22.欧州は波高し
大正5年(1916年)6月 東京砲兵工廠
欧州へ大部隊を派遣した日本は、またまた好景気に沸いていた。
なにしろ欧州では、大戦争の真っ最中だ。
あらゆる物が不足して、日本にその生産が求められた。
特に欧州へは兵器、軍需品、食料などが輸出され、生糸や綿糸、綿布、雑貨などは、中国、インド、東南アジア、アメリカ向けで輸出量を伸ばしている。
そうなると欧米からの輸入に頼っていた鉄が足りなくなるんだが、ここは俺たちが手を打っておいた。
戦前から製鉄所、製鋼所の増強に励み、現時点で史実の4倍の生産能力を達成しているのだ。
ぶっちゃけ、それでも足りずにさらなる増強に動いているのだが、とにかく史実よりマシになっているのは間違いない。
おかげで樺型駆逐艦の倍増だとか、そんなこともできたわけだ。
そんなことにより、日本の生産力はかさ上げされていて、史実よりも大きな儲けを出している。
しかしその一方で、欧州の戦場は凄惨さを増していた。
まず陸軍はヴェルダンの戦いに投入され、相応の犠牲を出した。
まだ一部の部隊しか戦っていないにもかかわらず、早くも数千人の死傷者が出ているという。
技術が進歩し、そして国家が総動員体制で殴り合う戦場とは、かくも恐ろしいものなのだ。
かたや海軍の方だが、こちらも有名なユトランド沖海戦が勃発した。
5月31日から6月1日にわたって繰り広げられた一大海戦の結果も、凄惨なものである。
なにしろこの海戦は、戦艦(巡洋戦艦含む)だけで、イギリス37隻、ドイツ27隻という大戦力がぶつかり合ったものだ。
その他に巡洋艦や水雷艇なども含め、イギリスは合計151隻、ドイツは99隻もの艦艇が投入されている。
これに対し、日本海軍も金剛と比叡に加え、巡洋艦3隻、駆逐艦10隻を投入した。
(残りは地中海で護衛任務)
そのため史実よりもイギリスが有利になっていたはずだが、結果はさほど変わらない。
イギリスは3隻の巡洋戦艦が沈み、多数の巡洋艦や駆逐艦も撃沈されている。
当然、日本海軍も無傷とはいかず、金剛が中破、比叡と数隻の駆逐艦が小破し、巡洋艦が1隻撃沈されてしまった。
もちろんドイツも戦艦2隻に、数隻の巡洋艦や水雷艇を失っているが、相対的に被害は少ない。
ドイツの艦艇は堅い堅いとは聞いていたが、それを見事に実証してみせた形だ。
もっとも、戦略的にはやはりドイツの負けに終わった。
なぜなら制海権はイギリスの手に握られたままであり、北海での行動の自由は得られなかったからだ。
しかしドイツ艦隊の脅威はその後も維持され、イギリス海軍を北海に拘束できた点では、それほど悪くなかったとも言えるだろう。
それを受けてUボートの通商破壊作戦が本格化するのだが、それはまた別の話である。
「結局、日本海軍はあまり活躍できなかったんだよね?」
「ん~、まあ結果だけ見ると、そうなるかな。ぶっちゃけ、史実とあんまり変わらない」
「いやいや、この時期に本格的な砲戦を経験できたんだ。その経験は大きいよ」
「そうかな? どうせ今後、20年は大きな戦争はないんだよ」
後島の主張に、中島が疑問を投げかける。
すると後島は首を振りながら、その意味を説明する。
「そうじゃない。今回の海戦を分析すれば、戦艦による殴り合いが、いかに効率が悪いかってのが分かるんだ。それが理解されれば、今後の大艦巨砲主義に歯止めが掛けられる」
「ふ~ん、そうなの?」
「ああ、もちろん、海軍首脳にはちゃんと説明しなきゃいけないけど、実例を示せるってのは大きい。巡洋戦艦の水平装甲の弱さも露呈したし、得られるものは多いさ」
「だな。それになにより、イギリス海軍と肩を並べて戦ったってのが、一番大きいんじゃないか? 信頼感の大きさが違うからな」
「そうそう、さんざんお世話になっておきながら、戦艦の派遣を拒んだ史実とは大違いだ」
史実でもイギリスからは、金剛型2隻の貸与を打診されていた。
しかし日本は無情にもそれを断ってしまう。
金剛の建造について、さんざん世話になっておきながらそれでは、イギリスもずいぶんと失望しただろう。
「ま、そういうこっちゃな。たしかに多くの血は流れてるが、それをムダにせんよう、俺らもがんばらんと」
「うん、そうだね」
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大正7年(1918年)11月 東京砲兵工廠
1917年になると、史実どおりにアメリカが参戦し、戦の趨勢は決まった。
その一方でロシア革命も起こっており、ドイツ軍は依然として粘っていたのだが、国民の方が先に音を上げてしまう。
「とうとうドイツ革命が起こったか」
「ああ、じきに停戦までいくだろう」
10月末のキール軍港における水兵の反乱は、やがて労働者の蜂起へと発展し、労働者・兵士レーテ(評議会)の結成へとつながった。
その動きはドイツ全土へと広がり、とうとう共和制の樹立が宣言される。
事ここに至っては、事態を覆しようもなく、ドイツ皇帝はオランダに亡命。
後を受けたドイツ代表によって、連合国との休戦条約に調印がなされ、第1次大戦は事実上、終結した。
ただしこの時、ドイツの領土は寸土も侵されていなかったため、ドイツ軍は本当は敗北していなかった、という噂が流された。
そして大衆が愛国への呼びかけに応じず、ユダヤ人や社会主義者、共産党員によるサボタージュで負けたのだという、”背後のひと突き”伝説へとつながることになる。
現実にはドイツ軍は圧倒的な劣勢にあり、スペイン風邪の流行で、100万人の兵士が戦闘不能だったというのに。
むしろ不毛な消耗戦を避けられたという点において、ドイツ革命は極めて意義のある革命だったのだろう。
しかし結果的に温存された旧支配層の不満も相まって、ヴァイマール共和国はその内に不安定要因を抱えてしまうのだが。
いずれにしろ、未曾有の世界大戦は、ここに終わった。
今後はヴェルサイユ会議を経て、本格的な終戦となるだろう。
しかしその過程で、俺たちにはやることがあった。
「まずはシベリア出兵の決着をつけないとな」
「ああ、それからスカパ・フローでのドイツ艦隊自沈は、食い止めないと」
「う~ん、でもあれって、イギリスにとってはさほど悪くないんでしょう?」
「いやいや、イギリスにとってはそうでも、フランスやイタリアにとっては大損害や。それで賠償要求が厳しくなるんやから、阻止しといた方がええやろ」
かなりの艦艇を残したまま、終戦を迎えたドイツ大洋艦隊は、処分が決まるまで、イギリスのスカパ・フロー泊地に抑留されることになる。
しかし自艦隊を賠償として、他国に接収されるのをよしとしなかったドイツ軍人により、その多くを自沈させてしまうのだ。
気持ちは分からないでもないが、その代償は大きかった。
大洋艦隊の4分の1を要求していたフランスとイタリアが激怒し、苛烈な賠償を求めるようになったのだ。
預かり役として面目を潰されたイギリスも擁護しなかったため、ドイツは多くの艦艇や設備を接収されてしまう。
それはドイツの復興を遅れさせ、また国民に大きな不満を溜めこませたことで、第2次大戦への布石となるのだ。
「後はいかにドイツから、むしり取るかだな」
「ああ、それもなるべく負担を掛けんよう、技術やライセンスをかっぱぐんや」
「フフフ、楽しみだな」
そう言って仲間たちが笑みを浮かべる。
これから俺たちは欧州へ渡り、いろいろな技術を国内に導入する予定なのだ。
どうせ賠償金は取りにくいから、それよりも技術や機械の現物を優先する。
そんな相談をしながら、1918年も暮れていった。
”もう終わりかよ!”、なんてツッコミが聞こえてきそうです。^^;
でも本作では、第1次大戦はただの手伝い戦なので、細かく描く必要性がないんです。
そういうもんだと思って、諦めてください。




