内側からの追跡者
体が左右に揺れる。頭はさらに外側に大きく揺れ、かと思えば上下に細かく跳びはねる。下のクッションが衝撃を緩和するが、地面にぶつかる時の揺れは二人にしっかりと伝わっていた。
生き物の一つもない荒野。そんな開けた場所にぽっつりそびえ立つ山。彼らは今その横を通り過ぎようとしている。
ここの地面は硬く、所々がヒビ割れていたり小石が落ちている。油断すれば大きな石にぶつかり転倒する恐れがある。ジルは先の地面を眺め、障害物がないか確認しながらゆっくりと運転していた。
「ねえジル。もうずっとでこぼこの地面が続いてるけど、いつになったらここから出られるの?」
アウラーはもう限界だった。そもそも彼女の座っている場所は、普通は人が座るためのものではないため、徐行でも下から伝わる衝撃は大きい。
「あの山をちょうど横切ったあたりであと半分くらいになると思う。とにかくここは危険すぎるから、早く突っ切ろう」
「ここを迂回することはできなかったの?」
「町の人が、この辺りの地面は全部こんな感じだって言ってた。迂回するより突っ切った方が早いらしい」
速度を上げると揺れはさらに大きくなり、下げたとしても小さな揺れが長く続く。地面の様子を見て、ジルはバイクの速度を上げては下げてを行いながら運転した。
二人の頭の中は、とにかくここから離れたいという気持ちでいっぱいで、すぐ後ろから誰かが追いかけていることなど、今の二人では気づくことはできなかった。
最初に気づいたのはアウラーだった。後ろを振り返ると、はるか遠くに何かがこちらに向かって来ているのが見えた。もし他の場所だったならば、ただの勘違いで片付いたかもしれない。周りに何もない場所だったからこそ、その存在を認識できた。
「後ろに何か来てる」
今の距離では髪の毛の先ほどの大きさしか見えない。わかるのは、それが複数あり、こちらに来ているというだけである。
「バッグに遠くを見る道具があるから、それを使って見て」
「この筒が二つくっついてるやつですか?」
「『双眼鏡』だよ。先の丸い部分を目に近づけて」
ジルに言われたとおりに近づけてみる。辺りが真っ暗になり、真ん中に小さな光の点が見える。
「景色が小さくなりました!」
「向きが逆だよ!」
向きを変えてもう一度覗く。今度は視界がぼやけて見える。ジルに教えられながら、遠くが見えるよう調節した。
「人がたくさんいます。みんなバイクに似たような乗り物に乗ってこっちに来てます」
「いやいや、これも結構古い方だけど、ここよりさらに内側の乗り物だよ。この辺りでこれが流通してるわけないじゃないか」
「だんだんこっちに近づいて……飛んでる!」
「飛んでる!? ちょっと待って!」
ジルはバイクを止め、双眼鏡で遠くを見た。確かにバイクと似た形をしている。だが明らかに違う点があった。車輪がなく、底の部分が地面から離れているのだ。
彼らと接触すれば間違いなく何かに巻き込まれる。方向を変え、ジルは山に向かってバイクを走らせる。対する彼らは少しずつ山の方、二人のいる方向に寄りながら進んでいた。
「やっぱりこっちに来てますよ!」
「嘘だろ!? 僕たち何も悪いことしてないよ!」
速度を上げ、安全などどうでも良いかのようにがむしゃらに運転する。とにかく、あの得体の知れない集団から離れたいのだ。しかし、凹凸の多い地面の上に乗って走るジルたちに対し、向こうは何の抵抗もなく移動できる。お互いの距離が小さくなってきていた。
そしてついにバイクが石に乗り出しバランスを崩してしまう。やむなくジルはバイクを止めるしかなかった。
とうとう追い付かれ、ジル達は囲まれてしまう。見慣れない服を身につけ、腰にも見たこともない銃をかけている。そして最後に二人を囲むまでの無駄のない統率された動き。
ジルは胸中で焦っていた。間違いなく内側の人間。もしかするとセンターに近い位置にいる人達かもしれない。しかもどこかの組織に属する人間。ひたすら考えを巡らせる。
そんな中、一人だけ少し違う服装をしている人が目の前に現れた。彼がこの集団のリーダーのようだ。
「数日前、ある町で奴隷達が脱走した事件があったのだが、君達、何か知っているかな?」
「それって――」
アウラーの言葉をジルは遮る。彼の言っていることは間違いなくアウラーのことだった。彼らはアウラーを追ってここまできたのだ。
ジルがどうしてもわからないのは、何故内側の人間が追ってきたのかということである。彼らにとっては片田舎のさらに片田舎である外側のいざこざに何故出てくるのか。ジルはアウラーを目の前の男から隠し、彼らの思惑を聞き出すことにした。
「ある町というのは、どこのことでしょうか。具体的に言っていただかないとお答えしかねます」
「ふむ、そうか……」
リーダーらしき男は手を挙げる。直後、ジルは右足に痛みを感じた。右足から血が流れる。
「っ!!!」
「ジル!!」
「お互い隠し事はせずに話そうじゃないか。我々はその逃げた奴隷達の中のある人物を探している。緑色の長い頭髪を持つ少女。それが捜索している人物の特徴なんだよ」
「それじゃあ……彼女は違うね……彼女の髪の毛は、緑色とはちょっと違うから――」
今度は左足に痛みが走る。彼の仲間の一人が銃を向けていた。足に力が入らず倒れてしまう。
「残念ながら……彼女のことなんだよ。ジル君」
「な、なんで、ジルの名前を」
「ある町の店主に聞いたんだよ。倉庫を壊したらしいね。安心してくれ、それは我々が弁償しておいてあげたよ」
「も、目的は……なんだよ」
「治安維持だよ。今は脱走した不届き者を回収する任務を負っているんだ」
今度は彼がジルに質問する。
「そう言う君は何をしているんだい。君くらいの年齢ならまだお家で家族と一緒に幸せに暮らしているはずだろう? まさか家出でもしたのかい?」
「……僕は」
答える暇もなく次々と質問される。一つひとつ質問されるたびにジルの顔は険しくなる。
「それにそのバイクもだ。このエリアでは製造も販売もしていない代物。盗難品の可能性がある」
「それは、貰い物だ!」
「信じられないね」
彼はバイクに触れる。
ジルは腰から銃を引き抜き彼に突きつけた。
「触るな!」
周りが一斉にジルに銃を向ける。だがジルはひるまない。痛みをこらえ、再びアウラーをかばいながら彼らの前に立ちふさがる。
「ジル君、君の大切なバイクを触ったのはすまなかった。ちょっと確認をしたかっただけだよ。確かにこれは君の物だった」
彼はバイクから離れ元の位置に戻る。それでもジルは銃を向け続けた。周りの仲間がジルに銃を向けているからだ。ここで自分は殺される。だが、せめてあいつだけでも……。ジルはそう思っていた。
「やめて!」
アウラーはジルの肩をつかみ強く引っ張った。足を痛みをこらえながら立っていたジルは、不意に後方に追いやられたことで頭から盛大にこけることになった。そして今度はアウラーが彼らの前に立ちふさがった。
「私が、私が行けばいいだけだから! 何もジルが殺されるようなことはしなくていいの!」
「でもそれだとアウラーが」
「ジルが殺されても同じでしょ! 私のことはいいから、ジルは私のことは忘れて真っ直ぐセンターを目指して!」
アウラーはリーダーの前まで進み、睨みつけた。
「さあ、早く捕まえて。でも、絶対にジルは殺さないで」
「ほう、彼が抵抗すればバイクに乗ってどこか遠くへ行ける時間があるかもしれないし、彼が暴れて私が手傷を負えばしばらく追って来る者もいないのに、それでも君は身を差し出す。まだ出会ってそれほど時間は経っていないのに、そんなに彼のことが大事なのかい?」
大人達が一人の少女を見下ろす。彼女は上を向く。彼らの視線を受け止め、真っ直ぐ相手を見つめ返す。
「元々は私が勝手に付いてきただけ、彼との旅は本当に少しの間だった」
アウラーは自分の背中が誰かに押されているように感じた。ジルでもましてやそれ以外の誰でもない。それはアウラーの背中にぶつかり、彼女を前へと進ませる。
「だけど今、ジルは私のために銃を取って戦おうとしている。出会ってほんのちょっとしか経っていない私を守ろうとしてくれている」
彼女を押しているのは風だった。風が彼女の背中を押している。向かうのは前にいる大人達。アウラーは自分の言葉を、風に乗せて彼らにぶつける。
「ジルは私を、自身を盾にするくらい大切な仲間だと思ってくれている。だから私も、仲間の一人としてジルを守る。これ以上、彼を傷つけさせない!」
彼らはアウラーを、アウラーは彼らを睨む。いつの間にか銃の向きはアウラーに変わっていた。
風も止み、自分の心臓の鼓動と息づかいしか聞こえなくなる。静寂を先に破ったのは彼らだった。リーダーの男と仲間達が一斉に笑い出す。
何の前触れもなく笑い始めたせいで、アウラーとジルは混乱した。なんとか笑いをこらえ、リーダーの男は言った。
「まさか君のような女の子が銃を持った我々に向かってくるとは思わなかった。いやいや、もういいよ。そこの子供に銃を向けられて、さらには女の子に睨まれるのはもうたくさんだ。奴隷商の彼には君たちは落石で死んだと伝えておこう」
彼らは何もなかったかのように笑顔で手を振りながら、奴隷商のいる町へ戻っていった。ジルは呆然とし、緊張のとけたアウラーはその場に座りこんだ。
二人はバイクにもたれかかり、ぼぅっと空を見上げていた。止血はしたものの、ジルの足はバイクを運転できるほど回復していない。アウラーにも、ジルやバイクを運ぶほどの力は持ち合わせていなかった。
「ねえジル」
「なに?」
「私はああ言ったけど、あなたには私を守る理由はないじゃない。何故、足の痛みをこらえてまで守ろうとしたの?」
アウラーにとっては命の恩人のようなものだが、ジルにとってはそうではない。自分はただの気まぐれで助けられたのだと彼女は思っていた。しかし今回も、ジルは危険も顧みずにアウラーを助けようとした。
「……最初に助けたのは、本当に気まぐれだった。アウラーの目を見た瞬間に、何故か体が動いてたんだ」
仰向けに寝転がる。ジルの頭をアウラーは自分の膝に乗せ、彼を見る。
「……センターとか、世界の果てとか、普通に考えたら馬鹿げたことなんだよ」
「……はい」
「本当は知ってたんだ。おじさんはできっこないと分かってて、僕にバイクを譲ってくれたって。それで、世界の果てを話したら、周りには本気にはされなくて」
「はい」
「……アウラーが初めてだった。真っ直ぐ目を見て、一緒に旅をしたいって言ってくれたのは。終わりがあるかわからないのに、そんな旅に付き合うと言ってくれたのが、とても嬉しかったんだ」
ジルにとっての、初めての理解者だった。長い間、行く先でこの話をしても、馬鹿にされるか、信用したふりをして金銭を騙し取られるくらいだった。
「アウラーは、初めてできた僕のたった一人の仲間なんだ……。仲間がいなくなるのは、とても辛い……」
瞼が重くなる。精神的に疲れてしまったのだろう。
「ごめん。少し寝させてもらうよ」
「寝心地悪くないですか?」
「大丈夫」
頭の後ろで彼女がいることを感じながら、ジルは眠りについた。