18.公害を防止しよう
明治41年(1908年)10月 東京砲兵工廠
元老たちとの会談後も、国内は好景気に沸いていた。
なにしろ道路整備、鉄道の改軌・複線化、製鉄・発電能力の増強に、国が大きな資本を投じているのだ。
仕事なんかいくらでもあるし、軍縮で社会復帰した元軍人が、それを下支えしていた。
そして国内の企業も、その流れに遅れるなとばかり、設備投資を増やす。
おかげで国内には金があふれ、庶民にもその恩恵はもたらされていた。
戦争に勝ったという事実もあって、前向きになった日本社会は、消費も上向きだ。
さらには戦争で獲得した樺太と満州から、石油や石炭などの資源も入ってくる。
これらによって日本は、未曾有の好景気に突入したのだ。
ちなみに史実ではこの頃、輸入原油の関税が引き上げられるのだが、佐島の活躍によって阻止された。
これは当時の国内油田開発を守るための施策だったが、その一方で原油精製事業を頓挫させてしまうのだ。
この世界では樺太全島を得ているとはいえ、それだけで国内の急激な石油需要の伸びをまかなえるはずもない。
そこで国内の油田開発には補助金を付けつつ、海外からの原油輸入も促進する方向に、舵を切った。
そんなこともありつつ、今年のGNPは、戦前の倍に届くのではないかと言われている。
おそらくこの分だと、人口の急増も予想されるのだが、そうなると問題となってくるのは食料だ。
「たぶんこのままだと、食料が不足するよね?」
「ああ、遠からずそうなるだろうな。とりあえず、農事試験場には稲の改良を進めるよう、指示は出てるんだろ?」
「うん、ちゃんと予算を増やすよう、根回しはしてあるよ」
「陸羽132号みたいな稲が、はようできるとええな」
「だな」
陸羽132号とは1921年に陸羽試験場(秋田県)で誕生した改良種で、冷害に強くて味も良い米である。
その存在はしばしば東北を、冷害から救ったという。
「それから各地で農地の開拓を進めてるのはいいとして、肥料が問題だな」
「おう、それについては、ハーバー・ボッシュ法の開発待ちやな。いずれはライセンスを取得しよ思うとる」
「それで参入企業を募って、肥料の生産を開始するんだね?」
「そうや。農商務省の方で、取りまとめてもらうことになるやろな。でも第1次大戦の関係で、戦後になるかもしれんな」
そう、ちょうどこの頃、ドイツでアンモニア合成が研究されていて、1913年にはハーバー・ボッシュ法が開発されるのだ。
この手法は効率的に窒素の固定が可能となり、大量のアンモニアを生産できる。
これによってそれまでは、チリ産の硝石などに頼っていた肥料生産が、輸入に頼らずにすむようになるのだ。
そのためのライセンス交渉を、国が取りまとめて、同時に行うのだ。
各企業が単独で交渉するよりは、まとまりやすいだろう。
こっちには化学に詳しい佐島がいて、ライセンス料の相場観もあるからなおさらだ。
もっとも翌年には第1次大戦が勃発するので、少し先になるかもしれないが。
「それで肥料生産が軌道に乗ったら、満州や韓国、台湾にも売って、あっちでも増産だな」
「う~ん、台湾はともかく、満州と韓国は様子見だよね」
「だな、継続性がないんじゃあ、意味がない」
「いやいや、買ってくれるんなら、売ればええねん。むしろ相互依存になるから、安定するんとちゃう?」
「まあ、それも情勢しだいだな」
台湾は一応、国内のうちだからまだいいとして、満州や韓国には注意が必要だ。
ただし満州は漢人の人口流入が進むはずだから、今後の食料生産は有望だ。
その点、韓国は国内が不安定だから、あまり期待しない方がいいような気がする。
「だけど肥料生産って、公害が発生するんじゃなかったっけ?」
「いや、そんなことあらへんで。それはたぶん水俣病のことやろうけど、あれはメチル水銀を垂れ流したからや。”チッソ”っちゅう会社が起こした公害やけど、肥料とは関係あらへん」
「あ~、そうなんだ」
「いや、待てよ……あ~っ、そうや。イタイイタイ病があるやんけ!」
後島の指摘を否定した佐島だが、急に大声を上げた。
「イタイイタイ病って、どこかの鉱山で発生した公害だっけ? それがどうしたの?」
「岐阜県の神岡鉱山で、カドミウムを流出させてしまうんや。それが富山の神通川流域で、1910年代から問題になるねん。実際に解明されるのは、70年代やけどな」
「まずいじゃん。なんとかしないと」
「それはそうやけど、なかなか証明しにくいからなぁ」
そう言って佐島は、難しい顔をする。
イタイイタイ病といえば、数百人もの被害者を出し、企業側でも大きな損失を出した公害病だ。
放置はできないので、みんなで知恵を出し合う。
「なんか前例とか、ないのかよ?」
「それか、適当に論文でもでっち上げて、対策する?」
「まずは政府に相談すれば?」
しばし考えこんでいた佐島が、思いついたように言う。
「そうや、足尾銅山や。あそこでもカドミウムが悪さをしとって、すでに対策に取り組んでるはずなんや。そこからデータをでっち上げて、有害な物質を規制すればええ」
「ああ、それは良さそうだな」
「うん、ついでに足尾銅山の対策も、進めたろ。銅は貴重な資源やからな」
「おお、それはいいね。手伝うよ」
「おお、頼むで」
佐島の思いつきに、後島が協力を申し出る。
たしかに足尾銅山は、東アジアでも有数の銅産地である。
そこの公害対策を進めるのは、日本にとっても良いことであろう。
すると川島が、俺に問いかける。
「そういえば、土木機械とかどうなんだよ? 鉱山にしろ、開拓にしろ、必要だろ?」
「う~ん、たしかこの時代は、まだ蒸気機関のトラクターとかショベルしかないはず。それに手を出すぐらいだったら、内燃機関の普及を待った方がいいと思う」
「そっか。まあ、今はまだ派手な技術革新は、しない方がいいしな」
「そうだね」
たしかに欧米では、蒸気式のショベルなんかで、大規模な工事もやったりしている。
しかしわざわざそこに手を出して、技術革新を起こすのも、どうかと思うのだ。
基本的に第1次大戦までは、派手な動きは控えることで一致している。
それよりは地道な工業力の底上げや、食糧増産に励もうということで、合意は得られた。
そのうえで、多くの人が苦しむ公害も、できるだけ防ぐ方向で、意見は一致したのだった。
その後、佐島と後島の努力によって、カドミウムの有害性が証明された。
それを受けて、全国の鉱山周辺で健康被害の調査が行われる。
当然ながら、足尾銅山以外でも健康被害が確認され、神通川流域もその中に入っていた。
この結果に対し、天皇陛下から対策の勅が下され、官僚も動きだした。
各鉱山には対策の指示が出されるとともに、国も各種研究機関を動員し、対策に取り組んだ。
さらに鉱毒対策には国が補助を出し、鉱山経営にも配慮をしている。
もちろん、完全な対策にはまだまだ長い年月が掛かるのだが、史実よりも格段に早く行われた対策により、被害者は激減した。
さらに環境意識が高まった市民によって、その他の公害への対処も早まり、日本経済は順調に成長していくのだ。
そのきっかけを作れたことは、俺たちも誇っていいと思う。




