第一章 儀式
「勇者様! 勇者様―!」
青々とした木々が広がる森のなかを私はある一人の男の子、勇者様を探している。しかし森のなかはあいからわず、誰も居ないと木の葉にささやきかけられる。
――全く何処に行ったのかしら、あと一時間で会食が始まるというのに。始まりの森はそんなに大きくはないはずだけれども――そう思い私はため息をついた。
移動することをやめ改めて周りを見渡すが、木々の緑とかすかにこぼれる光が空へと続くはしごのように空へと誘うばかりであった。――こんな暗い場所ではなくて明るい場所だったら探すことが楽なのに――
三十分ほど前から休まず探し続けたためだろうか、少し疲れたため一度移動することをやめると体が急に重くなった。少しくらい休憩してもいいよね、そう自分に言い聞かせ近くにある切り株に腰掛けようとしたところ、右手前から落ち葉を踏みしめる音がした。
「勇者様ですか、そこにいらっしゃるのは」
物音がしたであろう場所を見つめながら問いかけた。すると夜空のように黒い目と髪の十代半ばの男の子――勇者様だ――が頭左手で頭をかきながらこちらに向かって歩いてきた。
「ごめんごめん、探した?」
「当たり前です! 昨日ご説明させていただきましたよね、明日は出立前日の会食、その後に旅の無事を願う儀式を行うと。なぜ何も言わずに出かけられたのですか!」
そう尋ねると頭をかくのをやめ、右上の空を見上げた。口を開きなにか言うかと思ったが何も言わず、一度口を閉じてから話し始めた。
「あー……苦手だから?」
「そんなこと承知のうえです、今までの会食も何かと理由をつけて欠席されたではありませんか。堅苦しいことが苦手なのは分かりますが、最後ですし会食、せめて儀式だけは出席して下さい。旅の安全を願う儀式ですよ」まくし立てながら詰め寄ると、勇者様は目を大きく開いた後、笑いながらもう一度ごめんと言った。
「準備ってそんなに時間が掛かる? まだ一時間も前だろ?」
勇者様にそう尋ねられた時、私は戸惑ってしまった。今まではこんなふうに話しかけられたことがない、正確には話しかけられるほど時間を共に過ごしていなかったため、どのように受け答えしていいのかと考えてしまった。
「何かあった? 気分でも悪くなった? 少し休む?」
「いえ、なんでもありません。今回は出立の儀式のための準備をしていただかないといけないので、早めにお呼びしました」
伸ばされた右手から逃げるように右へ移動し、掴まれなかったことに息を吐いた。直後、私の体は温かい何かに捕まえられて目の前に黒い布が広がった。
「な、何をっ「静かに」……何をするのですか、急に掴んで」
問いかけるが、見上げた勇者様は目を少し細め下唇を軽く噛みあたりを見ている。何かあったのかと同じようにあたりを見てみたが私には何かあるようには見えなかった。もう一度問いかけようと、胸辺りの黒い服に手を伸ばし軽く引っ張ってみたが様子は変わらなかった。
突然近くから何かが通り草木を分けたような音がしたのでその方向に顔を向けようとしたところ、急に私の視界は真っ黒になってしまった。ふわりと自分の体が軽くなったような感覚の後、何かの声だろうか――それにしてはあまりにも低く体を震えさせる――が長く聞こえた。何も分からなかったはずだが、私の体は震え始め目の前の暖かい夜にしがみついた。
「……りなさいませ」女の人の声が聞こえた気がしたため顔をあげ、少し眩しかったため目を細めながら周りを送風機のように見渡した。白いロココ調の何冊もの本が乗った机と椅子があり、扉の近くには黒いドレスに白いエプロンをつけた女性がいた。
「大丈夫?」声が聞こえた方向に顔を向けると勇者様が、まるで困ったように眉尻を下げていた。「はい、大丈夫ですよ?」とつい答えてしまった。
何が大丈夫なのだろうかと理解できなかったが、自分自身に怪我があったわけでもないので気にしないことにした。
「会食まであと約30分となりますので、急いでご準備させていただきます。まずはお体の汚れをおとしいただいてもよろしいでしょうか」
「ごめん。急いで準備する」
「それではお着替えはこちらに立てかけてございます。着替え終わりましたらお呼びかけください」
そう告げるとお辞儀をして女性は部屋から出て行った。
勇者様と二人きりになってしまった--何かお話した方が良いのだろうか--と顎に手を当てて考えていると、軽い音をたてて何かが近くに置かれた。見ると黒い布が乱雑におかれていたのでそのまま見上げると、勇者様が上半身裸だった。
「----!」
声にならない叫びをあげながら、後ずさりをしていると手に柔らかい布団の感覚がなくなった。落ちる、と思いその後に感じるであろう感覚と痛みを堪えるために目をつぶったが、体が温かくて硬い何かに包まれた。
目を恐る恐る開けると、勇者様の大きな顔が至近距離にあり驚いてしまった。
「大丈夫? どこかに怪我はしなかった?」
「は、はい。ありがとうございました」
「よかった」
そういうと、勇者様は右手の人差し指と中指でとても優しい手つきで頭を撫でた。
どうしようもなく泣きたくなってしまったのはなぜなんだろう。