表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/51

第七回

 テーブルの上にはオードブルと赤ワインの瓶が載っており、どちらも半分に減っていた。堀川と京林の前には足付きのグラスがあるが、蒲良は下戸なのか、パンをつまみながらジンジャエールを飲んでいた。最も陽気そうな赭ら顔をしているのも、かれなのだが。

 そして「美人」の影も形もない。

「とにかく座りたまえ」

 堀川に促されてかれの隣、蒲良の前の椅子にかけた。見計らったように、ウェイトレスがグラスとサラダを置き、小型のパンを満載したバスケットを手に、ボーイが歩み寄った。これこれの焼きたてパンの中から何でも、幾つでも選んでくれと云う。

「胡桃パンがあるのですか」

 覚えず尋ね返したのは好物だからと云うより、一種の執着から。理由を話せば長くなるので、後の機会に譲りたい。

「とりあえず、飯を喰おうじゃないか。きみ、腹が減ってるのは判るが、最初からあまりパンばかりがっついてると、後がもたないぜ」

「日本人観光客がよくやらかすんですよ。向こうの主食がパンではなく、肉だということが理解できてない」

「じつに語弊のある言いぐさが、いかにもきみらしい」

 堀川と蒲良が大口を開けて笑い、京林は鳴らした鼻の上で眼鏡を摺り上げた。

 私の意向に関係なく、料理が次々と運ばれてきた。遅れて来たのだから文句は言えないが、胃が悲鳴を上げそうな肉料理は、堀川の趣味に他なるまい。ナイフが意味を為さないほど、柔らかく煮込まれた肉の塊は、舌の上でとろけるように旨かったけれど。

 結局、何のために呼ばれたのか判らないまま、私は粛々と食欲を満たすことに専念した。フォークを振り廻しながら、堀川が言う。

「しかし京林くんは白面の書生を通り越して、蒼い顔をしているな。書斎にばかり閉じ籠もっていないで、サイン会でもやらんかね」

「ぼくは小説家じゃありませんから」髪を掻き上げた。

「ほう。きみの『魔物語』という作品は、小説ではないと?」

「エッセイ集として、ご理解いただきたいですね。たとえ虚構が混じっているにせよ」

 外見の印象どおり食が進まない代わりに、絶えずグラスを口へ運ぶ。それでも全く顔に出なければ、沈着な態度も変わらないので、意外に飲む口らしい。

「虚構だらけじゃないか」横から蒲良が小突くゼスチュア。

「なるほど、いわば『百鬼園随筆』みたいなものだな」と、堀川。

「そうなりますか。どうしてもぼくは小説という言葉につき纏う、手垢のついた重苦しさが好きになれません。小説なんぞ書いてるうちに、和服姿でふんぞり返ってなくちゃいけないような気がしてくる」

「いいぞ、もっとやれ」蒲良が囃す。

「だいいちぼくは、サイン会なんかにのこのこ顔を出す連中の気が知れません」

「こんなことを云ってるぜ。作家先生はどう思うね?」

 いきなり話を振られ、うっかりナイフで皿を削った。きゅっ、と鳴る音は、心の悲鳴に他ならず。

「思いもよらない心境です。自分のサインに需要はありませんから」

「どうだい。なかなか面白い男だろう」

 堀川にそう云われ、ますます身の縮む思い。それにしても、まだまだ若手とはいえ由緒正しき気鋭の学者たちを前に、一介の山師に過ぎない堀川がここまで威張っている構図には、奇異なものがある。

 堀川秋海が文壇を制圧した基本的な手法は、作家の「卵」たちの囲い込みにあった。自身が主催する雑誌やアンソロジーにかれらを次々と投入し、競わせる中から単独出版をプロデュースした。

 まずは怪談ブームに乗って頭角をあらわした、かれの適材適所を見抜く眼光は異様に鋭いと云わねばならず、また卵が孵って大きく羽ばたけば、必然的に「堀川グループ」の功績に帰す。出版社の多くが持ち込み原稿を謝絶し、新人賞を中心としたデビューの敷居が高くなる一方、機動力が鈍ったところへ、カウンターパンチを叩きこんだ恰好か。

 ちょうど女の子を大量にスカウトして、アイドル歌手のグループを形成する手法と似ているかもしれない。事実、かれは作家志望の女の子の一人を、タレントとしてデビューさせていた。

 ともあれ、京林雅晃にせよ蒲良肇にせよ、ほしいままに表現したい野心に燃えながら、発表の場に飢えていたところを、堀川に目をつけられたようである。

「見ろよ、美人があらわれたぜ」

 隣で囁かれ、あたふたと視線をさまよわせた。

 疎らな拍手が起こり、磨き上げられたグランドピアノの横に、なるほど花のような衣装の女が、姿勢好く立っていた。深々とお辞儀するさまから、清楚さが匂い立つようだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ