第二回
フリーメイソン。もとは大工の親方の寄り合いだったか、石工の組合だったか。まあ、うちみたいな掘っ立て小屋だって、建てようと思えば測量や何やで、数字と図形の格闘になる。サン・ロマーノの合戦なみに、図面の上でコンパスを振り廻さなきゃならん。
昔はそんなややこしい技術が、親方から弟子へ口頭で伝えられた。文字に残さなかったのは、門外不出だからさ。ただ、うちの近所にそびえ立ってるような、ばかでかいカテドラルともなれば、了見がまったく違ってくる。独りで鑿をふるったところで、何千年かかるか判りゃしない。かといって、連中が頭を突き合わせるためには、秘伝だろうが口伝だろうが、共有しなきゃならん。
そこで組合が作られた。新顔が入るに際しては、おそろしく仰々しい入会式が執り行われた。儀式の仕舞いには、剣を心臓につきつけられた。もし秘伝を外へ洩らしたらぐさり、という脅しだ。
ところが、時代が下ってくるにつれて、こいつが形骸化していった。蜘蛛の巣の張った、がらんどうの大聖堂みたいなもんだな。親方連中が去ったあと、中に棲みついたのが、狐狸野干だか魑魅魍魎だかわからない、魔術師たちだ。
フリーメイソンは、晴れて魔術サークルに変貌しましたとさ。
ふん、おまえの説明は白々しいって? 勝手に嗤うがいいさ。
ともあれ、一つ眼のピラミッドを見て、おれはぴんときた。魔術師どももまた、失われた古代エジプトの秘儀を今の末世に伝えていると、うそぶいているからね。
そしてこの卵に目鼻をつけたような小男が、フリーメイソンと関わりがあるとしたら、おれの闇商売がたちどころにバレたことも、容易に説明がつく。
魔法?
ハハハ、そんなものはケンペレンのチェス人形ほどにも信じちゃいない。だが、闇に蠢く者どうし。ヨーロッパじゅうに巨大な蜘蛛の巣みたく張り巡らされている、やつらの裏の情報網に引っかかっちまった可能性なら、かなり高い。
疑心暗鬼にもほどがある。そう云ってまた笑うかい? たしかにやつらは底抜けに胡散臭いが、実力はあなどれないぜ。ルイ十六世の首をちょん切った真の黒幕は、誰だと思う?
いや、閑話休題といこう。
次に小男はこう云った。
「お食事などいかがでしょう。開演までには間がありますから」
それから背伸びをしておれの耳に顔を近寄せ、ぞっとするような声で囁くんだ。
「わたくしどもがこの地に到着して七日めにあたります、今宵は特別な趣向をご用意しておりましてね。ひょっとすると、お客さまの中から死人が出るかもしれません」
「なんだって!」
思わず飛び退いたよ。
くつくつと、どこが肩だが判らない肩を揺すりながら、ジルフェはほくそ笑んでいた。歪んだ赤い唇が、いやにはっきりと目に映えた。だいいち、何を仕掛けるつもりか知らないが、死人が出るかもしれない客席に、わざわざ招きに来るなんて怪しからんじゃないか。
「この、死神野郎!」
うっかり国の言葉で罵ると、やつは自動人形みたくぺこりと頭を下げた。ドイツ語が判るらしい。そして相変わらずあやしげなフランス語でまくしたてる。
「これはこれは失礼いたしました。わたくしの言葉足らずで。今後とも末永くお付き合いいただきたい、Bさまには特別に、今宵の死のからくりをお教えしようと、参上した次第なのです」
末永く付き合う気などさらさらないが、好奇心が疼いた。冗談か。それとも、こいつは本気で今夜、人殺しのオペラを上演するつもりなのか。気のない素振りで、おれは尋ねた。
「客席に刺客でも潜ませておくのかい。それとも、舞台の上からおおっぴらにピストルをぶっ放すか? いずれにせよ、この辺鄙な街にも兵隊がいるってことを、忘れたわけじゃあるまい」
「存じ上げております。皇帝陛下の緋色のマントがヨーロッパじゅうに翻ってこのかた、世の中兵隊だらけでございます。直接手を汚すような、野暮な真似はいたしません。もし興味がおありでしたら、後ほど迎えを寄越しますが。招待を受けていただけますか?」
首を縦に振らざるを得なかった。
陽が暮れて、研ぎすましたような鎌形の月が出た。オペラは十時開演というから、ずいぶん遅い。おおかた客席には、しこたま聞こし召した連中が、なだれ込んで来るんだろう。
殺しのオペラとも知らずに。
馬車の停まる音が聞こえ、戸が叩かれた。小僧がばかみたいに目を輝かせながら、昼間の変なやつがまた来たと告げた。九時になろうとしていた。
「表向きは貧乏職人だ。大袈裟な場所はこまる」
「存じ上げております」
匣みたいに窮屈な馬車に押し籠められた。迎えを寄越すと云ったくせに、従者など一人もおらず、ジルフェみずから手綱をとるのだ。
一旦、イル・カッサロ通りに出たあと、路地へ入り、横町に割り込んだ。よく馬車が通れたものだ。両側から屋根が黒々と覆い被さり、空は昏い川のようだった。そうして川の真中には、やはり研ぎすましたような鎌形の月が浮かんでいた。
馬車を降ろされたのは、薄汚い居酒屋の前だった。




