<おもいで文庫より その4> 誕生
誕生にはそれぞれ、さまざまなエピソードやドラマがあります。これもそのひとコマです。
みなさんの出生時を振り返りながら読んでいただけると幸いです。
「Sさん、寝たらだめよー!」薄れゆく意識の中、母は看護師さんに繰り返し頬を叩かれながら、襲い来る睡魔と懸命に闘い続けていた。
前日の夜、母はかすかにお腹の張りを感じた。それはやがて、鈍い痛みに変わった。いよいよ出産の時を迎えたのだ。
ところが病院に着くなり、陣痛はぴたりと治まってしまった。緊張のためだろうか。
先生は陣痛促進剤を打った。これが悪夢の始まりだった。一気に強い陣痛が押し寄せ、急激な収縮のせいで大量出血が起きたのだ――子宮頚管破裂。
お腹にいた私は直ちに吸引器具で引っ張り出され、「おめでとうございます」と祝う間もなく母の手当てが始まった。
輸血も必要になった。同じA型の父と祖母がすかさず提供を申し出る。それでもなお足りない。父は自らの血を抜くやいなや、目を真っ赤に泣き腫らしながら身内や会社の同僚たちに片っ端から頼んで回った。最後はやむなく売血に頼った。
1968年4月1日――それは母が命がけで私を産んだ日。父が必死に妻と新しい命を守った日。
あれから48年。両親も祖母も、すでにこの世にない。なんら恩返しできぬまま見送ってしまった人たち。唯一の親孝行といえば、3人の孫たちを見せられたことくらいだ。
生まれながらの親不孝者である私の使命はただひとつ。恩人たちの血を受け継ぐこの子たちを、責任を持って育て上げることだ。
暮らしは決して楽ではないが、せめて彼らのように笑みを絶やさず、前を向いて生きてゆくのみ。
「父さん、母さん、今日も見守っててね」キッチンカウンターの写真立てから、仲良く並ぶ2人の笑顔が私を励ます。
人生はひとりで歩めるものではなく、多くの人に支えられてあるもの。
それらに感謝し、かけがえのない生を全力でまっとうすることこそが恩返しとなることを再認識していただけたら本望です。