タラスク
◆暗黒騎士クロキ
自由都市テセシアの郊外。
街道から離れた平野で爆音が響き渡る。
「やりましたわ、クロキさん!!」
キョウカが喜びの声をあげた。
キョウカが放った魔法は的に当たっていた。
36回目にして初めて魔法を的に当てられたのである。
他の魔術師なら当たり前の事だけど、彼女にとっては快挙だろう。
何しろこれまでまともに魔法を使えなかったのだから。
「えーと……ミドウさん。後は練習あるのみだと思います」
キョウカに言う。
「キョウカで良いですわよ、クロキさん。あなたは私の先生なのですから!!」
キョウカが自分の手を取る。
「いえ……、先生と言えるような事はしていないのですが……」
先生と言われると気恥ずかしくなる。
実際に大した事は教えていない。
事の発端は、昨日の夕食の時にキョウカが魔法を教えて欲しいと言ったのが始まりだ。
だけど、魔法の先生が務まるとは思えない。
断ったけど、キョウカがどうしてもと頭を下げるのでアドバイス程度ならと了承した。
そこで、翌日の朝になってテセシアの郊外へと移動したのである。
ここには自分とキョウカ、そしてシロネとカヤしかいない。
レーナはこれ以上エリオスを留守にするわけにはいかないらしく帰った。
リジェナとリザードマンはキシュ河で待機させている。
ノヴィス達は同行を許していない。
そして、キョウカが魔法を使う所を見たけど、何てことは無い。
単純に力の入れ過ぎだ。ちょっとの魔力で済む魔法なのに過剰に魔力を込めている。そのため、魔法が暴発する。
だから、キョウカに肩の力を抜くようにアドバイスしたのである。
もちろん、力を抜けと言った所でうまく行くわけがない。
本人は力を抜いているつもりでも、知らず知らず力を入れ過ぎている時がある。
しかし、こればかりは感覚の問題だから何度も練習して掴んでいくしかない。
そして、36回目にしてようやく魔法を思い通りに発動させる事ができたのである。
「もう一度やってみますわね。火弾!!」
しかし、キョウカの持つ杖から放たれた魔法の火の玉はあらぬ方向に飛んでいく。
「魔法消去!!」
大急ぎで違う方向に飛んだ魔法を急いで打ち消す。火事になったり誰かに当たったら大変だ。
「また失敗ですわ……」
キョウカが落ち込む。結構浮き沈みが激しい。
「失敗しても良いじゃないですか。世の中うまく行かない事の方が多いと思いますよ。そのたびに落ち込んでいたらきりがないですよ」
キョウカを慰める。
失敗する事を怖れてはいけないと思う。気楽にやった方が良い結果が出る事もある。
「でも……お兄様やチユキさんは、最初から魔法がうまく使えていましたわ。失敗する姿も見た事がないですわ……」
キョウカは暗い顔をして言う。
「誰もが最初からうまくできるわけじゃないですよ。自分も昔は失敗ばかりでしたし……」
キョウカの話しでは、レイジは小さい頃から何でもできていたらしい。
だけど、誰もが最初からうまく出来るわけではない。人間は平等ではない。
自分も最初から何でも出来る人間ではない。おそらく才能はレイジに劣る。
だけど、他者の才能を羨んでも仕方がないのだ。
もって生まれた物で勝負していくしかない。そして足りない分は努力して補うしかない。
これは自分がレイジに負けて落ち込んで立ち直った時に得た結論だ。
明らかにキョウカは焦っている。周りに比べて自分だけが何もできない事が嫌なのだ。
だけど、周りを気にしてはいけない。焦ればますますうまくいかなくなる。
過去の自分がいかに駄目だったかを伝えた。
これでキョウカの気が楽になるだろうと思って。
するとキョウカは驚いたとでもいうような顔をした。
「そうなのですか?クロキさんは何でも出来てとてもお強いのに」
「そんなに強いつもりはないですよ。昔は間違いなくシロネよりも弱かったですし……。今も失敗ばかりでダメだなと思う時がありますよ。信用できませんか?」
そう言ってあははと笑う。
昔はシロネの方が強かった。道場でよく泣かされたのを覚えている。
そして今も自分が強いとは思えなかった。
レイジに勝った時も無我夢中で戦っていたら相手が勝手に倒れていた。そんな感じだ。
「いえ、信用しますわ。シロネさんからクロキさんのダメな所をいっぱい聞かされましたから。きっと本当の事なのでしょう」
キョウカが微笑む。
後ろにいるシロネとカヤの方を見る。
シロネは首を回して後ろを見ている。
なぜ目を反らす?
「シ~ロ~ネ~! 自分がいない所で何を話してくれているんだよーーーーーー!!!」
「あはははははははは! ごめんごめん、クロキ!!」
シロネは笑ってごまかす。
「シロネ! 一体何を話したんだよ!!」
「え~っと。主にクロキがベッドの下や本棚の裏に隠し持っているエッチな本の内容とか……」
シロネはぽりぽりと頬を掻きながら答える。目は相変わらず違う方を向いている。
「ちょっと待てー! 勝手に漁るなーーー!!」
「あはははは!!」
笑ってごまかされる。
昔からシロネは自分の部屋に勝手に入って荒していく事があった。
逆にシロネの部屋に入ろうとするとすごく怒る。これは不公平ではないだろうか?
そして、キョウカとカヤの2人の中で、いやらしい変態と思われているのではないだろうか?
おそるおそる2人を見る。
キョウカの方に変化はない。
カヤはちょっと怖い感じがする。
「あの、クロキ様……。ちょっと宜しいでしょうか?」
突然カヤが声を掛ける。声の感じからしてちょっと怒っている感じだ。
「あの、何でしょう……?」
おそるおそる尋ねる。
「もしかして、クロキ様は練習中にお嬢様をいやらしい目で見てはいないでしょうね?」
そう言うカヤの顔は少し笑っているけどなんだか怖い。
「いえいえ! そんな目では見てません! 頑張っている人に対して失礼な事は考えませんよ!!」
慌てて正直に答える。
キョウカは魅力的な女性だ。
キョウカは今の服装は大陸の西側は東側よりも気温が高いためか、薄着になっている。そのため、彼女の発育の良い胸に目が行きそうになるのは事実だ。
だけど、一生懸命に頑張っている人に、そんなよこしまな視線は向けてはいけないと思っている。
だからキョウカをいやらしい目では見てはいない。それは事実だ。
カヤの目を真っ直ぐに受け止める。
「……そうですか。その様子からどうやら本当のようですね。失礼をいたしました」
カヤは素直に頭を下げる。
「いえ、別に……」
このカヤという人は、本当にキョウカの事を大切に思っているみたいだ。
異世界に召喚されてなおも仕えている。
キョウカとカヤはただの雇主と使用人とは違う、特別な関係なようだ。
2人の関係が少し気になった。
「でもすごいじゃない、クロキ。チユキさんが教えても駄目だったのに、クロキが教えるとうまくいくなんてさ」
シロネが自分の背を叩きながら言う。
正直、シロネには小一時間ほど問い詰めたい事があるが、今はやめておく。
それから、チユキというのは自分達と同じ学園の学生である水王寺千雪の事だろう。
彼女は学園で有名人だったから知っている。長い黒髪の綺麗な女の子だ。
水王寺千雪はかなりの才女と言われている女性だ。しかし、性格はかなりキツイと噂されている。
彼女の姿を見た事があるが、あの冷たい瞳で見られたら自分は萎縮してしまって学ぶ所では無くなるだろう。
キョウカもそうだったかもしれない。凄腕の剣士が良い剣の教師になるとは限らないように、才女だからといって良い教師とは限らないのかもしれない。
シロネが言うには本当はかなり優しい人らしい。まあ、実際にそうなのだろう。
だけど、厳しそうでもある。おそらく、キョウカは萎縮して学べなかったに違いない。
「別にそんな大した事を教えたわけじゃないよ……」
自分は正直に言う。本当に大した事は教えていない。
自分はただ肩の力を抜くように言っただけだ。これぐらいなら自分でなくても良いと思う。おそらく魔術師協会の導師の方が適切に教えられるのではないだろうか?
キョウカは失敗を恐れ、魔力を無駄に込めていた。
でも何故、周りはキョウカにその事を教える事が出来なかったのだろうか?
キョウカの周りにいる人達を思い浮かべる。キョウカの周りにいるのはレイジとその取り巻きの女性達である。
そして、レイジと彼女達は皆優秀だ。
レイジ達は全員最初から何でも出来るタイプの人間ばかりなのかもしれない。
だからキョウカの状態に気付く事ができなかったのかもしれない。
それに、周りの人の能力が高い事もマイナスだったに違いない。
自分一人だけうまく出来ない事がプレッシャーになって、かえって魔法が上手く使えなくなったのだろう。
ある意味運が悪い。
「いえ、わたくしが魔法をうまく使えたのはクロキさんのおかげですわ!!」
キョウカが自分の手を取って感謝をする。
「いえ……そんな」
お礼を言われる程の事はしていないが、美女に笑顔を向けられるのは悪い気がしない。
「わたくし、何だかやる気が出てきましたわ! だって、ダメダメなクロキさんでも頑張ればお兄様に勝つことができるのですもの!!」
キョウカは屈託のない笑顔で言う。
悪気はないのだろうけど、少し引っ掛かる。
自分から言っておいてなんだけど他人にダメと言われると少し凹む。
「さあ、もっと練習しますわよ! カヤ、もっと的を用意しなさい!!」
「はい、お嬢様」
キョウカは自分の手を放すと的に向かう。
少し腑に落ちない所もあるけど、やる気が出たのなら良かった。そう無理やり自分を納得させる。
キョウカは魔法を徐々にだけど上達させている。
やがて、完璧に魔法を使いこなせるようになるだろう。
それを見て少しだけ不安に思う。自分は強力な敵を作ってしまったのではないだろうか?
軽い気持ちで彼女の頼みを引き受けてしまったが、本来彼女は自分達の敵なのだ。
彼女がレイジと共にナルゴルに攻めて来るのなら戦わなくてはならない。
そのときに、彼女の魔法が自分に向けられるのかもしれない。
こうして自分の首を絞めていくのかなと思う。
「どうしたの、クロキ?ぼーっとして」
シロネが後ろから気楽に声を掛けて来た。
「いや、何でもないよ……」
そう答える。
自分が教えなくてもキョウカは問題を解決していたかもしれない。だから気にする事はない。
ようは自分が強くなれば良いのだ。
キョウカは魔法がうまく使えた事で喜んでいる。
だからきっと、これで良かったのだ。たとえそれが自分の命を縮める事になったとしても。
自分はそう考える事にした。
◆知恵と勝利の女神レーナ
エリオスに私は戻る。あまり長く離れるとうるさいのがいるので戻らざるを得なかった。
エリオスの私の居所は虹の橋によって、エリオス山に繋がれた浮島にある。浮島には泉を中心とした庭園があり、それを見ると帰って来た感じがする。
「お帰りなさいませ、レーナ様」
戻るとニーアを初めとした戦乙女達が出迎えてくれる。
「出迎えご苦労様です」
私はフードを脱ぐと戦乙女である1天使に渡す。
「もうよろしいのですか?」
ニーアが私に聞く。
「ええ、もう充分よ」
ひさしぶりにクロキに会えて満足だ。次はいつ会いに行こう。
「充分ですか? レイジはまだ助かっていないようですが……?」
後ろから付いて来るニーアが心配そうに聞く。
なぜレイジの事を聞くのだろう?意味がわからない。
「心配する意味がわからないわ、ニーア。レイジなら大丈夫よ」
私は振り返って言うとニーアが不思議そうな顔をする。
「そうなのですか?」
「ええ、そうよ」
私は確信を持って答える。
ラヴュリュスの迷宮にはクロキが向かっている。クロキがラヴュリュスに負けるとは思えない。レイジは助かるだろう。何も心配はない。
だから私はこう答える。
「だって私の騎士は強いもの」
◆剣の乙女シロネ
午後になり、私とクロキはキシュ河へと潜る。
もちろん、レイジ君達を助けるためだ。
なぜ午後かというと、午前中はキョウカさんの練習に付き合っていたからだ。
レイジ君達が戻れば、クロキはすぐにでもナルゴルに戻ってしまうかもしれない。
だからその前に、クロキから教わる必要があった。
キョウカさんとカヤさんの2人は今も練習をしているだろう。
もうクロキの教えは必要ないみたいだ。
クロキが言うには、もともとキョウカさんには才能があるから、きっかけさえあればすぐに上達するとの事らしい。
横にいるクロキを見る。
暗黒騎士の姿になっている。あまりその姿は好きではない。
ナルゴルに帰らずにずっと私達といれば良いのにと思う。
しかし、クロキは帰ると言って譲らない。
私が言っても聞かないなんて、やっぱりあの子に操られているのだろうか?
うん、そうに違いない。必ず取り戻してやる。
でも今はレイジ君達を助け出す事に集中しよう。
私とクロキは河の中を行く。
私は水の精霊の力で水の中でも息をする事ができる。クロキは体の中に水竜の力があるから水の中でも活動できるそうだ。
私達の前にはリザードマン達が先導してくれている。
クロキが持って来た迷宮の設計図とリザードマン達の調査によりこの場所に迷宮へと続く水路を発見した。
迷宮の設計図では、この水路はレイジ君がいる5階層に繋がっているみたいだ。
水路の穴は小さく人が入る事は無理だろう。小さくなれば入る事はできるだろうけど、そんな魔法は使えない。
そして、水路と河の境には光り輝く膜があった。おそらく結界だ。
この迷宮を覆う結界は完璧ではない。
結界の綻びを突いてやれば簡単に消す事ができるはずだ。その綻びを探す事に手間取った。
クロキとリザードマンがいなければ綻びを見付ける事は出来なかっただろう。
この結界を消せばみんなが助かる。
私は剣を抜く。
「今助けるからね、みんな」
私は剣を上段に構え振り下した。
◆黒髪の賢者チユキ
「何……今の……」
私は思わず呟く。
何か魔力の波動を感じた。
私と一緒にお茶を飲んでいたナオもリノも何かを感じたようだ。
「チユキさん……。結界が消えたみたいっすよ。そんな感じがするっす」
「精霊さんの声も聞こえるよ、チユキさん」
私達は目を合わせ頷く。
どうやらシロネ達がやってくれたみたいだ。
「みんな、どうしたんだ?」
サホコとエウリアを連れたレイジ君が食堂に入って来る。
「ふふ、レイジ君。結界が消えたみたいなの。シロネさんがやってくれたみたいだわ」
私が言うと3人が驚く。
「さすがはシロネだ。俺が見込んだだけの事はある」
「ふふ、レイ君の言った通りだね。信じて待ってて良かった」
レイジとサホコが笑う。
「そんな……。結界が……。アトラ……は何を……?」
だけどエウリアは浮かない顔を何かをぶつぶつと呟いている。
「エウリア姫? どうかしたのですか?」
私が聞くとエウリアは慌てる。
「いっ、いえ! 何でもありません! ああ、そう! 急いでみなにも知らせないと、私はこれで!!」
エウリアは急いで食堂を出る。
何なのだろう一体。
「結界が消えたと言う事は脱出ができるな」
「ええ、そうよレイジ君。今だったら転移魔法で脱出できるわ。さあみんな、街の人達を集めて!!脱出するわよ!!」
◆邪神ラヴュリュス
「結界が消えただと! どういう事だっ?!」
連絡をしてきたミノタウロスの一匹を怒鳴りつける。
すると玉座の周りにいる人間のメス共が怯える。
それがまた俺を苛つかせる。
この女共は外の国から攫って来たメスだ。
この13階層には自分のお気に入りの人間のメス共がいる。
人間のメスは他の種族よりも美しいが、どんなに優しく愛撫をしても大半はすぐに死んでしまう。生き残るのは1割にも満たない。
これでは猛る情欲は満たされない。
だからこそ、強靭な肉体を持つメスが欲しかった。もちろん強靭なだけでは駄目だ。美しくなければならない。
初めてレーナを見た時の衝撃は今でも覚えている。あの美しい女神こそ我が妻に相応しい。
だからレーナの恋人と呼ばれる光の勇者の存在は許せなかった。
アトラナクアは何をしている?
結界が破れたと言う事は迷宮の外で何かが起こったのだ。何故何も連絡がない。
あの醜い蜘蛛女め、全く使えない。
このままでは折角捕えた勇者達が逃げてしまう。
歯ぎしりをする。
再び結界を張ろうにもザルキシスは今ここにはいない。
奴でなければ強力な結界を張る事ができない。
だがこのまま逃がす事はできない
「者共に伝えろ! 勇者共を逃がすな!!」
◆黒髪の賢者チユキ
「ズーンがエウリア姫を攫っていったですって?!!」
私はウスの街の中央広場でエウリアの従者を問い詰める。
すでに街の人達は迷宮の外へと転移させた。後はエウリア達いう所でエウリアがミノタウロスのズーンに攫われた事を伝えて来たのである。
「はい、チユキ様。突然でした……。ズーンとか言うミノタウロスがいきなり姫様を連れ去って行ったのです。そして、こう言ったのです。この迷宮から出るなと。出れば姫様がどうなるかわからないぞと……。どうかお願いです、姫様を助けてください」
従者が頭を下げる。だけど従者の表情は普段とあまり変わらない。自分の主人が心配じゃないのだろうか?
だけどここに連れ去られた時も平然としていたので、元々感情を出すのが苦手なだけなのかもしれない。
「そんな!早く助けに行かないと!!」
サホコが慌てた声をあげた。
「あのミノタウロスめ! 大人しいふりをして……やってくれるじゃないか……」
レイジが悔しそうな顔をする。
「まさかズーンが……。でもおかしいわね。リノの魔法で知っている事を聞きだしたはずなのに」
私は疑問に思う。リノの魔法でズーンは本当の事を話したはずだ。ズーンはこの5階層から抜け出す方法は知らないはずだ。
リノの魔法に抵抗する事ができていたようにも思えない。
それに、あの優しそうなミノタウロスがそんな事をするなんて思えなかった。
短い間だったけど打ち解けられたと思ったのに。
「だけど事実だぜ、チユキ。急いで助けに行かないと。エウリアが何をされるかわからない。迷宮から出るなと言うのなら、このまま下の階層に行ってやろうじゃないか!! 」
レイジが不敵な笑みを浮かべて言う。
レイジは女の子を見捨てない。だけど付き合わされる私達の身になって欲しい。
「でもどうやって? 連れ去られたとすればここよりも下の階層よ。行き方がわからないわ……」
ここから下の階層に行く方法はわからない。このままではここに留まるしかない。
だけどそんな事をすれば再び結界で閉じ込められるかもしれない。
そうなればエウリアだけでなく私達も危険だ。
エウリアには悪いけど、彼女よりもみんなの命が大事だ。ここは見捨てるべきだろう。
「それなんすけど、チユキさん。どうやら湖の底から下の階層に行けそうっすよ」
横からナオが言う。
「湖の底から?」
この第5階層には大きな湖がある。その湖の底から地下の階層に行けるのだろうか?
「はいっす。感覚が戻ったから間違いはないっす。リノちゃんも湖の底に下の階層へと水が流れていると言ってたっす」
「うん。ナオちゃんの言う通りだよ、チユキさん。水が湖の底からさらに下へと流れているのを感じるの」
ナオとリノが言うのだから間違いないだろう。
私はレイジを見る。
「行くしかないな。エウリアを助けなければ」
「はあ……やっぱりそうなるか……。ではそこから行きましょう。あなた達は外にいるシロネさん達にこの事を伝えて」
私がそう言うとエウリアの従者達は頷く。
私は魔法を発動するとエウリアの従者を転移させる。
そして、この地にはレイジと私にサホコとリノとナオだけが残る。
「行こう、みんな!!」
レイジの声と共に私達は湖へと向かう。
◆黒髪の賢者チユキ
私達はウスの街の郊外にある湖へと来る。
「この湖の底から下の階層に行けそうなのね?」
「はいっすよ、チユキさん。水は湖の底からさらに下に流れているっす」
私が聞くとナオが答えた。
湖は以前にピクニックに来た場所だ。
第5階層は巨大な水晶の照明があるので地上にいるのと変わらない明るさだ。
湖の水はとても澄み、湖面は光を反射してキラキラと輝いて綺麗だ。
水が澱んでいない所をみると湖の水は循環している事が推測できる。
だから、湖の中のどこかに外に通じる場所があるかもしれないとまでは予想はしていた。
なぜ今まで確認しなかったのかというと、リノの力が半ば封じられた状態で水の中に入る事は危険だと思ったからだ。
水の精霊の力が使えるリノの力は水中戦で欠かせない。だから湖の調査まではできなかった。
どんなに脱出したくてもリノに無理をさせる事は出来ない。
「出て来てケルピーさん」
リノが水の中位精霊であるケルピーを複数呼び出す。
湖の水が膨れ上がると馬の姿をした灰色の馬が私達と同じ人数分だけ出て来る。
「さあ行こう、みんな」
レイジがケルピーに乗ると全員がケルピーに乗る。
馬の姿をした水の精霊は私達を乗せて湖へと潜る。
ケルピーは背中に乗せた人間を溺れさせる怖ろしい精霊だけど、私達は水の中で行動できる魔法を使っているから溺れる事はない。
ケルピーはリノの指令により下の階層へと続く場所へと案内してくれる。
湖の中には所々に光る水晶があるため明るい。
水の中を進むと魚達とすれ違う。
ウスの街にいる時に食卓にあがった鯉に似た魚だ。
この鯉は第5階層だけでなくこの世界の内陸でよく食べられる魚だ。
生命力が強く、水から上げてもしばらくは生きる事ができるため、内陸の魚料理はほとんどがこの鯉を使った物だ。
一般的に刺身で食べられる事は無く、すり身にして香草や他の野菜と共に混ぜた後で焼いて食べる事が多い。
香草等が使われているためか泥臭さはあまり感じず、なかなか美味しかった。
私達は魚達とすれ違いながら青色の空間を進む。
「止まるっす!!」
突然ナオがみんなを止める。
本当なら水の中なので会話をする事ができないはずなのだけど、私達は魔法の力で会話が可能だ。
「どうしたの、ナオちゃん?」
サホコが不安そうな声で聞く。
「何かでっかいのがいるっす」
ナオが指差す方を見ると湖の底で何かが動く。
「うわ~大きな亀さんだね~」
動く物を見てリノが気楽な声を出す。
リノの言う通り動く物は一見巨大な亀に見える。
だけど、そのトゲの有る甲羅のから出る頭は獰猛な獅子のようであり、口には巨大な牙が見える。
普通の亀ではない。
「亀じゃないわよ、リノさん。あれはタラスクだわ」
私は断言する。
リノが亀と呼んだ物はタラスクと呼ばれる竜の眷属である魔獣だ。
魔獣タラスクには過去に出会った事がある。
聖レナリア共和国の南にある大国エルディア王国の近くの森に生息していた。私達はそのタラスクを過去に退治した事があった。ただし、その時は水中ではなく陸の上での事だ。
タラスクは獰猛な肉食の魔獣だ。何も食べなくても体を仮死状態にする事で何百年も生きる事ができる。
おそらく、目の前のタラスクも今まで眠っていたのだろう。それが私達が近づいた事で目を覚ましたようだ。
タラスクが大口を開けて襲って来る。
だけど、ケルピーに乗った私達を捕える事はできない。
私達はバラバラに逃げタラスクを躱すと再び1つに集まる。
タラスクは動きが遅い。それは水の中でもあまり変わらないようだ。
避けられたタラスクは方向転換に手間取っている。
「さて、どうやって倒すかな」
レイジが全員を見る。
誰も何も言わない。
タラスクは防御力が高い魔獣だ。蒼鱗の海竜王と火の中位精霊ボナコンの間に生まれた魔獣は、水と火どちらにも耐性がある。
雷撃は効くだろうけど水の中で使えば私達もダメージを喰らう。
また、体の甲羅は鉄よりもはるかに硬く、物理攻撃も効きにくい。
倒す事はできるだろうけど少し面倒くさい相手だ。
だから誰も何も言わない。
「私が行くわ。みんなは援護をお願い」
しかたがないから私が相手をする事にする。
私はケルピーを駆るとタラスクの方へと向かう。
私は懐から魔法文字が書かれたカードを6枚取り出す。
私はこのカードを駆使する事で符術に似た魔法を使う事ができる。
タラスクは方向転換して私の方を向くと再び襲ってくる。
私はケルピーに命じてタラスクの目の前で方向転換して突撃を躱す。その時にタラスクの口の中にカードを放つ。水の魔法で動かされたカードはタラスクの口の中へと入って行く。
「レイジ君! タラスクに攻撃をして! 全力じゃなくて良いわ!!」
私は大声で指示を出す。
「了解だ、チユキ!!」
レイジの光弾がタラスクを襲う。
タラスクは頭と手を素早く甲羅の中に引っ込める。
タラスクの硬い甲羅に弾かれて傷1つ付ける事はできなかった。
だけどこれで狙い通りだ。
私はタラスクが飲み込んだ魔法のカードを発動させる。
結界等で遮られていないかぎり、魔法のカードはどこでも発動が可能だ。
タラスクを中心に水の中を小さな衝撃波が走る。
タラスクは頭と手足を引っ込めたまま、お腹を上にしてひっくり返るとそのまま湖の中を漂う。
私がタラスクに飲ませた魔法のカードは1枚につき数百もの空気弾を放つ魔法が込められている。それを合計6枚も飲ませ発動させた。タラスクの内部で膨張した空気はタラスクの内部を破壊したに違いない。
タラスクが防御態勢を取ってくれたおかげで空気の爆発はタラスクのほぼ内部だけに留まり私達に何の影響もなかった。全て狙い通りだ。
ウスの街の人の話しからタラスクが湖にいる事は聞いていない。つまりあのタラスクは長い間湖の底で眠っていた事になる。おそらく、湖の底から下の階層に行く者を殺すために配置されたのだろう。私達が来た事で目覚めたようだ。
ずっと眠っていたからさぞ空腹だっただろう。
「お腹がいっぱいになれたかしら?」
私は笑う。
「お見事」
レイジが私の横に来る。
「さすがっす、チユキさん」
「あの亀さんをあっさり倒しちゃった」
「本当にすごいね、チユキさん。これで先に進めるね」
口々にみんなが私を褒める。
「さあ、行きましょう」
私達は下の階層へと続く湖の底へと向かった。
◆暗黒騎士クロキ
「ふ~ん。レイジ君達はエウリアってお姫様を助けに下の階層へと向かったんだ」
場所はアリアディア共和国にあるレーナ神殿にある一室である。
そこでシロネはこの神殿に転移してきたエウリアなる姫の従者から報告を受けている。
結界を破るとレーナ神殿に次々と迷宮に捕らわれていた人々が転移をしてきた。
彼らは喜び、レイジを讃えてアリアディアの街へと移動した。
そして、最後に転移して来た彼女達からレイジがエウリアとかいう姫を助けるために下の階層へと向かった事を聞かされた。
ちなみに部屋にいるのは、自分とシロネとキョウカとカヤにリジェナ。そして転移してきたエウリアの従者5名だ。
「はい。姫様を助けるために勇者レイジ様は行かれました。シロネ様もどうか姫様をお救いください」
まったく表情を変えずに喋る従者達。横にいるカヤでも少しは表情が変わる。だけど、この従者達は本当に感情がないように感じる。
「助ける必要はあるのかな? エウリアって姫は攫った邪神の娘なんだよね?アトラナクアって人から聞いているんだけどな」
シロネがそう言うと従者達の体が少し震える。
そして彼女達の顎が少し動く。
それを見たカヤが素早く動く。そして5人の従者の後ろ頭を叩いていく。その動きは電光石火だ。
叩かれた従者達は何かを吐き出して動かなくなった。
自分は従者の所に行くと吐き出した物を見てみる。
「これは毒薬かな? たぶん正体がばれたら死ぬように命令されていたんだろうな……」
吐き出した物は毒薬に間違いないだろう。おそらく、カプセルみたいな物に入れて奥歯に仕込んでいたに違いない。
そして、正体がばれたら死ぬように命令されていたのだろう。
「あまりいい気がしませんわね」
キョウカが倒れた従者を見て言う。
彼女達は使い捨ての道具と同じだ。おそらく魔法で心を縛られていたのだろう。
キョウカは高飛車な態度から誤解されがちだが、話してみるとかなり優しい女の子だ。
倒れた従者達の身を案じているのだろう。
「さてどうする、シロネ?」
自分はわかりきった事を聞く。
「もちろん一緒に助けに行くよ、クロキ!!」
シロネは当たり前のように言う。シロネが助けに行かないわけがない。
そして、シロネの中では自分も助けに行く事は確定のようだ。
レイジを助けに行く事は気が進まない。だけど、ナットはレイジの仲間に掴まったままだ。自分も行かざるを得ないだろう。
「私も行きますわ、シロネさん」
キョウカが身を乗り出してシロネ言う。
「駄目です、お嬢様。危険です」
しかしカヤが即座に否定する。
「どうしてですの、カヤ! わたくしだって魔法を使えるようになったのですよ!!」
キョウカはカヤに詰め寄るがカヤは表情を変えず首を振る。
「駄目です、お嬢様。お嬢様の魔法はまだまだ不安定です。常には成功なさいません。そのような状態で迷宮に行くのは危険です」
「うう……」
カヤの言葉にキョウカが呻く。
これはカヤの言う通りだろう。キョウカの魔法はまだ常には成功しない。そんな状態で行くのは不安だ。
「キョウカさんとカヤさんはここに残ってはくれませんか?気になる事がありますので」
カヤに助け舟を出す。
「気になる事?」
「はい、地上にはアトラナクアのような者が他にいるかもしれません。自分とシロネが迷宮に入っている間に閉じ込められる可能性があります。だから誰かが残り退路を確保して欲しいのです。お願いしてもよろしいでしょうか?」
キョウカの目を見ていう。
今の言葉は嘘が半分、真実が半分だ。
キョウカを連れていかないのはまだまだ不安だからだ。
そして、アトラナクアが言っていたザルキシスの存在が気になる。今は迷宮にいないみたいだけど、どこに行っているのだろう?
だから誰かが残っていた方が良いのは事実だ。
「はい。わかりましたわ……。仕方がありません。クロキさんがそう言われるのでしたらここに残りますわ」
少し残念そうにキョウカが言う。
「それからリジェナも残ってリザードマン達を統率してくれないか?」
「はい。わかりました、旦那様」
リジェナは嬉しそうに答える。
「ふふ~ん、と言う事は私とクロキの2人で迷宮に入る事になるね」
シロネが嬉しそうに言う。
「まあ、そうなるかな……」
キョウカとカヤが残るなら自分とシロネで迷宮に入るしかない。
「頑張ってレイジ君達を助けようね、クロキ!!」
シロネが自分の手を取って言う。シロネの目がキラキラしている。
「お、おう」
勢いに押されてしどろもどろになる。自分がレイジを助けに行く事が嬉しいのだろうか?
複雑な気分だ。
「まさかクロキと一緒に戦うとは思わなかったよ。昔一緒に冒険したのを思いだすな~。なんだか懐かしいね、クロキ」
今から危険な場所に行くのにシロネは気楽に言う。
シロネは少し危機感が無さすぎるような気がする。
だけど、確かに久しぶりだ。もっとも、冒険と言っても野山を一緒に駆け巡ったりするぐらいだったのだが。
まあそれでも一緒に行動するのは久しぶりだ。
小さい頃はあんなに一緒に遊んだのに最近は言葉も交わさなかったと思う。
理由はシロネがレイジ達と一緒に遊ぶようになったからだ。
あまり友達が多くなかった自分は1人で行動する事が多くなった。
その時の事は今でも覚えている。
一緒に祝っていたクリスマスもシロネがいなくなってからは祝う事は無くなった。他にもいろいろな事をしなくなったと思う。
少しさみしかったけど仕方がない。
シロネにはシロネの付き合いがあるのだから。
それに今はもう1人ではない。クーナがいる。
クーナにはしばらく会っていない。なんだか無性にクーナに会いたくなってきた。
さっさと終わらせてクーナの所に戻ろう。そう思った。
「さあ行こう、クロキ! 絶対にレイジ君達を助けるんだ!!」
シロネが明るく笑いかける。
頷く。
今はシロネと昔を懐かしみながら迷宮に入ろう。きっとこれがシロネとの最後の冒険になる。
自分はシロネと共に行動を開始した。
出したかったモンスターであるタラスクを出せました。
第4部が終わったら今まで出した魔物等のまとめを出したいと思います。