第七回
テーブルの上にはオードブルと赤ワインの瓶が載っており、どちらも半分に減っていた。堀川と京林の前には足付きのグラスがあるが、蒲良は下戸なのか、パンをつまみながらジンジャエールを飲んでいた。最も陽気そうな赭ら顔をしているのも、かれなのだが。
そして「美人」の影も形もない。
「とにかく座りたまえ」
堀川に促されてかれの隣、蒲良の前の椅子にかけた。見計らったように、ウェイトレスがグラスとサラダを置き、小型のパンを満載したバスケットを手に、ボーイが歩み寄った。これこれの焼きたてパンの中から何でも、幾つでも選んでくれと云う。
「胡桃パンがあるのですか」
覚えず尋ね返したのは好物だからと云うより、一種の執着から。理由を話せば長くなるので、後の機会に譲りたい。
「とりあえず、飯を喰おうじゃないか。きみ、腹が減ってるのは判るが、最初からあまりパンばかりがっついてると、後がもたないぜ」
「日本人観光客がよくやらかすんですよ。向こうの主食がパンではなく、肉だということが理解できてない」
「じつに語弊のある言いぐさが、いかにもきみらしい」
堀川と蒲良が大口を開けて笑い、京林は鳴らした鼻の上で眼鏡を摺り上げた。
私の意向に関係なく、料理が次々と運ばれてきた。遅れて来たのだから文句は言えないが、胃が悲鳴を上げそうな肉料理は、堀川の趣味に他なるまい。ナイフが意味を為さないほど、柔らかく煮込まれた肉の塊は、舌の上でとろけるように旨かったけれど。
結局、何のために呼ばれたのか判らないまま、私は粛々と食欲を満たすことに専念した。フォークを振り廻しながら、堀川が言う。
「しかし京林くんは白面の書生を通り越して、蒼い顔をしているな。書斎にばかり閉じ籠もっていないで、サイン会でもやらんかね」
「ぼくは小説家じゃありませんから」髪を掻き上げた。
「ほう。きみの『魔物語』という作品は、小説ではないと?」
「エッセイ集として、ご理解いただきたいですね。たとえ虚構が混じっているにせよ」
外見の印象どおり食が進まない代わりに、絶えずグラスを口へ運ぶ。それでも全く顔に出なければ、沈着な態度も変わらないので、意外に飲む口らしい。
「虚構だらけじゃないか」横から蒲良が小突くゼスチュア。
「なるほど、いわば『百鬼園随筆』みたいなものだな」と、堀川。
「そうなりますか。どうしてもぼくは小説という言葉につき纏う、手垢のついた重苦しさが好きになれません。小説なんぞ書いてるうちに、和服姿でふんぞり返ってなくちゃいけないような気がしてくる」
「いいぞ、もっとやれ」蒲良が囃す。
「だいいちぼくは、サイン会なんかにのこのこ顔を出す連中の気が知れません」
「こんなことを云ってるぜ。作家先生はどう思うね?」
いきなり話を振られ、うっかりナイフで皿を削った。きゅっ、と鳴る音は、心の悲鳴に他ならず。
「思いもよらない心境です。自分のサインに需要はありませんから」
「どうだい。なかなか面白い男だろう」
堀川にそう云われ、ますます身の縮む思い。それにしても、まだまだ若手とはいえ由緒正しき気鋭の学者たちを前に、一介の山師に過ぎない堀川がここまで威張っている構図には、奇異なものがある。
堀川秋海が文壇を制圧した基本的な手法は、作家の「卵」たちの囲い込みにあった。自身が主催する雑誌やアンソロジーにかれらを次々と投入し、競わせる中から単独出版をプロデュースした。
まずは怪談ブームに乗って頭角をあらわした、かれの適材適所を見抜く眼光は異様に鋭いと云わねばならず、また卵が孵って大きく羽ばたけば、必然的に「堀川グループ」の功績に帰す。出版社の多くが持ち込み原稿を謝絶し、新人賞を中心としたデビューの敷居が高くなる一方、機動力が鈍ったところへ、カウンターパンチを叩きこんだ恰好か。
ちょうど女の子を大量にスカウトして、アイドル歌手のグループを形成する手法と似ているかもしれない。事実、かれは作家志望の女の子の一人を、タレントとしてデビューさせていた。
ともあれ、京林雅晃にせよ蒲良肇にせよ、ほしいままに表現したい野心に燃えながら、発表の場に飢えていたところを、堀川に目をつけられたようである。
「見ろよ、美人があらわれたぜ」
隣で囁かれ、あたふたと視線をさまよわせた。
疎らな拍手が起こり、磨き上げられたグランドピアノの横に、なるほど花のような衣装の女が、姿勢好く立っていた。深々とお辞儀するさまから、清楚さが匂い立つようだ。




