11.満州軍の帰還
明治39年(1906年)1月中旬 皇居
日露戦争が終わった翌年の1月。
この頃になると、ようやく満州軍の帰還が進み、お目当ての人たちとの会談が実現した。
いつものように皇居の会議室で待っていると、3人の軍人が入ってくる。
1人はちょっと太めの、大柄な男性。
1人は身長155センチほどの、小柄な男性。
そして最後はヒゲのゆたかな、大柄な男性だ。
それぞれ大山巌元帥、児玉源太郎大将、乃木希典大将である。
俺たちは彼らを認めると、さっと腰を上げた。
「全員起立。礼」
「「「お疲れさまでした!」」」
「うおっ、なんじゃ」
俺たちが一斉に礼をしたことで、閣下たちが驚く。
それも無理はないだろうなと思いながら、頭を上げると、彼らに声を掛けた。
「大山閣下、児玉閣下、本当にお疲れさまでした。日本がロシアに勝てたのは、お2人のお力あってのものです」
「フハハ、児玉どんの力が大きいがのう」
「いえいえ、元帥のおかげですよ。それにしても君たちは、いろいろと知っているようだね」
「はい、特殊な事情により、閣下のご苦労については、多少は詳しいかと思います」
「そうか。やはりな」
児玉さんは何かを察したように、俺に笑顔を向けてきた。
次に俺は乃木大将に向き直ると、また声を掛ける。
「乃木閣下。旅順の攻略、本当にご苦労さまでした。そしてご子息のこと、心からお悔やみ申し上げます」
「うむ?……貴殿の心遣いに感謝する……そういえば、誰かが息子の仇を取ってくれたようだと、児玉さんが言っていたが、ひょっとして君らのことか?」
乃木さんは一瞬、悲しそうな目をしてから、そう訊ねてきた。
俺は軽く首を振りながら、それを否定する。
「仇を取ったなど、そんな大したことはしていませんよ。しかし少しは正しい形にできたのではないかと、そう思っています」
「いいや、そんなことはない。息子だけでなく、203高地に散った多くの兵士たちにとって、意味のあることだと思う」
そう言って乃木さんは、目を潤ませた。
すると横にいた陛下が、苦しそうに声を絞り出す。
「乃木、すまなかった。私が不明であったために、おぬしの息子を……」
「陛下、そのようなことはおっしゃらないでください。このようにケジメをつけていただいたこと。それだけで満足でございます」
「しかし……」
申し訳なさそうに謝る陛下と、それを遠慮する乃木さん。
そんな2人の間を取り持ったのは、児玉さんだった。
「陛下。希典もこのように申しております。それ以上は彼も困るでしょう。それよりも、我らが恩人について、ご紹介していただけませんか」
「む、そうだな。大島くん、よいか?」
「はい、こちらからも事情をお話して、協力をあおぎたいと思っていますから」
「そうか。ならば皆、座るとしよう」
陛下に促されて着席し、お茶が行き渡ると、俺たちは説明を始めた。
またパソコンの画像や動画を使い、俺たちが未来から来たこと、そして40年後に悲惨な敗戦をむかえることを話す。
当然のことながら、閣下たちは驚き、最後は言葉を失っていた。
ひととおりの話が終わると、児玉さんが口を開く。
「にわかには信じられない話だが、このような機械や写真を見せられては、否定もできないな。そして君たちは、それを変えたいと願っていると?」
「はい。今この時、ここにあるということは、誰かがそうしろと、言っているのだと解釈しています」
「その誰かとは?」
「さあ? おそらく神と呼ばれるような存在ではないでしょうか」
すると児玉さんは、おかしそうに笑った。
「フハハ、おもしろいね。それで本題に入るわけだが、君は私たちに何を望む?」
「そうですね……いろいろありますが、まずは統帥権の正常化と、陸軍の建て直しでしょうか」
「統帥権の正常化ということは、今が異常だと言うのかね?」
児玉さんがおもしろそうに訊ねるのに対し、俺も笑って答える。
「それは閣下の方こそ、よくご存知でしょう。陸海軍の統帥権分裂こそ、国を誤る大問題です」
「ほほう、さすがは未来から来ただけあって、その辺はお見通しか。もちろん私も、それを放置するつもりはない。幸か不幸か、それを言いだした権兵衛は現役を退いた。あるべき姿に、戻そうじゃないか」
「いえ、それだけでは不十分ですね。せっかくですから――」
元老に説明したように、兵部省の復活、統合幕僚長職の設置、さらに統帥権を首相が輔弼することなどを提案すると、児玉さんは難色を示す。
「う~む、それはいろいろと、難しいのではないか?」
「貴様っ! 陛下の大権を政治屋に渡すとは、なにごとかっ?!」
すると今度は乃木さんがすっくと立ち上がり、大声を上げたのだ。
それはまるで、半年前に山縣さんが見せた光景であり、俺たちも同じような話を繰り返した。
そして最後には陛下が諭すのも、また同じ流れとなる。
「だからな、我々も変わらねばならんのだ。そのためにはおぬしの力が必要だが、手伝ってはくれんか?」
「了解いたしました! 身命を懸けて取り組みます」
「うむ、頼んだぞ」
陛下が嬉しそうに微笑むのを見て、児玉さんも声を上げる。
「それはずいぶんと大変そうだ。もちろん小官も、手伝わせていただきますぞ」
「あ……それは……」
そこで俺は、思わず口ごもってしまう。
それを見て訝しそうにする児玉さんに、ためらいながらも重大な事実を告げる。
「実は児玉閣下は、このままでは1年ほどで、亡くなってしまうのです」
俺の告白に児玉さんは一瞬、息を呑んだが、すぐに気を取り直して口を開いた。
「……そうか。私は来年にも、死ぬ予定だったのか。だけどこのままではということは、それを避ける道もあるのだろう?」
「はい、閣下は脳溢血で亡くなられるそうですから、ストレスを抑えて、健康的な生活をすれば、避けられるかもしれません」
「フハハ、そうか。健康的な生活のう。それは例えば、どんなものだね?」
「そうですねえ……酒やタバコは控えて、食事は腹八分目。適度な運動を心がけて、野菜を多めに取る、とかですかね」
「ハハハ、それはあまり、楽しい生活ではなさそうだね」
児玉さんは苦笑しながら、肩をすくめる。
「そうですね。だからできるだけ心がける程度で、ストレスを減らすことに留意した方がいいでしょう。そういう意味でも閣下は、少し後方に退いて、後進を育てればどうかと思います」
「ふ~む、なるほど。お国の役に立てないのは悔しいが、それも命あっての物種か」
「うむ、そうだぞ。源太郎。おぬしは今まで、実によく働いてくれた。たまにはのんびりして、家族を喜ばせてやれい」
「はい、それではお言葉に甘えさせていただきましょう」
児玉さんは陛下の言葉に、神妙そうにうなずき、周りの笑いを誘った。
さすが、”百年に1人の戦略家”、と呼ばれるほどの逸材である。
自分の寿命について告げられたのに、平然としている。
おそらく並々ならぬ頭脳と、豪胆な精神を併せ持っているのだろう。
ここで今まで黙っていた大山さんが、口を開いた。
「それで陸軍の建て直しとは、具体的にどんなことかのう?」
私が知る限り、乃木大将が203高地を攻めた経緯には、大本営と海軍の圧力でやむなくという説と、ロシア軍を陣外で消耗させるための作戦だったという2説あります。
個人的には後者の可能性が高いとも思うのですが、乃木さんの被害者感を出すために、本作では前者を取りました。
どちらにしても、乃木さんは大本営と満州軍総司令部との間で、本当に苦労したと思います。
陛下の勅語(内容は激励)まで持ち出して圧力を掛けられた時は、不眠症に陥ったとか。
現代だと、大企業の本社と支社が、それぞれの意図で異なる指示を出し、その板挟みにあって苦しむ現場の課長、みたいなイメージですかね。
この時の大本営と海軍は、マジでろくなことしてないと思う。




