<家族のもとへⅡ>
深紅の血が、まるで秒針のように一定感覚で落ちていく。
「――エルナード!?」
ユマの瞳に映るエルナード。その姿は、片翼をもがれた天使のように神々しく、そして、悲しくあった。
エルナードは左手だけを氷塊について、倒れそうになる体を必死に支えていた。それでも、その周りの黒い霧もダイヤモンドダストのような光も消えてはいない。
エルナードはまだ、心からアイリスに、家族に語りかけているのだ。
「エルナード……」
ユマはその光景に心を動かされ、涙した。そして、その涙から、エルナードの失ってしまった右腕を、血の跡を追って探した。
すると、思ったより早くそれは見つかった。泉の縁に、霧を発しながら落ちていたのだ。
せめて、せめてちゃんと埋めてあげたい。
ユマはそう考えた。
それに、リノの能力で組織を蘇生できるという可能性もゼロではない。
「急がないと」
まだエルナードを襲った犯人が潜んでいるかもしれない。下手をすれば、取り返しのつかなくなる可能性もある。
そう、考えたのだ。それでも身動きの取れないエルナードからは極力目を離さず、目測で半径およそ60メートルほどの岩足場の上を、一心不乱に駆ける。
だがしかし、時は遅かった。届きそうで届かない距離、必死に手を伸ばすユマの目の前で、エルナードの右腕は再び現れた謎の黒い影によって木っ端微塵に切り刻まれて霧散してしまった。
「そんな……」
自然と足は止まり、腕も降り、声がでた。涙も再び頬の上をすべりはじめる。
「――ユマッ!」
「ッ!?」
そのとき、ユマの心臓を黒い影が狙った。しかし、エルナードの声に攻撃を回避する事ができた。だが、攻撃も一撃では終わらない。次から次へと黒い影はユマを奇襲し続けた。物理的回避手段を持たないユマは華奢な体をうまく生かし俊敏にかわしたが、それでもかすり傷程度を負わずに入られなかった。
赤い血を地面に打ちつけながら、ユマは弓と矢を構えてエルナードの元に戻った。
しかし、その様子にエルナードはのどから声を捻り出して言った。
「ユマ、俺のことは構うな! お前だけでも逃げるんだ! 敵の位置が分からない以上、分が悪すぎる! お前まで傷つくことはない!」
「ダメだよ! 私はリノちゃんの代わりに来たんだから。リノちゃんだったら、絶対に君を独り置いていくなんてことしないんだから。それに、勝算はあるんだ。少なくとも、ここにいれば、相手の動きが完全に見えないことはない……」
ユマは確信を持っていた。その理由は定かではないにしろ、心強いものだった。
「さぁ、出てこない限り、私もエルナードもやられないわよ? 四天王、独蛇のメリーさん」
少しの間の沈黙が続いた。そして、泉への道、洞窟の影から、壁に肩を沿わせて1つの人影がやってくる。
「アララララ……ばれちゃってたのねぇ。そのうえ私の攻撃の射程距離まで把握してるなんて、彼よりもあなたのほうが手強そうね……。フフフフフ……」
正体はセンスとの戦いで敗れたメリーだった。
しかし、戦闘での傷はどうやらかなりのものだったらしく、体を壁に任せて、フラフラと歩いていた。
「どうしてそんなになってまで構ってくるのよ? 私たちはもうあなたに勝ったのよ。あなたは負けたの? なのにどうしてあなたは私たちを追ってくるの?」
メリーは緑の長髪をフラフラと揺らして答えた。
「どうして? そんなの簡単よ。私は四天王。あなた達を通しちゃいけないのよ? だから私はあなた達を皆殺しにする。そして、私は勝つのよ!!」
「なにを言ってもダメみたいね……」
ユマはメリーをしっかりと睨みつけ、背中の矢筒から矢を一本取り出し、狙いを定める。幸いこの場の強烈な光はそのほとんどが今現在ユマの後方から来ているため、逆行によってターゲットをロストすることはない。
片目を瞑り、2本の指で弦を引く。ミシミシと音を立てながらしなる弓は、すでに完全にメリーの姿を捉えている。しかし、一向に矢を放つ事はなかった。
躊躇う必要はない。自分の中ではそう分かっていても、それをさせないのは、やはり人間だからかもしれない。《経験》がない。これは、どの状況であっても一番の足かせになるようだ。それまで生きてきた歴史が、指を離すことにブレーキをかけてしまうのだ。
「どうしたのよ? 撃てないんでしょう? そうよねぇ? さっきもあなたは何もしなかった。後衛だからって? いいえ違うわよねぇ、怖かったんでしょ? あなたは弱い人間なのよ! 自分ひとりじゃ何も決められない、弱い人間なのよ! アーッハッハッハッハ!! 時間切れよ、死になさい――」
メリーが背後に無数の影を構える。どうやら岩陰に隠して数を増やしていたようだ。
それをみても、ユマは矢を打つことができなかった。
――――!!
視界が真っ黒に染まった。反射的に、本能的に、個人的に、瞳を瞑ってしまったのだ。戦場から目を背けた。戦いに負けた。歯車が止まる。
ユマの頭の中には、そのことだけが響いていた。
シュッ。
「――アアアアアアァァァァッッ!!!」
まぶたを上げる。洞窟と耳に響き渡った悲痛の叫びは、誰のものでもない、メリーのものだった。
地面と、そしてメリーの背中に鋭い霜が迸っている。白く染まった空気も見える。
「ユマさん! 無事ですか!?」
窮地を救ってくれたのは、バトンを渡された相手、リノだった。
「リノ……ちゃん。……はぁ、たす、かった? ……だめだ、私」
ユマはリノたちの方を向くことなく、弦を引く指の力を抜いて、その場にぺたんとしりもちをついた。
ユマのうしろにはセンスを背負ったヘネスもおり、これで、全員が揃った。
「ユマ、無事か!? ……って、エルナード! おい、こいつ腕が……生きてるのか?」
リノもヘネスも、エルナードの現状にかなりのショックを受け、驚き以外が出てこなかった。彼女らとともに、ユマもまた、無意識のうちに涙ぐみ、口を両手で押さえていた。
エルナードはすでに意識を失っており、もくもくと漂う白い霧に手を伸ばし、バッタリと石の上に倒れていた。光ももう消えてしまっている。彼が生きていると証明できるものは何一つない。
「くっ、俺たちがメリーに気付けなかった所為で……」
気付かなかった、ではなく気付けなかったのだ。メリーは禁忌ともいえる術を使っていたのだ。自らをかげと同化させ、影を動く業。本来これを使えば体を組織から崩壊させてしまう危険が伴い。しかし、それをメリーは狂った先進で乗り切ってしまったのだ。しかし、そのメリーも今は既に息をしていない。
「みんなの所為じゃない。私が、私がちゃんとあたりを注意していれば……。ごめん、ごめんね、リノちゃん。大切な人だったのに…………っ! そうだ、エルナードのお義姉さん、あの人は!?」
ユマはうしろ振り返った。立ち込める白い霧の中、エルナードの義姉であるアイリスを探した。すぐにみつかった。
彼女は、エルナードと手をつなぐようにして倒れていたのだ。そこでユマは自分の着ていた上着をそっとかけた。
「この人は、エルナードが必死に助け出した、家族なの。私がここに着く前から、ずっと頑張ってたんだよ」
ユマは俯き、アイリスの手をとった。
「こいつが……」
ヘネスも、例外ではない。なにもしないまま、センスを背負って立ったまま、過去を思い返していた。
リノは、何も口にしない。
「どうした、リノ? やっぱり、ショックだったのか。そりゃそうだよな。俺たち皆ボロボロだな。依頼も達成できてないしな。なにより、一番頑張ったヤツがいなくなっちまう」
「…………」
リノは震えたまま口を開かない。
「せめて、こいつの家族だけでも、責任を持ってマスターのところに連れて帰ろう」
ヘネスはリノの方にそっと手をやった。
「……いいえ。まだ、まだ諦めません。師匠は私に剣を教えてくれるって言いました。この人は、大切な約束は絶対に守る人です。絶対に、私が助けます! そのための力です! いま助けられなかったら、一生恩返しができないまま終わってしまいます! そんなの嫌です。絶対に嫌です!」
リノは涙を流しながら、かつ前を見つめながら言った。
「リノ……。だが、センスよりも傷が大きい。なにより血が足りない。どうするつもりなんだ?」
「血なら、私が分けます。私の能力で血の型を変換して、師匠の血液に同化させます!」
「そんなことしたら、リノちゃんまで!」
「いいんです! 私は、自分だけがのうのうと生きていくなんて嫌なんです。絶対に、1人も欠けずに帰るんです!」
洞窟の中を、温かい不思議な光が包み込んだ。
南の山脈、古城アルフレットが心で満ち溢れた――。
一応次回からは別小説という事にして続きを書きます。
なのでこっちもそっちもともによろしくですb




