安楽死
この世界線での安楽死は本文のものとなっています。もしこれを読んで安楽死というものに興味がわいたら自分で調べてみてください。
「え~、であるからして。今の政治はこうなっているわけだな」
退屈な授業はラジオの代わりにしかならず、僕は〝社会科〟いう名のBGMを聞きながら、窓の外に見える青空を眺めていた。本日モ晴天。秋空前線異常ナシ。
「はぁ……」
僕はチラリと、黒板の上にある時計に目を遣った。まだ二十分しか経っていない。
遅刻せずに学校へ来られたのは良かったものの(仮に一分でも遅れようものなら、熱血を地で行く体育教師に生徒指導室という名の牢獄でみっちりと説教をされる)来たら来たで退屈しかないとくれば、家でいた方がよかったような気もする。しかし、そんなことをしてしまえば、僕は二度とこの学校の門をくぐることはないようにも思えた。僕てきには〝高校生〟という肩書はそれほど優先順位の高いものではないのだが、勝手にやめると母は怒るのだろうな。
そんなことを僕が思っていたとき、丁度教師の話題も変化するところだった。
「ええ~。では次は、近年話題となっているこの問題についてだが……」
少し頭が寂しくなってきた教師は、やや間延びするような物言いをしながら、黒板にその単語を書き出した。
『安楽死』――という名の単語を。
「みんなも、ええ~、一回くらいは聞いたことがあるだろう。今日はこれを中心に話していくから、聞き逃すなよ」
僕は〝ラジオ〟から〝授業〟へと意識をやった。
「ええ~、この安楽死を認める法『積極的安楽死許可法』はおよそ二年前、令成三十二年に可決されたものだ。この法が成立する前までは〝消極的安楽死〟と〝間接的安楽死〟だけが公に認められていた。ちなみに消極的安楽死とは延命治療を行わない安楽死のことを言い、別名『尊厳死』とも呼ばれている。また間接的安楽死とは鎮静剤を使って意識を落とし、患者の苦痛を取り除いたうえで、治療を積極的には行わない安楽死のことを言う。しかし、先の法が可決されてからは積極的安楽死――つまり患者の苦痛を取り除くために致死的な薬を投与する安楽死も公に認められるようになった。ちなみに、この法に書かれている苦痛の中には肉体的苦痛だけではなく、精神的苦痛も含まれている」
先生は黒板に文字を書きながら言葉を続ける。
「ではなぜこの〝積極的安楽死〟が認められるようになったのかだが……。実は元々この法案が可決される前でも四つの要件さえ満たせば特例として、積極的安楽死も認められていたんだ。その四つの要件というのが、一『患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいること』、二『患者の死が避けられず、その死期が迫っていること』、三『患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし、他に代替案がないこと』四『生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること』なのだが、ある時、この四つの要件に沿わない事件が起きた。それが『安楽死事件』と呼ばれるものだ。わかりやすく説明すれば、四つの要件を満たしていない患者が、自ら安楽死を望み、医者が実行した、という事件になる。患者は苦痛に喘ぎ、安楽死の意思表示もしていたが、実はまだ助かる方法はあったんだ。それを知ったマスコミは『医者は何故それを提示しなかったんだッ!』『説明に不備があったのではないかッ⁉』と医者に非難を浴びせたが詳細がわかるにつれ、状況は変わっていった。まず、医者はきちんと別の方法を何度も詳細に提示していたことがわかった。しかし、患者本人がその説明を受けた上で『死にたい』と言ったそうだ。患者には身寄りがなく、治療費を捻出する余裕もなかったらしい。その報道が流されてから医者の処遇変更が民意で叫ばれ始め、それに伴い、積極的安楽死や〝死ぬ権利〟というものも話題に上がっていった。結果として医者は無罪とはいかなかったものの、刑は軽くなり、民意を汲む形で法案が可決された、というわけだな。ここまでで質問がある者はないか?」
教師は一旦言葉を区切ると、生徒たちを見回した。手を挙げている者は一人もいない。どうやら生徒たち(僕含め)の中で、疑問を持つ者はいないらしい。それが話を聞いているが故のものなのかは、また別であるが。
教師は言葉を続ける。
「そして、ええ~、このような事情で可決された安楽死ではあるが、問題はここからだ」
教師は少しだけ語気を強めると、
「可決された安楽死ではあるが、可決後、安楽死を選ぶ人間の割合が年々増加していった。それは今もなお増加傾向にあり、また、成立直後は後期高齢者や死期の近い老人たちが安楽死を選ぶ割合が多かったのだが、近年、十代から三十代の若者の安楽死率も増加しつつある」
そう言いながら教師は要点を黒板にまとめていく。
「こうなったのには理由がある。今はストレス社会と言われているとおり、ストレスが多分にかかる社会だ。そういった社会の中で心を病んでしまう人間も少なくない。先にも説明したが『積極的安楽死許可法』の中に記載されている苦痛の中には、精神的苦痛も含まれている。それで、苦しみ喘ぐ精神から解放されたいがゆえに、積極的安楽死を選ぶ人間も多く出てきたというわけだ。また、これは安楽死システムの欠陥でもあると批判されているのだが、安楽死を実行するのにかかる費用はおよそ十万と安く、手続きが比較的簡単にできてしまうというのも原因の一つだ。十八歳以上なら、本人署名と印鑑だけで書類は提出できるからな」
今言ったところも教師は板書していく。
「また、今は老人達よりも若者の安楽死率の方が高くなり、安楽死による自殺行為を世間では〝安殺〟などと揶揄しているそうだ。さらに老人達にも安楽死を強要する〝デスハラ〟なるハラスメントも横行している。現在、安楽死は少子高齢化に拍車をかける要因として、また社会秩序を不必要に乱す要因として見直されつつある。が、まだまだ議論の段階だからな。どうなるかは、これからだ」
大雑把ではあるものの要点を分かりやすくまとめた教師は流石といったところだ。そして、教師はそれからも安楽死に関連することや、たまの脱線を挟みながら授業を進めていった。 しかしそんな授業の中でも、僕は再び窓の外へ視線を向けた。それは安楽死という事柄から意識を逸らす、という意味でも。
それから三十分後、授業終了を知らせるチャイムが鳴り響いた。
「起立。礼ッ!」
「「「ありがとうございました」」」
テンプレートの挨拶を終えると同時に教師は部屋を出て行き、残された生徒たちも各々の時間に戻り始めた。けれど僕だけは、窓の外から視線を外せずにいた。