百腕の巨人
◆アルゴアの元姫リジェナ
ああ、どうしよう……。
目の前の光景を見ている事しかできない。
私の目の前でオミロスが傷ついていく。
だけど私にはどうする事もできない。
このままではオミロスはゴズに殺されてしまうだろう。
助けを呼ぼうにも、下にいる人達はゴブリンに手一杯かもしれない。
「旦那様……」
旦那様は勇者の妹の仲間達と戦っているらしく、こちらに来る事ができないみたいだ。
その事を思うと泣きたくなる。
私は小剣を握る。
この剣を貰った日の事を思いだす。
この剣は私がナルゴルを出て人間の世界に戻った時、自分の命を守れるようにと旦那様が下さった物だ。
この剣には旦那様の優しさが詰まっている。
ナルゴルは本来人の住める土地ではない。旦那様を除けば、そこに住む者達は私を邪魔者と見るか食料と見ているみたいだった。
そんな彼らが私達に手を出さないのは旦那様を怖れているからだ。
旦那様は私達にいつまでもナルゴルにいてはいけないと言う。
だから、いつかは人の世界に戻らなければいけないのだろう。
この剣はそんな旦那様のいない世界で生きていくための物だ。
だけど私にそんな事ができるのだろうか?
私は旦那様の側にいたいのだ。いつも夢に出る。人同士が殺し合ったあの日の事を。ゴブリンから逃げ惑うあの日の事を。だから、人の世界も魔物の世界であるナルゴルも私は怖い。
ただ旦那様の側だけが私の安らげる場所だ。旦那様の側を離れると私は駄目なのだ。
今だってそうだ、怖くて震えている。
私の目の前で2人が戦っている。
徐々にだけどオミロスの動きが鈍っているのがわかる。
オミロスが剣で攻撃する。ゴズはそれを盾で押し返す。
その衝撃でオミロスは剣を落す。オミロスは急いで剣を拾おうとして体勢を崩した。
ゴズはそれを見逃さない。
「ぐはっ!!」
ついにオミロスがゴズの足払いで倒される。
ゴズがオミロスの盾を持った左腕を強く踏みつける。
「ぐ!!」
オミロスの苦悶の表情。
「これで終わりだぜ、王子様よ――!!」
ゴズが剣を逆手に持ちオミロスに突き立てようとする。
それを見た瞬間だった。
「やめて――――!!」
思わず声を出す。
その声でオミロスとゴズがこちらを見る。
気付けば剣を抜いていた。
オミロスを助けたい。オミロスを死なせたくない。その思いが私を動かした。
オミロスは私なんかのためにゴブリンの巣穴に潜り、私の事を想ってナルゴルに返そうとしてくれた。そんなオミロスを失いたくなかった
ゴズの視線が私を捕える。体が震えて来る。
「オっ、オミロスから離れなさい……。私があなたの相手をす、す、するわ!!」
剣を持つ手が震える。しっかりしろと思う。オーガの時は戦えたはずだ。
「おいおい、そんな小剣じゃ俺を倒せないぜ。それより、怪我するかもしれねえからそんな物捨てちまいな。それに相手なら寝所の上でいくらでもしてやるからよ」
ゴズが舐めまわすように私を見る。
「駄目だ、リジェナ……」
オミロスが弱弱しい声で私を止める。
「弱え奴は黙ってろ」
ゴズが今度はオミロスの胸を踏みつける。
「ぐはっっ!!」
駄目だオミロスを傷つけさせてはいけない。
「やめてお願いだから……。何でもするから……」
私はゴズに頭を下げる。
「そうか。何でもするねえ」
ゴズの嬉しそうな声。
「ならまずその剣を城壁の下に捨てな! そうしねえとこいつを殺すぜ!!」
ゴズに言われ、剣を見る。
旦那様の剣を捨てる。そんな事が出来るはずがない。
「お願い……。これは駄目なの……」
私はゴズに懇願する。
「じゃあ、こいつはここで殺す」
ゴズが再び剣をオミロスに突き立てようとする。
「待って!!……わかったわ……」
私は剣を城壁の外に捨てる。
「へへへ、いい娘だ。リジェナ」
そう言うとゴズはオミロスから足をどける。
オミロスは立ち上がって掴みかかろうとするが、ゴズに蹴り飛ばされる。
そして、オミロスは壁にぶつかり苦悶の表情を見せる。
「おめえはそこで見ていろ!!」
「オミロス!!」
私はオミロスに駆け寄ろうとする。
「おっと!!」
だけど、ゴズに手を掴まれ押し倒される。
ゴズが私に馬乗りになる。
「リジェナ、ようやく捕まえた……。このままオミロスの前で犯してやるぜ!!」
ゴズが下履きを脱ごうとする。
「いや――――! 助けて旦那様―――!!!」
私は目を瞑り旦那様を呼ぶ。
シュ。
その時、風を斬る音がする。
「ぎゃあああああああああああ!!」
突然ゴズが叫び声を上げて私の上から飛び退く。
「えっ……? 何……何なの……」
私は上体を起こしてゴズを見る。するとゴズのむき出しになったお尻に私が捨てたはずの小剣が刺さっている。
ゴズは叫びながらぴょんぴょん跳ねている。下履きを脱いでいる途中だったので下半身が丸出しだ。その状態で飛び跳ねる姿はあまりにも滑稽だった。
私はオミロスの側に駆け寄る。
「大丈夫!? オミロス!!」
私はオミロスを支えて起こす。
「うん……リジェナ……一体何が……?」
オミロスは苦しそうに立ち上がる。
オミロスの言うとおり私も何が起こったのかわからない。捨てたはずの旦那様の剣が戻ってきてゴズのお尻に突き刺さっている。
「何なんだよ!? この剣は―――!!!?」
ゴズがお尻に突き刺さった剣を引き抜く。そしてゴズはそのままその剣を自分の胸に突き立てようとする。
「ぐぬぬぬぬぬ!!!」
しかし、片方の手を添えて自分の胸に突き刺さらないように力を込めている。
どうやら剣が勝手に動き、ゴズを突き刺そうとしているみたいだ。
ゴズはそうはさせまいと剣を押しとどめている。
「何をやっているんだ……。あいつは?」
オミロスが不思議そうな目でゴズを見る。
下半身が丸出しの状態で自分の持つ剣が自分に突き刺さらないように力を込める姿は、傍らから見ると非常に間抜けな姿だ。オミロスで無くても何をやっているのか不思議に思うだろう。
私達はそのゴズの間抜けな姿を見守る。
見守っていると梯子の所から音がする。誰かが登って来たみたいだ。ゴブリンかもしれないからかオミロスが身構える。
「すまねえな、遅くなったぜ」
登って来た者は意外な存在だった。
「お前は……人狼。なぜここに?!」
オミロスが登って来た者を見て言う。私もその者の事を知っていた。私達と一緒にこのアルゴアに来た人狼だ。
なぜここに人狼がいるのだろう。鎖で拘束されていたはずだ。
そして、良く見ると人狼の背に誰かがしがみついている。
「リ……リエット?」
オミロスがしがみついている人の名を呼ぶ。なぜかリエットが人狼の背にしがみついていた。
「もう! もうちょっとゆっくり走ってよね!!」
リエットが文句を言いながら、人狼の背から降りる。
「仕方ねえだろ! その人間のメスに何かあったら、俺はあの怖ろしい旦那に殺されちまう!!」
「そうかな? 吟遊詩人のおじさんはリエットに優しかったけど?」
「そりゃ、おめえだからだよ……」
2人は仲良さそうに話ている。
「リエット、一体何が……?」
「あっ、オミロス! えっ、怪我してるの?大丈夫?」
リエットがオミロスに駆け寄る。
「ああ、大丈夫だよ、リエット……。何とかね。それよりもどうしてここに?」
リエットを心配させまいと笑いながらオミロスは答える。だけど表情をみるかぎりかなりつらそうだ。
「私じゃなくて人狼さん! 私はリジェナなんかどうでも良いもの。私はずっと人狼さんの背中に掴まっていただけだよ」
リエットはオミロスの背に隠れて言う。
私とオミロスは人狼を見る。
「ああ、怖ろしいお方からお前を守るように言われてな……。だから匂いをたどってここまで来たのよ」
人狼は笑いながら言う。
「私を守る?」
首を傾げる。どういう事だろう?
「遅れたのは来る途中でゴブリン共を追い払っていたからさ。すまねえ……。だが、無事で良かったぜ!!」
「ゴブリンを?」
私は聞き返す。そういえばゴブリンはどうなったのだろう?
「そういえばゴブリンはどうなったんだ!?」
オミロスも気になったのか人狼に問い詰める。
「大丈夫だよ。吟遊詩人のおじさんが呼び出した戦士が全部追い払ってくれたから」
答えたのリエットだ。
すると何かがこの物見台の上に飛んで来る。
飛んで来たのは剣と円形の盾を持った戦士が3体。梯子を使わずに城壁から飛び上がって来たようだ。
「スパルトイ!!」
思わず声が出る。ナルゴルで旦那様が呼び出す事ができる戦士だ。
「吟遊詩人が呼び出しただって……? この盾をくれたのも吟遊詩人だ……一体何者なんだ?」
オミロスが盾を触りながら言う。吟遊詩人がオミロスに盾を渡して、その吟遊詩人がスパルトイを呼び出した。私の中で全ての糸が繋がった。
「あははははははははははは」
思わず笑ってしまう。
「リジェナ……?」
笑い出した私をオミロスが不思議そうに見る。でもこれが笑わずにいられようか?
私は全てわかってしまった。これは全て旦那様の仕業だ。
私は未だに剣が自分に突き刺さらないように頑張っているゴズを見る。
なんでこんな奴を怖がってたのだろう?私は何も怖れる必要がなかったのに。
旦那様はこの場にいなくても、私が怖れる必要がないように気遣って下さってくれていた。だったら何も怖がる必要はない。
「剣よ、私の手に」
私は手を上げて剣を呼ぶ。
するとゴズに突き刺さろうとした剣が私の手へと飛んで来る。
助かったゴズは茫然と私を見る。
「ぷっ、なんて小さいのかしら。旦那様にはかけらも及ばない」
私はゴズの下半身を見て笑う。
旦那様の背中を流してあげようと湯室に入り、後でクーナ様に叱られた時の事を思い出す。
旦那様はゴズの何倍も大きなお方だ。
剣や魔法も姿も全てにおいて旦那様はゴズを上回っている。その旦那様の隙を突くことなんてゴズにできるわけがない。
それでも危なかったのは私が戦わなかったからだ。私が剣を抜き、オミロスと戦っていればゴズに簡単に勝てたはずだ。この剣にはその力がある。
それが不覚にもゴズの姿を見たときに私は過去を思い出して震えてしまった。
全ては私に勇気がなかったからだ。オミロスが怪我をしたのも全ては私が悪い。
だけどもう大丈夫だ、私には旦那様が微笑んで下さる。
私は剣をゴズに向ける。
「かかってきなさい、ゴズ!!もうあなたなんか怖くない!!」
剣を向けるとゴズが後ずさる。その顔には恐怖が浮かんでいる。
「なんなんだよ……。おまえらあ……。畜生畜生……」
ゴズがぶつぶつ言いだす。
「ねえ、オミロス……あれ誰なの……」
リエットがオミロスにしがみつきゴズを見て言う。
「あれはパルシスだよ……。今まで魔法で姿を変えていたんだ。あれが本当の顔なんだ」
「嘘、あれがパルシス……なの……」
リエットが信じられないと首を振る。
「なるほど……あれが恐ろしいお方が倒せと言っていた相手か。あれなら楽勝だぜ」
人狼がゴズを見て言う。人狼に限らずスパルトイもいる。もはやゴズに勝ち目はない。
「畜生……。俺のものにならねえなら……全部全部壊してやら――――!!!」
そう言うとゴズは懐から小瓶を取り出す。
「使わずに済ませようと思ったんだがな……こうなったらこいつを使わせてもらうぜ! 出てこい破壊神の眷属よ! 出てきてこの国の人間どもを食い殺せ!!!」
ゴズはそのまま物見台の外に投げ落とす。
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
天に届くほどの大きな叫び声が聞こえる。
物見台の下から巨大な黒い雲が昇り形を作っていく。形が出来たときに現れたのはいくつもの手を持つ巨人だ。
「何よ、これ……」
私は思わず声を出す。周りを見ると全員の顔が恐怖に染まっている。
「がははははは! 破壊神の眷属たる百腕の巨人だ! こいつには暗黒騎士程度じゃ勝てないだろうぜ! じゃあ、あばよ!!」
ゴズはそう言うと私たちを押しのけて梯子まで行くとそのまま飛び降りるように逃げてしまう。百腕の巨人に気を取られた私たちはそのまま逃がしてしまう。
百腕の巨人が私たちを見下ろす。
「ひゃあああああ何だよありゃ勝てねえよ!!」
人狼が恐怖で叫ぶ。
皆が恐怖する中、スパルトイだけは動き、百腕の巨人へと飛び掛かっていく。しかし、百腕の巨人に傷一つつけることができずにそのまま腕に掴まれて食べられてしまう。
そして腕の一本がこちらに向かってくる。
「危ない、リエット!!」
私はリエットを押しのける。リエットを掴もうとした腕はそのまま私を掴む。
「きゃあああああああああああ!!」
私はそのまま持ち上げられる。
「リジェナ!!」
オミロスが私の名を呼ぶがどうにもならない。
持ち上げられ私は百腕の巨人の口へと運ばれていく。
「旦那様―――――!!!」
私は目は瞑り叫ぶ。
すると突然体が自由になる。
目を開けるとそこにいたのは、私のこの世でもっとも愛しい人。漆黒の鎧に身を包んだ優しい人だ。
私は竜に乗った旦那様に抱きかかえられている。
見ると百腕の巨人が遠くへ飛ばされている。
「大丈夫、リジェナ?」
旦那様が私に声を掛ける。兜で表情はわからないが気遣ってくれているのがわかる。
「はい、私は大丈夫です旦那様……。もう何も怖くありません……」
そう何も怖くない。私はそう思い旦那様に抱き着いた。
◆暗黒騎士クロキ
何とか間に合った。
抱きかかえたリジェナを見てそう思う。色々とリジェナが危険な目に会わないように手を打ったつもりだったけど、事態は自分の想定を超えていた。
全く、自分のやる事はいつもダメダメだ。何とか無事だったから良かったものの、もう少しでリジェナは食べられる所だった。
怖い思いをさせて御免なさい。
そのリジェナは自分にしがみついている。よっぽど怖かったのだろう、そのしがみ付き方が尋常ではない。
グロリアスの体当たりでぶっ飛ばした巨人は、アルゴアから数メートル離れた先にいる。
ぶっ飛ばされた巨人は立ち上がり、再びアルゴアへと向かってくる。
「グオオオオオオ!!」
咆哮と共にグロリアスが灼熱のブレスを放つ。ブレスはそのまま巨人に向かっていき、その腕のいくつかを吹き飛ばす。
それを見てこりゃ楽勝かなと思う。しかし、吹き飛ばされた腕が再生され始めたのを見て考えを改める。
負ける事は無いだろうけどやっかいな相手みたいだ。巨人は再生に力を使っているためか動きが止まっているが、すぐに動き出すだろう。
自分はリジェナを抱えたままグロリアスの上から飛び、オミロスがいる所へと降り立つ。
さてどうするか?取りあえずリジェナをオミロスの所に返そう。
「もう大丈夫だよ、リジェナ」
そう言ってリジェナを離す。リジェナは少しなごり惜しそうに自分から離れる。
「お前は……」
オミロスが自分を見る。
「盾は役に立ちました、王子?」
そう言って兜をはずす。
ふふ、驚いただろう。まさかあのただの吟遊詩人が暗黒騎士だったのだから。
「あなたは吟遊詩人? そうか全てはあなたの思い通りというわけか……」
思った通り驚くオミロス。そして思い通りってどういう事だろう?
「吟遊詩人のおじさん! すごい!!本当に竜に乗れるんだ!!」
オミロスの側にいた小さな女の子が嬉しそうに言う。確か名前はリエットだったかな?あとそれからおじさんと言わないで欲しい……。
「なんだ何があったんだ、オミロス?」
誰かが梯子を登ってくる。登って来た者の顔には見覚えがある。確かマキュシスとかいう者だ。
「あっ、おめえは吟遊詩人? それにその鎧は?!!」
「マキュシス……彼が暗黒騎士なんだ」
「へっ……!? なっ、なに――――――!!」
口を大きく開けて驚く。
「何ですの、騒がしいですわね」
今度はレイジの妹、キョウカが登ってくる。
「あら、クロキさん。ここにいらしていたのね。シロネさんとお話はしたのかしら?」
彼女は穏やかに言う。自分に対して特に敵意はないみたいだ。少し安心した、レイジを傷つけた事で恨まれているかなと思っていたからだ。
「みんな――――!! 大丈夫――――?!!」
今度はシロネがカヤと言う女性を抱きかかえて飛んでくる。途中で拾ってきたみたいだ。
なんだか勢揃いである。
「あらカヤ、あなた大丈夫?」
キョウカがカヤを見て言う。
「大丈夫です、お嬢様。少し眠気がしますが動く事はできます」
カヤは自分を睨む。ちょっと恨まれているみたい。
「ぐおおおおおおおおおおおおおお」
巨人の咆哮。どうやら再び動き出したみたいだ。
「ねえ、あれは何なの?」
シロネが巨人を指して言う。
「あれはパルシスが……。いえゴズが呼び出したのです。アルゴアを滅ぼすために……」
オミロスの答えに事情を知らない全員が驚く。
オミロスはこれまでの説明をする。
「そんな事がありましたの……」
「不覚でした。そんな男だとわかっていたら、絞めておいたのですが……」
キョウカが頷き、カヤが悔しそうにする。
正直に言って自分も驚く。まさかゴズがあんなものを呼び出してくるとは想定の範囲外だ。
「そんな事よりもあれどうするんだよ! こっちに来てるぜ!!」
マキュシスが徐々に近づいてくる百腕の巨人を見て言う。
気が付けばアルゴアの人々が城壁に集まり、近づいてくる百腕の巨人を見ている。何だか騒ぎになっているみたいだ。
「あれぐらいだったら、あなたが倒せるでしょう?」
キョウカが自分を指して言う。
「確かに、多分自分なら勝てると思うよ」
自分はその問いに頷くとリジェナを見る。
「でもどうする、リジェナ? この国を助けたい? このままだとこの国が危険みたいだよ。君が望むなら自分はこの国を見殺しにするよ」
自分はリジェナに問う。ここにいる全員がリジェナを見る。
リジェナは自分の問いに首を横に振ると答える。
「いいえ、旦那様。今ここに住むアルゴアの人達と私の因縁があります。ですが、アルゴアにはたくさんの思い出があります。またオミロスのいるこの国を滅ぼしたくありません。ですから旦那様、お願いです。どうかこの国を助けてください」
リジェナが自分に頭を下げる。
良い答えだと思う。ならば自分のやる事は決まっている。
「そう、ならば自分はこの国を救うよ。グロリアス!!」
そう言って飛ぶ。空を飛んでいたグロリアスに自分を受け止めてもらう。
自分とグロリアスは百腕の巨人へと向かう。
この巨人は一体何なのだろう?と思う。この巨人は敵意の塊だ。その敵意は特定の何かに向けられてはおらず、この世の全ての物に向けられているように感じる。
なぜこの巨人のような者が存在するのかはわからない。だけど、リジェナの願いに応える。
「黒炎よ!!」
自分は剣に黒い炎の力を込める。自分は剣を背中に担ぎさらに魔力を込める。
「はっ!!」
勢いよく体を回転させて剣を振り下ろす。
黒い炎を纏った剣身は伸びていき、百腕の巨人を焼きつくした後、地面にぶつかり轟音を響かせる。
黒い炎が消えた跡にはもはや百腕の巨人の姿は無い。
即席の技だったがうまくいったみたいだ。以後この技は暗黒斬神剣と名付けよう。なかなか格好良いネーミングだ。
さて、馬鹿な事を考えてないでアルゴアに戻ろう。まだやらなければならない事がある。
まずはリジェナに確認を取らなければいけない。
それにあの場にゴズはいなかった。またゴズが何かをするかもしれない。後でゴズを探す必要があるだろう。ゴズは今どこにいるのだろう?
まあ良い、今はアルゴアに戻ろう。
◆ゴブリンの王子ゴズ
「馬鹿な……。百腕の巨人を一撃で倒すなんて」
百腕の巨人は末端とはいえ神々に匹敵する強さのはずだ。それを倒す事ができるなんて。
「駄目だ……。いくらなんでもあんな奴を相手に勝てるわけがない」
悔しいがリジェナは諦めるしかないだろう。
「ふん! メスならいくらでもいらあ!!」
悪態をつく。
アルゴアにはもう戻れない。だが人間の国ならいくらでもある。今度はどの国に行こう。
「どこに行くんだい、ゴズ?」
歩き始めると呼び止められる。その声はこの世でもっとも聞きたくない声だ。
振り向くと、一匹の巨大なゴブリンがいた。
「は……母上。なぜここに?」
その醜い顔は見間違えるはずがない。間違いなく自分の母親だ。周りを見るとゴブリンに取り囲まれている。完全武装のゴブリンは南側の頭の悪い連中ではない。カロン王国の正規兵だ。
「なぜここにだって? それはお前が一番わかっている事だろう、ゴズよ。よくも魔王陛下から預かった大切な物を勝手に持ち出してくれたねえ…… 」
母の顔は怒りに染まっている。
まずい逃げなければ。
しかし完全に囲まれている。
「ゴズお前には死よりもきつい責め苦をあたえてやるよ……。ひっ捕らえな!!」
母がそう言うと四方から縄が飛んできて自分を締め上げる。
この縄は魔法の縄のようであり、まったく身動きができない。
このまま暗いゴブリンの国に戻されるのだろうか?それはいやだ。あんな暗い所になんか戻りたくない。
「いやだ! 助けてくれ―――!!」
助けを呼ぶが誰も答えてくれない。
縄は無慈悲にも自分を締め上げ引っ張っていく。
「いやだ――――――! リジェナ――――――! 助けてくれ―――――!!!」
◆暗黒騎士クロキ
「どうする、リジェナ? 人の世界に戻るかい?」
アルゴアに戻った自分はリジェナに尋ねる。
正直このままナルゴルに戻るよりもオミロスの側にいた方が良いと思う。
ナルゴルは人の住む世界ではない。ナルゴルの者達は決してリジェナ達を仲間とは思わない。そのことでかなりの負担をかけているだろう。だからリジェナは人の世界に戻るべきだろう。
だけど、リジェナは少し迷っているみたいだ。
「リジェナさん。あなたはともかく他の方達は人の世界の方が良いのではなくて?」
キョウカもまたリジェナを人の世界に戻そうとする。
「ですが旦那様……」
リジェナは自分を見て言いにくそうにする。もしかすると自分に恩を感じてナルゴルから出て行き難く思っているのだろうか?
でもそんな事は気にしなくても良い事だ。なぜなら、自分がリジェナを助けたのはただ気紛れだ。恩に感じる事でもない。
「自分の事は気にしなくても良いよ、リジェナ。君がもっとも良いと思う道を進めば良いよ。自分はそれを後押しする」
そう言うとリジェナは何かを決心するように頷く。
「わかりました。人の世界に戻りたいと思います」
どうやらリジェナの心は決まったようだ。自分はそれを祝福したいと思う。オミロスと幸せになりたまえ、はっはっは。
「キョウカ様。あなたの申し出をお受けしたいと思います」
リジェナがキョウカに頭を下げる。自分はそれを見て首を傾げる。あれ、何か話が違うような気がする。
「そう、では私達と共に聖レナリア共和国に行きましょう」
キョウカは笑いながら言う。側で聞いていたシロネとカヤもうんうんと頷いている。
あるぇー?何だかリジェナはアルゴアではなく聖レナリアに行くみたいだ。いつの間にそういう話になったのだろう?それじゃあオミロスはどうなるの?
「今までありがとう、オミロス。私にはもうすでに心に決めた人がいるの……。だから、あなたの思いには応えられない。だけど、あなたは最高の友達だわ。たまには聖レナリアに会いに来てね」
リジェナがオミロスに言う。その言葉に驚く。
リジェナにはすでに心に決めた人がいたなんて知らなかった。そして、それはオミロスではない。では誰なのだろう?
そこで気づく。なぜリジェナがアルゴアではなく聖レナリアに行く事になったのか。考えられる理由は一つしかない。
光の勇者レイジ。リジェナの好きな人はレイジしか考えられない。そういえば過去に会った事があったんだっけ。
またですか……。少し凹む。これでは何だかレイジのためにリジェナを守っていたみたいではないか。
「ああ、必ず行くよ」
オミロスは笑いながら答える。でもどこか無理をしているように思える。
不憫なオミロス。リジェナをレイジに取られてしまった。
だけど、それを我慢してリジェナの幸せを祈るオミロスは偉いと思う。
そして、そのオミロスが我慢しているのだから、自分も凹んでいないでリジェナの門出を祝うべきだろう。
「旦那様。その前に一度ナルゴルに戻って皆に説明をしたいのですが……」
リジェナが今度は自分の方を向いて言う
「ああ、良いともさ……」
兜を被っているから気づかれていないと思うがかなり顔が引きつっている。
頭ではそう思っても心が納得できていない。
オミロスはお世辞にも美男子とは呼べないが誠実な人間だ。だから、自分の中ではレイジよりもオミロスの方が良い男だと思う。
だけどリジェナの中ではそうではないようだ。シロネもそうだけど、やっぱり女性の心は難しい。
「じゃあ行こうか、リジェナ……」
自分は少し落ち込みながらグロリアスを呼ぶ。すると城壁の外に降りていたグロリアスが飛び上がる。
「待ちなさい、クロキ!!」
シロネが自分を呼び止める。
見るとシロネがふくれっ面をしている。
「カヤさんが言うから今は引き下がってあげるけど。だけど! 必ずナルゴルから連れ出すからね! 覚悟しなさい!!」
そう言ってシロネはぷいっと横を向く。どうやらカヤという女性から何か説得されたみたいだ。
「え―」
自分は不満げな声を出す。
「ちょっと何よ、不満なの!!」
シロネが怒る。そんな事を言われてもこちらにも都合が有る。
「あの、リジェナ!!」
今度はリエットがリジェナを呼び止める。
「さっきは助けてくれてありがとう! 冷たい態度をとってごめんなさい!!」
リエットがリジェナに頭を下げる。
「別に良いわ、リエット! あなたも元気でね!!」
リジェナは笑う。それは魅力的な笑顔だと思った。
「行きましょう、旦那様!!」
その声に合わせてリジェナを抱えてグロリアスに乗る。
オミロスが手を振っている。リジェナもそれに応えて手を振る。
2人が結ばれる事は無かったみたいだ。だけど強い絆を2人から感じた。きっと2人はまた会えるだろう。そう思った。
グロリアスが飛びアルゴアが小さくなる。
「さようなら、私の故郷……」
リジェナが小さく呟く。その声は少し泣いて、そして笑っているみたいだ。最後のリエットの言葉がきっとうれしかったのだろう。
リジェナの頭をなでる。するとリジェナは自分を見て笑う。
やがてアケロン山脈を越えてナルゴルへと入る。
「さあ、リジェナ。これで暗いナルゴルの空ともお別れだよ」
自分は笑いながら言う。
「いえ、旦那様……。ナルゴルは暗くなどございません。だって旦那様がいますもの」
グロリアスの上でリジェナが自分に抱き着く。
「リジェナ……?」
いきなり抱きつかれたので少しびっくりする。
「確かにナルゴルは夜のように暗いかもしれません……。ですが旦那様は夜に瞬く星のように私を照らしてくださいました。旦那様……、私はナルゴルを一度も暗いとは思った事はありません」
リジェナは抱き着いたまま自分を見つめて微笑む。
なんだかすごく恥ずかしい事を言われたような気がする。きっと自分に対する感謝の言葉なのだろう。
だけど、それでもちょっと恥ずかしい。
グロリアスが自分達を乗せて飛ぶ。
ナルゴルの空は暗いけど心はとても明るかった。
次回で第3部も終わりです。長くかかりすぎました・・・。




