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フラットワールド  作者: 藤高 那須
第一部 センター
1/5

風にのって

 その日は大雨だった。外の雨音が室内の喧騒に交じって耳に入ってくる。降り始めて長い時間が経つが、雨はまだ止まず、外を歩くことはできない。彼は窓から雨を眺める。


「まだ止まないのか」


 時間が経つごとに不満が高まり、とうとう口に出てしまう。彼は自身の明るい茶色の髪を掻いた後、コップに入った水を一気に飲み干した。


 そろそろ雨が止むと、カウンターでグラスを洗う店主が言った。

 少年が何故と聞いてみれば、マスターはそんな気がするとだけ答えた。


 カウンターには少年しかおらず、彼以外のすべての客がテーブルで集まり、仲間内で食事をしている。料理が来るのを待っている時も、少年は外を眺め続けた。雨で窓が濡れていても、窓の近くからなら外がよく見える。店主が言っていた通り、少しずつだが雨の勢いが小さくなってきている。予報は当たっていたようだ。


 料理を注文してそれなりに時間が経った頃、店の出入口の扉が開いた。普通なら店内の喧騒に掻き消えるはずが、音はよく響き店内を駆け巡った。さっきまでの騒ぎが嘘のように静かになり、店内の人全員が出入口を見た。


 そこにいたのは、少年と同じくらいの年齢に見える少女だった。息が荒く、薄い黄緑の髪が濡れている。しかし彼らはその特徴的な髪の色ではなく、別の所に注目していた。彼女の服や髪の毛のいたるところに血が張りついていたのだ。

 雨に濡れ、手前に垂れた髪の隙間から少女が辺りを見る。少年と彼女の目が合う。出入口から風が吹き、彼の頬を撫でた。不思議な少女だ。この世界に同じ特徴を持つ人はいないだろうと思うほど珍しい髪の色。そして自分を見つめるその目。少年は少女の緑色の目に吸い込まれ、視線を逸らすことができなかった。

 数秒見つめ合い、再び入口に乱暴な音が響いた。今度は銃やナイフを持った体格の良い男達が入ってきた。すると彼らを見た少女が肩を抱いて怯え出した。


「まさか隙をついて脱走するとは思わなかったぜ」


 店に入ってきた男達の一人が気持ち悪い笑い声を上げていた。彼らの中で唯一ほっそりした、骸骨のような男だった。彼は少女の髪を乱暴に引っ張る。


「どうやって逃げたか知らねぇが、もうヘマはしねぇ。おいお前ら、さっさとコレを運べ!」


 彼女は傷だらけで体力も尽きていたせいで、抵抗もできずに連れ去られた。周りの人間はただじっとして見ているだけだった。そして店内は再び元の喧騒に戻った。


「まさかまだ奴隷が残っているなんて」

「坊主は奴隷を見たことないのか。外側はまだそういう風習が残ってたみたいだな」


 料理を持ってきた店主が言った。


「いや、僕もここよりも外側の所から来たけど、あれはなかった」

「ま、あれはまだ奴隷にはなってないみたいだがな」


 普通は他人に見える位置に焼き印があるらしいが、彼女にはその印がなかったと言った。


「どこかの町でそれを付けられるんだろうな。可哀想に」


 他人事ひとごとのように呟いた。彼にとっても、周りにとっても、この町の外の出来事はどうでも良いことらしい。少年はコップの水を一気に飲み干した。


 雨はまだ止まない。



 ◆



 次の日、空は曇り程度になっていた。雨に濡れるのが嫌だった少年は店主に頼んで店で夜を過ごさせてもらっていた。


 少年は下を見る。まだ地面は雨に濡れ、土がドロドロしている。


「ホラァァ! さっさと入れ!」


 やっと雨が止んで良い気分だったのに、誰かの不快な声が聞こえて萎えてしまった。声の主は、昨日のあのほっそりした男だった。鎖に繋がれた人達を馬車の中に入れていた。

 突然、一人が警備らしき人を押し倒して反抗し始めた。それは瞬く間に周りに伝染し、一種の暴動のようなものが起きた。それに乗じて誰かが鍵を盗み、手錠を開け、自由になった彼らは次々と逃げていった。

 そしてその一人に、あの少女もいた。彼女は人混みをかき分け逃げ出した。しかし、警備に腕を捕まれてしまった。


 少女は必死に抵抗する。


「っ!」


 彼女と目が合った。何故かその視線は少年だけを捉えている。周りに助けてくれそうな人がたくさんいるのに、ただ一人、少年だけを見ていた。

 少年の背後から強い風が吹く。

 気づけば、彼は少女を捕まえている警備の頭を蹴っていた。警備は気絶し、少女の腕を離した。


「大丈夫?」


 尻餅をついた少女に手を伸ばす。


「あ、ありがとう」


 戸惑いながらも、少女は手を握った。

 二人はとにかく走った。出来るだけ奴らから離れようと必死になって走った。


「このまま真っ直ぐ行けば僕の乗り物がある。それに乗ってここを出よう!」


 そこは昨日彼が行った店の倉庫だった。店からは家2つ分ほど離れた場所にあり、泊めてもらうついでにそれをここに入れさせてもらったのだ。

 少年は急いで倉庫の扉を開けて入ろうとするが、背後から飛んで来た弾丸によって止められた。弾丸は横を通り過ぎ倉庫の壁に当たった。少年は両手を上げ、少女を後ろに隠しつつゆっくりと相手の方へ向いた。


「流石にソレだけは逃がすわけにはいかねぇ。殺さないでやるからこっちに返しな」


 男は取り巻き達と一緒に少年に銃口を向け言った。彼ら全員が引き金に指をかけている。どちらにしても殺す気満々のようだ。

 少年は少女の様子を伺う。さっきから背中に張り付いて離れない。背中から彼女が怯えているのがわかる。


「何やってんだか……」


 店に来た少女に出会った、あの時は助けなかったのに、何故か今こうして少女を助けてしまっている。こうなることはわかっていた。そして実際に命の危機に陥っている。だが少年は下を向かず、真っ直ぐ男達に向き合った。自分のやったことに後悔はしない。彼はそう決めていた。

 ゴーグルを下にずらして装着する。


「君たちはこの世界がどこまで続いてるか考えたことがあるか?」

「あぁ?」

「『センター』によると、この世界はずーっと遠くまで、無限に続いているとか言っていたらしい。じゃあどこまで? 僕はふとそう考えた」


 周りが静かになる。誰かが小さく笑った。するとそれが周りに伝染し、そして二人を除く全員が笑い出した。


「ククク、何言ってるんだか。お前はいったい何年前の話をしてるんだ!?」


 彼らは再び二人に銃口を向けた。


「結局その話はなぁ、この世界に果ては無いって結論が出たんだよォ! 世界は真っ直ぐに、果てもなく広がっているってなぁ! 次生まれ変わる時はそんな馬鹿なこと考えてないでちゃんとお勉強することだな!」


 そして引き金を引こうとしたその時である、雲の間から光が差し込んだ。

 彼らの目に光が差し込む。さっきまで雲で暗くなっていた後ということもあり余計に眩しい。目が光に慣れ、前を見ると、そこに二人の姿はなく、倉庫の扉が開いていた。

 中から何か音が聞こえる。空気が爆発しているような音だ。その音はやがて大きくなり、だんだんと勢いを増していく。


 そして中から大きな影が現れる。銀色を基調とした、前後に車輪が付いた乗り物に二人は乗っていた。初めて見るそれに、彼らは驚愕し体を硬直させてしまった。


「な、なんだぁ!? いったいどうやって走って――!」

「『バイク』って言うんだ。よく覚えとけ!」


 動揺する男達の横をすり抜け、二人はこの町から逃げ出した。



 ◆



 町から離れると、少年はバイクを停めて少女を降ろした。


「ありがとうございます」

「お礼はいいよ。気の迷いみたいなもんだし。それより、君はこれからどうするの?」


 そう尋ねると、少女はそんなこと考えていなかったという風な顔をして、しばらくじっと固まっていた後、ポロポロと涙を流した。


「私あの時は必死で、後のことなんて全く考えてなくて」


 あの町、もしくはその周辺で捕まえられて奴隷にされたのなら、この辺りに家はないのかと質問すると。それに対し彼女は「いいえ」と答えた。


「気づいたらあの人達に捕まっていて、ずっと馬車の中にいて、ここがどこなのかもわからなくて――」

「ちょっと待って」


 少年は町の方を見た。集団がこちらに向かって来ている。双眼鏡を使って確認すると、あの男が馬に乗っていた。少年は急いで少女を後ろに乗せてバイクを走らせた。


「あいつら見えるか?」

「どんどん近づいて来てます!」


 スピードはもっと上げられるが、そうすると彼女が飛ばされてしまう。できればスピードは出したくない。こんな危ない状況なのに、変に頭の中は冷静だった。


「火事場の力を信じるか。……ちょっとハンドル握って」

「え、ハンドルって何ですか……てきゃあっ!」

「真っ直ぐそのままを保っていればいいから」


 無理矢理少女を前に移動させ、入れ替わるように少年は後ろへと移った。

 少年は再びゴーグルを装着し、ベルトに取り付けていた銃――リボルバー――を取り出した。

 右手でグリップを握り、左手でゆっくり力を入れてハンマーを引く。そして左手で包み込むように右手ごとグリップを握る。右手人差し指を引き金にかけ、照準を集団の先頭を走る馬に向ける。的はまだ小指の爪くらいの大きさだ。少年はゆっくりと息を吸い、心を落ち着かせた。

 バイクが小刻みに、向こうの馬が上下に揺れているせいで当てづらくなっている。それでも少年は必ず当たると信じ続ける。全神経を集中させる。エンジンの音がうるさい。風が頬を通り抜ける。首筋がくすぐったい。少女の長い髪が首を撫でている。

 一瞬、ほんの一瞬だけ、彼は五感の全てが閉ざされたように錯覚した。


 フッと息を吐き、引き金を引いた。



 弾丸は、先頭を走る馬の頭に命中した。

 馬は倒れ、その後ろを走る馬達も足が引っ掛かり次々と倒れていった。


「な、あんな遠くから!?」


 この世に、あんな距離から弾丸を当てる腕のある人間がいるのか。そんなこと、できるはずがない。


「いや、まぐれだあんなのは! 怖じ気づいてねえでさっさと行け!」


 ほっそりした男の声に反応し、皆は馬に鞭を打った。しかし、また先頭の馬が撃たれる。


「おい、こんなの聞いてねぇぞ!」

「お、俺は抜けるぜ!」


 近づけば近づくほど標的にされやすくなる。一人、また一人と集団から抜けて行く。それほど抜ける者は少なかったが、再び先頭の馬が倒れ数人が巻き込まれたことで今度はどっと抜けていった。そして最後には体がほっそりした男しか残っていなかった。

 気づけば二人と男とは遠く離れ、豆ほどの大きさくらいにしか姿をとらえることができない。それでも男は追いかけた。ただの雇われではない彼は他の者達と違い逃げることはできなかった。馬を鞭で打ち付け追いかける。

 疲労で馬が倒れ、男は地面に伏した。


「くそっ、くそがぁ!」


 その叫びが彼らに聞こえるはずもなく、果てしない虚空にかき消えるのだった。





「いやぁ、危なかった」

「危なかったじゃないですよ! 突然前に出されて、変なもの握らされて、ちょっとでも向きがずれると倒れそうになるし、とっても怖かったんですよ!」

「ごめんごめん。でも助かったよ。」

「まったく。それと、あの時言ってたことは本当なんですか?」

「あの時?」


 あの時、大人たちの前で豪語した言葉、『世界の果て』。彼女は少年にその真意を聞いていた。


「本当だよ」


 迷いなく答えた。少年の真っ直ぐな目を見て、少女はにっこりと笑った。


「……それじゃあ、私もそれに付き合わせてくれませんか?」

「へ?」

「私にはもう帰る場所がないんです。ここで別れても、行き場所もありません。だからお願いします。あなたの終わりの無い旅に、私も一緒に連れて行ってくれませんか?」

「いやいや、だったら、どこか別の町に行って仕事でも探した方が良いよ。君みたいな人だったらすぐに採用してくれるって」

「ええ、無謀な旅をしている人と一緒にいるより、安定した生活をした方が良いでしょう」

「うっ」

「それでも、私はあなたの旅に行きたい。だって――」


 一息おいて、彼女は言った。


「あなたの見る夢の先の世界を、私も見てみたくなったから」


 強い風が吹いた。彼女の方から吹いているので、まるでその風は彼女が起こしているように見える。そして、風は、『そう言え』と急かすように少年を押す。

 少年は少女の手を握った。


「わかった。夢の先を、一緒に見よう」

「はい!」


 少女は笑った。彼女の翡翠の髪と目が輝いている。


「僕はジル。君の名前は?」

「アウラー。私の名前はアウラー」


 霞んで見えなくなるほど広い草原の上を、二人はバイクに乗って走り出す。先は山か谷かわからない。それでも彼らは真っ直ぐに進み続ける。風にのって、夢の先へ旅をする。


 二人の果てのない冒険が幕を開ける。




 ◆




 この世界は平面である!


 島を呑み込むほど巨大な渦潮うずしお、天から落ちる滝、登れば登るほど酸素が薄くなり、山頂になるとやがて酸素がなくなってしまうほど高くそびえる山、距離感を失うほど広大な草原。この世界は、そんな海と大地が果てしなく無限に広がっている。


 これは、世界の果てを探す一人の少年と少女、そして彼らを取り巻く仲間達の冒険の物語である!

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