できつつあった。


 それに加えて、他国に亡命していた知識人も集まってきて、政府の方もなんとかなりそうだ。

 そしてそれを支えるのが、ロマノフ王家の莫大な財産だ。

 なにしろ当時のロシア皇帝は、世界最大の資産家と言われたほどである。


 革命のどさくさでその多くが接収されたとはいえ、まだまだ残っている。

 彼らが身に着けていた宝飾品だけでもかなりなものだし、イングランド銀行に預けられている資産だって、数千万ポンドの価値があるという。

 他にも白軍が手に入れた金塊などもあり、それらを元手に正統ロシア大公国は、急速にその体制を整えていくことになる。


 そして日本としては、史実でダラダラと7年も続けていた出兵が、ほんの1年ちょっとで終了したことになる。

 おかげで戦費は節約できたし、英米とも揉めなくて済んだ。

 史実ではいろいろと批判されてたからな。


 今後は正統ロシアの守りを固めつつ、支配地の開発に協力していく予定だ。

 大戦終結で行き場のなくなった資本と製品が流れこむことで、日本の戦後不況も緩和されるだろう。

 正統ロシアは日米の協力がなければ生き残れないので、こちらが無理を言わなければ、良い関係が築けるはずだ。

 とりあえずは、最上の結果と言えるんじゃないかな。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


大正8年(1919年)7月 ドイツ


 そしてとうとうベルサイユ条約が調印され、第1次大戦が正式に終結した。

 もちろんドイツとの間に講和条約が結ばれただけで、オーストリアやトルコなどとの交渉は残るのだが、それはまた別の話だ。


 ちなみにスカパ・フローでのドイツ艦隊自沈は、きっちりと阻止してやった。

 これは1919年6月21日、スカパ・フローに抑留されていたドイツ艦隊が、一斉に自沈を行った事件だ。

 その結果、抑留されていた74隻のうち、戦艦15隻、巡洋艦5隻、駆逐艦32隻が沈んだ。


 まぎれもない妨害行為ではあるが、抑留艦隊を指揮していたロイター提督らの気持ちも、分からないではない。

 戦いもせずに艦隊を賠償として取られることに、耐えられなかったのであろう。


 しかしその代償も大きく、ドイツ海軍は自国防衛用に残されていた、なけなしの艦艇を取り上げられただけでなく、浮きドックや港湾クレーン、タグボート、補給船など、総計40万トンもの艦艇・設備を、ごっそりと持っていかれてしまう。

 それらが残されていれば、もっとドイツの復興は楽だっただろうに。

 軍人のプライドと引き換えにするには、高すぎる代償だ。


 そこで日本海軍も、抑留艦隊の監視に参加させてもらうことにした。

 そして諜報活動を展開し、自沈計画を探り出したのだ。

 監視責任者のフリーマントル提督にそれを報告することで、事前に手を打つことができた。


 おかげで抑留艦隊は無傷であり、余計な取り立てなどはしなくて済むだろう。

 もっとも、艦艇をどう分配するかで、また揉めるんだろうけどな。

 フランスとイタリアは接収した艦艇を、自国の艦隊に組み込む気まんまんなのに対し、イギリスは戦力バランスが崩れるのを嫌って、解体処理したいらしいからな。


 まあ、その辺は勝手に話し合ってって感じだ。

 それに対し、日本は戦艦なんて要求する気はなく、主にドイツの技術を調査できればいい。

 ドイツ艦の堅牢な設計思想や、Uボートなんかの最新技術を手に入れるのだ。


 どうせしばらくしたら、ワシントン条約で戦艦の保有は制限されるからな。

 それなら技術だけ手に入れて、自国で研究開発を進めればいい。

 そしてその技術獲得のために、俺たちは精力的に動き回った。


「おい、あれ、マッケンゼンじゃねえか? あっちはグラーフ・シュペーだ」

「おお、あの幻の……」

「こっちにはUボートもあるぜ。こいつは調べがいがあるな」


 俺たちはドイツの海軍工廠で、未完成の艦艇を調べていた。

 そしてマッケンゼンとグラーフ・シュペーといえば、3万トン級の巨大戦艦である。

 ただし進水まではいったが、途中で建造が中止され、未完成のままだ。


 それにUボートやら魚雷艇などの、ドイツ製品が目白押しである。

 俺たちはそれを調べさせてもらいながら、日本へ持って帰る現物を漁りまわった。

 もちろん、賠償金の減額と引き替えにだ。


 今回の大戦では日本も積極的に戦ったため、少なくない賠償金の割り当てを得ている。

 しかし賠償金が完済されるまでには何十年も掛かるし、実際には大恐慌のあおりで支払いは停止される運命なのだ。

 それぐらいだったら、少しでも役立つ機械の現物や、技術を持ち帰った方が有効である。


 その他にも、ドイツの民間企業を訪問して回り、目ぼしい技術やライセンスを買い漁った。

 敗戦の直後で、インフレの嵐が吹き荒れていたので、けっこう安く買えたのだ。

 ハーバー・ボッシュ法も契約できたぜ。


 これらを元に、日本の工業化をどんどん進めるのだ。

 夢が広がるな。

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