聖竜の住む地
仕事もひと段落つき第2部再開です。ここからほぼ新規になります。
◆ロクス王国の騎士レンバー
「頼んだぞ、レンバー卿」
さきほど言われた王の言葉が重く圧し掛かる。
私はロクス王国の騎士だ、王の命令とあれば従わねばならない。
とても、憂欝だった。
王城を出て街の通りを歩く。夜だというのに人通りが多い。
皆明日から始まる祭りの準備に忙しいのだろう。
だが今の自分にはこの祭りはあまりいいものには思えなかった。
歩いていると目的の店に着く。
店の名は「白い鱗亭」という食堂兼酒場の店だ。ここに目当ての人物がいるはずだった。
私は店に入る。店に入ると夕食時だからか人が多い。
この白い鱗亭はロクス王国でも特殊な店である。なぜ特殊かというとそれはこの店にいる客達が普通と違うからだ。
この店にいる客達はほぼ全員が武装している。
この城壁の外は魔物だらけであり、外から来る人間は一般人でも刃物の1つは所持している事が多い。しかし、一般の人間はあくまで魔物が出た時のため、必要最小限の武装しかしないのに対してこの店の客は鎧や盾、複数の武器等を持ち普通の旅人にはない武装をしている。
また彼らの体には普通に暮らしてはつかない程の筋肉がついており、彼らが荒事に身を置く人間であることを示している。
自由戦士。
彼らはそう呼ばれる人達だ。
騎士が公的な存在なら、彼らは民間の騎士といえる。各国家を繋ぐ街道の警備はどの国家においても重要事項である。よって騎士はその街道に出没する魔物を退治する。
しかし、国家という枠に縛られた騎士だけでは街道の平和は守れないのが現実だった。
例えば国家間の連携がうまくいかなかったり、財政的な問題などがある。
また、国家間の街道を通る人々の要望は留まる所をしらず、国が全てに応えるのは難しかった。
そのため自由戦士と言う存在に需要があるのだ。彼らは騎士に比べ自由に行動ができる。騎士は王や国の命令がないと基本的に動けないが自由戦士はそうではない。他の市民の依頼を聞いたり、必要だと思ったら自分の意志で迅速に行動ができる。騎士は命令がなければ動けず、また自分の国しか守らないのに対して自由戦士は自分の住む国以外でも必要があると判断すれば自主的に守りに行く。
そして、この白い鱗亭はそんな自由戦士の集まる店だった。ロクス王国において自由戦士に何か依頼したい者はこの店に来るのが一般的だ。
今この場にいる自由戦士のほとんどはロクス王国の依頼によって集まった自由戦士達である。
ロクス王国は明日から行われる祭りのために3日前から王国周辺の魔物の掃討を行っていた。そして掃討作業も今日で終わりだった。彼らのおかげでこのロクスに至る街道を通る者はしばらく魔物に怯えなくても良いだろう。そして、自由戦士達は仕事の打ち上げでこの店に集まっていた。
私は店の中を歩き目的の人物を探す。目的の人物は簡単に見つかった。
何しろその男はでかい。まるで熊のような外見の男だ。奥の座席にいるにもかかわらず目立っていた。
男はこちらに背を向けている。その男に近づく。
歳の頃は30歳前後、短く切った黒い髪に日に焼けた顔、むき出しの腕には普通の人にはない筋肉と傷跡が無数にあった。
近づいてきた事に気付いたのか、男がこちらに振り向く。
「よおレンバーじゃないか。あいかわらず不景気そうな顔だな」
「悪かったですねガリオス先輩、昨日の怪我はもう良いですか?」
「ああなんとかな。ニムリ先生に治癒の魔法をかけてもらったからな、もう動けるぜ」
ガリオスはニヤリと笑う。
死ぬ所だったのにまったく堪えていないらしい。自由戦士になる人間は死など怖くないのだろうか?
ガリオスはこのロクス王国に住む自由戦士だ。そして元騎士であり自分の先輩でもある。彼は昨日、魔物退治の仕事で死にかけたばかりだ。
自分はガリオスの座るテーブルに近づく。
ふとそこでガリオスの座るテーブルの向かいに誰かが座っている事に気付く。
大柄なガリオスに比べて線が細い。
ガリオスの存在感が大きすぎて入って来たときは気付かなかった。
「クロ殿もご一緒でしたか、こんにちはクロ殿」
会釈する。
そして、クロを見る。このあたりでは見かけない不思議な空気を纏った青年だ。
闇に溶けそうな漆黒の髪に非常に整った顔立ちをしている。もう少し着飾れば若い娘が放ってはおかないだろう。
もっとも、この若者はあまり騒がれるのを好まない性格のようだが。
今回の一件はクロにもお願いしたい事があった。ガリオスと一緒で丁度良い。
「こんにちは、レンバー殿」
クロもこちらを見て会釈する。
クロは自由戦士ではないがこの店にいる。
クロと出会ったのは昨日の夜の事である。
昨日の夜、魔物退治に向かったガリオスが戻って来ていないのを彼の妻である私の姉から聞かされた。
魔物には夜行性であるものが多い、それに対して人間は夜目が効かない、城壁の外で夜を迎えれば死と同じだ。それは、熟練の戦士でも同じ事である。
ガリオスを探しに行くべきか城壁で迷っている時に、ガリオスを背負ったクロが現れたのである。
ガリオスは今日の昼ごろ、ゴブリンやオーク達との戦いの最中に不覚をとり小さな崖から落ちて足を痛めたらしい。
なんとか戻ろうとしたが、足が動かず夕方になりあたりは暗くなった。そこをたまたま通りかかったクロに救助された。
ガリオスが助かった事で姉はたいそう喜んだ。
そのままガリオスはクロに治癒の魔法が使えるニムリ先生の所まで運んでもらい治してもらった。
クロの体は細い。この国でも体のでかさで1・2を争う巨体のガリオスを運んで足場の悪い森の中を歩けるようには見えない。ガリオスの話しでは夜になっても明かりもつけずに森の中を迷うことなく歩いたとの事だ。
ニムリ先生の話しではクロは暗視の魔法が使えるのだろうとの事だ。つまりこのクロという青年は魔術師なのかもしれなかった。
そう考えれば私よりはるかに大きいガリオスを背負って森の中を歩けたのも納得である。私の知らない魔法を使ってガリオスを運んだのだろう。
魔術師の存在は貴重だ。クロが魔術師であるならばぜひともこの国に住み着いて欲しいものだ。今この国で魔術師と呼べるのはニムリ先生ぐらいである。あと2週間前からこの町に住み着いている薬師の女性も少しは魔術を使えるみたいだが、魔術師と呼べるほどの能力はないみたいである。
ガリオス夫妻はクロがこの国に滞在している間、命の恩人であるクロの世話をしている。
クロは贅沢を言わないようなので世話をするのは楽なようだ。いやむしろクロは質素を好むように見える。今も2人は食事を取っているが食べ物もありふれた食材ばかりだ。またガリオスがエール酒を飲んでいるのに対してクロはハーブのお茶だ。昨日ガリオスを助けたお礼に酒を奢ろうとしたがミセネンだから飲まないらしい。
ミセネンが何かはわからないが何かの戒律だろうか?
まるで修行僧のような人物だと思った。
思えば歩き方も隙がなく、何らかの修業を積んでいるのだろう。
今日の昼、クロは他の自由戦士達と共に魔物退治に付き合った。自分も王国の騎士として自由戦士達と行動を共にしたがクロの戦いぶりは見事だった。小剣一本のみであれだけ戦えるとは思わなかった。例え魔法を使ったとしてもあのような動きができるとは思えない。立ち振る舞いから何かしらの戦闘術を学んでいるのだろう。
欲がなく魔法も使え戦闘もできる、今回の任務にはうってつけの人物と言えた。
「ところでどうしたんだレンバー?今日は非番じゃないだろうに」
ガリオスが疑問を口にする。
城壁内の治安の維持は衛兵達が行うが、もしもの時のために騎士の何人かは王城に詰めなければならない。本来なら自分は王城にいなければならないはずだった。
「実はガリオス先輩に折り入って頼みたい事がありまして……」
ここに来た本題を告げる。
「ほう、その様子からただ事ではないようだな。いいぜ話してみな」
するとクロが立ち上がる。
「込み入った話なら自分は席をはずしますが?」
クロが気を利かせる。
「いえクロ殿にも頼みたい事でして……」
「自分にもですか?」
「はい、クロ殿にもです」
そう言うとクロが再び座る。
クロの顔には訝しげな表情が浮かぶ。
しかし、構わず話を続ける。
「私が頼みたいのはある人物の護衛です」
「護衛?」
「はい、ある方達がこの国に急きょ来る事が決まりまして。陛下よりその護衛をするよう命じられたのですが私1人では少し不安でして。先輩の力をお借りしたいのですよ」
「ある人物? 外国の王族か何かか?」
ガリオスの言葉に自分は首を振る。これから来る人物の事を考えるとどこかの王族の方がまだましだ。
「いえ違いますが。それに匹敵する方です」
「ふーん。そりゃ誰なんだ?」
ガリオスが訝しげに聞く。
「実は明日勇者レイジ様とその奥方様達が来られ……って、クロ殿どうかされたのですか!?」
突然クロが口に含んでいたお茶を吹き出したのである。
吹き出したお茶は正面にいるガリオスにあたる。
「す……すみませんガリオス殿……」
クロがガリオスに謝罪する。
「いや、別に良いが……どうしたんだクロ殿」
クロの様子に自分とガリオスが驚く。クロの様子はただ事ではなかった。
「いえ、すみません……咽ただけです……。話を続けてください」
クロがけほけほと咳をしながらあやまる。
「ああ、話を戻そうぜ、なんでまた勇者が来るんだよ。明日からの祭り見物か?」
ガリオスが布で顔を拭きながら聞く。
「それもあるらしいですが……ガリオス先輩。勇者レイジ様が怪我をしたことは知っていますね?」
「ああ、確かすごく強い暗黒騎士にやられたんだってな。あの勇者に傷を負わせるなんて正直神様ぐらいしかできないと思ってたんだが、世界は広いな」
「私もそう思ってましたよ。それでレイジ様はその暗黒騎士に負わされた怪我を癒すためにこのロクスに湯治に来られるのですよ」
このロクス王国は温泉が出ることで有名な国だ。その温泉による観光がこの国の主な収入源だったりする。
「そこで、2人には勇者の護衛を手伝ってもらいたいのですよ」
そう言って2人の表情を見る。
ガリオスとクロは微妙な顔をしていた。
「あのレンバー殿。なぜ護衛が必要なのですか? レイ……勇者様達はとても強いと聞いているのですが」
クロも勇者達の事は聞いた事があったのだろう、勇者の強さを知っているようだった。もっとも勇者の事を知らない人間を探す方が難しいだろうが。
「確かにクロ殿の疑問ももっともですね……。勇者様達に危害を加える事をできる者など神様を除けばかの暗黒騎士ぐらいでしょうね」
「では何故?」
「実は護衛と言うのは名ばかりで、勇者様の奥方様達に変な気を起こす奴を遠ざけたいのですよ……」
勇者レイジの連れている女性達は皆美人だ。そのため変な気を起こす奴がまた出るかもしれない。
前に勇者が来たとき変な気を起こす奴がいたせいで大変な事になったのである。
「勇者様達に不快な思いをさせて、不興を買うわけにはいきません。これ以上城壁を壊されるわけにはいかないのですよ……」
本音を口にする。
「なるほどな」
「いえ、なんとなくわかりました……」
ガリオスは頷く。クロも何か察してくれたようだ。
ロクス王国の西側の城壁は現在半分ほど壊れている。
原因は強力な攻撃魔法によるものだ。
そもそも勇者達がこの国に訪れるのは2度目である。
前回に来たときに勇者の女性にちょっかいをかけた愚か者がいたために、怒ったその女性が魔法で壊したのだ。
聞けば勇者達が本拠地にしている聖レナリア共和国でも似たような事件が起こっており、勇者達が都市内にいる間、レーナ神殿の騎士達は常に勇者達の護衛についているらしい。
前回のような事を起こさないためにも、我が国もまた勇者達に護衛をつける事にしたのだ。その責任者が私というわけである。
しかし、大国である聖レナリア共和国なら何人でも騎士をつけられるだろうが、我がロクス王国の騎士は20人といない。常日頃から行っている街道の警備や明日から始まる祭りのための治安維持の指揮を考えるとあまり人数は避けない。衛兵達は市民から徴用された者達で、そこらへんの普通の人ならともかく、ある程度腕の立つものには敵わない。できるかぎり腕の立ち信頼のおけそうな者をつけるべきだろう。
そこで、腕の立つ自由戦士を選抜して警護にあてる事になったのだ。
選抜の基準は勇者に敵対する人間でない事と勇者の女性達を見ても変な気を起こさない人間である事だ。
ガリオスは長年のつきあいで信頼できる。またクロも短いつきあいだが腕が立ち、また穏やかで勇者と敵対する人間には見えないし、人畜無害に見えるから勇者の女性達を見ても変な気を起こす事はなさそうであった。
だから、この2人にはぜひとも手伝いをして欲しい。
「だから、頼みます。手伝っていただけないでしょうか?」
2人に頭を下げる。
「あんまり気が進まねえな……」
ガリオスが言う。
「そもそも、俺に貴人の相手が務まるとは思えん」
ガリオスはどんな相手にも態度が同じだ。他国の王族であっても自分に話すのと同じ口調で話す。ロクス王陛下はあまりそういう事を気にしないが、他の国ではかなり無礼である。
下手をすると勇者の不興を買いかねない。
「いや、直接の相手はアルミ……もとい姫様が行う事になっているから心配はいりません。我々は勇者様達に変な奴が近づかないように離れた所から警護します」
段取りを伝える。
「姫というとアルミナ様の事か?」
ガリオスの問いに頷く。アルミナ姫はロクス王国の末姫で今年で17歳になる。
勇者は女性に甘いと聞くし、同じ女性なら勇者の女性達に変な気は起こさないだろうという判断から、礼儀作法も完璧な姫が勇者達の世話をする事になっている。
「なるほどな。将来の夫婦がそろって勇者の相手をするとはね」
ガリオスはにやにやして言う。
「茶化さないでくださいよ、先輩」
実はアルミナ姫は私の幼馴染であり、婚約者でもあるのだ。
「いいぜ、お前とアルミナ姫のためだ。勇者の直接の相手をしなくていいってんなら手伝ってやるぜ」
ガリオスはがははと笑うと承諾する。そして、クロを見る。
「クロ、お前さんはどうする?」
正直クロは気が進まないという顔をしていた。
だが、魔法が使えて腕が立つクロが手伝ってくれると多いに助かるだろう。
「クロ殿もどうかお願いします!!」
クロに深く頭を下げた。
「まあ、直接勇者の相手をしなくて良いのなら……」
クロはしぶしぶ了承してくれた。
これで2人の協力を得られた。
勇者の件も何とかなれば良いのだが。
急に決まった勇者の来訪に、なんだか嫌な予感がした。
◆暗黒騎士クロキ
妙な事になったと思った。
勇者を倒すために召喚された自分が勇者の護衛をする事になるとは思わなかった。
レンバーの依頼を受けたのは、折角ナルゴル以外に知己を得たのだからそれを大事にしたかったからだ。
レンバーの話では直接会うわけではなく、外からそれとなく護衛するだけだからあまり問題にはならないと思うのでまあ良いだろう。
自分がこのロクス王国の近くまで来たのは女神作成の材料集めの為である。
ここに来るまでにモデスとしたやり取りを思いだす。
「竜の角が必要だ。それも竜王級の角でなければ女神を造る事はできない」
報酬を要求すると、モデスはそう言った。
てっきりすぐに造ってもらえると思っていたがそうではないらしい。
しかし、女神を造るには特殊な材料が必要らしく、それがなければ女神は造る事ができないそうだ。
なんでもこのロクス王国の近くには白銀の聖竜王と呼ばれる竜が住んでおり、その角ならば間違いなく女神が造れるそうだ。ちなみにモーナは漆黒の魔竜王と呼ばれる竜王の角を使って作られたらしい。そのためだろうか、モーナの髪の色はレーナと違って美しい黒髪である。
それにしても竜王の角を取って来るとは、かなり難易度が高い課題ではないだろうか?
自分が調べた所によると竜王と呼ばれる程の竜はとんでもなく強いらしく、簡単に取らせてもらえるとは思えなかった。
それを、モデスはまるで子供のお使いを頼むように言う。
それとも、この世界での自分はかなり強いみたいだから簡単だと思ったのだろうか。
それに自分の欲望のために竜を傷つけたくなかった。
グロリアスの事を考える。
このロクス王国まではグロリアスに乗って来た。本来なら許可なき者が空を飛べばエリオスの聖騎士達と争いになるはずだが、その聖騎士達は自分が壊滅させてしまった。
正直やりすぎだったと反省している。あの晩の自分は荒れていて、あまり深く考えずに向かってくる者を徹底的に叩き落としてしまった。気が付くとどうやら聖騎士達を壊滅させてしまっていたようだ。壊滅状態とは聞いているがどのくらいの被害が出たのだろう?今も確認できずにいる。
まあそういうわけで聖騎士達がいないのでグロリアスを飛ばす事ができたのだ。
ナルゴルの空に比べこの世界の通常の空は自分がいた世界と同じく青く澄み渡っていて綺麗だった。
青い空を竜に乗って飛ぶ事は非常に楽しかった。
飛翔の魔法で飛ぶ事も出来るが、やはり空を飛ぶなら竜に乗る方が気分が良いと思う。
そんな良い気分にしてくれたグロリアスの角を誰かが身勝手に盗ったら、自分はその者を許さないだろう。
だからだろうか、グロリアスと同じ竜の角を取る事にあまり乗り気にはなれなかった。
それでも、ここに来たのは他にやる事がなかったからだ。
何もしないより何かした方が良いと思い、取りあえずここまでグロリアスに乗って来た。ちなみに今回はナットは一緒ではない。
グロリアスを連れて都市に入る事はできないので森の中にある塔に置いてきた。
その塔は廃棄されているらしく誰も住んでいないようだった。塔の頭頂部が空洞になっておりグロリアスを隠すには最適だった。
先程様子を見に行ったがグロリアスは元気そうであった。
ルーガスの話しでは竜は食べる時は食べ何も食べない時は何も食べないらしく、グロリアスも今は何も食べないようだ。
そこまで考えて自分は肩までお湯につかる。
今自分がいるのはロクス王国にある公共の温泉施設だ。
周りには自分と同じ浴場の客達が入浴している。
竜王の角を取る事は気が進まないが、この温泉はなかなか良かった。その点に関しては来て良かったと思う。
ロクスの温泉施設はあまり凝った造りではなく、簡単な石造りである。
何かの植物の油から作られた液体状の石鹸もあり、サウナのようなものもあり、それなりに設備が充実している。温泉に浸かっていると日本を思い出してしまう。
まだ、1ヶ月もたっていないのに日本が懐かしくなってしまう。
みんな、心配しているだろうか?
自分達は無事に帰れるのだろうか?
そんな事を考えていると頭がぼーっとしてくる。少しお湯に浸かりすぎたようだ。
「おおいクロ、そろそろ上がらねえか?」
一緒に公共の浴場に来ていたガリオスが声をかける。
ガリオスを見る。全身毛むくじゃらの男だ。体中に傷跡があり、彼の生き様を示しているようだった。
ガリオスと出会ったのは昨日の夕方だ。
食料を求めて森を歩いている時に足に怪我を負ったガリオスを見つけた。
残念な事に自分の使える治癒魔法は自分だけを回復させる事にしか使えない種類の物だけだ。そのため、ガリオスの怪我を治癒する事はできなかった。そこでガリオスを背負ってロクス王国まで運んだのである。
どうもガリオスはロクス王国でも結構な有名人だったらしく、自分が背負っているガリオスを見ると城壁の門番も簡単に通してくれた。今までは門前払いだったのが嘘のようである。
実は正面から城壁の中に入れたのはこれが最初だったりする。
ただ、ロクス王国は基本的に犯罪さえ犯さなければ人の出入りは他の国に比べて自由のようである。
この入国に対する方針は国ごとに違うみたいであり、同盟国の市民じゃなければ入国させない国もあればお金さえ払えば入国できる国もあるようだ。
お金といえば今回は前回の旅と違い人間社会で使える貨幣を持って来ている。
実は前回の聖レナリア共和国までにあったお金の問題は簡単に解決したのだ。
それは宝石をお金に交換する方法がわかったからではない。
単純にお金を作ればよかったのだ。いわゆる私鋳銭である。
この辺りで一般に流通しているのは聖レナリア共和国で発行している貨幣である。
しかし、別に聖レナリア共和国のみが貨幣を発行する権利を持っているわけではなく、それぞれ国家が貨幣を鋳造してもよく、また個人が貨幣を作っても別に悪いわけではない。問題はそれが貨幣として通用するかどうかである。
この世界でも金銀銅に似た金属があり、その金属を円形の直径2センチ~3センチの大きさにしたものを金貨銀貨銅貨にしている。
基準となる聖レナリア共和国の発行している金貨と同じ重さの金貨を作れば普通に金貨として通用する可能性が高い。
つまり、金銀銅といった金属さえ手に入りさえすれば貨幣は作りたい放題なのである。
もちろん、中には簡単に手に入る金属を混ぜ合わせたりしたビタ銭などといった質の悪い貨幣を作る者もいて、貨幣を受け取る時は注意が必要だ。
ナルゴルは金や銀はとれないが銅が少し取れる。そこから聖レナリア共和国で手に入れた銅貨の一枚を見本に銅貨を量産したのだ。自分で作ってみたが我ながら良い出来だと思う。
この銅貨はガリオスに見せた所、ロクス王国では普通に使えるそうだ。
もっともこのロクス王国にいる間はこの銅貨も使わなくても良さそうだ。
命を助けられたガリオスが自分に感謝してこの国にいるまでの間、世話してくれる事になっているからだ。
今日は温泉施設に連れて来てもらった。当然料金も払ってもらっている。
そこまでしてもらわなくても良いのにと思い。少し心苦しく思う。
「そうですね、そろそろ上がりましょうか」
ガリオスに促され自分は立ち上がる。
ガリオスの視線が下に向く。
「顔に似合わず凶悪なのを持ってんな。垂れ下がってる状態でそれか」
からかうようにガリオスが言う。
「ちょ、どこ見てんですか!!」
自分は股間を隠す。
元の世界でも何度か同じ事でからかわれたりした。実はこの事であまり良い思いをした事はない。むしろ嫌な目にあっている。
「おいおい、そんなに恥ずかしがるなよ。それならどんな女も喜ぶだろうよ。何人泣かしたんだ?」
ガリオスが笑いながら言う。
「いえ、女性と付き合えた事は今までないです……」
自分は声を落して言う。
大きくても使う相手がいなければ意味がない。どんなに大きくても宝の持ち腐れだ。
「どんなに大きくても、使う相手はいないんですよ……」
自分は少し泣きたくなる。
正直、女性と付き合えた事は一度もない。異性の知り合いも無いに等しく。
唯一身近にいたシロネはレイジの彼女の1人である。女性とうまく話す事ができない自分では今後使う事はなさそうであった。
たまに師匠が「嬢ちゃんも将来大変だな」と良くからかうが、そんな未来が来る事はないだろうシクシク。
「いや……そいつはすまんかったな。それに何か嫌な事でも思い出させたみたいだな。そうだな今度おわびにその手の店に連れて行ってやるよ」
ガリオスがちょっと心引かれる提案をする。
「えっ!!いいんですか! ペネロアさんは怒らないんですか?」
ペネロアとはガリオスの奥さんの事だ。夫がその手の店に行く事に理解があるのだろうか?
「おおっと、そいつはまずいな。今の話しはなかった事にしてくれ」
ちっ。どうやらよけいな事を言ってしまったようだ。
その後自分とガリオスは冗談を言いながら浴場を出る。
脱衣所で体を拭き服を着て施設を出る。
昨日からガリオスの家の離れで寝泊まりしている。
初めてこの世界における人間社会に触れたので、気の進まない竜の角を取る事を延期してもう少しだけこの都市で生活してみようと思った
ガリオスの家まで着くとガリオスの奥さんが出迎えてくれた。彼女は先程あったレンバーの姉との事だ。
「帰ったぜ、ペネロア」
「ただいま帰りました、ペネロアさん」
ガリオスの妻ペネロアは素朴な感じのする女性で見る人を穏やかな気にさせてくれる。
ガリオスの話しでは怒るとかなり怖いらしいが、正直この穏やかな女性が怒る所は想像できない。
「おかえりなさいあなた。レンバーが、弟が来ていますよ」
「何っ? レンバーが? どうしたんだ」
ガリオスは首をかしげる。
自分も不思議に思う。彼とは先ほど酒場であったばかりだ。それがすぐにガリオスに会いに来るとは何かあったのだろうか?
家に入り応接室に行くとレンバーがいた。
「待っていましたよ、先輩にクロ殿」
どうやらレンバーは自分も待っていたようである。
「どうしたんだ、レンバー。何かあったのか?」
ガリオスと自分は向かい側に座るとレンバーに尋ねる。
「実は問題が発生しまして。クロ殿の力をお借りしたいのですよ」
レンバーが自分の方を見て言う。
「自分の力ですか?」
「実は城壁にいる衛兵から緊急の知らせが入ったのです。城壁の外に大量の魔物らしき物がいると」
「何っ魔物だと!? そいつは変だな。見間違いじゃねえのか?」
ガリオス達は3日前から自由戦士を集めてこのあたり一帯の魔物を掃討した。今日は自分も手伝ったがもうこのロクス周辺に魔物はいないはずだ。遠くの魔物が来るにしては早過ぎる。
城壁の衛兵の見間違いの可能性が高いと自分も思った。もう夜であり人間の目ではほとんど見る事はできない、何かと見間違えたのだろう。
「自分もそう思ったのですが……。衛兵が言うには城壁に取り付けている照明の光を当てた所、どうもゴブリンとオークではないかと言っているのです」
城壁には鏡を使った遠くまで照らせる照明器具がついている。それを使ったのだろう。
しかし、このあたりのゴブリンの巣やオークの集落は掃討したと聞いている。本当にそうなのだろうか。
「何匹か打ち損じたって事か……何匹生き残ったんだ。なんてこった明日から祭りだってのに」
ガリオスが舌打ちする。
昼間に聞いた話では祭りの間、観光客が来やすいように祭りの前にはロクス王国周辺の魔物は掃討するのが行事になっている。しかし、どうやら打ち損じがあったみたいだ。
「今もまだその影は城壁の近くにいるみたいなのです。幸い城壁をよじ登る力はないようですが。ただ衛兵が言うには影はゴブリンやオークっぽいですが動きがおかしいようなのです」
「動きがおかしい?」
「はい、ちょっと気になりまして様子を見に行こうと思いまして。暗視の魔法を使えるクロ殿に一緒に来てもらいたいのですよ」
「なるほどな」
ガリオスが頷く。
「クロどうする? 行くなら付き合うぜ」
レンバーとガリオスがこちらを見る。
「ええ良いですよ。行きましょう」
自分は快諾する。
ガリオス夫妻には世話になっている。レンバーはガリオスの義弟なのだから、恩を返す事になるだろう。
そして自分達は城壁へと向かった。
◆暗黒騎士クロキ
自分達は森の中に入る。
夜の森は暗く、自分を除くメンバーにとってランタンの灯りと魔法による灯りが無ければ自分を除くメンバーはまったく一寸先も見る事はできないだろう。
夜に城壁の外に出ることは危険である。だが城壁のすぐ近くであり、何かあったらすぐ撤退することになっている。
メンバーは自分とガリオスとレンバーの他に4名が来ている。
ガリオスがすぐに動けそうな自由戦士に声を掛けたのだ。
「さすがに夜だとおっかないな……」
メンバーの1人である自由戦士ステロスが言う。彼はロクス王国の人間ではなくどこかの他都市の人間だ。少々傲慢な所があるが腕は立つとの事だ。
「まったくだ。ランタンやこんな小さな魔法の光じゃ、まったく見えないぜ」
もう一人の自由戦士ポックスが言う。彼もステロスと同じように他都市の人間だ
ステロスはまだ20代前半に対してポックスはガリオスよりも年上のベテラン戦士だ
「すみません、私の魔法ではこれが限界なんです……」
ニムリが謝る。
彼はロクス王国に住む魔術師だ。昨日のガリオスの怪我を治癒したのも彼だったりする。彼はもともとロクス王国の城壁の門の所に捨てられた子供らしい。いわゆるエルフの落とし子という奴だ。エルフ族は女性しかいない、エルフは他種族と交わり子供を作る。女の子であればエルフとして生まれ、男の子なら父親の種族として生まれる。そして種族が違うと様々な理由から一緒に暮らしにくい。男の子は父親の種族の近くの集落に捨てられる。もっともエルフからすれば捨てたつもりはないのだろうが。
魔法の能力が高いエルフから生まれた子供は本来なら魔法が得意ではない種族でも魔力が高く魔法が使えるようになる。人間の中で魔力を持つ者は貴重であり、またその国の利益になるかもしれないから大切に育てられる。そんな子供は将来魔術師になったりするそうだ。人間の魔術師に男が多いのもそういう理由らしい。
ニムリはこの国で育ち、10年前に死んだこの国の宮廷魔術師に魔法を学んだそうだ。
このニムリという男性は外見だけなら40歳ぐらいだが、実はすでに80歳を超えているそうだ。それもエルフの血の影響かもしれない。
「すまない。そんなつもりで言ったんじゃないんだ……」
ポックスがニムリに謝る。ポックスは基本良い人みたいだが気がきかないようだ。
ニムリは別に気にした様子もなく別に良いと言って笑った。昨日も会って話をしたがニムリという人物は中々好感が持てる人物のようだ。
「ストル。何かわからないか?」
ガリオスがレンジャーであるストルに聞く。
「すまねえ、夜の森は俺でも管轄外だ。そこの兄ちゃんに聞いた方が良いんじゃねえの?」
そこの兄ちゃんというのは自分の事だ。この中で暗視を使えるのは自分だけだ。魔術師のニムリも使う事ができない。これはニムリが魔術師の能力が低いからではなく相性の問題だろう。なぜなら自分は暗視はできるがニムリのように魔法による照明をつくる事ができないのだから。
その自分は暗視が使える事から最前線に立たされている。
「クロ殿、様子はどうですか?」
レンバーが自分に尋ねる。
「取り囲まれていますね」
「なっ!!?」
自分は正直に言うと周りから驚く声がする。
夜の闇の中を自分達から少し離れた所から複数の影が取り囲むように近づいて来ていた。
「なんだと! 相手は何だゴブリンかオークか?」
ガリオスの慌てた声。
皆が武器を各々取り出す。
「ゴブリンでもオークでもあるんですが……」
自分の曖昧な答えに皆が首をかしげる。
「ゴブリンでもオークでもある? そりゃどういう事だ?」
ガリオスが疑問に思う。
「ゴブリンやオークなんですが……、あれはゾンビですね」
他の人達には見ることができないだろうが自分の目にははっきりと見る事ができた。
少し離れた所から近づいて来ているゴブリンやオークからは生気を感じられない。
また彼らの全員が体に傷を負っており、中には槍や矢が刺さった者もいる。
ルーガスから教わった事があるが、あれは動死体で間違いないだろう。
ゾンビを始めとしたアンデッドは生者を憎み、生者の気配を感じると襲い掛かってくる魔物だ。
彼らはこちらに気付いたのか近づいて来る。
自分の言葉を聞き、自分を除くメンバーが騒ぎ出す。各々相談し合っている。
「結構な数が近づいて来てます。おそらく昼間自分達と遭遇した奴らがゾンビ化したのだと思います」
そう思ったのは取り囲む影に昼間出会ったオークを見つけたからだ。
今日の昼、ガリオスに誘われて森の魔物退治に付き合った。
あのオークはその時に倒した奴に間違いないと思う。間違いなく命は絶ったはずだった。
そのオークゾンビを見る。ぼろぼろの剣にぼろぼろの鎧、生前と同じ恰好だ。おそらく人間が使用していた物を使っているのだろう。
昼間も思ったがナルゴルのオーク達と全然違う。
姿形はそっくりだがナルゴルのオークの兵士達は統一された立派な武装をしていて、それなりに礼儀も心得ているようだった。
それに対して昼間に出会ったオーク達は蛮族である。粗野で粗暴、とても話が通じる相手ではなかった。
本来なら魔王に呼ばれた自分はどちらかと言えば魔物側の味方であるはずなのだが、姿形から心情的には人間の味方をしたくなる。
それに昼間に会ったオーク達は自分を見るなり自分の敵感知にあっさりひっかかった。彼らは自分をおいしそうな食糧と見ており、またオークの中には明らかに食欲とは違う欲望を自分に向ける奴もいた。そんな彼らに味方する事は不可能だった。
それに、ナルゴルの外の魔物はモデスの配下では無いからモデスを裏切る事にはならないだろう。
影は非常に遅い速度で近づいて来る。ゾンビ化した事で生前なら何でもない森の木でも彼らにとってはとてつもない障害物なのだろう、なかなかこっちにたどりつけないようだ。
その中で1つの影が自分達に何とかたどりつこうとしていた。
自分はショートソードを抜き近づいて来た影の1つを斬り裂く。
ショートソードを使ったのは魔剣を他の人たちに見せたくないからだ。
ショートソードはナルゴルから持ってきた物だ。魔剣と違いこの世界ではありふれた物である。ちょっとした事にいちいち魔剣を使うのは大変なので別に1本持ってきたのだ。
影は後ろに倒れそのままじたばたと動く
皆が倒れた影に集まる。
それは首と足のないオークである。だが首を落とされたにも関わらず手足をジタバタと動かしている。
「確かにゾンビだな……」
ガリオスは周りを警戒しながら確認する。
「そんな……何故またゾンビが……まさかまたストリゲスが……」
レンバーが茫然として呟く。
「ゾンビがいるならそれを作りだした者がいるはずですよ」
ニムリの言葉に何人かが頷く。
ゾンビ等アンデッドは基本的に自然には発生しないとルーガスから習った。死霊魔術によって生まれるのが一般的だ。つまり何者かがゾンビを作りだした可能性が高い。
「どうします? 他にも近づいてきてますよ?」
自分が言うと皆が騒ぎ出す。
ゾンビの動きは遅い。しかし、囲まれると危険だろう。今なら逃げる事もできる。
「どうする、レンバー?」
ガリオスがレンバーに聞く。
レンバーはこの団体の指揮官だ。彼の判断を待つ。
「もちろん撤退しますよ。アンデッドが相手ではまともに戦うよりも城壁の中で朝を待った方が無難です」
レンバーの判断に皆が頷く。
ゾンビは動きが遅く弱い。
しかし、既に死んでいるために剣や槍などの攻撃はあまり効果がないのだ。
ここにいるメンバーの装備では戦っても体力が奪われるだけだろう。
もちろん自分なら殲滅できるが、一応正体を隠している身であり、あまり力を見せるのはやめた方が良いだろう。
それに全てのアンデッドは太陽の光に弱い、太陽の光を浴びるとアンデッドは溶けて消えてしまうはずだ。そのため、いちいち倒すよりも朝を待った方が速い。
高位の神官の中には魔法で陽光を作る事ができるらしいが、ここにはその魔法を使える者はいないようである。
そのため、無理に戦わずに城壁に戻って守りに徹した方が良い。レンバーの判断に皆が急いで撤退を開始する。
「こんなにアンデッドが発生するなんて、まるで1か月前、以前に勇者達が来た時と同じじゃねえか!!」
ガリオスが叫ぶ、その言葉にレンバーとニムリとストルが頷く。全員ロクス王国の人間だ。
過去に何かあったのだろうか?
「はい。もしかすると勇者様達と何か関係があるのかもしれません」
ニムリの返答。
「じゃあやっぱりストリゲスに生き残りがいたのか」
「ストリゲスかどうかはわかりません……。ですが何者かがアンデッドを作りだしたのは事実です。警戒をした方が良いでしょう」
彼らは喋りながら帰途につく。昨日、ロクス王国に来たばかりの自分にはわからない話しだ。完全に蚊帳の外である。
ただ話から勇者達に何か関係する話しのようだ。
シロネも関係してるのかな。そんな事をふと考えてしまう。
それにしてもなぜこのタイミングで勇者達が来るのだろう?
何か事件がおこりそうな予感がした。
年内に第2部を最後まで投稿できるよう頑張ります。