二人の過去
草原を進み山を越えて何日かの後、二人は町に着いた。前回の争いの後に訪れたからか、少しばかり小煩いこの町はひどく平和で穏やかに見えた。二人はすぐさま宿屋へ行き部屋に入ると、糸の切れた人形のように床に倒れた。
先に目を覚ましたのはジルだった。体中の痛みをこらえて起き上がり、窓を開け外を見る。太陽はうっすらと光っており、朝霜の中からちらほらと人がせわしなく動いているのが見える。
「アウラー、起きて」
ジルはアウラーの肩をゆする。彼女は反対側へ寝返りをうち起きようとしない。
「ほっ!」
手で切るように彼女の頭を軽く叩く。小さく悲鳴を上げた彼女は頭をさすりながら目を覚ました。
「う~ん……頭がズキズキする」
「ずっと床で眠りっぱなしだったからだよ。ほら起きて。朝食だ」
「こんなに美味しい料理は初めて食べた気がします」
アウラーは料理をちゃんと噛まずに次々と口の中へ放り込んでいく。しばらく奴隷のような扱い――奴隷にされかけていた時――の間は決して良いとは言えない食事だったのだろう。ひょっとすると水さえ飲めない日もあったかもしれない。その反動からか、小さな体では考えられないほどの量の料理が体の中に収まっていく。その光景にはジルだけでなく、周りの客達も顔をひきつらせていた。
彼女の機嫌が良くなってきたところに合わせ、ジルは彼女に質問してみた。
「言いづらいなら言わなくてもいいけど、僕と出会う前、あいつらに捕まる前はどこにいたの?」
奴隷にされそうになっていたほどだ、その前の生活も思い出も、ひょっとすると良いことがなかったかもしれない。それでもジルは気になって聞いてしまった。その特殊な髪と目の色が、ジルの好奇心を掻き立て、聞かずにはいられなくなってしまったのだ。
ジルの質問を聞いたアウラーは食事を止め、話しだした。
「私は、あの町から遠く離れた村にいました。父親も母親もいません。物心つく前から、私は村長さんの子供の一人として生活していました。村長さんは私を本当の娘のように扱ってくれて、私も村長さんを親のように思ってました。それでも周りとの違いは気になってしまって、ある日この髪の毛のことを聞いてみたんです。けど村長さんは頑なに口を開こうとしませんでした。一言「知らない」と言ってしまえばいいのに、その質問をした時は私と目を合わさなかったんです。まあそう軽くはない理由があったんでしょう。その後私は話題にすることはありませんでした。そうして時間が過ぎていき、今日から太陽が十何回か光を取り戻す前のことです」
そこで彼女は口を閉ざす。言いたくないことなのだろう。ジルはそこで話を止めようとした。しかし、止める前に彼女は再び口を開いた。
「村が燃えていました」
「……」
「村が燃やされる中、村長さんは私を逃がしてくれました。村の生き残りは私だけになってしまいました。どこに行けばいいのかわからず、とりあえず遠い所へフラフラと移動しているうちに、私は彼らに捕まりました」
「そいつらが村を燃やしたの?」
「多分違います。奴隷たちの中に見知った顔はいなかったので。偶然通りがかったんだと思います。火事の原因はわかりません。その後は町を転々として、私はこの後どうなるのか、不安になりながら毎日を過ごしていました」
ジルは話を戻し、村を燃やされて、親同然の人を殺されたことを今はどう思っているのか聞いてみた。
「もう何とも思ってません。今となっては過去の話ですし」
さっきの暗い空気が嘘のようなあっけらかんとした声で言った。先程とのギャップにジルは椅子からずり落ちそうになってしまう。
「確かに嫌な記憶ですけど、その後の生活のせいでかすれてしまってたんです。さっき言った通り、毎日が不安で、不味い料理を食べさせられて、臭くて狭い馬車の中でぎゅうぎゅう詰めになって……。私にとっては今を何とかするのが精一杯でした」
アウラーは真っ直ぐジルを見つめる。
「そんな人達を、ジルがやっつけてくれました」
彼女は笑顔で言った。はっきりと言葉で伝えられて、ジルは照れくさくなった。
「それじゃあ、今度はジルの番」
「ははっ、わかったよ」
食事を終え、二人は宿に戻った。ジルは長い筒から丸めた紙を取り出し床に広げた。
「これは地図と言って、この世界を上から見た場合の絵が描いてあるんだ」
地図の絵は紙いっぱいではなく、円形の枠の中にあった。枠の外には、十六個の太陽の絵が地図を囲むように配置されている。さらにその太陽の中には、真上から順に1から16の数字がそれぞれ書かれていた。
「僕が今目指してるのは、絵の中心にある黒い点のところ。『センター』と呼ばれている場所さ」
そこには最先端の文明と技術があり、それらは外へ外へと広がっていっている。近い場所なら夢のような世界があり、遠ければ何もない簡素な世界になっていく。この世の楽園であり、世界の中心。それがセンターである。
「『世界の果て』の前に、僕はまずそこを目指そうと思っている」
「何故?」
「それは、この地図とバイクを貰った人に関係してるんだ」
◆
ジルはここからさらに外側の村に住んでいた。家族は農作物を育て、それで日々の蓄えを得ていた。
そんな毎日の中で、ジルには一つ特別な時間があった。
村には内側からやってきたと言う男がいて、ジルはいつも彼のことを『おじさん』と呼んでいた。ジルはおじさんの内側の話を聞くために、暇な時はいつも彼の家に訪れた。楽園から抜け出す人はいないからと、周りの人は彼の言葉は信じていなかった。しかし、村の外に興味を持っていたジルは、おじさんの話す世界に惹かれていった。
ある日、ジルはおじさんに質問をした。
「おじさん。世界には果てってあるの?」
「どうしたいきなり」
今まで話を聞くだけだったからか、ジルの初めての質問に彼は戸惑った。
「だってわからないじゃん! おじさんの見せてくれた地図、ここから近くまでしか描かれてないんでしょ? 果てが無いとか言ってて何でそこまでしかないの!?」
「いやまあそれには別の理由があってだな……。まあ果てなんて、まだ誰も見たことがないからな。センターだって見つけられなかった。だから果ては無いんだよ」
なぜそんなことを聞いたのか、今度はおじさんが質問した。
「おじさんの話で内側のことはたくさん聞いた。だからもういろんなことを知ってる。だけど、そこからさらに外の世界は教えてくれない」
「知らないのに何で無いってわかるのか。ということか?」
「うん。見たことないなら、わからないじゃないか。だから僕、探してみようと思う!」
おじさんは椅子から転げ落ちる。
「いやいや待て。本当にあるかどうかわからないんだぞ。お前がジジイになってもその先があるかもしれないんだぞ!」
「それでも行くんだ! 誰も行ったことがないなら僕が行くんだー!」
「……そうか。だったら、外の前に内に行くのはどうだ?」
おじさんは地図を取り出し、真ん中の黒点を差す。
「ここにはな、世界に果ては無いと言った張本人どもがいる。そいつらに向かって「なんで果ては無いんだ!」とか聞いてこい」
「えぇ、でも内側のことは大体聞いたし」
「自分で見て聞いてみないとわからんことがあるだろ。とにかくセンターまで行って、それでもまだ外へ行きたいなら」
応援してやらんでもない。
◆
「結構衝動的だったんですね」
「違う。衝動的じゃない。これもおじさんと皆を納得させるためなんだ。まあとにかく、これが僕がセンターに行く理由だよ」
諦めさせようとしてるのでは、という言葉を飲み込み、アウラーは話を続けた。
「それで、どうやってセンターにまでたどり着くんですか? 地図はあっても、方向がはっきりしないと、あらぬ方向に行ってしまいますよ」
「そのためにこれがある」
次に取り出したのか、これまた筒状の物だった。中には細長い針が糸で吊らされていた。
「『コンパス』という物で、赤く塗られた部分がセンターのある方向を示してくれる」
地図とコンパス。この二つがあれば、真っ直ぐにセンターを目指すことができる。
「後は、自衛のために銃も貰った。バイクと同じ銀色のリボルバーだよ。最後はこのゴーグル。これを着けると、遠くの的も簡単に当てられるんだ!」
「へぇ~! 他には何があるんですか!?」
「ほ、他には、ええと」
お互いの過去を話したことで、間の壁がなくなり、さらに会話がはずむようになった。
翌日の早朝、二人は宿を出た。再び彼らの旅が始まる。
あの太陽の向こうにセンターがある。道のりはとてつもなく遠い。これが外側への旅になった時どうなるのだろうか。だが、今はただ、センターへの思いを胸にバイクを走らせるのみである。
ジル達の後ろ、はるか遠くに人が複数いた。彼らは二人の後ろ姿をじっと見ていた。彼らは全員、ジルのバイクと似た乗り物に乗っていた。
彼らはハンドルを握り、二人のいる方向へ走り出した。