闇の女王の思惑
◆闇の女王モーナ
「これはこれはモーナ様、よくぞこのような場所においでくださいました」
ナルゴルの魔王城のある一室に入ると、部屋の主人である老人が出迎える。
その老人は恭しく頭を下げる。見た目は普通の人間だがランフェルドと同じように頭の左右に角が生えている。
この老人の名はルーガス。かつては自分の最愛の夫モデスと同じようにエリオスの神々の一柱で、知識を司る神の一柱だった者だ。夫がエリオスを追放された時、夫の従属神だったために一緒にナルゴルへとついてきたのだ。
その彼は今ではナルゴルの宰相となっている。
ルーガスは戦いの力は強くなく、勇者との戦いには参加しなかった。
「頭を上げなさいルーガス」
そう言うとルーガスは頭を上げると、部屋の中央にある椅子へと案内する。
「今日はどのような用事でございますか、モーナ様?」
ルーガスが尋ねる。
「ルーガス。クロ……いえディハルト卿の事をどう思いますか?」
「ディハルト卿ですか?」
先日の戦い。城に居る者全員がその様子を見ていた。当然このルーガスも見ているはずだ。
「非常に強いお方だと思います。あの勇者を倒したのですから。心強いお方が味方になったと思っております」
確かにディハルト卿は強い。あの恐ろしい勇者をたった一人で打ち負かしたのだ。
しかし、だからこそ考えなければいけない事がある。
「それだけですか?」
ルーガスが首をかしげる。
「と申されますと?」
「知っていますかルーガス老。カーサと言う女神の予言によると勇者は異界から来た男なのだそうです。そしてディハルト卿も異界から来た男ですよ」
「!!」
ルーガスが驚いた顔をする。
「まさか……。モーナ様は……」
「はい、ディハルト卿が勇者という可能性もあると見ています。モデス様に危害が及ぶようなら、場合によっては始末しなければならないでしょう」
ディハルト卿には忠誠心がない。裏切る可能性もある。
「しかし、モーナ様。勇者の侵攻により、魔王軍は壊滅状態です。ディハルト卿に対抗するなど無理でございます」
ルーガスの話では再建が簡単なのは数が増えやすいゴブリン族と替えがききやすいアンデッド達ぐらいで、他の種族は再建にかなり時間がかかるようだ。
特にトロル族と魔族、このナルゴルで最強の2種族が壊滅的だ。
実はトロル族は勇者との戦いではあまり被害を受けていない。トロルの王が勇者に敵わないと見るや早々と降伏したからだ。
しかも、その後トロルの王はナルゴルを裏切り、勇者の案内役までしたのだ。もっともなにかあったらしく、勇者の一向とは途中で離脱し最後までは行動を共にしていない。
ディハルト卿が勇者を撃退するとトロルの王は粛清を恐れ、ナルゴルから出奔した。
王を失ったトロルの諸部族は争いを始め、まとまりを欠いてしまった。当分は戦力にはならないだろう。
もう片方の魔族についてだが、魔族はナルゴルで最強の種族、いやこの世界で神族を除けば最強クラスの種族だろう。
魔族は姿はあらゆる種族の基準とされる人間に似ていて、頭の左右に角が生えていることが特徴的である。
魔族は力でこそトロルには負けるが、ナルゴルの全種族でもっとも魔法に長けており、その魔法で他の種族を圧倒している。対抗できるのは天使族ぐらいだろう。
その魔族の精鋭部隊である暗黒騎士団は先日に勇者によって壊滅状態だ。
魔族は長命だが増えにくく、元通りの戦力を回復するまでに時間がかかる。
魔族の英雄であるランフェルド卿も頭がいたいだろう。
魔王軍の中心となる魔族がこれでは再建はおぼつかない。
「それにモーナ様。たとえ軍が再興できてもディハルト卿にはかないませぬ」
魔王軍を壊滅させた勇者。その勇者を倒したディハルト卿を倒す事は魔王軍を再建しても無理だとルーガスは言う。
むしろ、ディハルト卿が現時点での魔王軍の最高戦力であるとも言える。
「またディハルト卿は今や魔族の英雄になっております。できれば敵と考えたくありませぬ」
ルーガスが困ったように言う。
ナルゴルの中心種族である魔族の士気が下がる事はしたくない。それがルーガスの意見らしい。
「ディハルト卿を敵に回したくないのは、私も一緒です。ですが万が一を考えておく必要はあります」
「あのモーナ様、このことを陛下は……」
「いえ、モデス様は私がディハルト卿を危険だと思っていることを知りません。それにモデス様はディハルト卿をお気に召したようです。どうも自分と同じ匂いがするのだと」
最愛の夫であるモデスはディハルト卿を厚遇しており、裏切るとは微塵も考えていないようだ。
「それに、モデス様は嘘を付く事ができないお方。私の懸念を伝えるとそれが態度に出てしまいましょう」
だから、この事は他に言うべきではない。
「ですからこの話は内密の話なのですよ、ルーガス。ナルゴル一の知恵者と言われるあなたには、もしもの時の事を考えてもらわねばなりません。どんなに強い者にもなんらかの弱点はあるかもしれませんからね。彼の情報を集めておいて損はないでしょう」
ルーガスはうなずく。
「確かに情報は大事ですからな……。わかりました、モーナ様。ではディハルト卿には我が配下の者を着けましょう。その者にディハルト卿を探らせます」
「たのみましたよルーガス老」
その後、一言三言話すと部屋をでる。
ルーガスはディハルト卿を危険だと思っていなかったようだ。
いや、考えたくないだけかもしれない。
今やディハルト卿は魔王軍になくてはならない存在だ。
誰しも敵になるとは考えたくないだろう。
だけど誰かが考えなくてはいけない事だ。
「ああ愛しのモデス様。あなたはこのモーナが必ず守りますわ」